アタタカイヤミ 39
ぴーん、ぽーん。ただいまを持って本プールを閉館させていただきます。場内の皆様は帰宅の用意をして下さい。繰り返し言います。ただいまを持って………………。
ぼくがその放送を聞いたときは寺島さんと追いかけっこをしていてその寺島さんの背中にぶつかったときだった。
「放送が入ったね」
「ああ。そうだな帰らないと」
僕たちは放送が入り上に上がっていくみんなを見ながらそう言った。それでぼくは最初に異変に感じたのは臭いだった。何かいいにおいがする。これはよくかがない香しい臭いだ。何だろ、どうしてこんな臭いがするんだろう。
それに最初に気づいたのは寺島さんがクスクス笑っていた事を気づいてからのことだ。
はじめは何で笑っているんだろう?と思ったが、よく見るとぼくが寺島さんを抱きしめていたのだ!それで寺島さんがクスクス笑っていた事をみつけたのだ。
「ご、ごめん!寺島さん!」
ばっと、寺島さんを話す。寺島さんは相変わらず笑っていた。
「いや〜、まさか笹原君が抱きつき魔だなんてねぇ〜。私、知らなかったわ」
「ごめんだって、寺島さん。本当悪気がなかったんだって」
しかし、ぼくがいくら弁明しても、寺島さんは幼い子をからかうような笑い方をしていた。
「そうやっていつも女の子に抱きついたりするの?いや〜、こんな所に肉食系男子がいるなんて知らなかったよ〜」
「だから違うってば!」
「そうやって、幾人のも女の子を手込めにするのね。はっ!もしかして!女性に抱きつくのは、幼少のとき、何かのトラウマで!きっとお母さんに構ってもらえなかったから、それで母性を求めて女子に抱きつくのね!かわいそうにそんなにも笹原君が愛情に飢えていた男の子と言うことにわたし気づいて…………」
「いい加減にしろよ!くそアマ!」
ぼくは知らず大きな声を上げた。自分の中で小さな溶岩がごろりと動いたのを感じた。
「こっちはそうじゃないと言っているだろちょっとは人の話を聞きやがれ!」
そう言って、ぼくは寺島さんに水をかけた。ちょっと、ぽかんとした寺島さんもやがて笑ってこちらに水の波を返してきた。
そうやって少しな間遊んでいたが、人たちがどんどん上に上がっていくのを見てぼくは寺島さんに言った。
「はいはい、遊ぶの終了。そろそろみんなも上がっているから僕たちも行くよ」
寺島さんの手を止めてぼくは言う。寺島さんはまだ、きゃっきゃっ、していたが、すぐわかって頷いた。
「わかった、じゃあ行こう」
「ああ。そうしよう」
そうして僕たちはプールのあがり口に来た。あと、2,3人上がれば僕たちの番だ。
「お先にどうぞ、寺島さん」
「え?いいの?サンキュー、この恩はたぶん一時間後に忘れるよ」
「忘れるんかいな」
そんなことを言って二人で爆笑した。だが、すぐに寺島さんの番が来たので寺島さんはスロープをつかんで上っていき、シャワーを浴びて、更衣室で着替えた。
市民プールの中の控え室にぼくと真部がいた。控え室はタイルの床に壁沿いに椅子が併設されている場所で、僕と真部はそこに座っていた。寺島さんとフレイジャーはまだ来ていない。控え室でやることがないのでソファーに座って足をぶらぶらさせたが、暇だったので真部と話をすることとなった。
「真部、今日どうだった?楽しめた?」
真部はぼくをちらりと見て、いつものクールと言うには寒くない、涼やかな笑みを見せていった。
「ああ、今日はフレイジャーと一緒にいろいろ遊んだ。そっちにはすまなかったな。プールには入れないんだって?尋ねなくてすまなかったな」
「いや、いいよ。別に。言わなくても楽しめたし。寺島さんには最後遊んでもらって楽しかったから」
それに真部はふっと、少し安心したかのような顔になってこう言ってきた。
「ありがとう。笹原。そう言ってくれて、こっちも笹原が楽しめなかったらどうしようかな、と思ったんだが、そう言ってくれて助かったよ」
そう、真部がほっとしたような表情をしていった。
「まあ、気にしなくていいよ。真部。とにかく僕は十分楽しめたから気にしなくていいよ」
「おっ待たせー!待ったー?」
そのとき、寺島さんとフレイジャーが2階の階段からこっちに向かって歩いてきた。2階に男女の更衣室があるのだ。プールに出るには一階に戻らなくてはならないのだが。
寺島さんとフレイジャーは階段を下り僕らの前に来た。フレイジャーは黒のポロシャツと黒のキュロットのスカートを着ていた。寺島さんは黄色いTシャツと白のカーゴパンツを着ていた。二人とも女性にしてはやけにシンプルな服装だ。ただそれでも十分華やかなので別に構わない。
「どうも、待ったー?」
「いや、特に待ってないぞ。それじゃあ、帰るか」
そうして真部はリュックサックを持ってそう言った。みんなもそれに頷いて後に続こうとしたが、また、一人黄色い声をしてあげた物がいた。
「あ!ちょっと、まってよ!そこにアイスの自販機あるよ!それ買おうよう!」
そう言って、僕たちが何か言う前に寺島さんは自販機にダッシュをした。僕たちは目を合わせて、仕方ないな、という表情を作った。
僕たちは駐輪場にいる、寺島さんがアイスを食べることをひとまず禁じて、僕らの今後を話し合った。
「予定と言っても明日、『1984年』の読書会をすることでいいな?」
みんなが頷く。
「じゃあ、そういうことで解散だ。いいな」
「いいよ」
「オーケイ」
それで解散となった。解散となってフレイジャーと真部が帰っていった。寺島さんは持っていたアイスを破いて食べようとしていた。
ぱく、ちゅるる。
寺島さんはアイスをかじったりなめていた。4時ぐらいの夕日に近づく陽光の中、アイスを頬張っている寺島さんはリスに見えた。
「寺島さん、それ美味しい?」
アイスを頬張ったままこくこく頷いていた。
「ああ。頬張ったまま首を振ると汚れが服につかもしれないでしょ。頷かない」
それにまたこくりと頷いた。
だから、それがいけないんだって。
寺島さんはぼくの話を聞き終わったらまたアイスに食べることに集中した。
ぼくはそれを見ながら自分も缶コーヒーを買っていたのでそれを飲むことにした。
ごくり。
一口飲むとコーヒーの苦みが口に広がった。僕は寺島さんがアイスを食べるのに逢わせてのんだ。ほどなく、寺島さんがアイスを食べ終えた。
「美味しかった?寺島さん?」
そう言うと寺島さんは大きく肯いた。
「うん!」
「じゃあ、捨てるか」
僕達はゴミを自販機のそばにあるゴミ箱に捨てて、自転車に乗った。
「ねえ、寺島さん」
「ん?」
僕たちは自転車にまたがりながら足で地面を蹴って話した。
「今日、楽しかった?」
ぼくがそう聞くと。
「うん!」
天真爛漫な表情で寺島さんは言った。その笑顔は水晶のように曇りがない。こう言うところを見ると寺島さんはすごいなぁ、と思ってしまう。
「うん、ぼくも最後の短い時間だったけど、寺島さんと遊べて楽しかったよ」
「ほんと!」
水晶が燦々(さんさん)とした陽光を受けてさらに輝きを増した。
「ありがとう、笹原君。そう言われてすごくうれしいよ」
ぼくの感謝の言葉を養分にますます成長する向日葵のように寺島さんの快活を増していた。
「ほんとにそうだよ、生涯生きていた中で一番楽しかったよ」
「え〜、うそ〜。それは大げさだよ〜」
寺島さんはぼくの言葉を冗談と思っていたのか、適当に笑ってやりすごしていた。
ぼくは自転車を止めてこう話した。
「冗談じゃないよ。今まで友だちなんていなくて、すっと一人ですごしていたから、こんな楽しい事なんてほかになかったよ。だから、今日が生涯で一番楽しかったと言うこと!」
そうぼくは赤くなりながら後半を一気にしゃべった。なんか、こう言うことを人に話すと言うことがなれてないので無性に恥ずかしい。
寺島さんは明るかった笑顔をパタ、とやめて、顔に表情がない冷静な顔つきになった。その無表情の顔から真剣に聞いてくれているというのがよくわかる。
その寺島さんの口が慎重二丁のブローチを作る職人のようにその口で精確な言霊を発しようとしていた。
「まあ、そういうことがあるかもしれない。まあ、だからその………………」
寺島さんは言葉を止めつつもブローチを作るためまた慎重な言葉で彫っていく。
「その、それはただの過去だからそんなに気にしないで、未来はもっといいことがあるよ。少なくとも過去に戻ったりしないから。今の笹原君には私がいるし、光もいるからもう気にしなくていいよ」
そう、寺島さんは言った。ぼくはその言葉をこけが付着する水分を取るように吸収していった。
「あ」
分かれ道に到着した。市民プールのすぐ出入り口でもう分かれ道になっていて、右側の山のあるほうが寺島さん家で、左側の国道がある方面がぼくの家だった。
「じゃあ、分かれ道だね。ここでお別れだ」
ぼくはすっと右手を差し出した。
寺島さんはその手を見てすぐ了解したのか、右手を差し出しつかんだ。
「どうも、今日はありがとう笹原君。あなたといれて楽しかったよ」
「ああ、こっちも楽しかったよ。今日はありがとう。じゃあ、さようなら」
それでぼくは自転車に乗って左側に向かった。
「こちらこそ、ありがとねー!」
振り返ると寺島さんが大きな声で手をワイパーのように大きく振っていた。ぼくはそれに手で少し応えてから家路を帰ることにした。




