ボディダブル
第99回フリーワンライ
お題:
ドッペルゲンガー
フリーワンライ企画概要
http://privatter.net/p/271257
#深夜の真剣文字書き60分一本勝負
朝目覚めた彼は、ちょっとした違和感を覚えた。
支度に取りかかる前に、枕元に立つネットワーク・センターを睨んだ。等身大の細長いポールだ。一掴みほどの太さのその表面に、リアルタイムの日付と時刻が浮かび上がっている。
やっぱりだ。彼は今日が月曜だと思ったのに、表示は火曜だった。ネットワーク・センターの同期不具合か、時々、実感と実際にズレが生じることがある。最新鋭機器もスタンドアローンでは成り立たないし、ネットワークの不調には弱い。
「しょうがないな……」
いつものように支度をして、いつものように出かけた。
登校中のいつも通りの日常風景……というわけにもいかなかった。
(まいったな)
路線バスで事故があったらしく、普段使っているバス停が使用不能にされていた。バス関係者らしい制服の中年が、駅への誘導を行っている。
仕方なく足を伸ばして駅へ向かう。通り過ぎる時、制服の中年をちらりと見た。ひょっとすると始発からずっとそうしているのだろうか。顔にびっしり汗が浮かんでいた。左の目尻にほくろが二つ並んでいるのが印象に残った。
案の定と言うべきか、駅は混んでいた。彼は人波をすり抜けて改札へ向かった。
公共交通機関共用の乗車カードを改札に翳そうとすると、まったく同じタイミングで横合いから手が伸びてきた。
彼の乗車カードには勿論彼の名前が印字されている。林田一人。割り込んできた乗車カードの名前――それも林田一人だった。
「…………」
「…………」
顔を上げて見た時、鏡があるのかと思った。だが、鏡ならば実像とは逆向きに映るはずである。彼と同じ顔をしたそいつは、彼と同じ乗車カードを彼と同じように右手で差し出し、右肩越しにこちらを見ていた。
呆気に取られて数瞬固まったが、背後からの咳払いで我に返り、仕方なく先を譲った。会釈もせず、そいつは当然のような顔で先に改札を通った。
親切心を踏みにじられたような気がして腹が立った。心の中で悪態をつく。
(クローンの癖に……)
改札を通って見渡す――駅は使い慣れないからだ――と、彼の行き先と同じように登方面に向かっていく姿が見えた。
そして、駅中に同じ顔が溢れているのに気付いた。男も女も子どもも大人も、皆一様に同じ顔が二つずつあった。
混雑を取り仕切る中年の駅員を見ると、左目尻にほくろが二つあった。
*
同じ顔、同じ人物が駅に集まっていることは、驚くには当たらない。
クローンが法律によって制限緩和されて数年。そこに商機を見出した保険会社があった。
『あなたのバックアップを作りませんか?』
重大な事故に備えてクローンを作っておこう、というのだ。
保険屋が強調する重要点はリスクの分散だった。今のご時世、日常生活にも危険が潜んでいる。とはいえ、日常生活を送らないということなど出来ない。
そこで、クローンにも普段の自分と同じように生活をさせるのだ。ただし、少しだけルーチンをずらして。例えば通学に使う交通機関を、片方はバス、もう片方は電車、という風に。記憶は毎晩ネットワーク・センターを経由して同期させるから、同一人物が二人いても問題は起きない。
そしてルーチンをずらしていることから、普段はクローンがいることすら意識に上ることはない。
自分と同じ顔をしたドッペルゲンガーは不幸をもたらすというが、今日のような不慮の事態は滅多に起こらない。
クローンは、顔立ちから体つきから癖に至るまで、何から何まで完全に同じだった。
それはつまり……思考をそっくりそのままトレースすることに他ならない。忌々しいことに、電車に揺られる彼の真横にそいつが立っていた。
彼は電車に乗る時は先頭から二つ目、一番手前のドアが好みだった。つまり、ドッペルゲンガーも同様ということだ。
よくよく見れば、窮屈に感じられる車内には、同じ顔が多かった。恐らく彼と同じ理由で、本人とクローンが同じ車両に乗り合わせているのだ。
クローンの成り立ちを考えれば、リスク分散でバラバラに乗車すべきなのだろうが……所詮向こうはバックアップ。時間をズラすのも、車両を変えるのも憚られた。自分の好きなところに、自分の好きなように、自分の都合を優先して乗りたいのだ。
意地でも我を貫き通すつもりで、ふん、と鼻息を荒くする。
――と、急激なブレーキが彼を突き飛ばそうとした。
すんでのところで耐えると、視界の端にドッペルゲンガーが彼と同じ姿勢で耐えているのが見えた。
『お客様には大変ご不便をおかげします。ただいま車内で不審物が発見されました』
緊迫した様子の車内アナウンス。
チカッと先頭車両で何かが光る。最初、それはライトか何かに思えた。
次に横殴りの衝撃。釣り革を掴んでいられなかった。
地面が波打つ。
鋼鉄のフレームがアルミ細工のようにくしゃくしゃに歪んでいく。
何も見えなくなった。
*
いつものように目覚めた彼は、ちょっとした違和感を覚えた。
枕元に立つネットワーク・センターを睨む。一掴みほどの太さのその表面に、リアルタイムの日付と時刻が浮かび上がっている。
やっぱりだ。
月曜だと思ったのに、表示は水曜だった。ネットワーク・センターの同期不具合か、時々、実感と実際にズレが生じることがある……
『ボディダブル』了
ドッペルゲンガーというと普通は出会っちゃ駄目なものだけど、逆にそれが世の中に溢れかえっていたら……というところから出発したらこんな話になりました。
大して意味はないけども、「林田一人」という名前は真ん中で割っても左右対称になってるんで、なんか鏡合わせというかもう一人いる暗示というか、まあ、名前出てくるシーンでクローンいるから暗示もくそもないというか。
あとボディダブルってタイトルですが、この言葉には「演者の替え玉」という意味がありまして。まあそういうことです。