4.10 私の気持ち
優紀のバイト先に来たのは三回目くらいだろうか。
なかなか綺麗な喫茶店で、客の数は少なくはないが、基本的に入れば直ぐ席に座れる程度だ。
「ジュン見て見て! ユウキちゃんっ、可愛い服着てるよ!」
とりあえず、こいつが普段のテンションで騒いでも問題無いくらいには賑やかな店である。年齢層も若者が中心で、制服を着た人も何人かいる。さりとて、連れが騒ぐと恥ずかしい。
服装といえば、俺達は私服に着替えてきた。モナが着ているのは優紀と買った服だろうか。
「えへへ、ユウキちゃん本当に可愛いなぁ……」
くねくね体をよじるモナを見ながら、やれやれと息を吐く。
「失礼します。アイスコーヒーとモカコーヒをお持ちしました」
優紀とは別の店員が、注文した品を持ってきた。
カフェインを控えてきた俺だが、今日くらいは良いだろう。
飲まない理由にしたって、なんか体に悪いらしい、程度だし。
「……あんまり私に似てない」
モナの呟きに、思わず笑いを堪える。
モカとモナ、なんか似てる。それがモナが注文を決めた理由だ。
やっぱ子供っぽいなと思いつつ、俺はミルクとガムシロップを投入する。
「熱いっ、苦い」
悪魔もブラックには勝てなかったか……仕方ないな、あれは悪魔の飲み物だ。悪魔じゃん。
「ほら、ミルクと砂糖。好きなだけ使え」
「うん、そうする……」
涙目でコーヒーに砂糖を投入するモナを見ながら、俺はアイスコーヒーにストローを刺して一口。
うむ、久々の味というか……やっべガムシロ入れすぎた。
「ジュンのコーヒー美味しい?」
「すげぇ甘い」
「飲んでもいい?」
「どうぞ」
モナはコーヒーを受け取ると、すぐさまストローを口に含んだ。
いや別に気にしないけど、なんの為のストローなのだろう。
「えへへ、本当に甘いね。でも美味しい」
アイスコーヒーと一緒に、モカコーヒも戻って来た。
「私のも飲んでみる?」
「ああ、じゃあ一口だけ」
あっつコーヒカップあっつ、と心の中で叫びながら、ちょっぴり口に含む。
「……熱い、苦い」
「あはは、私と同じこと言ってる」
なんだこの敗北感……泣きそう。
「ねぇジュン。私のこと好き?」
「いや、全然」
「ぶー。じゃあ友達としてならどう?」
「最底辺だな」
「やった。なら私はジュンの中で三番目のお友達だね」
ビックリするくらいポジティブだなこいつ。
「おい待て、最底辺が三番目ってなんだよ」
「ユウキちゃんでしょ? ショウタ君でしょ? あと私!」
他にもいますぅ! 他にも……ほか、にも……。
「あれ、泣いてる?」
「泣いてない」
俺は悔しさに手を震わせながら、アイスコーヒーを口に含んだ。
ちくしょう、甘すぎる。
「……なに見てるんだよ」
言うと、モナは珍しく顔を逸らして俯いた。
「……だってジュンが、私の使ったストロー……」
いや、もともと俺の使っていたストローなんですが。
「楽しそうだね」
泣きそうなくらい甘いアイスコーヒーを飲みながら顔を上げると、優紀が居た。
「……」
あれ、何も言わない……あ、まさか。
「ごめん、モナがうるさかったか?」
「……ううん、そういうことじゃなくて」
困ったように笑いながら、俺とモナを交互に見る。
……ああいや、これ机を見てるのか?
そういえばアイスをサービスしてくれるとか、昼にモナが言ってたな。
「ありがと、もう少ししたら頼むよ」
「……え? なにが?」
「アイス、だろ?」
「……あ、ああ、うん。分かった」
なんだ? 様子がおかしいな。
そういえばモナも静かだ……あれ、モナ?
「ねぇ、ユウキちゃん」
その表情を見て、俺は眉をしかめた。
これ、何度か見たモナが真剣な時にする表情だ。
なんでいま? と疑問に思っている間に、モナは次の言葉を口にする。
「そういう態度ばっかり取ってるから、勘違いされるんじゃないの?」
どういう意味だろう。勘違い……?
「……俺が優紀に惚れるってこと?」
いやいやそれは、という続きの言葉を言うことは出来なかった。
「分かってる!」
賑やかな店内に、しかし優紀の声は鋭く響き渡った。
近くで楽しく雑談をしていた人達も、何事かと会話を止めて優紀を見ている。
注目されるのが苦手なはずの優紀は、だけどそれ以上の何かに身を震わせていた。
「……分か、ってるよ」
声もまた、震えていた。
言葉を失う俺を置いて、優紀は目に涙を浮かべて叫ぶ。
「純が私のこと好きになるわけない!」
そのまま俺達に背を向けた優紀は、走り出した。
他の店員の制止も無視して、一直線に店の外まで走り去った。
「追いかけて!」
呆然としていると、今度はモナが鋭く叫んだ。
「なんだよ、どういうことだよ」
「バカ! 早く追いかけて!」
「だから、どういう」
「追いかけて!!」
何がなんだか分からない。
だけど、なんとなく追いかけた方がいいような気がした。
「財布、ここに置いとく」
素早く立ち上がって走り出す。
店から出て直ぐ首を左右に振ると、ギリギリの所に優紀の背中が見えた。
……マジで、なんなんだよ。
突然の出来事に頭が追いつかない。
なんだよ勘違いって、好きになるわけないって……。
「くそっ!」
首を振って、ぐるぐる回る邪念を振り払う。
それから全力で優紀の背中を追った。
こんな時に限って人通りが多く、思うように加速出来ない。
だけど着実に距離は縮まり、やがて通行人の数も減り始めた。
「待てよ!」
確実に聞こえる場所で叫んだが、優紀は足を止めない。
「待てってば!」
さらに近付いて優紀の腕を掴むと、ようやく彼女は足を止めた。
「ほっといてよ!」
激しく抵抗する優紀の腕を離さないように、力を込める。
「落ち着け、どうしたんだよ」
「分からないの?」
「だから聞いてる」
「バカ!」
なりふり構わず、優紀は叫ぶ。
「分かってよ! 気付いてよバカ!」
俺はただ困惑していた。
「私の気持ち、少しは考えてよ!」
嗚咽混じりに、優紀は言う。
「あんな楽しそうな純みたことない! 私と居る時の純は、あんな顔しない!」
見たことのない表情で、声で、彼女は続ける。
「あんなの、やだっ……見たくなかった……見たくなかったよ!」
その度に、ある予感が確信へと変わっていった。
「……いや、でも、おまえ、モナが気になるって」
今度は、俺が優紀から逃げていた。
「気になるよ……あたりまえだよ……だってっ」
だけど優紀のあまりにも真っ直ぐな目が、俺に逃げることを許さない。
「私……」
小刻みに震える唇から、強い緊張が伝わってくる。
「私っ……」
「私、純のことが好き!」
ゆっくりと、彼女は肩を上下させた。
何度も荒い息を吐いて、呼吸を整える。
やがて顔を上げると、溢れ出る涙を隠そうともせずに言った。
「……最初は純に近付くのが怖かった。純と話してたら、他の女の子と気まずくなるかもって思った。体育祭の後、ちょっとずつ話すようになって、周りのことが気になって仕方なかった。でも純がゲイって分かって安心した。私のこと好きにならないって分かって安心した。純と話す時は、自然で居られた。純は私に気を使わないし、私も気を使わなくて良かった。何度もうるさいゲイ黙れって思ったし、エロゲ勧めてくんなバカって思ったし、恋に夢を見すぎって呆れたし、話しかけてくんなって思った時もあったけど、一緒に居て楽しかった。気が付いたら一緒に居るのが当たり前だった。何時の間にか一緒に居ると嬉しいって思えるようになってた。理想の友達だった……。
始業式の日、純と同じクラスになれて嬉しかった。席が隣で嬉しかった。悪魔の話を聞いて純も女の子に興味あるのかなって嬉しくなった。そのあと純に肩を掴まれてビックリした。痛かったけど嬉しかった。次の日保健室で一緒になってドキドキした。告白されたのかと思って泣きそうだった。結局勘違いで恥ずかしかった。その日はずっとドキドキして眠れなかった。朝起きてもドキドキしてて、花見に誘われた時はニヤニヤしちゃって顔を見せられなかった。服を褒められて嬉しかった。サンドイッチを食べてもらえて嬉しかった。純のゴマ団子おいしかった。良いお嫁さんになるって思ってもらえて嬉しかった。久しぶりに二人で話して緊張した。純の家に行ってドキドキした。モナさんと話してるのを見ていて辛かった……。
純と出会ってからのこと全部覚えてる。私の高校生活は純ばっかり。何をしてても純のことを考えてる。人を好きになった事なんて無かったのに、自分でも分からないくらい純のことが好きっ!
……好きなの……好きになってたの!」
告白、だった。
今まで何度も見た。何度も聞いた。
だけどこんなの初めてだった。
返事がどうとか考える余裕なんて無い。
頭の中は真っ白で、心臓は凍り付いている。
「……ごめんね、こんなの迷惑だよね。私、我慢するからっ、だから、これからも、友達……やだ、そんなのやだ。もうやだよ……つらいよ……我慢できないよ。こんなに好きなんだもんっ……純の彼女になりたいよ……純にも好きになってほしいよ……」
泣きながら、優紀は膝を折った。
そのまま地面にへたりこんで、両手で顔を覆う。
「やだ……友達なんかじゃ、やだよ……いやだよ……」
きっとずっと抑え付けられてきた感情が、一気に溢れ出した。
「おねがい、今日のことは忘れて。忘れて欲しくないけど……忘れて。私、これからも純と友達でいたい……友達で、いいから。ずっと、友達で……いさせてっ……」
涙を拭いながら、彼女は俺を見上げて言った。
そして、いつもの笑顔を浮かべる。
俺はただ、眩しいと思った。
「……思うに、恋人になるって友達になるのと変わらないんだよ。いくつか思い出を共有することで、恋が芽生えて、気が付いたら一緒にいるのが当たり前になっている。そういうものだと思うんだよ」
彼女が呟いたのは、俺が何度も言った言葉だった。
「……なら」
微笑んで、立ち上がる。
「なら私は、純の彼女と同じだよね。まったく、どいつもこいつもキスしたいだのなんだの性欲ばかりだけど、私は、純の傍にいられればいいよ」
本当に俺との時間を全て覚えている。
そう言わんばかりに、彼女は過去の記憶を引用する。
「だから、これからもずっと、友達だよ」
それは、ひとつの答えだった。
ならば相応の返事をしなければならない。
そう理解しているのに、思っているのに、俺は口を開いたまま、いつまでも声を出せなかった。
そして――いつのまにか、優紀はいなくなっていた。
またね、そんな言葉を聞いたような気がするけれど、よく覚えていない。
それくらい衝撃的な出来事だった。
ふと空を仰いで、相変わらず星の見えない夜空に失笑する。
まだ春だというのに、夜風は嫌に冷たい。
体温が冷えるにつれ、逆に心臓が温かくなった。
現実感が無い。
そんなはずないのに、夢だったのではないかと思ってしまう。
そうしていると、視界に何かが映った。
そして、いつか見た光景が、しかし全く異なる意味を持って繰り返される。




