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出会ったあいつは『箱入り』なヤツでした。  作者: かえる
【 箱入り娘をかく語りき。~へ~ 】
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09 丘の上の教会②



           ※



 西へ傾く日光は柑子色こうじいろを強めた。

 陰影がぼやける一面のなだらかな芝生を歩いて上ると、ぽつり洋風の家屋が建つ。

 映画『アウストラル戦記』で知る教会と比べれば、断然小さく鐘塔もない。教会らしさと言えば、教会の象徴である十字架が、大中小ある内一番広くて大きな三角屋根の頂点に掲げてあるくらいだ。

 桜子の手を引き小さな三角屋根の下へ近づけば、手前に気持ちばかりの階段を置く入り口がある。白い壁にはめ込まれた扉には『童養護施設――丘の子どもホーム』のプレートが貼り付けてあった。


「中に入らなくていいのか」


「迷うなあ……」


 俺は桜子の確認に階段の前で直立したまである。

 教会そのものに用がある訳じゃない。ただ、ジンに贈りたい物があって、他に知らなくて。

 ズボンにしまう煙草の箱をそっと握る。


「あの、僕は『丘の上の教会』で間違いな――」


「とわっ、いきなり後ろから話し掛けんなよ。ちょっと、ビクってなったじゃねーか」


「あの、ごめんなさい。あのでも、僕あの怖い女の人から『丘の上の教会』ってはっきり聞いて」


「わーってるって。別に場所が違うかもとか武田を疑って迷ってた訳じゃねえから。武田のお陰でここに来れた訳だし、十分感謝してるよ。ありがとよ」


「先輩! ぼ」


「スバル、あれあれ、わんこなのだっ」


 桜子が教会入口の階段脇へと俺を誘う。いいや、連行する。

 教会と同じく三角屋根の物件があった。家主はムクムクした一匹の子犬で、広々とした住まいからフカフカな顔を出す。

 はて、脳髄を刺激する大きな犬小屋と子犬である。

 俺が記憶の欠片を見つけ出すよりも早く、桜子と武田が子犬を愛でた。だから俺も、負けじと参加しなければいけない。

 紐に繋がれている茶色い子犬は抱っこされたり撫で回されたりしても、嫌な顔一つ見せない。

 こいつはもはや罪の領域だ。すこぶる可愛い。

 俺達が子犬に群がり癒されていると、教会の裏手から呼ぶ声があった。

 通る声は俺の名前を響かせた。


「桜子、京華ちゃんが呼んでる」


「うん、行ってらっしゃい」


 俺は他人事のように言う桜子を犬小屋からひっぺがす。


「ああ、ああ、わんこ。……まなぶん、後は頼むのだ。私の、私の分までわんこをもふもふしてくれなのだ」


 綺麗に刈りそろえられた芝の上を、ズリズリと引っ張られながらも器用に滑り、今生こんじょうの別れらしきものを吐いた桜子と小奇麗な教会の周りを回る。

 そうこうして、敷地の境界を示すように一本の立木。側で待ち構える京華ちゃんへ歩み寄れば、その目は立派な樹木の下を指す。


 新聞紙を広げたくらいの四角くくどっしりとした灰色の塊があった。面取りされた綺麗な石。傾く上面には十字架と文字が彫られ、レリーフが縁取る。

 傍らに、ふわっとした白い花びらを咲かせる花束と、斜陽を浴びて一段と深い色合いになる琥珀色こはくしょくの洋酒が供えるようにして添えられていた。

 酒瓶は俺に七面鳥のラベルを見せる。


何方様いずかたざまの墓碑であろうな」


「京。誰かのお母さん」


「……うむ。そうやも知れぬな」


 誰かの、と言うようだった京華ちゃんに桜子が母親と付け加えた。

 俺は墓碑と関わりのある人物に心当たりがあったが。


「なんで、母親のってなるんだ?」


「このお花はカーネーションだ。カーネーションはお母さんのお花なのだ」


「桜子の名前は伊達じゃないってか。お前って花に詳しいのな」


「どうやら池上殿は、お母上への感謝を怠っているようであるな」


 母の日のことっスか。

 京華ちゃんの意地悪さに首をすくめ、白い花束と横に並ぶ酒瓶を交互に眺める。


「ないな」


 きっと、花束は教会の人が手向けたもの。

 凶暴で粗雑な三本の尻尾を持つあいつに花を贈る、なーんて発想は絶対に生まれない。せいぜいこの酒瓶と……この黒い落書きくらいだろう。

 膝を折り墓碑の英字を目で追ってみれば、刻まれる人の名前らしき隣に『&GIN』の文字。リンネの仕業で間違いない。


「てか、マジックかよ……」


 まさしく苦笑であった。

 黒い文字をなぞる俺は身をよじり、俺が不良になったと騒がれた煙草の箱をポケットから取り出した。

 お邪魔します、と墓碑に断ってから酒瓶の隣へ。


――アレだな、ジンのおっさん。もしこの光景が見えていたんなら、笑えないな。


 ジンは”夢落とし”で俺のどの未来を見ていたのか。

 通り行く風が芝生の、土の香りをさらう。

 夏の足音が近づいていても、夕日の色に染まる春の風はその陽気さに冷たさを含む。

 感傷的になるつもりはない。しかしそれでも、僅かながら静かな時間を過ごしたようで、桜子がいやに大人しいと思い至れば、自分へ注がれている京華ちゃんの視線に気付く。

 いつから見つめられていたのやら。


「池上殿。菖蒲あやめの事であるが」


 俺の様子がキツネ目の名前を口にさせてしまったようで、事情を知るからか、申し訳なさそうな京華ちゃんに映った。

 ジンの命を直接奪ったキツネ目。そいつを法的に裁く手立てはない。

 なぜなら、一週間前、半焼した施設では”何も起こらなかった”からだ。

 世間を知らない俺にも、京華ちゃんから聞かされたその意味は飲み込めた。

 あれだけの大規模火災が嘘だったように、翌日の新聞にも載らず、ローカルニュースにも報道されない。

 ”アテラレ”の存在を公にしない為、すべては三家で表の顔を担う登城家の力により隠蔽いんぺいされていた。

 事実が無ければ、証拠もない。ジンの死は闇に葬られ、登城家の子飼いでもあるキツネ目は御子神家の手から離れる。


「ああーと、俺は別にジンのおっさんのことでキツネ目のことを恨んでるとかはないから。ジンは悪いおっさんで、キツネ目も悪い奴。ただそれだけで、俺は助けてくれた礼にジンが吸っていた煙草をここに供えた。そう、それだけなんだ」


 キツネ目の女……それに獅童さん。人の命を奪った者の違いを俺は言葉にできない。できないから俺は、正義と悪に区分する。

 そして、奪われた方のジンは悪い人間で、ムカつくおっさんで、だから俺はジンに同情はしない。俺は純粋な感謝しかしない。

 俺はジンを知らない。煙草があれば、がははと笑うくらいにしか知らない。


「……んじゃまあ、俺の目的はこれで終わったし、帰ろっか」


「待つのだスバル。私がハンバーガーのおじさんにお礼をしていない。スバルは早く私の肩へ手を置くのだ」


 言われるがままに従う。

 屈む桜子は繋いでいた手を離すと墓碑の前で手を合わせる。一体なんのお礼なのか。


 そうして、背中越しだった。

 後ろから肩へ手を掛ける俺に桜子はジンの話をする。

 俺が眠っていた時、ジンが俺に言葉を残していたようで――。


「――――そう、ハンバーガーのおじさんは言っていたのだ」


「そうか。……それ『アウストラル戦記』の台詞だな」


 ジンもあの映画観ていたんだと思い、それは悪役の台詞じゃないぜ、と。

 それと俺は悲しんでなんかいない。ちゃんとあんたの最後と向き合えている。


「桜子に話していた辺り、案外世話好きなおっさんだな、あんたは。……また代わりに煙草買って貰えるようだったら、届けに来るよ」


「私はスバルから助けられた。おじさんはスバルを助けた。おじさん、ありがとうなのだ」


 桜子が俺の手を取る。


「じゃあ、戻るか」


「おうなのだ。わんこの所へ戻るのだ」


「車にだよ」


 俺は一度だけ墓碑を振り返り、しっかりと芝を踏みしめる足で丘の上の教会を後にした。


「……シスターさんと仲良くな」




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