08 丘の上の教会①
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「せせせ先輩が、結婚んんっ!? なんでだ、誰とだっ、どうしてだああああ」
車内三列シートの一番後ろから放たれた俺の咆吼に、隣の桜子と前列から顔を出す京華ちゃんが各々耳を塞いでいた。
「スバル、いきなりうるさいのだ。耳がキーンなのだ」
「驚くのは勝手であるが、……勘弁願いたいものであるな」
桜子からは耳鳴りを訴えられ、登城先輩の結婚話を宣告した京華ちゃんは、害虫でも目の当たりにしたかのような嫌悪感丸出しのしかめっ面をハンカチでふきふき。……もろに俺のお汁を被ったようだ。
俺は身を乗り出し浮いていた腰を座席へと落ち着かせる。
「だってさ……先輩が結婚だなんて聞いたら、叫びたくもなるじゃん」
「私はならぬな。それと正しくは結婚が決まったのではなく、早く直系の男子が欲しいであろう登城家の者が、ユイ姉に結婚を勧めるとの話だ。『万物流転』をいつまでも分家へ預けておくわけにもいくまい」
「いくまい、はわかる……けれど、んなああ駄目だ、やっぱヘコむ」
「なぜなら、スバルの色がちょっとブルーだから」
お前さあ、いつの話持っ――、
「てらっ、こんな時にどやっとしてんじゃねえ。そんなに俺のデコピンが欲しいか」
「いらない」
「あまり車内で騒ぐ事なかれ。されど、腑に落ちぬな。婚期がいつ適しているかはさて置き、結婚とは祝うべきめでたいものだ。池上殿が悲嘆するような事でもなかろう」
「京の言う通りなのだ。結婚はハッピーなことなのだ」
これだから女子は。俺はブライドに夢見られる乙女じゃないんだよ。
「あのさ、登城先輩は皆の登城先輩だろっ」
「どういう意味なのだ?」
「さあな。私には分からぬ」
桜子と京華ちゃんが座席越しに顔を見合わす。ぬぬぬ、性別の壁がこうも理解を阻むか。まるで、俺がナゾナゾでも出題したかような有り様である。
どうやらこの乙女らに、俺が抱える『ハートブレイクハンマー<心を打ち砕きし鉄槌>』は見えていないようだ。
となれば。
俺は二列目に座る京華ちゃんを躱し、車の一番前へ視線を飛ばす。運転する御子神男衆の方は憚れるので、助手席へ向けて。
「おい武田弟っ、お前なら俺の気持ちわかんだろ」
ひょいっと背もたれから、とりあえず俺と同じ男子ではある、なよなよ小男が顔をのぞかせる。
「あの、僕はスバル先輩と同じ学校だから、登城ユイ先輩の噂をよく知っています。あの僕のクラスでも有名で、登城ユイ先輩は美人だしすごい人だから誰もが憧れる先輩です」
「そうそう。だから」
「だから、そんな登城ユイ先輩はきっと素敵な人と結婚するんだろうなって、あの、僕は思います」
「まなブンの言っていることは分かるのだ」
「うむ。武田殿の云うよう、ユイ姉には智勇兼備な殿方こそ似合いであろうな」
武田の描く登城先輩未来予想図に、桜子は親指を立て京華ちゃんは首肯する。
ちげーだろ、先輩の結婚話を盛り立ててどうすんだよ。どうせ喋んなら、俺の男心を代弁しろってんだっ。
「お前って野郎はほんと使えねーな。なんで一緒の車に乗ってんだよっ」
「ひど、先輩ヒドいです。スバル先輩が、あの、道案内がいるって僕を強引に連れて――」
「迎えに行ったお陰で、武田姉と会っちまったしな」
「先輩は僕の姉さんが――」
「スバルはまなブンのお姉ちゃんと会いたくなかったのか」
「うんん、なんつーか、武田姉は同じクラスメイトだからさ。わざわざ学校休みの日まで顔合わすのもって……」
俺は休日にクラスメイトの女子と会ってしまうとなんとなく気恥ずかしいんだが、このバツの悪さを……桜子の性格だと、伝わんねーな。おまけに学校も通ってないし……。
桜子に武田風美の話は答えにくい。なので、弟に代わってもらおう。
「アレだな。それより、今日学校休みなのに、なんでお前は制服着てんだよ」
「姉さんの話、あの、その、僕が制服着ているの――」
「武田殿がこの姿なのには理由がある。普段から馴染む着衣でなければ、”あてられ”で透明化出来ぬようでな。行方知れずの『あれられ狩り』の事もある。用心の為、なるべく出歩く時は学生服を使うよう、私から指示している」
「そうなんです。京華様から……あ、はい、そこを左でお願いし――」
「京。それなら、まなブンは他の洋服でも、裸になれば問題ないのだ」
「桜子さんってば、意外と過激ですな」
「ふむ。桜子の言い分にも一理あるな。しからば、洋服より長着などが脱衣には向いているか」
「あの僕――」
「京華ちゃんも悪ノリしたりするんだね」
「ぬう、私がか? 桜子の間違いではないのか」
「私がいつ調子に乗ったりしたのだ」
割りとしょっちゅう乗りまくってる印象だが、触れないでおこう。俺が京華ちゃんへ肩入れする格好になると、桜子がムキになりそうだからな。
前と隣。凛とした眼光を黒い瞳が真っ向から受け止める。俺は、あいよそこごめんね、とばかりに間を割って、また助手席へ視線を飛ばす。
「ところで武田弟。後どれくらいで着くんだよ」
「あの、ええとその――」
「坊主が言うにはもうすぐだ。辛抱してろ」
応じてくれたのは、運転席からの野太い声だった。
「はい。わかりましたです」
胃がきゅっとなってしゅんとなった。叱られた気分になった俺は居住まいを正す。
未だにお兄さんの方か弟さんの方か判別できていないが、どちらだろうと厳つい風体も声も一緒なのだから支障はなかった。
「それとよ」
「はいっ、なんでしょう」
「……登城のお嬢さんの話。俺は……お前さんの気持ち、わかるぜ」
あらいやだ、胸のどきどきが止まらない。
これが……これがサプライズ効果ってやつなのか!
御子神男衆の厳つい運転手さんへ対する好感度が、ぐんぐん上昇した。
俺の高ぶる感覚が、車の速度を加速させる。直ぐにでも丘の上の教会へ到着しそうだった。
『丘の上の教会』。
そこは武田学がリンネの跡を追い立ち寄った場所であり、ジンが関わった場所でもある。




