1 オープン・ザ・ゲンカン
ありがとうございます。
こちらは作者の処女作になります。
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自宅の玄関にて、俺は理解し難い状況に遭遇した。
困惑の最中、懸命に記憶をたどる。
これは急務だ――。
いつも通り、小うるさい妹にしぶしぶ叩き起こされ、慌ただしく学校の制服に身を通し、ばたばたと支度をする。
それから朝食を手早く済ませ、よく跳ねる頭頂部の寝グセにやきもきしながらも、玄関にてせかせかとスニーカーを履く。その後、品のある造形とは裏腹に開扉すると不快な音が鳴る扉を、押し開けた。そして、今に至る……のだが。
俺は、ううん、と唸る。
刹那の長さで頭をフル回転させた結果、普段となんら変わらない朝の行動だったな、と確認は取れた。しかし、それだけ、ただそれだけ。現状に変化はない。
だから俺は今も、この”日常ではない出来事”に襲われている。
「玄関開けたら、美少女なう……」
思わずこぼれた現在進行形の呟きであるが、加えて言いたい。
ただの美少女ではないのだよ諸君であり俺。”下着姿”のおまけ付きだ、こんにゃろ。
育ち盛りの男子高校生には似つかしくない、か細い声だったので、視線の先に居る小柄な少女に聞こえたのかは定かでない――が、呟いたら目が合ってしまった。うっ……その黒い瞳はすごく透き通っており、なんだか吸い込まれそうな気分になる。後、容姿から中学生ぐらいの年齢ではなかろうか。
断っておくが、実はこの子、登校する俺を迎えに来てくれた露出が趣味の変態的彼女なんだ、なんてオチとかは用意していない。
自慢じゃないが、池上スバルさんは高2の春を迎えても彼女いない歴がエトセトラで、絶賛更新中である。
んなっことより、だっ。
知らない少女が下着姿で居るってだけでも、おかしくなりそうなのに、それだけじゃないんだって!
いつもならあるはずの、土だけの哀れな鉢植えやら、薄い割れ目がある門柱、果ては先週舗装されて新しくなった道路……。これらの物、つまり日頃目にしている”光景そのものがない”のだ。
いや表現としては”違うものがある”が正しいのか?
とにかく、
――異常なんだよ。
目の前には、水色のアンティーク調のクローゼットがあり、それがよく似合う西洋風の部屋が広がっている。他にもクマのぬいぐるみや、見るからに座り心地が快適であろうソファを、視界の隅に捉えた。
そして、部屋の真ん中辺りに”下着姿の少女”がたたずんでおり、先程から、あの吸い込まれそうな黒い瞳で、真っ直ぐにこちらを見ている。ものすんごい見ていらっしゃる。
少女はバスタオルを羽織り、毛先が肩に届く長さだろうか、その少し濡れている様子の黒髪を細くて白い首筋に絡みつかせていた。そんな姿ですから、風呂にでも入っていたであろうことは、容易に想像できる、できるが。
「あの……いい部屋ですね」
ドアノブを掴んだまま離せないでいる手の平は、なにやらしっとりとしているが、平然を装い、乾いた笑顔で褒めてみた。
なかなかどうして雰囲気のある、すてきな部屋に感じたのは事実。嘘は言ってない。うん、これっぽっちも言ってない。
この状況下では相応しくない台詞だってことぐらい承知してるさ。
でも、ほかに言い様がないんだよ、てか、いろいろ思考がおかしくなりそうなんだよ、俺。
「こういう場合。悲鳴を上げるのがセオリーというものだろうか」
俺が絞り出して吐いた台詞には、興味がない様子で少女は話す。
ゆるやかで落ち着いた口調だったからだろう、違和感が生まれる。
だって、こういうシチュエーションの時って、もっとこう、どぎまぎするもんじゃないのか? 多少は驚こうよ。
ふむ、アレだな肝が座った子だ――――などと、少女を観察してる場合ではなかった。
血気盛んな年頃の男子が、下着姿の乙女と対峙してる構図である。俺がどんなに聖人君子だろうとしても、非難されるのは明らかだ。
だから、速やかに対処しなければならないと思うのだけれど、先程から俺の視線と体は固まったままである。
決して、大きめのバスタオルから、ちらりと垣間見える少女の可憐な肢体に釘付けだからではない。予想だにしなかった光景に、思考が定まらないからだ。
俺ことスバルくんは混乱真っ盛りなのである。
「すぅ――」
硬直状態の俺にしびれを切らしたのか、いかにも大声で叫びます! とばかりに大きく息を吸い込む少女。――やばい、人生終了のカウントダウンがスタートしてしまった。
「ちょ、ちょちょ待って、いや違うんだっ、誤解だって!」
とっさに動揺しながらも叫ぶ。
声を出したのが幸いしたのか、全身の緊張が解ける――今しかないっ。
――――瞬間だった。
玄関には、ばたん、と閉じられた扉をじっと眺め立ち尽くす俺が居た。
「あぶなかった……」
最悪の展開を回避できたおかげか、安堵の息とともにこぼれた言葉である。
「お兄ちゃんっ。なにしてんの、遅刻するよっ」
いきなりの叱咤だったので、聞き覚えのある声音にもかかわらず、心臓が飛び出しそうになる。俺はそれを誤魔化したかったのか、その場で半身になり奇妙なポージング。
「……そんなのいいから、どいてよ。シズクも学校行くんだからっ」
そんなの、と一蹴された俺の芸術的な姿勢については……忘れることにしよう。それよりなにより、さっきのアレを話さずにはいられない俺は、玄関と廊下の境目に居る声の主へ、きちんと体を向けた。
「あ、あのさ、シズク……」
俺は相手へ、真剣な眼差しを注ぐ。
「なによ」
「玄関開けたら……美少女がいた。てか下着姿の美少女がいたっ」
「はあ……。朝からバカアピールしないでくれる。あと、エロいの最悪~」
春から中学生になった我が妹シズクは、ため息を混ぜた非難の声とともに、冷ややかな視線で俺を射抜こうとしてきた。
アレだ。妹は、難しい年頃なのである。