2.4 それは病気、心の病だよ。純
俺の目は、ある人物に釘付けだった。
その人物は俺の良く知る、いや、良く知っていた人物だ。
多田翔太。
中学生の頃、サッカー部だったあいつと、転がってきたボールを何度か返すうちに仲良くなった。連絡先を知らなければ高校も違ったため疎遠になってしまったが、あれは翔太に違いない。でもどうして……。
「……ん? あれ、もしかして」
あっちも俺の視線に気付いたのか、振り向いた拍子に目が合った。
少し声が低くなっているが、あの小さな背丈、輝きに満ち溢れた表情、可愛らしい顔付き……間違いない。
「翔太! 会いたかったよ!」
とびきりの笑顔と共に、俺は両手を広げた。
「おぉ純! 純じゃないか!」
そして翔太は俺の胸に飛び込む……。
なんてことはなく、適度に近付いて、あの頃と変わらない笑顔を浮かべた。
俺は身が震える程の感動に何度か口をぱくぱくさせながら言う。
「どうしてここに?」
「どうしてって、転校だよ。親の都合ってやつ」
「そうか……大変だったな」
「そうでもないよ? それより、双菜野って聞き覚えあるなと思ったら、純の行った高校だったんだね。いやー、なんか嬉しいね」
「ああ、俺も運命を感じるよ」
「あはは相変わらずだね。でも僕ノンケだから、これからもお友達で」
「相変わらず手厳しい」
あの頃、それとなくアタックを仕掛けること数百回。
全て避けられ、気付けば一定の距離を取られるようになったが、それでも卒業までとても仲良くしていた。
もう二度と会えないと枕を濡らした夜もあったが……まさに運命だ!
「正直、転校っていろいろ不安だったけど、純が居れば安心かな」
なんだその嬉しい発言。
まさか俺を口説いて――くい。
「……知り合い?」
優紀はキョトンとした表情で、俺の袖を引っ張って言った。
しまった、こいつの存在をすっかり忘れていた。
「中学の頃の……親友だ」
「あはは、照れくさい紹介だね。ええっと、僕は多田翔太。君は…………………」
なんだ? 翔太が優紀を見てフリーズしたぞ?
「……なに?」
意外な事に人見知りな優紀は、心なしか俺の背に隠れるようにして小さな声で言った。
翔太は彼女を真っ直ぐ見たまま、ポツリと言う。
「女の子、だよね?」
「……女の子、ですがっ?」
翔太は表情を固めたまま、俺と優紀を交互に見る。
やがて、真剣な表情で優紀に向かって手を伸ばした。
「一目惚れしました。結婚を前提にお友達になってください」
「……うぇ!?」「……はぁ!?」
俺は思わず肩を掴んでガンガン揺らす。
「てめふざけんなコラ! 何した! いったい何をしやがった!」
優紀を。
「やめ、痛い……」
「ごめんっ。つい殺意に身を任せてしまった」
「……べつに、いいけど」
ぷいとそっぽを向いて、肩をさすっている。
「痛むか?」
「……いいって。平気だから」
と言われて引き下がるのは男としてどうかと思うが、しつこいのもダメだろう。
切り替えて、ギギっと翔太を睨む。
「あはは、冗談だよ……いや、半分くらいは本気だったかな?」
ぐやじぃぃっぃぃ! こんなこと言われだぃのぉぉぉぉおおお!
「その様子だと、やっぱりまだゲイなんだね」
俺の気持ちなど伝わるはずもなく、いや少しくらいは伝わっていそうな苦笑いを浮かべて言った。
すると優紀が不思議そうな声で反応する。
「……何か知ってるの?」
「知ってるっていうか……まぁ、心当たりはあるかな」
「やめろ。本人の前で妙な話をするな」
理由なんて無い。
どうしてゲイなのか。
その質問は俺にとってどうして呼吸をするのかと問われるようなものだ。
翔太はやれやれと肩をすくめ、片目だけ開いて言う。
「純の気持ちも分かるけど、そろそろ卒業した方がいいよ」
「そ、卒業って……おま、朝から下ネタはちょっと……」
「そうじゃないよ! ゲイだよゲイ! その中二病の亜種のことだよ!」
「ああ、恋は病って言うもんな」
「だから……あのさ、恥ずかしいと思わないの? ホモビだか何だか知らないけど。あれはガキが騒いでるだけだよ? 何も面白くないからね」
「……翔太。その辺にしとけよ」
流石に今のは、こいつが相手でも許せそうにない。
「こっちのセリフ。それは病気、心の病だよ。純」
「病気なんかじゃない!」
思わず大きな声を出していた。
もともと人の少なかった教室が、さらに静かになる。
だが当然、外から聞こえてくるガヤガヤとした音は変わらず、それが妙に俺の感情を逆撫でした。
「……落ち着いて。周りに見られてるよ」
逆に翔太はどこか冷めた様子で言った。
しかし、そんなことではおさまらない。
「お前には何度も言ったはずだ。ホモビとかBLとか、そういう性の方向を間違えて歪んじまったガキと一緒にするんじゃねぇよ。俺は野郎のケツを狙ってたり、なんでもって言葉に過剰反応したりしない。
俺は恋がしたいだけなんだよ!
ガキが騒いでる彼氏彼女なんて興味ない。
金と性欲に塗れた大人の恋愛とも違う。
ただ純粋に、自分の全部をかけられるような、そんな恋がしたいんだよ!
そのうえで、真剣に男が好きなんだよ!」
叫んで、肩を揺らしながら乱れた呼吸を整える。すると思ったより早く熱が冷めた。
「……ごめん、熱くなった」
「……こっちこそ。僕も言い過ぎた」
周りを見ると、目が合った生徒全てに目を逸らされた。
優紀も、どこか困った様子。
……やっちまった。
「素敵!」
その声は――一瞬で教室の空気を塗り替えた。
おそらく、この場に居た全員が同時に同じ方向を見た。
いや正確には、俺以外が目を動かした。
言い換えるならば、俺だけが声の主に目を向けることが出来なかった。
だって、今の声には聞き覚えがある。
「素敵! やはりジュンは私の思った通りの人でした!」
直前までの空気が嘘だったかのように明るい声が、ぴょんぴょんと近付いてくる。
「でも、男性よりも女性を好きになった方がいいと思いますよ。ジュン」
知り合いなの? という優紀の声に、返事をする事は出来なかった。
……そうか、お前にも、見えるのか。
この時、俺は昨夜の出会いが夢でなかったと確信した。
もちろん、今朝の会話も。
目の前で微笑む少女は、この学校の制服を着ている。
もちろん角も翼も尻尾もなくて、一見すると普通の女子生徒にしか見えない。
だが俺は知っている。
彼女は人間ではなく、リリエラ・アルブ・モナという淫魔、サキュバスの少女であるということを。
そして、この日から――