第六章 愛をこめて
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「よ~う、トーヤ、昨日のデートは楽しかったか?」
教室に入るなり、わざとらしく聞いてくる葛西を、俺はじろりと睨みつけた。
初めての告白と初めての失恋を味わった翌朝は、実に最悪な出だしだった。打ちのめされた昨夜は、家にたどり着くなり泥の様に寝こけてしまい、憂鬱な気分で目が覚めたもんだ。おまけに朝一から出歯亀共の詮索付きとは、嬉しくって泣けてくるぜ。
「‥振られたよ」
素っ気なく答えて自分の席に着くと、今度は桐生と椎名が群がってくる。
「ハハハ、実は昨日見てたんだぜ、篠宮さん、来なかったんだろ?」
「あの後電話したんだけど、トーヤ、スマホ切ってたろ。しょうがねえから三人でボーリングに行って‥」
どうやら我が素晴らしき友人達は、デートをすっぽかされたものと思いこんでいるらしい。フォローのつもりなんだろうが、正直、今は話をしたい気分じゃない。皆まで聞かず、俺は溜め息と共に席を立つ。
「ちょっと便所に行ってくらぁ」
思えばこいつらのデリカシーのない企みに乗ったおかげで、ひどいことをしてしまったんだよな。だが、奴らに罪をなすりつけるのはフェアじゃない。結局は、実行に移した俺に責任があることなんだ。
気分が重いのは、そのせいだけじゃない。いずれ、嫌でも彼女と顔を合わせることに‥
教室を出た所で、その時はあっさり訪れた。やはりシンデレラの魔法は解けてしまったのか。怖れていた通り、昨日の姿は見る影もなく、太っとい黒縁眼鏡をかけ化粧気のかけらもない、いつもの地味な小夜子さんとばったり会ってしまった。
少し青褪めた顔の彼女は、何とも形容しがたい表情を浮かべていた。沈痛な無表情、とでも呼ぶべきその面持ちは、昨日の彼女を知らない者にはいつもと変わらなく見えただろう。だがその無表情の仮面の下に、責める様な、訴えかける様な表情が隠れているのを感じ取っていた。
気まずい沈黙が訪れる中、彼女は俺を避けることなく、じっと見つめてくる。唇が何かを語りかけるように開くが、責めたてる言葉は出てこなかった。
不意に彼女を抱きしめたい衝動に襲われる。力づくでもいい、強引に彼女を俺のものにしてしまいたい。だが、罪悪感がそれを許さなかった。俺は彼女を傷つけた、それが許されるまでは好きになる資格すらないんだ。
だけど、いつか彼女にきちんと謝って許しを請いたい。それで駄目なら自業自得として受け止めるしかないが、もし許してもらえるなら、改めて告白して、今度こそ彼女を本当のデートに誘おう。ただ、今はまだお互い時間をおかなければならないだろう。正しいかどうかはわからないが、とにかくそれが昨日考えた結論だった。
「おはよう、‥篠宮さん」
「‥ぁ、あの‥」
どこか達観した気分で挨拶をすると、ちょうど何か言いかけた彼女の声とかぶってしまった。なんだかタイミングが悪かったようで、彼女は表情を硬くすると、挨拶を返すことなく、俯いたまま俺の脇をすり抜けて行ってしまう。
やはり許してもらうには時間が必要なようだ。覚悟はしていたつもりだが堪える。本日二度目の溜め息をこぼし、俺は本当に便所へと向かった。
★
お昼休みのチャイムが鳴ると、教室はにわかに活気づく。待ちに待った昼食の時間。早速机を並べて、友達同士で食事を始めるクラスメイト達。そんないつもと変わらぬ光景を見ながら、私は一人、お弁当の包みを開いた。
なるべくいつも通りに振舞おうとするけど、食欲が湧かなくて、どうしても箸が進まない。半分ほど食べて諦めると、読みかけの本を鞄から取り出す。
無名の作者の短編集は、単なる暇つぶしに持ってきたもの。甘ったるい恋愛小説なんて読む気分じゃないけど、とりあえず目を通してみる。
『‥天気予報みたいに、恋にも予報とか警報があればいいんだわ。ほら、あしたはゆうがたからこいの‥ネッタイテイキアツガヤッテキテアナタノココロヲ‥』
‥駄目だわ、全然頭に入んない。午前中の授業も右から左で、今日は全然集中力がないわ。もちろん原因は分かっている。今朝の彼の一言が、気にかかって仕方がないの。
‥篠宮さん、か‥
‥冬也君、私の事、小夜子さんって呼んでくれなかった。
たったそれだけのことなのに、不快な気分が檻の様に貯まっていき、心を黒く濁らせる。
本を読む振りをしながら、見るとはなしに目を向けると、冬也君はいつもの友達と一緒にお弁当を食べていた。時折楽しそうな笑い声が聞こえてくると、私はますます孤独に捉われる。
いつもなら何の感慨も湧かないのに、今日は一人でいるのがこんなに辛い。今までこんなことなかったのに‥
今朝、冬也君があんなことさえ言わなかったら。ううん、せめて小夜子さんって呼んでくれたら、昨日はごめんなさいって切り出せたのに、今はもう、どうやって話しかけていいのかわからないわ。
‥彼は、どうなんだろ。もう私の事、何とも思ってないのかな。
‥そうよね、そうでなければ、あんな風に友達と一緒に笑ったりなんか‥
その時、私は気付いてしまった。
‥違う、冬也君、笑ってない!
笑顔を浮かべているけれど、昨日見た、あの本当に楽しそうに笑う笑顔じゃない。なんだかとっても乾いた表情で、無理してるようにしか見えない。
‥私が、彼の笑顔を奪っちゃったの?
急に胸がドキドキし始め、悲しい気分が込み上げてくる。
‥私のせいだわ、どうしよう、こんなの‥
不安な気持ちで胸が締め付けられ、どうしていいのか分からなくなる。
「ちょっと、篠宮さん、どうしたの!」
‥えっ‥
突然の大声に、驚いて顔を上げると、声の主は近くの席に座っていた女子で、こちらを見て驚きの表情を浮かべていた。声につられた他のクラスメイト達も、私を見るなり一様にびっくりした顔へと変わっていく。
その時、何かがぽたっと机の上に落ちた。頬に手を当て、その正体に気付くと、驚きと焦りともつかぬ感情を覚える。
昨夜、どんなに悲しくても出なかった涙が、今は両目から溢れだしていた。
‥やだっ!
慌てて目を押さえるが、今まで泣けなかった分の涙が溢れてくるようで、どうにも止まらない。
‥でも、こんな姿、冬也君に見られたくない。
そう思うや否や、私は教室を飛び出してしまった。
☆
階段を二段抜かしで駆け上がり、足音を追って急いだ。立ち入り禁止となっている屋上へのドアを開けると、真っ青な空が目に飛び込んでくる。ちょうど昼休み終了のチャイムが鳴ったが、構うものか。俺は彼女の姿を探し求めた。
梅原さんの声で顔を上げた時、驚きで息が止まるかと思った。クラス中が呆気にとられる中、突然泣き出した彼女は教室を飛び出し、気がつけばその後を追っていた。なぜ彼女が泣きだしたのかはわからない。でも、原因はきっと俺にある。それだけはわかっていた。、
給水塔の陰でうずくまっていた彼女は、手で顔を覆い、声を殺して泣いていた。そんな姿を見るのは、何よりも辛かった。
「小夜子‥」
「来ないで!!」
悲鳴じみた声が、足を止めさせる。真っ赤に泣きはらした目が、睨むようにこちらを見る。今や感情の溢れだした彼女はぼろぼろと涙をこぼし、その姿は何だか親を見失って泣いている子供を思わせた。
「俺が、許しを請える立場じゃないのはわかってる、でも‥」
「違うの、からかおうとしたのは私の方よ、酷いことしたのは貴方じゃないの!」
じゃあ、彼女は何を泣いてるんだ。何が彼女を苦しめてるんだ?
「‥お願いだから、もう優しくしないで。‥わ、わた、し、一人で生きていくって‥決めた‥のに、貴方がいると、辛く‥、つらく、な‥」
-ドクンッ!
まるで大きなハンマーで、胸を叩かれた様な気分だった。唐突に俺は彼女が泣いている理由を、そして、どうして一人でいるのかを理解した。そうか、彼女は心を閉ざしていたんだ。
‥でも、それじゃ、あまりに可愛そうだ。
「やめて、来ないで!」
思わず前に出かけた足を、涙交じりの声が遮った。悲痛な叫びは刃となって、俺の胸に突き刺さる。彼女が感じていた孤独は、こんなにも悲しく、冷たいものだったんだ。
‥ずっと、彼女は一人で苦しんでいたのか。
その時、俺は人生の転機を迎えている事に気が付いた。これからやろうとする事次第で、今後の人生が大きく左右される、そんな予感がした。それなのに、不思議と心は落ち着いていた。
唇をぐっと噛みしめ、覚悟を決めると、もう迷いはなかった。勇気を胸に最初の一歩を踏み出し、彼女の元へ足を進める。
「来ないでって言ってるでしょぉ‥、私に構わないで‥‥」
一歩一歩を踏みしめて、ついに辿りつくと、泣きじゃくる彼女を、俺は精一杯の愛情を込めて抱きしめた。照れるとか恥ずかしいとかなんて気持ちはなく、強く、強く抱きしめた。そして、凍り付いたかのように身をすくめる彼女に、誓いを込めて囁いた。
「俺がずっとそばにいるよ」
腕の中で、彼女がびくんと震える。
「君を一人にはしない。だから、もう一人で泣かないで‥」
身を強張らせていた彼女から、力が抜けていく。そして、俺の胸に顔を押しつけるとぎゅっとシャツを握ってきた。
それから、彼女は泣きだした。
「‥うわあぁぁん‥」
それこそ子供が泣くように、大声を上げて泣き出した。でも、それはさっきまでの悲痛なものではなく、安心して泣いているような声だった。うち震える彼女を優しく抱きしめると、不意に涙が込み上げてきた。
ああ、人を愛するって、こういうことだったんだな。何かを求めるのでなく、与えるのでもなく、ただ彼女の幸せだけを願う。その純粋たる思いは何よりも強い。
胸の中が熱い思いで満たされ、この手に抱きしめた大切な存在が、俺の全てに思えてくる。
見上げれば、どこまでも澄み切った青空が広がっており、無限の広がりをみせている。未来の可能性はこの空の様に、どこまでも広がってるんだ。だから、俺はいつまでもこの気持ちを忘れないでいよう。心の中で固く誓い、抱きしめる手に力を込めた。
★
それは、今まで心の奥底に押し込めていた感情が迸ってくるかのようだった。
「ああぁん、わああぁ‥」
今まで人前で泣いたことなんてなかったのに、どうしてこんなに泣けるのか自分でも不思議だった。冷静で合理的な人間になろうとして、表に出してこなかった思いが涙と一緒にとめどなく溢れだし、感情の赴くままに泣いていた。
なのに、心はかつてない程満たされていた。嬉しさと喜びで溢れ、安らぎにも満ちていた。
-そっか、私が求めていたのはこういうものだったのね。
冬也君の抱擁は力強い愛情と、限りない優しさがこもっていた。彼の温もりが私の心を幸せで満たし、安らぎをもたらせてくれる。
‥きっと、これが幸せなんだわ。そう、私はついに見つけたのね
誰かに愛されると言う喜び。それは無条件に心を開き、自分の全てをさらけ出せる信頼関係。
‥もう、私は孤独じゃないんだ。一人ぼっちで生きてくのはやめ、これからは彼と共に歩んでいこう。
感動で胸がいっぱいになり、論理的な事は何も考えられなくなっていた。ただ、私に惜しみない愛情を与えてくれる冬也君に、感謝の気持ちを伝えたかった。
涙でぼろぼろの顔を胸から放し、冬也君に微笑みかける。優しい瞳が応えてくれて、心が通じ合うのが分かる。そして私は精一杯の愛情を込めて、彼と唇を重ね合わせた。全ての思いが、キスで伝わることに願いを込めて。
大好きよ、冬也君ー
それは、私の新しい生き方の始まりとなった。
「小説家になろう」初投稿の作品をご愛読いただきありがとうございま~す(。-_-。)ポッ
このお話は自分へのご褒美のつもりで、好きな風に書いてみました♪冬也&小夜子のストーリーは気に入ってるので、機会(時間!?)があれば、今後の二人のお話をまた書くかも、です。
評価や感想を頂けると、と~っても嬉しいのでお願いします(*⌒∇⌒*)テヘ♪
nameless権兵衛 兵藤詩織