40 ―わからない思い―
遅くなりまして申し訳ありません。
視線が逸らせないまま、しばらく見上げていたら、ティナス殿下が「あぁ、君はデモンストレーションに出ていた〔マギィ〕だね」と『やっと腑に落ちた』というような表情になった。
だからじっと見ていたのか。と納得してホッとしたと同時に、なぜか胸がチクリと痛んだ。
なんで胸が痛いのかな?
魔力を使い過ぎた影響かもしれない。時間が出来たら検証してみよう。
そんな事を考えていたら殿下に「そうだよね?」と顔を覗き込まれていた。
蒼い瞳はキラキラと輝いてそれを縁どる金の睫毛も眩しいくらい。
女性のように白く美しい滑らかな肌は、興奮しているためか頬はほんのりと薔薇色に染まっている。
いつもは薄い唇を穏やかに緩く弧を描くような笑みなのに、今は子供のようなワクワクとした笑顔。
なんでそんなに楽しそうに笑うのだろうと疑問に思いながら「はい」と頷くと、殿下は「会いたかったんだ」と、それはそれは嬉しそうな目で私を見る。
何と返答すればいいのか困る。「私もお会いできて……」というのは変ですし、「ありがとうございます」くらいでいいのでしょうか。
返答に迷った私は首を傾げて目をぱちぱちと瞬かせていると、急にあたりがフッと暗くなった。
流れる雲が陽光を遮ったのだろうと私は特に気にしなかったのですが、殿下は弾かれるように上を向いた。
何かあったのかとつられて上を向くと自身がかぶっている黒いフードの端が目に入り、禁術のヒントを探しに魔法院へ行くことを思い出した。
これ以上、殿下と会話をするのは私には荷が重いですし、時間もないことですので殿下が空に集中しているうちに消えましょう。
気付かれないようにとゆっくりと後ずさり、殿下と5歩ほど離れた位置までは順調。
殿下はまだ上を見ているようなのでこのまま行けるかな。
後ろにはベンチがあるのでこれ以上、後ろに下がることはできません。
花壇を囲っている垣根には二か所ある出口があるので、左右どちらが音を出さずに進めるかときょろきょろしていたら、ふわっと身体が浮き視線が揺れる。
えっ? と声を出す間もなくストンと後ろにあったベンチに降ろされた。
何が起きたのかと呆然としていると、目の前でひらひらと動く手が見え、誘われるように追いかけて視線を移していくといつの間にか横に座っていた殿下。
視線がパチッと合うと殿下はワクワクとした子供のような笑顔のまま、逃がさないとばかりに矢継ぎ早にデモンストレーションがどんなに素晴らしく感動したと、こちらが一切の口を挟めないくらい熱く語ってくれました。
気圧された私はコクコクと相槌を打つのが精一杯です。
まぁあの時はちょっとやり過ぎたと言われたくらいでしたから、魔法院に所属していない人には驚嘆したものだったのでしょうね。ミモザもそう言っていましたし。
凄いのは私ではなくてジオ兄様。私は防ぐので手一杯でしたもの。
でも生の感想をもらえるのはとても嬉しいですね。今度、兄様にも伝えておきましょう。
全力で語り終えた! と言ったように「ふぅ」と殿下が息を吐いたタイミングで、褒めていただいたということで感謝のためにぺこりと頭を下げる。
「お褒めいただき、ありがとうございます。でも私はまだまだです」
「そんな事ないよ、とても素晴らしかった。相手の彼も」
「に……じゃない。∫5はとても凄いのです。私の目指す人なのです」
「ジオラス・ウイスタリア殿が傑出しているのかと思っていたのだけれど、魔法院には他にも優秀な人材が多いんだね」
「それ、……そうですね。たくさんいます」
にこやかに微笑む殿下に多少引きつった感のある苦笑いを返す。
あ、危なかったー。思わず「それは同じ人物です」と言いそうになってしまった。
殿下は何かを探っている? もしかして『シアとラス』のことを〔マギィ〕としての私に聞こうとしているのかな?
そうだとしたら、会話が得意な殿下に対して兄様みたいに上手く躱すのは私にはハードルが高い!
何か言葉を誘導されそうで、気を付けていてもぼろが出そうです。
早くここから抜け出さないと!
「どちらが強いのだろう。貴女は知っている?」
「えっと、そうですねぇ~どちらも同じくらいでしょうか?」
「それは頼もしいね。……ところで」
「は、はい」
さっそく本題ですか!?
兄様が釘を刺していたから聞いては来ないとは思うけど、もしかしたらと言うこともあるかもしれないから心構えをしておかないと!
でも、どうやって断ろう。
兄様はなんと言っていたっけ? ……不利益がどうのこうのとか。
魔物退治より緊張する! 言葉の駆け引きは苦手なんですー。
「貴女は東国出身者ですか?」
「え? えっと、その……」
そんな事を聞かれると思っていなかった。
私は変装しているだけで違うのです。そう言いたいけれど、それを言ったら色々と不味い。
ちゃんと魔法具が作動している事には安心するけれど、兄様ー! 変装したことで思わぬ事態が起こってますよ!!
何も言葉が浮かばず言いよどんでしまったら、逆に殿下が「あぁ、すまない」と慌てたように言い、安心させるような微笑みを浮かべた。
「別に貴女がこの国で魔法師として勤めることに批判や意義を唱えるものではないのです。少々珍しいなと思ったので」
「えーと、その。ハ、ハーフなんです、私」
「そうだったのですか、それは失礼しました。……良く見れば瞳は東国の方ではなく我が国や隣国に近いですね」
私の瞳を覗き込みながら「まるでアクアマリンのように美しいです」とサラッと言う殿下。
その言葉と思わぬ近さにどきりと胸が打ち、顔に熱が集まってきた。
慌てて下を向き、フードを引っ張りながら殿下から離れるようにベンチの端へ移動する。
社交辞令とわかってはいるけれど、そう言う風にあまり褒められることがないので、どう返答したらいいのか分からない。
ミモザみたいにあしらうスキルはないのです!
クスリと笑う気配がして緩々と顔を上げると、殿下はにこりと微笑んでいた。
「それに魔法師の方に対して詮索するつもりもありません。つい先日、忠告されたばかりなので」
「は、はい」
ふっと、遠いところを見るような目になった殿下に思わず私もコクコクと頷きます。
兄様に言われたことが相当堪えているみたいですね。
……兄様と殿下はちゃんと仲良くなってくれるのでしょうか。
基本的に話は合うと思うのですが、言い合い(?)を見ているとちょっと心配な部分もあるのですよね。
でもきっとアマリリス様が取りなして仲良くさせてくれるでしょう。
アマリリス様は素敵な方ですから兄様も惹かれて……。
っと今は殿下のお話の途中でした。
「すみません、少々お時間を頂けませんか?」
「えっと……少しだけなら」
断ろうと思ったのですが、先程の哀愁漂う感じで言われて少しなら良いかとつい頷いてしまいました。
美形はズルイです……。
私が肯定したので、殿下は微笑みを浮かべて「ありがとう」と言い、一度深呼吸をして居住まいを正して私のほうを見て口を開きました。
「実は相談と言いますか……」
「はい?」
「えーと。……ある人に贈り物したいので、アドバイスを頂けませんか?」
「え? でもそれなら殿下のお傍には適任の方がいらっしゃるのでは……」
「それが……」
殿下はちょっと困ったように笑って頬を掻いて視線を彷徨わせます。
こちらからは話しかけられないので、殿下からの言葉を待ちつつ、どうしたものかと考える。
ある人というのはきっとアマリリス様のことでしょう。
でもそのアマリリス様へのプレゼントなら私よりもミモザという適任者がいるのに。
「怒られていまして」
「怒られて……? 殿下が、ですか?」
「えぇ。そのある人に対して迷惑をかけてしまって、その彼女の友人であり相談できる唯一の人物に口を聞いてもらえなくて。なので初めてお会いして不躾とは思いますが、同性ならではの意見を頂きたいのです」
全く予想しない展開に私は目を白黒させるしかありません。
……最近のミモザはどうしても用事がある時以外は生徒会に――殿下達の傍にいない。
ミモザは学年が違うからと言っていたけど、本当は喧嘩中だったんだ。
そういえば、昨日のお茶会では笑顔だったけど会話はしていなかったかもしれない。
殿下は切羽詰まった顔をしていますし、これは殿下とアマリリス様がもっと親密になるためのお手伝いになるかも!
時間は気になるところですが、少しくらいは大丈夫かな。
コクッと頷き「私でよろしければ」と言えば、殿下は「ありがとう」とホッとした表情になった。
その表情がとても優しくて、なぜかまた胸がきゅっと痛くなった。
これは限界まで魔力を使った弊害なのかな、やっぱり。
後で〈診察〉で診てみよう。
「贈り物の内容なのですが、彼女は高価なものはあまり好まないみたいです。それとこちらの事情なのですが、今回は王太子ではなく私個人で贈りたいので……」
「そうですか」
『王太子殿下』ではなく『ティナス』という個人で贈りたいということは殿下の財産は使えないということ。
殿下の持ち物からと言うのも無理だとすると手紙も無理でしょうね。
たとえ便箋一枚でも公費扱いでしょうから。
そうなると『ティナス』という個人でお金を稼がないといけませんが、殿下を働かせるのは色々な意味でアウトでしょうし。
何か良いアイディアがないかと、周りを見れば先程私が魅せられた色々な花が咲き乱れる花壇。
あ、この手がありました!
深呼吸をして真面目な顔を作り「よろしいでしょうか?」と殿下に向き直しますと、殿下も「はい」緊張の面持ちで私を見返します。
「その方は、花はお好きでしょうか?」
「そうだね……うん、嫌いではないと思う」
「この花壇はリトマ・フィエスタ先生が育てているそうです」
「うん?」
「雑草を抜いたり、水をやったりと手伝いをすれば花を頂けるのだそうですよ」
この話は兄様からの情報。
去年、殿下が入学した関係でフィエスタ先生は特別治療医として就任しました。その時にこの花壇を作り、花やハーブを育てて新しい薬の研究にも役立てているそうです。
兄様もそういったものにも興味があるのでたまに世話を手伝ったら、観賞用の花をもらったそうです。
私も兄様が帰省した時にもらいました。香りも花持ちも良くて兄様曰く、王宮で育てられている花の品質にも劣らないとか。
今では花狙いの学生もいるらしいです。
まぁ殿下が草むしりや水やりをするのは難しいかもしれませんが、フィエスタ先生は優しそうでしたし、あとは殿下のやる気次第でしょう。
「なのでフィエスタ先生に事情を話せば、花を頂けるのではないでしょうか」
「そうだね。……でもそれならちゃんと手伝いをしてからにしてみるよ。素敵な提案をありがとう。でもよくそんな事を知っていたね」
「え、えっと……。そ、そう! 友人に聞いたのです」
「それは学園の人? ……あぁすまない。詮索はいけなかったね」
殿下は苦笑いを浮かべると花壇のほうへ視線を移して、そのまま口を閉ざした。
夕暮れ時の特有の、懐かしいような切ない雰囲気。
さやさやと風が吹き、殿下の金の髪やフードに隠れていない私の前髪を優しく揺らす。
このまま日が沈むまで此処にいたいような気もしますが、やるべきことがあるのでそろそろ此処から立ち去らないと。
殿下へ暇乞いして移動したいのですが、黙り込んだまま何かを思い出すように目を細めて穏やかに微笑んでいるので、どうにも話しかけられません。
それでも意を決して話しかけようとしたら、殿下がこちらを向いて「貴女は……」と言い、一度目を閉じた後に真剣な眼差しで私を射抜いた。
どうしてそんな顔をするのか解らず、私は戸惑いを隠せない。
「貴女は……貴女の本当 ――リン・ゴーン―― ……た」
殿下の言葉を遮るように鐘の音が鳴った。
鐘の音が続けて鳴り響くと、殿下は目を細めて手を顎にあてて、何か呟きながら考え事をしはじめた。
微かに聞こえる言葉は『――ぃ』『連なる』『夕暮れ』など。
私には殿下の考えが理解できない。
鐘の音が鳴り終わるのを待つと、回数は5回。それはもう5時になってしまったということで。
予想以上に時間を費やしてしまった!
メリア様への報告もしていないし、魔法院へ行かなくては。
ストレリ様の禁術のことが最優先事項なのに、私は何をしていたの!?
慌てて立ち上がり、深く思考に沈んでいる殿下へ――気が付いてはもらえなくとも――頭を下げ「御前を失礼いたします」と言って『最短ルートで行こう』と後ろを向いて走り出そうとした瞬間に右腕を掴まれ、動けなかった。
振り返ると立ち上がった殿下が驚きの表情で私を……と言うより私の腕を掴んだ自分の手を見ていた。
まるで自分の行動に驚いているみたい。
昨日と違って服の上からなのに、殿下に捕まれた部分がじわじわと熱を持ってくるように感じて自分自身に戸惑いを覚える。
どうしてこうなってしまうのだろう……この感覚は前世でも感じたことがないからどう対処して良いか解らない。
早く行かなければという思いからか、心臓もドキドキしてきて余計に焦ってくる。
「殿下? 離して頂けませんか?」
「……」
呼びかけても反応してくれず、何度か「殿下」と呼びかけながら腕を引っ張る。
やっと6回目で殿下はハッと正気に戻ってくれたようで「すまない」と言って右腕を解放してくれた。
これで魔法院に向かうことが出来るとホッと息を吐き、捕まれていた部分を――まだじんじんと熱い気がして――左手で押さえ「時間がありませんので」と告げて、一瞬頭を過ってしまった考えを振り払うように駆け出した。
―――〔マギィ〕の∫4ならティナス殿下と話しても赦される。なんて。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。




