1.1 恋がしたい
※四章くらいから胸が痛い展開が始まります。苦手な方はご注意ください。
※R15は、あるシーンの為にあります。保険ではありません。
一説によると、それは甘くて苦いらしい。
かの有名な文豪は、新月のように淡く物静かな微笑みを浮かべながら「月が綺麗ですね」と表現した。
甘いのに苦くて、見えないのに綺麗。
つまりは錯覚。
そしてこの世界で最も美しい錯覚が、恋である。
「……あ、あの、とつぜん呼び出して、ごめんなさい」
SNSが広く普及した現代でも、この文化は残っている。
放課後、二人きり。
微かに頬を染め、瞳を潤ませ身をよじる少女が精一杯の勇気を振り絞る。
しかも彼女には女子高生補正がある。
こと恋愛においては文豪なんて敵じゃない。
「あなたのことが好きです! 付き合ってください!」
なんの捻りもないストレートな言葉。
だが彼女に「ちょっと語彙力たりなくね?」なんて言う野郎はいないだろう。
それが告白。
返事は「ありがとう」か「ごめんなさい」の二択だ。
どちらにせよ心臓ばっくばく。
顔から火が出ちゃう……のだろうか?
とりあえず、俺の返事は、いつも同じだ。
「えっと、君だれ?」
もちろん、心拍数の変化なんて無い。
「……あ、えっと、私は二組の渡辺です。直接話したことは無いんですけど、いつも遠くで見てて、いいなーって思って、どうしても我慢できなくて……私なんかで良かったら、その、お付き合いしていただけたらなーと……」
何やら満足気に語っているが、互いの温度差に気付けないのだろうか。
「あのさ、付き合うって、どういうこと?」
「え? それはその、恋人的な……」
「君の言う恋人ってなに?」
「それは、えっと、友達同士じゃ、出来ないようなことをする……」
「君、初対面の相手に友達同士じゃ出来ないような事をしてくれって頼んでるわけだけど自覚ある?」
「じゃ、じゃあ友達からっ」
「ごめんなさい」
――こんな具合に、俺はきつめにお断りする。
初対面の相手に「友達同士じゃ出来ないようなことを」とか言われてもムリだろ。
怖いよ。むしろイラっとする。
何度体験しても、これ以外の感想は浮かんでこない。
そもそも、俺ゲイだし。
次の日、教室。
授業が始まる十五分くらい前。
窓の外に積もった雪を見ながら溜息を吐く。
すると前の席に座る女子生徒が振り向いて声をかけてきた。
「……また告られたの?」
橘 優紀。
男みたいな名前をした男みたいな女であり、俺にとって唯一の女友達。
彼女の名誉の為に補足しておくと、男みたいというのは性格のことであって、外見はちゃんと女の子。
「溜息だけでよく分かったな」
ちょうどいい、ちょっと聞いてみよう。
「なぁ、俺ってそんなにエロイか? ホルモンとか出てるのか?」
「なにその質問」
「だっておかしいだろ。ゲイであることを公言しているのに男は寄ってこなくて、逆に週二回くらいのペースで知らない女がセフレになれと言ってくる。これは絶対におかしい」
……なんだその呆れた表情。俺は真剣に聞いているのに。
「頼む、悩み相談だと思って真剣に答えてくれ。おまえ、俺見て興奮する?」
「……エロゲのやりすぎ」
「エロゲじゃない美少女ゲームだ。訂正しろ」
エロゲだと性欲を満たす為にプレイしているように聞こえるだろ。
断じて違う。
ぶーぶー抗議すると、優紀は苦い表情で言った。
「純、ちょっと酷い」
「酷い?」
「相手の子が頑張って告白したのに、その、セ、セフ……彼氏になってくれってことでしょ?」
「……ふぅ、また俺の恋愛を語らねばならないのか」
「俺の恋愛って、恋人いたことないじゃん」
む、なんか今の言葉は悔しいな。
まるで俺の幼馴染のような台詞だが、優紀と出会ったのは一年くらい前、高校生になってからだ。つまり優紀は中学以下の俺を知らないわけで、よって俺に恋人がいた可能性もあるわけだ。まぁ、その……うん。
悔しいから授業開始まで俺の持論を一方的に聞かせてやる。
「俺が思うに、恋人になるって友達になるのと変わらないんだよ。
いくつか思い出を共有することで恋が芽生えて、気が付いたら一緒にいるのが当たり前になっている。そういうものだと思うんだよ。だから初対面の人間に好きです付き合ってくださいとか言われても、突き合ってくださいってエロイこと要求されたようにしか聞こえないんだよ。まったく、どいつもこいつもキスしたいだのなんだの性欲ばかりじゃないか。その点ゲイは――」
そう、ゲイは――同性愛こそ、本当の恋だ。
「やったな純! ベスト更新だ!」
「先輩のアドバイスのおかげです! ありがとうございます!」
放課後、俺は陸上部として運動場を駆け回る。
先輩は百メートル走で十秒前半という公式記録を持った、ここ双菜野高校の……俺の、ヒーローだ。
あと彼女はいない。
先輩は面倒見が良くて、かっこよくて、部員全員から慕われている。
当然モテるから、近寄ってくる女性は多い。
だが彼女はいない。
モテモテの男子高校生がフリーって、これはもしやゲイなのでは?
と期待した日もあったが、残念ながら陸上に恋をしているとかそんなオチだった。
先輩と過ごした日々は、俺にとってかけがえのないものだった。
それを思い浮かべるだけで自然と頬が緩む。
一緒にいると頬が溶ける。
だけど、これは恋じゃない。
俺は、もうすぐ先輩が卒業してしまうことに納得している。
悲しいけど、それだけだ。
だって当たり前だから。
仕方ないから。
どうしようもないから。
だから納得している。
卒業が意味すること、高校という接点を失うこと。
つまり、先輩と会うのが難しくなるということ。
それを理解したうえで、無条件に納得している。
だから、これは恋じゃない。
たとえ無駄だと分かっていても、それでも泣き喚いて先輩の卒業を阻止する。
心の底から、本気で。
そうまでして一緒にいたい。
そういう感情が、きっと恋なのだ。
「どうした純、浮かない顔をしているぞ?」
「……いえ、先輩のタイムは、まだまだ遠いなと思って」
「バーカ。一年が十秒前半で走ったらオリンピック選手になれるよ」
「そろそろ二年生ですよ」
「あはは、そうだったな」
「…………」
「どうした?」
「ぜんばぁい! 卒業しちゃいやでずぅ!」
「ちょ、こらっ、やめろ抱き着くなっ、肺がっ、潰れるっ」
べ、別に先輩のことなんて好きじゃないんだからねっ!
いや本当に好きでもなんでもないのだが、それとこれとは別問題だ。
とにかく――恋がしたい。
常識も、何もかも投げ捨てて最優先できる感情、恋心。
それが欲しい。
そんな恋がしたい。