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5.10 あのさ

 授業中、俺は机に入っていた手紙をノートの上に乗せて、シャーペンを片手にメモを取るふりをしながら読んでいた。


 突然ごめんなさい

 どうしても伝えたい事があります

 よかったら今日の放課後に体育館裏まで来てください


 久しぶりの手紙だった。手紙を無視するようになってから今日まで一通も無かったのに、どうしてこんな狙ったようなタイミングで現れるのだろうと思った。

 だから簡単な考察をした。


 俺が手紙を無視するようになったのはモナが現れてからだ。

 そして再び手紙が現れた今日、その前後に何があった?

 簡単だ。二年生になってから毎日一緒に登校していたはずのモナと別々に登校した。


 この一連の流れ、客観的にどう見える?


 きっとこうだ。

 彼女が出来て、別れた。


 ……ふざけるな。


 音を立てないように手紙を破って、机の中にしまった。

 だけど俺は手紙に怒ったわけじゃない。自分に腹が立ったんだ。

 この手紙を見て考えたことに腹が立ったんだ。


 今まで手紙を出していた連中は、俺とモナがくっついたと見て手紙を出すのを止めた。

 なら同じ要領でモナも俺のことを諦めるんじゃないか?


 ……最低だ、俺。


 隣に座るモナを盗み見ると、直ぐに目が合った。

 慌てて目を逸らした先で、今度は優紀と目が合う。

 残された場所は正面の黒板と、手元にある白紙のノートくらいだった。


 こんな考え直ぐに忘れるべきだ。

 そう思っているのに、この最低な考えはいつまでも頭から離れなかった。

 

 何時の間にか授業が終わって、休み時間になった。

 結局モナは昨日までと同じように声をかけてくる。

 無視したいけれど、何故か優紀も一緒になって話を振って来るからどうしようも無い。


 なんなんだよこれ。

 昨日、俺が言った言葉には何の意味があったんだよ。

 モナもモナだ。

 どうして昨日と同じで居られるんだよ……なんで、諦めないんだよ。


 こうして考えている間にも時間は流れていく。

 問題はひとつも解決しないまま、有限の時が浪費されていく。


 ……もう、無理だ。


「あのさ」


 会話の流れを無視して言った。


「なになにっ? どうしたの?」


 嬉しそうにモナが言う。

 どんな表情をしているかは見なくても分かった。

 だから俺は俯いたまま、独り言のように続ける。


「なに勝手に盛り上がってんだよ」

「……え?」


 もう疲れた。

 考えるの、疲れたよ。


「言ったよな。話しかけるなって」

「純!」


 横から優紀が怒鳴る声が聞こえた……構わない。

 俺は無視して、モナの方を見た。


「頼むから、もう関わらないでくれ」

「……」

「俺はゲイなんだよ。迷惑だって、言っただろ」

「……私も言ったよ。やだって」

「そうだったな」


 俺は立ち上がった。


「純っ、どこに行くの?」


 なんでそんなに焦ってるんだよ。

 ほんと……いや、もういい。もういいんだ。

 俺には関係無い。

 俺は巻き込まれただけだ。

 関わらない権利だって、あるはずだ。


「……帰る」

「そんなのない! ちょっとはモナさんの気持ちも考えてよ!」


 ……気持ち、気持ちか。

 なんだろうな。モナは、何を考えているんだろうな。


「分かんねぇよ。そんなの」


 ていうか。


「お前らこそ、俺の気持ちとか考えたことあるのかよ」


 言った後、笑ってしまいそうになった。

 俺の気持ち? なんだそれ、おまえは何も考えていないだろ。

 じゃあ、どうしてこんな風になってるんだっけ?

 こいつらなら、分かるのかな。


 期待を込めて少し待った。

 だけどやっぱり返事は無かった。

 代わりに、どうしてか驚いた表情をしている優紀と、今にも泣き出してしまいそうな表情をしたモナが、どこか歪んだ視界に映りこんだ。


 俺は振り向いて、捨て台詞も残さずに教室から出た。

 そのまま学校の外まで歩いたが、誰も追いかけて来なかった。

 少し気になるけど、こっちの方が都合が良い。

 もう、どうでもいい。

 どうでもいいんだ。

 そう思っているのに、やけに重かった荷物を投げ捨てたはずなのに、ずっと続いている不快感も頭痛も消えてはくれなかった。


 ……さて、どうしよう。

 このまま家に帰る以外に何か……そうだ、あそこに行こう。

 

 ナオ・ズ・カフェ。

 なおママなら、何かいい助言をしてくれるかもしれない。

 ……説明するのが難しいけどな、これ。




「あらやだ、純もちゃんと青春してるのね」

「……なんですか、それ」


 友達とケンカして相手を傷つけてしまった。

 迷った末に伝えたのは、そんな内容だ。


「私ね、実は理系なのよ」

「……はぁ」


 乙女な仕草でママが言ったのは、なんだか遠回りな言葉だった。

 きっと意味があるのだろうと考えて、続きを待つ。


「そこで脳科学を専門に研究して、分かったの。感情って、生まれるものなのよ」

「生まれる?」

「ええ。脳に与えた情報を元に、私達の心が感情を生むの。自動的にね。だからコントロールできない。寒ければ寒いと思うし、熱ければ熱いと思う」

「……そうですね」


 コントロールできない……か。


「でね、その情報は外から与えられる物だけじゃないの。中から与えることも出来るのよ」

「中から?」

「ええ。下ネタじゃないから、注意してね」

「大丈夫です。続けてください」

「もぅ、ママが小粋なギャグを言ったら笑う。ほら、笑いなさい」

「……はは」

「あらやだ下手な笑顔」


 ……なおママにイラついたのは初めてだ。

 なんだこの人、今日はテンション高いな。


「話を戻すわね。感情を生む為に必要な情報は、目や耳で得た物でも、自分で作り出した物でも構わないの。映画を見て感動するのも、妄想して感動するもの同じ。人は自分を喜ばせることも、悲しませることも出来る。ただし、自分を傷付けることが出来るのは、自分だけなのよ」

「……すみません、よく分かりません」

「そうね、感情には個人差があるでしょ? それは、自分で作った物だからなのよ」

「……なるほど」


 的確な説明だった。

 たとえば同じ映画を見ても感想には個人差がある。

 外から与えられている情報は同じなのに、何故か差が出来る。

 なおママの話を元に考えるのならば、中から与えた情報が異なるからだろう。


 ……つまり、俺が感動出来ない理由がここにあるんだ。

 どんな情報を外から与えられても、中で何も作らないから、感動出来ない。


「こういう話をすると、じゃあ妄想だけしてれば十分って思う人が居るかもしれないわね」

「……そうですか?」

「私がそうだったのよ」

「……そうですか」

「でも、不思議な事に人は一人では生きられない。一人だけでは、孤独感を絶対的に消すことは出来ない。どうしてか分かる?」


 少し考えて、


「……分かりません。その質問は、俺には難しいです」

「そう」

 

 なおママは一言だけ言って、天井を見上げた。

 その表情は見えない。

 だけど何かを思い出しているような、そんな雰囲気だった。


「純」

「はい」

「自分を傷付けることが出来るのは自分だけ。でもね、自分を救えるのは自分じゃない」


 自分を救えるのは自分じゃない。

 言い換えるならば、他人を救えるのは他人だけ。

 もっと言い換えるならば、友達を救えるのは友達だけ。


「人は勝手に傷付くけど、勝手に助かることは無いのよ」


 なおママの言いたい事は分かった。

 俺は友達を傷付けたと相談した。

 その答えがこれだ。


 ちゃんと話をしてこい。

 なおママが言いたかったのは、そういうことだ。


 だけど話をしてどうする?

 俺はいったい何を言えばいい?


「……俺は、何を話せばいいんですか?」

「思っている事を、そのまま言えばいいんじゃないかしら?」


 思っていること……なるほど、なら無理だ。

 だって、俺は何も考えていないのだから。


「……ありがとうございました」


 それから適当な話をして、キリの良い所で店を後にした。

 やっぱり、無駄足だった。

 なおママに非は無い。

 俺が、どうしようもなく駄目な存在ってことがより明らかになっただけだった。



 帰り道。

 空が暗い。

 肌に感じる空気が妙に冷たい。

 たぶん、雨が降るんだろう。


 ……どうでもいい。


 邪魔だ。

 何もかも邪魔だ。

 なんだよこれ、なんでこんなにイライラするんだよ。


 走ってもいないのに息があがってる。

 さっきから心臓が痛いくらいに暴れてる。

 ずっと前から頭の中はグチャグチャだ。


「……やっと見つけた」


 不意に聞こえた声に振り返ると、そこには翔太がいた。

 どうして、そう思う俺に向かって翔太は爽やかな笑顔で言う。


「純、僕と勝負しよう」

「……あいつらから、何か聞いたのか?」

「うーん、聞こえちゃったって言った方がいいのかな?」


 優紀とモナが何か話をしていたということだろうか。

 ……まぁ、俺には関係の無いことだ。


「で、勝負って?」

「今から学校まで競争だよ。僕が勝ったら、モナちゃんと話をしてね」

「話すことなんて無い」

「あるよ。純は、ちゃんと話をするべきだ」

「……何をだよ」

「それは自分で考えよう! じゃあ、よーいスタート!」


 愉快に言って、翔太は走り出した。


 ……くだらない。


 このまま無視して帰ろう。

 もう関わらないって決めたんだ。


 ……学校まで、か。


 たしか、途中までは道が同じだ。

 なら、そこまでは付き合おう。

 少しだけ……そう、少しだけだ。


 軽く息を吐きながら手足を振って筋肉を刺激する。

 それから少し小さくなった翔太の背中を追いかけて走り出した。

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