21 ツイていない日④
「ひいっ」
今までそこには存在していなかった――いや、”見えていなかった”男が小さく悲鳴を上げる。
こんなみたく落ち着いた思考が働いたのは、やはり桜子や登城先輩に出会えたからこその賜物ってやつだな。
もし”アテラレ”を経験していなければ、目撃した光景に唖然とするばかりで、全く飲み込めなかったはずだし、発想すら及ばなかっただろう。
人が”消える”なんてのはさ。
「あの、あの、違うんです。僕はこれを持ち主に返そうとしてただけで……決して、怪しい者ではないです。先輩はここのクラスの人です……よね、やっぱり……あの、あの、顔が怖いです。その……それと携帯鳴ってます」
詰め寄る俺に、後退りする色白小男。『あのあの』が耳障りな上、ちょっと美形な面立ちにも腹が立つ。
手に吉野のユニフォームを携え、何やら言い訳がましい事をほざいているが――ふん、今更何ほざこうが関係ない。ついでに電話も鳴っていようが然りだ。
もう俺の中では確信なんだよ、てめえは。
だから、こいつには一言物申さずにはいられない。
「なんで、俺のとこに入れたっ、こんにゃろ」
「はい!?」
「なんで俺の机の中にっ、そ、れ、を、入れやがった」
俺は言葉に合わて、相手が手にしているブツを幾度か指し示す。
「あの、言っている意味がわからな、はっ。えっと……わかりました。……あの、もしかして先輩はあそこの席の人なんです……よね。違うんです、誤解です。……あの、普通名前順だから、勘違いして……あの、本当は」
「だっ、もういいっ。あのあの、ごもごも、うるせーんだよっ」
自分から問いただしてなんだが、うだうだした物言いに我慢できなくなった。
それに、こいつが『そうしなければ、世界が滅びていた』と、ワールドワイドな理由を述べたとしても、意味をなさない。だって、俺は文句を言いたいだけなのだから。
なので、この”あのあの小男”には、たっぷりと恨み辛みを聞かせてやろうではないか。
むろん、捕まえた後に。
「怪盗Xっ、大人しくお縄につきやがれってんぬわっ」
時代劇風味の啖呵が気に障ったのだろうか。飛びかかろうとしたら、怪盗Xが手にしていたブツを、俺の顔面へ投げつけてきやがった。
勢い余って近くの机に突っ込み、転倒する。
「あの、ごめんなさい」
謝られたところで、許す気など毛頭ない。
顔にかぶさっていた障害物を振り払い、怪盗野郎を目で捉えると、
「ちょ、待てっ、逃げんな、こらっ」
怪盗野郎は、俺に背を向け走り去ろうとしていた。
待て、と言われて素直に聞き届けてくれる泥棒なんている訳もなく、その後ろ姿もだんだん離れていく――が、それだけじゃない。
「やべえっ」
俺は”見失ってはいけない”と、焦る。
教室にあるもうひとつの出入り口へと向かう怪盗野郎を、必死に追おうとするが、その姿は透明と呼べる状態まで変化しつつあった。
引き戸が開かれる。だがそれは、もはや自動ドアにしか見えない。
「あの野郎、どっちに行きやがった!?」
追っていた勢いのまま廊下へ飛び出し、右見て左見て……更に右を見てみるも、自分以外の人影は発見できなかった。
「だっ、ちきしょうっ」
奥歯を強く噛み締め、地団駄を踏む。
透明人間……いや一度姿を現わしたから、透明になれる人間になるのか。
そんな技能を持っている、怪盗Xなる者を見つける手立てなんてのは持ち合わせていない。
「悔しいが……ぐぬっ」
この場は諦めるしかなかった。
「あいつ俺のこと『先輩』って言ってたな……。この学校の制服着てたし、ここの一年ってことか?」
教室の床に落ちていたオレンジ色のユニフォームを拾い上げ、吉野の机へ。これで、俺の学園生活における危機は去ったし、当初の目的は達したのだが、どうも怪盗Xのことが気になり、考えてしまう。
「実際どうなんだろう。あれ”アテラレ”で透明になってんのかね」
それ以外の理屈に思い当たるのは、手品ぐらいなものだが、あの状況でトリックめいたものは感じられなかった。
根拠はないけれど、”アテラレ”が要因ってのが、牛乳を飲むとお腹がゆるくなるぐらいには納得だ。 ならば――、
「なんて羨ましい”アテラレ”持ってんだ、ちきしょうっ」
世界中の男子が一度は夢見る、透明人間である。
それを奴は、怪盗野郎は、くっ、やっぱ腹立つ。
すぅーはーと深呼吸して、自分が散らかしてしまった机や椅子を整理した。ついでだから、教室の戸締まりもしといてやるか。
「確証はないけれど怪盗Xが”あてられた”奴だったとするなら、登城先輩に教えた方がいいのかな……。てか先輩、今日学校に来てたんだろうか……。うん? ああ、そういや鳴ってたな」
登城先輩に電話しようとして取り出したスマートフォンの画面に、着信ありのメッセージ。確認してみると、あの時の着信は桜子からのものだった。
「タイミングが良かったのか、悪かったのか……まあ、桜子だしな」
桜子をちょっと小馬鹿にして、俺は頬を緩ませる。
登城先輩に電話を掛けるつもりでいたが、その相手がニヤけの元である少女でも構わない訳だし、そのまま人差し指でトン、と画面をフリックする。
「――おお桜子。さっきは電話取れなくてすまん。ちょっとそれどころの状況じゃなくてさ。怪盗Xが透明人間、透明になれる奴だったんだよ。てかこれ、だぶんだけど、”アテラレ”って思うんだ。おっと、悪い悪い、怪盗Xつってもわかんねーよな。最近学校で」
『スバル。聞きたいことがある』
電話が繋がるや否や、一気に話そうとしていた俺だったが、桜子の強い口調による言い入れに話しを切られる。
桜子のそれは、電話越しでもわかるぐらい、真剣さを感じさせた。
ゴクリと生唾を飲んで考えてしまった。
まさか、良からぬ事態でも発生したんじゃないだろうな!?