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架空の内教坊

 私が「やまとうた」に作った『内教坊』は、筋金入りのフィクションです(笑)。

 実際の八世紀終わりから九世紀初頭にかけての内教坊については、詳細なことはほとんどわかりません。


 内教坊は雅楽うた寮に属し、歌舞音曲の教習機関となっていますが、雅楽の中でも女舞や女踏歌おんなとうかなど、女性の芸事中心の世界です。長官にあたる「別当べっとう」は三位の男性が勤めますが、実務に関わる「頭預とうよ」から下は皆女性。いわゆる女の園ですね。

 しかしこの内教坊は十二世紀までに消滅したと言われています。


 神事として行われた踏歌はもともと唐の神事にならって行われたのですが、始めは男女混合で舞っていました。でも女性への尊厳などない時代です。すぐに風俗が乱れ猥雑わいざつな事態に(汗)。想像するにチークダンスでムードが高まるうちにエライことになったって感じでしょうか? そのため男女で舞を分けるようになりました。(後に男踏歌は衰退)

 そんな経緯があったせいか内教坊は「粋筋」の側面を持ち、同じ女官のみで構成された内侍司ないしのつかさと比べてかなり下層扱いされたようです。雅楽寮の中でも切り離されて扱われていたのでしょう。妓女たちの出身も皆位の低い官人の娘ばかりでした。(低いったって、庶民じゃないけど)


 始めから妓女ぎじょの身分が低かったのかはわかりませんが、貫之が生まれる三十年ほど前には、従五位下という女性としては相当身分の高い人もいたようです。おそらく九世紀初頭くらいまでは各氏族の子女のうち、それほど低すぎない身分の容姿の優れた人を採用していたのでしょう。そうした人の中でも特に芸に秀でた人が出ると、『五節の舞姫』のような良家の子女に神事の舞を教える指導係をするために昇殿できるシステムが作られたのだと思います。そして良い妓女を得るために、その門を下の身分にも広げたのではないでしょうか?


 下級官の娘にとっては出世のチャンスとなったことでしょう。次第に内教坊は芸事に自信のある下級官の娘の集まる場所へと変化したことでしょう。しかしそれが内教坊を下級官たちの粋筋へと変化させていきます。

 当時は高貴な女性はもちろん、普通の女性だってそうそう姿を見せてなどくれません。当時は女性が姿を見られることは、相手に魂を奪われることだと信じられていました。魂を奪われてしまえば、女性は相手に服従するよりほかありませんでした。つまり男の思うがまま。(どういう意味かはお察し)だから男の前になど簡単には姿を現しません。


 ところが! 内教坊ではそんな女性が男の前で舞い踊るのです! まさしく飢えた狼の群れに羊。上記した踏歌などいい例です。ますます身分の良い子女は縁のない場所となったことでしょう。

 これでは妓女で身分の良い人がいても、そういう人はすぐに内教坊を出て内侍司の女官扱いになってしまったんじゃないかと思います。後に五節の舞姫の指導は、元の舞姫だった人が務めるようになったようです。こうなってしまうと身分の低い人が指導係に出世するチャンスは無くなります。


 そのうち人の入れ替わりも鈍くなっていったようで、『源氏物語』の末摘花部分では、末摘花に仕える女性たちを内侍所や内教坊の古臭い女官のようだと表現されるほど、古風な人たち……つまり年寄りの集まりのような場所と見なされています。見下された場所では、本当に老女しかいなくなっていたのかも……。

 貫之の時代は妓女の身分が高かった頃と、老人の集まりになってしまった頃との間くらいですから、内教坊に衰退の陰りが忍び寄ってきた頃かもしれません。


 女官である女孺にょじゅも「未選みせん」という見習いが中心。雑用や掃除など小間使いをしていたようです。でも、この内教坊の女孺。何と五十人もいるんです。頭預は内教坊のすべてを預かっているのですが、定員は一人だけ。妓女を含めたそんな大人数を頭預だけがまとめていたとは思えません。

 私の推測ですが、女孺は妓女と違って色々な身分の人がいたようなので、「未選」といってもみんなが見習いだったわけではなく、実績のある年齢の高い人で出自の身分が低い、グループリーダー的な人がいたんじゃないでしょうか?

 そしてそういう人は年をとっても身分がら、内教坊に残り続けるしかなかったのでは?


 出自の良い女孺は未選を終えると、それぞれ他に配属されたのでしょう。内教坊に身分の低い人ばかり残して。それが実質切り離された内教坊を特殊な空間とし、この時代にもかかわらず身分を意識せずに、先輩が後輩に芸を伝える場所となったのでは、と思うんです。そして女性が神事に芸を奉納する文化は雅楽寮が取り込んで行き、下級官の世界として切り離された内教坊はそのまま消滅していったんだと思います。


 そんな特殊な世界では、自分は出世出来るほど飛びぬけた才能には恵まれずとも、理解が深くて教え上手になった妓女もいたでしょう。ひょっとしたら女孺にもかかわらず、身分が低くて長く内教坊に居たために指導に長けてしまった人もいたんじゃないでしょうか?


 そういう想像から私のお話は成り立っています。下級官の貫之が内教坊の出身だったのは、内教坊が下級官にとって親しみ深い場所だったということ。そして早い時期に粋筋として名が通ったであろうこと。そして身分のいい人からは軽侮されやすい場所だったかもしれないと思ってます。

 気楽な場所だけに、女性に対しても良く言えば親しみやすい、悪く言えば軽率に扱いやすい傾向があったかもしれません。その象徴として私は孤児の妓女と、老いた女孺と言う独自のキャラクターを登場させてみました。

 でも女性が舞うことによる神事はその後も生き続け、巫女の舞や神楽などに継承されていくんですね。こうした文化が今も続いていることを思うと、内教坊が世に生まれ消えていったことに、大きな感慨を覚えてしまいます。


※参考資料

女性芸能の源流 傀儡子・曲舞・白拍子

著者 脇田晴子



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