アタタカイヤミ 88
寺島さんを含めて夕食を食べたあと、後は風呂を沸くのを待つだけだ。僕と美春が僕の部屋にいた。
夕食のとき、和也さんもずいぶん驚いていたな。こんな少女が僕を訪ねにくること自体に驚いていたようだった。
でも、おじさんもすぐそれに慣れたな。美春は人と仲良くすることが上手な子だ。
僕は改めて美春を見る。制服を着た美春は僕の部屋に寝そべりながらにやけ顔で『水滸伝』を読んでいる様は美少女とはいえ、残念なことにセクシー度はゼロだった。
僕の部屋は六畳一間の一人部屋で、西にクローゼットが置かれてあって、北に僕のベッド、南には本棚が置かれてある。この部屋は元々、和也さんの息子さんの部屋で今は息子さんが出て行ったので僕が使わせてもらっている。
その部屋で美春が僕の愛読書『水滸伝』を読みながらごろごろしているのだ。
「美春」
僕は座って美春に話しかける。
「ん?」
美春が顔を上げる。その大きな瞳が『どうかしたの?』と言うことを素朴な疑問として浮かんでいた。
「『水滸伝』って好きなのか?*1」
そうすると美春は屈託ない笑顔で言った。
「うん。大好き〜♡。これってイケメンもたくさん出てくるし、何よりストーリーがいいよね〜」
「そうか!それは僕も好きなんだ。あれっていいストーリーをしているよな。どこのストーリーがいい?」
「それはヨウシ!ヨウシの話が大好きなの!特に師匠の愛情と別れの話が好きなんだよね」
「うん、よかったね。ヨウシのシーン。あれってさ、ヨウシ、もう主人公クラスの扱いだよね。と言うか、正統派主人公になってもおかしくはないよね。主人公はで、ソウコウもかなり骨のある主人公だけど、重要な脇役の楊善とか、ブショウとか、敵役のコウレンとか悪役のドウカンやらサイケイのような人たちも味のある人だよなぁ〜。そうは思わない?*1」
「うんうん。さすがに一樹は分かっているね」
そう言って、美春は肯いた。心なしか唇がいつもより赤かった気がした。
ぴろろろろろ!
そのとき、電話が鳴り響いた。
『もしもし、お風呂できたわよ〜。先に美春ちゃん、入ってちょうだい』
「だ、そうだ。入ったら、どうだ?美春」
「うん。そうする」
そう言って、美春はひょこっと立って、すたすたとドアの方に歩いていたが、何か忘れ物をしたのか、くるっと反転して、自分のリュックサックのほうに向かった。
「?何か忘れ物か?お気に入りのシャンプーがないと頭を洗えないとか?」
「バカね。そんなんじゃないよ」
そう言って、彼女が取り出したものを出して、花が一日にて咲いた一輪の新鮮な笑顔を見せながら、僕に見せた。
「はい!これ。とって」
「これは………………」
彼女が取り出したのは一枚のCDだった。茶髪の女性が横たわっているジャケットだった。美春が出したのだから、アイドルというのはないだろう。まあ、シングルアイドルは今では珍しいが。ならば、シンガーソングライターか?アルバム名は……………。
「『lightning star』だよ。私の好きなアルバムなんだ。これはね、『電翔』と言うアーティストなんだけど、それって音楽プロデューサーの瀬戸が立ち上げたものなんだけど、第一期、第二期というのがあって、その二つの期間の間に歌手が変わったんだ。それでそれが第二期のファーストアルバムでいい曲が入っているから、是非聞いてほしいの」
それを寺島さんが僕にそのCDをつきだした。僕はその白いアルバムを賞状を取るように受け取ったとき、ある光が自分の脳髄に差し込んだ。
その光は人を幸福の状態にもたらす光りではなく、人に天の啓示を与え示す光だった。白く、そして厳しかったが、僕はその光を受けてある考えが、自分の中に浮かび上がった。
「これさ、私が大好きなアーティストなの。最初のelectrick weaponは最高だから是非聞いてほしんだ。そして、一樹のもこのCDは好きになって欲しいの。一樹は私の大切な友人だから。一緒に好きになったら素敵じゃない?だから、それ聞いておいてね。そして、感想を聞かせて。まあ、それはともかく、私はお風呂にいるね。それじゃあ」
寺島さんはそう言うと、今度こそ部屋から出て行った。とたとたとたというネズミのような音が聞こえる。
僕はそれを聞きながら天からの光りに耳を澄ましていた。
そうだ、もう………………ない。
僕はそう思った。天からの光りに僕はある種の諦念とともに真理を発見できた修行僧のように冷めた、悟りを実感していた。
そうだ、もう波田さんはこんなプレゼントをもらわない。友だちともこんなふうに仲直りすることもない。普通に会話をすることもないし、好きな漫画の話題で盛り上がることはない…………。
そして、僕は美春の顔を思い浮かべる。
もう、友だちとなにげに笑うこともできないんだ。
そう僕は思いながらただそこに座りながら佇んで(たたずんで)いた。
どれだけの時間、そうしていたのだろう。
気づけば、とっとっとと言う音が聞こえ、寺島さんが部屋に入ってきた。
「お待たせー!笹原君。もう、入っていいよ」
「ああ、そうか。分かった、入るわ」
僕は『eletrick star』を机の上に置いて風呂場に向かった。
階段を下り、おばさんに挨拶をして、行為所の扉を閉め、服を脱ぐ。そして、全裸になり、風呂場に入る。
風呂場の浅く、白い靄が一瞬僕を包むがやがて消える。
そして僕はシャワーを浴び、体を頭と顔と脇と足の裏を洗い、そして、水で流した。
そして僕は湯船に身を横たえる。寺島さんが何かを入れたのだろうか?湯船にはミルク色になっていた。
横たえながら、僕は心の中に感懐がふつふつと気泡ができるように、しかし、その気泡は連続的ではなくて、一つ一つのことをしっかり想い出すようにわいてきた。
僕は今まであったいじめのことを想い出した。波田さんのいじめ、村田のいじめ。そして、そのとき、僕は何をしていた?彼女たちが苦しんでいたときに何をした?
そのとき、僕に声ならぬ衝動が全身を駆け巡り、センターオブライフの『the red world』が頭に鳴り響いた。
ふと、僕は湯船を見るとミルク色の湯船だったはずだったが、湯船が蛆だらけになっていた。体に蛆がびっしりとまとまりついていたのだ。
そのまま、叫び出したくなるような衝動を覚えた。僕は、僕は何をしていたのだ。彼女たちがいじめられているときに。
自分が今まで遭遇したいじめをフラッシュバックのように頭に流れ込んでいき、僕を戦慄させた。目をつぶっても、頭を振っても映像が頭から離れない!波田さんがドロップキックを受けていたとき!すごく減量されて骸骨と言われたとき!村田が金村達に押さえ込まれるように一緒に行かされたとき!僕は何をしていたんだ!
そんな、情景が次々と頭に入っていき、そして、僕はスカートの選択制を訴えかけるキャサリンの姿が最後に浮かんだ。
そうだ。
僕は立ち上がった。
まだだ。まだ、僕はやらなくてはいけないことがある。
そう思って僕は立ち上がって、風呂場から出た。
今日は早めに寝よう。そして、なんとしても成田先生に会おう。
そう決意を固めながら僕は体を拭いた。




