5.2 覚悟してよね!
「……ここは?」
ふと顔を上げると、見慣れた教室があった。
……夢? 何時の間に眠ったんだ?
「……ごめんね、私のせいで」
背後から聞こえた声に振り向くと、優紀がいた。
「さっきのは、無かったことにしてくれていいから」
その笑顔を見て、怒りを覚えた。だってこれは俺の夢なのだから、彼女の発言は俺の願望に他ならない。それを少しでも理解出来てしまうことが、腹立たしくて仕方ない。
「優紀、俺は……」
夢の中でも、やはり言葉が続かない。
「いいんじゃないかな。友達で」
また背後から聞こえた声に振り向くと、今度は翔太がいた。
「純は難しく考え過ぎなんだよ。もっと簡単でいいんじゃないかな?」
「俺は……」
「俺は、何? 分からないんだよね。なら諦めたら?」
そんなこと出来ない。
分からないから諦めるなんてこと、出来るわけない。
「そうだ、それでいい」
今度は真横から聞こえた声に驚きながら目を向ける。
そこには俺が居た。
「ほら喜べ。やっと見つかったんだ。お前が、いや、俺が探していたものが」
「……どういう意味だ」
「俺は努力を知らない。出来ない事に出会ったことが無いから。故に探し求めた。違うか?」
その通りだ……けど、頷くことなんて出来ない。
「優紀の想いを踏みにじる事になるからか?」
やはり夢の中だからか、俺の考えなど筒抜けらしい。
「……なぁ、俺はどうすればいい?」
「分からないさ。でも良かったじゃないか。こんなにも悩めること、他にない」
「……ふざけるな。黙れ。黙れ黙れ黙れ!」
耳を塞いで、喉が痛むくらい叫んだ。
あいつの言っている事が、俺が心の何処かで思っている事なのだとしたら、最低だ。分からないのではなく、考えようとしていないだけじゃないか。まるで中身が無い。そんなの俺が嫌いな恋人ごっこと同じだ。何かに憧れて、それを模倣することで悦に浸っているだけだ。
こんなの、悩んでいるフリをしているだけだ。
違う、俺は喜んでなんていない。
真剣なんだ。真剣に…………。
「俺を見ろ」
夢の中の俺が、俺の髪を掴んで言った。
目の前に、酷く冷めた無表情があった。
「言いたいこと、分かるよな?」
「……分からない」
「うそだ。なぜなら、俺はお前だからだ」
「……」
「お前は悩んでなんかいない。何も考えてはいない」
「……違う。俺は……俺は…………」
彼の、言う通りだった。
優紀の告白を聞いていた時と同じで、俺の心臓は凍り付いている。
「違うよ。ジュンは、ちゃんと考えてる」
また背後から声が聞こえたと思ったら、直前まで目の前に居た俺の姿が消えていた。
「……モナ」
振り返ると、彼女は優しい表情を浮かべ、ゆっくりと両腕を広げた。
俺は彼女に手を伸ばした。それから、吸い込まれるようにして彼女に近付く。
「…………」
モナの口が動いた。でも声は聞こえてこなかった。その間にも俺の足は止まらない。
どうしてか、モナのことが愛おしく思えた。触れたいと思った。
そして手の届く所まで来て、俺はモナの頬に向かって手を伸ばした。
モナは再び口を動かして――俺の手を叩き落とした。
「……っ!?」
全身が仰け反る程の電流を感じた。
すると途端に体が重くなり、汗がにじむ。
俺は混乱しながら首を振り、瞬きを繰り返した。
「……ここは、家の中?」
直前まで見えていた教室は無くなっていて、代わりに見慣れたシンプルな一室があった。
鼠色をした絨毯の上に、ベッドがひとつ。
「……よかった、元に戻った」
ベッドの上にはモナが居た。
まだ優紀と買った服を着ているから、多分、あまり時間は経っていない。
ただ、その服が酷く乱れていた。
ところどころ白い肌が露出している。
「モナ、どうして拒絶した!?」
知らない男の声に、俺は身を緊張させながら振り向いた。
そこには、普段なら悲鳴を上げていたであろうイケメンが居た。
ただし彼には、黒い角、翼、そして尻尾が生えていた。
「……言ったよね、私。愛の無いエッチは死んでも嫌だって」
「そんなことを言っている場合じゃない! もう時間が無いんだ!」
何の話をしているんだ?
「なぁ君、頼む。モナを抱いてくれ」
まるで頭が追いつかない。なんなんだこいつ。
「やめて、ジュンには何も言わないで」
「ジュン君聞いてくれ、このままでは」
「やめて!」
「モナは消滅してしまう!」
…………。
「我々悪魔は、十七歳の誕生日までに異性の体液を摂取しなければ消滅してしまう。今まではモナの気持ちを尊重してきたが、もう時間がないんだ。だから頼む。君しかいないんだ!」
ちょっと待て、少しは説明してくれ。
「……お兄様、ジュンに怖い思いをさせたくないの。だから今直ぐ消えて」
困惑する俺の横で、モナはゾッとするほど冷たい声で言った。
「……分かった。一週間後、また来る」
苦渋に満ちた表情で、彼は頷いた。そして次の瞬間に、文字通り姿を消した。
静かな部屋に、俺とモナの二人が残る。
俺は説明を求めて、モナに目を向けた。モナは困ったような表情で、笑う。
それから彼女は俺に手を伸ばした。どうしてか、歯がカタカタと震えた。
今の彼女には角が生えている。
その周囲は紫色に輝き、彼女の瞳は紅く染まっていた。
「……何をするつもりだ」
「大丈夫、ちょっと記憶を消すだけだよ」
とても優しい声で、彼女は言う。
「ごめんね。でも、大丈夫。ジュンは何も考えなくていいよ」
「いやだ」
反射的に拒絶していた。
「ごめん。私のこと、怖いよね。でも大丈夫、直ぐに忘れさせてあげるから」
「いやだ、やめろ」
「大丈夫、痛くないから」
みっともなく後退る俺を追って、モナの手が近寄って来る。
……ダメだダメだダメだ。
理由なんて分からないけど、それだけはダメだ。
「おやすみ、また明日」
「やめろモナ、それ以上近付いたらっ」
無我夢中で声を出す。
「お前を嫌う!」
「っ!?」
考えてみれば滅茶苦茶だ。
どうせ記憶が消えるのなら俺が何を言おうとモナには関係無い。
だけど、この言葉ならモナが踏みとどまるような気がした。
「それは……辛いかも」
俯いて、モナはベッドの縁に腰を下ろした。
「……説明してくれ」
長い息を吐いて、あらためて説明を求める。
そこで思ったよりも冷静なことに気が付いた。
いや、麻痺しているのかもしれない。
だって、優紀のことがあった直後にこれなのだから。
「……ジュンには、話したくなかったんだけどな」
仕方ないよね、と呟いて顔を上げた。
「お兄様の言った通りだよ。私達悪魔は、十七歳の誕生日までに異性の体液を摂取しないと、消滅する」
「……なんだよ、消滅って」
「消えちゃうの」
「なら、モナが人間界に来た理由って……」
「うん。恋をして、大好きな人の体液をもらうためだよ」
相変わらず、俺の頭は上手く働かなかった。
それでも、これを夢では無い現実として認識できるだけの情報が、記憶が、勝手に浮かび上がってくる。
「あ、でも一番は恋をすることだからね。勘違いしないでね」
いつもの軽い調子で言う。
でもいつもと同じになんて、思えるわけがなかった。
「誕生日って、いつだ」
「……」
「いつなんだ」
「…………来週。七日後、だよ」
「……なんだよそれ」
頭の中で、様々な情報がパズルのようにカチカチと音を立てて繋がるのが分かった。
「……体液って、大袈裟な言い方してるけど、あれだろ? 唾液とかでいいんだろ?」
初めて出会った時、モナの体調が悪かったこと。
「うん。唾液じゃ、十分くらい飲み続けなきゃだけどね」
「問題ない、いくらでも用意してやる」
桜を見て寂しそうな表情を浮かべていたこと。
「ダメだよ」
「なんで」
俺が口を付けた飲み物を直ぐに欲しがったこと。
「私達は他者の体液から存在する為に必要なエネルギーを得る。でも、体液はその人の身体を離れた瞬間から、急激に栄養を失うの。ほんの数秒で、ゼロになっちゃうんだ」
ここ数日、妙に積極的だったこと。
他にも、たくさんヒントはあった。
でもそんなの、気付けるわけないだろ。
「えっとね、こんな言い方は卑怯だけど……私、あと一種間、全力で頑張るから」
言葉を失う俺に向かって、モナは、とびきり明るい声で言う。
「絶対にジュンと両想いになるんだから……覚悟してよね!」
君と恋をする。それはモナと出会った日に彼女が宣言したことだ。
あの時、俺は何も思わなかった。
今は少し違う。
俺は、何も考えることが出来なかった。




