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アタタカイヤミ 95

 多佳子さんは涙を流しながら、肯いて椅子に座った。その顔が揺れていた。

 お父さんは僕に向き直って真相を聞こうとしたが、その前に僕ら自身ある事実を忘れていた。

「さあ、あなた。…………え〜と、お名前は?」

 そう、名前を忘れていたのだ。だから、僕は丁寧に自分の名前を名乗る。

「笹原一樹です」

「はい、私は貞といいます」

 僕らはそうやって、お礼を言い合った。ちなみに、僕たちが座っている立ち位置は廊下の方面に出る場所に貞さんが、その隣に多佳子さんが、そして一番壁側の椅子に僕が座っていた。

 家のま取りは僕が見たのは玄関があり、その一本の廊下があったそのすぐ左側にこのリビングがあったのだ。

 そこに僕は案内されて今に至るのだ。それでぼくはまず、波田(はた)さんの死因について話した。

「まず、なぜ、波田(はた)さんが死んだのかいいます。波田(はた)さんが死んだのは……………いじめです」

 それをいった瞬間、割れた。今まで、無数のひびが入った透明な容器が割れたのだ。

「それは…………」

 貞さんは顔を沈み込んだ苦しみとついに自分が苦しんできた、うやむやにされた事実を知った、そのことの霧が晴れたが、そのことによって新たな重荷を背負われた表情をした。

 多佳子さんはやはり顔を覆って泣いていた。

 僕の言葉によって、波田(はた)さんの両親は傷ついていた。今の空気はただの色に染まっていた。僕は真実を教えたから、彼らの心に一区切りができるとは思わなかった。そのことがわかるのはもっと後のことだろう。彼らが、自分の人生を振り返って、それでぼくの行為がどう判断されるのか、彼らがそれを判断して、初めてこの行為の意味がわかるのだ。

 波田(はた)さんの両親は長いこと泣いていた。痛みが誰かに寄り添うと、しかしその誰かはもういないのだ。寄り添うべき人がいない、その圧倒的な悲しみが彼らを包んでいた。

 僕はそれらのことに言葉がなかった。何も言えなかったのだ。

 貞さんは涙を浮かべてこちらを見た。

「それで、貴理子はいじめに受けたのは本当ですか?」

 貞さんの目は葬式の時のような鬼の目をしていなかった。そこには、一人の傷ついた父親の目をしていた。

 僕はそのお父さんの目を見て、しかしハッキリと言った。

「本当です」

 そのときのあの両親の悲しみといったら、言葉にならないくらいだった。空から何かの重しを背負わされているような陰鬱(いんうつ)で、鈍重な空気が広がったのだ。

多佳子さんは懸命に目から流れる涙をハンカチで拭いていた。貞さんはうつむいたまま、何かをこらえるようにテーブルの一点を見ていた。

 僕はそんな二人に続きの言葉を言うか迷った。これを言ってしまえば、さらに二人のことを傷つけるのは必至だからだ。

 だから、迷った。この事をいうべきか、いわざるべきか。

 どうすればいい?

 今までの僕だったら、絶対この事をいわなかった。人を傷つけるのはよくない、と言う安易な思いつきでいわなかっただろう。しかし、今のぼくは果たしてこの事をいわなくていいのか?と言う疑念(ぎねん)が頭をよぎる。

 改めて、波田(はた)さんの両親を見る。多佳子さんはその目の(めのくま)さえを腫れさせて泣いていたし、貞さんは身を小さくして震えていた。

 二人は悲しみを放出したり、家に抱え込んでいたりはしたが、どちらも本当に貴理子さんを思って泣いていた。

 僕はそれを見て、ふと天からの啓示を受けた気がした。特定の神からの、というのではなくて、ただふと思い、しかし、それはどこか天空のどこからか受けたという印象だったのだ。

 それでぼくは覚悟を決めてこう言った。

「貞さん、多佳子さん」

 僕の言葉に二人はぴたっと、動きを止める。そして、二人はこちらに視線をよこしてくる。僕はそんな二人を見てこう言った。

「お二人にこんなことを言うのは残酷かも知れませんが……………」

 夜のフクロウが獲物(えもの)凝視(ぎょうし)しているような、そんな目を二人がして僕を見つめる。

 その二人の雰囲気で僕はもう、あとには戻れないということを確信した。

波田(はた)さんがどんなふうにいじめられていたか知りたくないですか?」

 二人が無機質的(むきしつてき)な動きをしてこちらを見る。だが、その濁った(にごった)目には自分の魂が放出する黒い炎が燃えさかっていた。

 僕はそれを見て、完全に圧倒されながら、しかし、表面上は冷静さを装って聞いた。

「これを聞いたら、さらにあなたたちは傷つくと思います。それでも聞きますか?」

 二人は鋼のような目をしていた。おそらく、それが答えだった。僕はそれに肯いて、こう言った。

「じゃあ、肯定したものと思って、いいます。ダメだったら否定の言葉を言って下さい」

 沈黙。その最終回答に僕はますます、気を引き締め、事の真相を話した。

「では、まず、どうして波田(はた)さんがいじめられたのかを話します」

 二人は身じろぎをたてずに、ひっそりとしかし、粘着質のような視線でこちらを見てきた。

「最初、波田(はた)さんはある生徒の教科書をふみました。その生徒の名は村田里子。彼女が波田(はた)さんをいじめていた中心人物です」

 沈黙の間が広がった。驚天動地(きょうてんどうち)の驚きを怒りの深紅(しんく)で染め上げた沈黙がこの場に編み上げられた。

「うそでしょう?」

 ぽつりと、多佳子さんは無色の言葉を出した。

 しかし、次の瞬間、抑えきれない感情が次々とあふれ出すようにいった。

「うそでしょう?だって、だってそんなことで貴理子が死ぬなんて!!!そんな、そんな、ささいなことで!!死ぬなんて!、信じられない!!」

 多佳子さんは赤、青、黒、黄色、とたくさんの色の本流を放出させ、それに飲み込まれた。

 多佳子さんはうつむいて信じられない、信じられないという言葉を連続していっていた。貞さんはじっと鉄の槍のような目でこちらをえぐり出していた。

「笹原君、それは本当なのですか?」

 そう、貞さんは裁判官が罪状を述べるような口調で言った。僕はそれに肯く。

「そうですか……………」 

 貞さんは黙った。その憤懣(ふんまん)とあきらめに満ちた背中は高校生の僕にはとうていわからない世界だった。

 僕は二人が落ち着くまで待った。20分たって、ようやく多佳子さんが落ち着いたからぼくはまた、二人に呼びかけた。

「二人とも、これはほんの序の部分ですよ。本当に残酷なことはこれから起きます。二人に改めて聞きます。知りたいですか?真実を」

 それに二人は沈黙した。今度は戸惑いの音が聞き取れないほど静かに羽を震わせていた。

しかし、そんなときに一つの言葉が一閃する。

「聞きます」

 それは多佳子さんだった。多佳子さんが堂々とした姿で覚悟を秘め、迷いを断ち切ったのだ。僕は貞さんに目を向ける。貞さんも肯いた。

「ではいいます。もう、こうなったらどんなことがあっても最後までいいます。二人ともそれでよろしいですね?」

 二人は僕と目を合わせて肯いた。二人は憔悴しつつ、その目には肥沃(ひよく)の黄色がうかんでいた。

 僕はそれを見て、心を鬼にして話し始めた。もう立ち止まるつもりはない。

波田(はた)さんが教科書をふまれて、それからいじめが始まりました。最初は無視したり、波田(はた)さんが忘れた教科書を貸すな、という伝言ぐらいなものでしたが、次第にエスカレートしていきました。波田(はた)さんのことをデブといっていじめたりしました。


 そして、これは僕が一部始終見たことなのですが、ある日体育の授業が自習になったとき、波田(はた)さんと村田達がいないのを知りました。そして、僕がふと体育館裏で声が聞こえたからいってみると、彼らが波田(はた)さんにドロップキックを食らわしてゲラゲラ笑っていました。そして、波田(はた)さんが胃の中にあるものを吐きました」

 音が聞こえる。話していてる最中、死にかけの猪のようなううーっ!ううーっ!という苦悶の音が。

 しかし、僕はそれに答えずに話をやめなかった。ここでやめてはいけないのだ。

「そして、それから波田(はた)さんの体重が激変していきました。それから、みんなは彼女のことを骸骨(がいこつ)といってこづいたりしていました。それから、夏休みに入りました。あとの様子は多分、あなたたちがよくわかっているはずです」

 僕の言葉に体を酷使され血がにじむような、そんな血の臭いが場を立ちこめた。多佳子さんはうっう、と椅子に身を沈め泣き崩れていたし、貞さんは静寂と言えるほどの静けさを身に纏って(まとって)いた。

「なんで?」

 その時、貞さんが血を吐いた。貞さんは僕を見つめ深紅(しんく)の濁流を吐き出した。

「なんで?なんで、君、そんなに冷静に言える?なんで、お前は生きている!なんで、なんでお前は貴理子を助けなかったんだよ!」

 そう言って、貞さんが僕につかみかかってきた。

「お父さん!」

 多佳子さんが貞さんを止めようとしたが、貞さんの勢いを止めることはできなかった。僕は貞さんの力にもみくしゃにされながら壁にたたきつけられた。そのとき、僕は貞さんを見た。

 その厳つい(いかつい)皺のある顔から涙を止めどなく流していた。その目にはもう厳つい(いかつい)おじさんではなかった。その目の悲しみと慟哭(どうこく)とそして、なぜこんなふうになったのだ?という己の身を壊す問いを抱えたまま、徹底的な孤独さを背負った、ヨブだった。

 中島道義の『悪について』だったか。犯罪被害者家族になったら、生涯なぜ?という問いを抱えたまま、ヨブになるといっていたのを反射的に想い出す。

 彼ももう日が当たることがないまま、この地獄の道へ踏み出すだろう。僕も、少しにたことを覚えていたことがあった。彼の苦しみに比べれば0,1パーセントぐらいだろうが、不登校になっていたとき、そのどうして自分は学校に行けないのだろう、ということを頭がねじり出すほど考えたことがあった。

 しかし、その答えは出なかった。わからない。それが僕の答えだった。

 彼はその道を僕の何百倍の苦しみを背負って渡っていかなければならないのだ。今のうちに感情を表出して悪い事なんてないのだ。

 彼は言葉を繰り返す。

「なんで、なんでだよ!!なんで、お前が生きて、貴理子は生きていないんだよ!!返してくれ、返してくれよ!貴理子を!あの子を返してくれよ!!!!」

 そう言って、彼は僕の肩をさらに圧迫した。僕は体力的な苦痛よりも、むしろ精神的な脅威を感じた。

 そうやって僕が抵抗をしていると貞さんを抱きしめる人がいた。

「お父さん!八つ当たりはやめて下さい!貴理子は…………貴理子は死んだんです。私たちはこの事を受け止めないといけない。私には受け止めれません。しかし、もう、もう貴理子は、あの子は死んだんですよ。お父さん…………」

 そう言って多佳子さんは抱きしめたまま、泣き崩れた。貞さんも。

「お、おっおぉぉぉ。貴理子ぉぉぉ。おっ、おおおぉぉぉぉ」

 へたへたと泣き崩れていた。二人の嘆きの共音がいつまでも響いていた。





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