2.2 ジュンと一緒に頑張るんだよ?
「そんな設定あるわけないじゃん。あっても襲わないよ」
ぷんすか怒りながら俺の作ったオムライスを食べているのは、リリエラ・アルブ・モナさん。一対の角と漆黒の翼、そして尻尾が生えたサキュバスの少女だ。
……夢じゃなかった。
こんなの絶対おかしいよ。
なんで俺サキュバスと同じ机でオムライス食べてるの?
「怯えすぎ。昨日だって何もしなかったでしょ?」
「え、えぇ、そうですね……」
やばいやばい震え止まらない。
オムライスの味とか全然分からないし、スプーンが俺の歯でエイトビートを刻んでやがる。
「……えっと、そんなに怯えられると、ちょっと傷付くよ」
「す、すみません。冷え性なもんで」
ダメだ怒らせるな。怒らせたら持っていかれる。
何を持っていかれるってそりゃナニを持っていかれるに違いない。
そんなことあってはならない。
「大丈夫? あったかくしようか?」
「い、いえ! 結構です!」
ほらやっぱり! 狙ってる! 絶対こいつ狙ってるよ!
「昨日も言ったけど、勘違いしてるみたいだからもう一回言うね。私、無理矢理襲うなんてこと絶対にしないよ。愛の無いエッチなんて死んでも嫌なんだから」
「ほんとに? 絶対? 約束できる?」
「まったく。そりゃ他の人達っていうか、他の悪魔を見てたら気持ちは分かるけど、それはそれ、私は私なんだから。ジュンだって、そんな理由で差別されたら嫌でしょ?」
……その通りだ。
俺は幼い頃、帆紅という名字のせいで少しだけ嫌な思いをした。
「ごめん」
「……そんなに怒ってないけど、なんか素直に謝られると照れちゃうね」
そう言って、モナさんは本当に照れた様子でオムライスをパクリ。
「美味しい! ジュン料理上手だね!」
「いえ、自分なんて、まだまだですよ」
くっ、不覚にも喜んでしまった。
一人暮らしと共に始めた料理だが、今では立派な趣味だ。
素人ながら美食を探求していたりする。だから褒められると素直に嬉しい。
「うーん、なんか硬い。もっと気楽に話そうよ」
「気楽に……ですか?」
「ほら、友達と話すみたいに……ダメ?」
「いえ、そんな、とんでもない」
やば、なんかムッとしてる。
気楽に、友達と話すみたいに……えっと、えっと……。
「お前が壊したドアだけど、ちゃんと弁償してくれるんだよね?」
「ごめんねっ! でももうちょっとだけ優しくしてくれると嬉しいかな……あはは」
ふむ。なんだかんだ悪いヤツじゃないのかもしれない。
いや待て騙されるな。
「モナさん、だっけ?」
「モナでいいよ。ジュン」
悪魔とか、そういうの、信じたわけじゃない。
空から降ってきたように見えたが、翼のせいで錯覚しただけかもしれない。こういう衣装なら、そういう店に行けば簡単に手に入るはず。よって、こいつには新手の詐欺師という可能性が残っているのだ。
「……ちゅん! うぅ、ごめん。なんか鼻がムズムズするよ」
不思議な擬音と共にくしゃみをしたモナの尻尾が、床に穴をあけた。
だがモナは気付いていない様子で、無傷の尻尾をフリフリしながら鼻をつまんでいる。
はい消えた。詐欺師とかいう可能性消えた。
「……その、悪魔、でしたっけ?」
ガクガク震える手でティッシュを渡しながら、慎重に尋ねる。
「また敬語」
「ごめん。えっと、モナは悪魔だっけ?」
「うん。でも人間とほとんど変わらないから、あまり気にしなくていいよ?」
普通の人間は尻尾で部屋の風通しを良くしたりしないと思います。
「なんで、人間界なんかに?」
「それはその……私達って年齢が二ケタになる頃には子供がいて当たり前なんだけど」
当たり前なのかー。
「私、もう十六歳なのに男の人と手をつないだことも無いの。だから周りがうるさくて」
モナはバツが悪そうな様子で、デクレシェンドに言った。
なるほど「たけし! もう三十歳なんだから結婚しなさい!」みたいな感じだろうか? もしかしたら
「たけし……孫の顔を見せてはくれないか?」の段階かもしれない。
とにかく、なんとなく状況は分かった。
「家出してきたの」
「そうか家出か……家出なの?」
「だっておかしいよ。みんな四歳になる頃には初体験してて、それから三日に一人くらいのペースなんだよ? 私、そんなの絶対やだ」
三日に一人……だと? 一回じゃなくて一人なのか?
「一人って、それはその、相手は人間ってこと?」
「うん。悪魔どうしの性交渉は禁止されてるから、相手は人間だよ」
「禁止? なんで?」
「血が偏って種が滅んじゃうから。でも、これはこれで問題があって……」
意外にまともな理由だ……いやまともなのか? なんか錯乱してきた。
「えっと、人間でいう夢精だったかな? あれは寝ている人が襲われた結果なんだよ」
「そうだったの!?」
よかった俺まだ夢精したことない!
「うん。だからよく見ると別の体液も……って、今の反応、もしかして、ジュン」
「大丈夫だ……多分」
「そっか。よかった」
俺より安心した様子のモナさん。
こっちは警戒心が跳ね上がったんですけど?
「ごちそうさま。ありがと、美味しかったよ」
「……そうか、それは良かった」
モナさんは、にっこりお礼を言うと、食器類をシンクへ運んだ。
その様子をビクビクと見ながら、まだ半分以上残っているオムライスに手を付ける。ちょっと冷めていた。
直ぐに戻って来たモナは、静かに座ると、無言でニコニコ。
「……なんだ、どうした」
「ジュンが食べ終わるのを待ってるんだよ」
「……そうか」
食事の邪魔はしない、と考えても良いのだろうか?
いや見られながら食べるってのはなんだか微妙なんだが……。
とりあえず食べよう。
少し急いで食べて、食器を片付けた後で席に戻る。
するとモナは待ってましたとばかりに口を開いた。
「ここからが本題なんだけどね?」
いきなり本題なんですね。
なんだっけ、家出してきたとかいう話だったっけ?
「私は恋がしたいの」
「……」
どんな反応すればいいんだよ。
淫魔から「恋がしたいの」とか真顔で言われても困る。
「その人のことを考えるだけで幸せな気持ちになれるような、そんな恋がしたいの」
同意を求めるように、モナは俺の目を見る。
なんというか、純愛から最も離れた位置にいる淫魔の言葉と考えると微妙だが、だからこその説得力を感じてしまった。ならば、俺は彼女を応援する他ない。
「……そうか、応援してるよ」
「ジュンと一緒に頑張るんだよ?」
「……え?」
「私ね、正直不安だったの。身体じゃなくて心で恋をする人なんて、いるのかなって……でも、最初に会ったジュンがそうだったんだよ! 運命感じちゃうよ!」
肩を抱き、くねくねしながら、とても嬉しそうに言った。
……それが原因だったのかよ。
そうだ覚えてる。俺は昨日ゲイを否定されて、結婚と子作りは目的じゃなくて結果だとか、そんなことを半ギレで言ってしまった。あれか、あれが原因だったのか。くそっ、あれさえなければ、きっと今頃こいつは別の場所に!
「だから、えっと、まずはその……デート、する?」
しねぇよ!
と叫びたいが、ここはクールに、こいつを刺激しないように……。
「昨日も言ったけど、俺ゲイだから。他を当たってくれ」
「ゲイだからいいんだよ」
なんだその理屈。
「なら良いゲイバーを紹介するよ。俺なんかより素敵なママがいるぞ」
「やだ。どうせなら同じくらいの年齢がいい」
あ、ちょっと分かる。
「そういえばジュンは何歳なの?」
「十六」
「素敵! 同い年!」
しまった!
ここは嘘でも三十歳とか言っておくべきだった!
バックログは何処だ!?
……なんだよこのクソゲー! 巻き戻し機能くらいセットしとけよ!
「同い年で、身体じゃなくて心で恋がしたくて、しかもノーマルなヤツを探してくれ」
「条件はそれだけじゃないんだよ?」
「……なんだ」
「かっこいいこと!」
「何が?」
「顔!」
「そうか。なら、同い年の顔が良くてピュアでノーマルな野郎を探してくれ」
「ジュン!」
「だから俺はゲイなんだよ! 女には興味ねぇの!」
「もう、顔を褒められたくらいでそんなに照れないでよ」
「照れてねぇ!」
恨むぜペアレンツ。
何でもっと醜悪な容姿に生んでくれなかったんだ。
この顔のせいで知らない女に告白されるし、悪魔にまで気に入られるし!
だけど、もしも母さんが生んでくれなかったら、こうして今を生きることも出来なかったんだよな……母さん、生んでくれてありがとう。
「なにその嬉しそうな顔。かわいい」
……ダメだ。このままじゃ一方的だ。
「オット、もうこんな時間じゃないカ。学校に行かなくてハ」
「学校? ……あ、そっか。人間は高校って所に通うんだよね」
「ああ。だから俺はもう行かなきゃいけない」
「うん。学校は大事だよね」
……なんだ? 妙に素直だな。
「ねぇジュン。高校って楽しい?」
妙に上機嫌なのが気になるが、ここは勢い重視だ。
「すげぇ楽しい。だから今すぐ行きたいんだ。悪いな」
「……そっか。いってらっしゃい」
素直過ぎて逆に怪しいが、とにかく逃げられるなら何でもいい。
「じゃあな、扉と床をなおしとけよ」
「え、床? ――ええ!? もしかしてこれ私が!?」
間抜けな悲鳴から逃げるようにして、俺は部屋を出た。
外に出た途端、気持ちの良い風が頬を撫でる。
やがて冷たい感覚の中に、少し異質なものを感じた。
手を当て、掴み、目の前に持ってくる。
それは薄桃色の、小さな桜の花びらだった。