表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

第五章 俺の偽善と彼女の欺瞞

 ーカッ!

 それは打った瞬間、入るとわかるショットだった。

 ボールは絶妙な角度でクッションを跳ねると、そのまま滑るように勝利のコースをたどり、的玉へと襲いかかる。

 コツ‥

 力加減も完璧だ。小気味良い音を立てて9ボールはポケットへと吸い込まれ、勝敗を決した。

 「きゃ~、やった~!」

 余程嬉しかったのか、勝利を決めた小夜子さんは、飛び上って喜んでいる。わりと難しい配置だったのだが、今のは見事に決めた彼女の腕を褒めるしかないな。敗北を喫した俺は、大きく息をついて、称賛の拍手を送った。

 やれやれ、負けてしまったか。これで戦績は‥

 「やっと勝ったわよ、冬也クン、これで一勝十五敗だからね!」

 そうか、もう十六戦もやっていたんだな。たしかCAROLのビリヤード場に来たのが五時頃だったから、途中、フードコートで軽めの夕食をとった時間を別にしても、三時間近く経つのか。

 見るからに浮かれていた小夜子さんだが、急に怪訝な表情を浮かべると、詰め寄るように顔を近づけてくる。

 「ねぇ、冬也クン、ちょ~っと聞いておくけど、まさか今の、手を抜いてないわよね?」

 「大丈夫、俺の名誉にかけて誓うが、それはない。今のは紛れもなく小夜子さんの勝利だよ」

 顔を寄せられてドキドキしながらも、そこはきっぱりと返事をする。すると彼女は得意気な笑みを浮かべて、子供の様にはしゃいでみせる。日頃からは想像もつかない姿だけに、ちょっと面喰ってしまうが、自然と笑みがこぼれてくる。

 実際、彼女はうまかった。ビリヤードなら少しやったことあるわ、なんて言うから、てっきり素人レベルと思っていたが、とんでもない謙遜だ。打つ時の姿勢やショットの練度を見る限り、相当やりこんでいることが窺える。

 が、そうは言っても俺の敵には程遠かった。

 自慢じゃないが、ことビリヤードに関して、俺に叶う奴はそうはいない。それと言うのも、藤谷家が家族ぐるみでこの遊戯に取り組んできたからだ。何しろ両親の馴れ初めがビリヤード場での出会いから始まり、結婚後も夫婦そろって玉撞きに出かけるのは、我が家にとって日常茶飯事。俺も子供の時分から随分一緒に連れて行かれたものだ。確か初めて大人用の台でキューを握ったのは、小学二年の時だったか。当時は身長が足りなくて、踏み台に乗ってブレイクショットを放った記憶がある。

 母さんも認める親父の数少ない取り柄は、動物に詳しい事とビリヤードがうまい事。大学時代には撞球部の部長を務め、学生大会でも優勝経験があり、プロ相手にも勝った事があるらしい。まぁ、どこまで本当か知らないが、埃まみれのトロフィーが飾ってあるから優勝の話は本当だろう。

 その親父から手ほどきを受け、俺もめきめきと腕を上げ、今では三度に二度は親父との勝負にも勝つようになった。セミプロ並みの腕はあると言われたが、別にプロになりたいわけではなかったし、高校に入って勉強が忙しくなってからは、足が遠のいていたというのが現状だ。

 それより、驚いたのは小夜子さんがこんなに負けず嫌いだったと言うことだ。今にして思えばゲームを始める前に、ちょっと格好良い所を見せようと、トリックショットを披露したのが失敗だった。手前の球をジャンプショットで飛び越して、二つのボールを同時に落とすと言う、それほど難度の高くない技だったんだが、それを見た彼女は俄然ファイトを燃やし、ナインボールで勝負することになった。

 最初は花を持たせようと少し手加減していたんだが、気付いた彼女は怒りだし、本気での勝負を求めてきた。だが、勝敗にかかわらず、ブレイクショットは小夜子さんから打つと言う特別ルールを受け入れたのは、それ以降の三ゲームを、俺がパーフェクトで終わらせてしまったからだ。

 それにしても今日のゲームは疲れる内容だった。勝負そのものより、色々気が散ると何と言うか‥

 考えてみれば、今までほとんど家族を相手にやってきて、こんな美人とゲームをしたことなんてなかったからな。こう、前かがみになったり、お尻を突き出した格好を見てると、いけない想像をしてしまい、何とも集中力が削がれてしまう。普段ならありえないミスをしたのもそのせいなんだが、そこは言い訳を言うまい。

 「さぁ、今度は冬也クンがブレイクショットを打つ番よ。次も勝つからね」

 意気揚々の小夜子さんはまだまだ勝負を続けるつもりのようだが、時間を気にしてはないようだ。彼女が示した門限はもう間近に迫っており、俺はポケットからスマホを取り出すと、時刻表示を見せる。

 「残念だけど、もう時間だよ。ほら、そろそろ出ないと電車に間に合わなくなっちゃう」

 息巻いていた彼女の顔に、虚をつかれたような驚きが広がる。それはみるみる落胆へと変わっていき、今度は俺を驚かせることとなった。


 ‥もうっ、何よ、あんなに強いなんて聞いてないわ!

 CAROLから外に出ると、辺りはもう真っ暗になっていた。どうやら思っていた以上にビリヤードに熱中していたみたいね。でも、久しぶりの息抜きは本当に楽しくって、まだまだ遊び足りないくらいだわ。だから、冬也君と一緒に駅へと向かいながら、私は心の中で憤っていた。

 ‥まったく、自分じゃ結構うまい方だと思っていたのに、格の違いを見せつけられただけじゃない。あんなに強いなんて反則よ。

 ゲームは終わったのに、気分はちっとも冷めやらず、なんだかだんだん腹が立ってきた。隣を歩く冬也君は押し黙ったままなので、心の中の独り言は次第に熱を帯びていく。

 ‥そうよ、大体ビリヤードするって知ってたら、こんなヒールの高いパンプスなんて履いてこなかったわ。見てなさいよ、次やる時は‥

 ‥‥えっ!?

 カッカ来ていた頭の中に、急に水でもかけられたような驚きが走る。

 ‥次‥って何よ。このデートが終わったら、冬也君の事こっぴどく振ってやるんじゃなかったの?

 どうして忘れていたのかしら。これって本当のデートじゃないのよ。

 ‥そうよね、このデートって、罰ゲームで誘われたのよね。馬鹿ね、私ったら、何浮かれてんのよ。

 昂ぶっていた感情が冷えていき、面白くない気分が込み上げてくる。とは言え、楽しかった気持ちがなくなるわけでもなく心が揺れ動く。

 ‥‥だって、今日は本当に楽しかったんだもん。

 初めはからかうだけのつもりだったけど、冬也君、ずっと優しかった。水族館では色んな所案内してくれたし、ビリヤードだって本気で相手してくれた。こんなに楽しかったのって、ここしばらくなかったわ。

 ‥でも、明日から学校へ行く時は、またいつもの地味な格好で、誰ともしゃべらず勉強だけやって過ごすのよね?

 ドクンドクンと不安で心臓が締め付けられるよう。今日一日だけ羽を伸ばすつもりが、何だかとんでもない間違いを犯した気分。自分の感情を制御できなくて、焦りにも似た気持ちが込み上げてくる。

 ‥だったら、このまま帰っちゃえばいいじゃない。

 胸に抱えたぬいぐるみを抱く手に力がこもる。

 ‥だって、今日楽しかったのは冬也君のおかげだよ。そんな彼をわざわざ傷つけるなんてできないよ。このまま、何も気付かなかったふりして帰っちゃえばいいじゃない。そしたらまた、一緒に‥

 不意に、隣を歩く冬也君が足を止めたので、私は少し先を行ってしまう。いつの間にか駅近くの公園まで来ており、辺りは静寂に包まれていた。街灯の下に佇む彼は何だか思いつめた顔をしている。ただならぬ雰囲気を感じ取り、私はちょっとだけ怖くなった。

 「小夜子さん‥」

 今日初めて聞く、男性を感じさせる低い声。ドキドキと鼓動が高鳴り、身じろぎ一つできなくなっちゃう。

 「‥俺、君が好きだ」

 ドクンー

 心臓が、せつない苦しみを訴えた。

 

 思わず口をついて出た言葉に、俺自身驚いていた。でも、口にした事を後悔するつもりはなかった。

 今日一日、彼女の見せてくれた色んな表情。優しく微笑む彼女、ペンギンを見て大はしゃぎする彼女、ゲームに負けて熱くなる彼女‥。最初は緊張していっぱいいっぱいだったけど、今は彼女の全てが愛しく思える。

 だけど、このまま別れてしまったら、それが幻の様に消えてしまいそうで怖かった。明日、学校で出会ったら、今日の事が嘘だったみたいに、いつもの無愛想な彼女に戻っていそうで怖かった。まるでお伽話のシンデレラの様に、今宵一晩限りで魔法が切れて、二度と今日の彼女に出会えなくなる。そんな気がしてならなかった。

 これで終わりにしたくない、そう思ったら、自然と言葉が口をついて出ていた。

 ‥ははっ、デートに誘った時は、あんなに緊張したのにな。

 そう思いながらも、何だか妙に清々しい気分を感じていた。駄目かもしれない、でも言わずに後悔したくはなかった。

 しかし、彼女から返ってきたのは、告白の諾否ではなく、質問だった。

 「‥‥ねぇ、冬也クン。それも罰ゲームで言ってるの?」

 心が凍りつくような衝撃に、俺は時間が止まったような錯覚を覚えた。

 みるみる青ざめていく冬也君を見るのは辛かった。だけど、口にした私も同じようにショックを受けていた。どうしよう、こんな事言うつもりじゃなかったのに‥

 ‥でも、聞かずにはいられなかった。そんなことないってわかっていたけど、それでも聞かずにはいられなかった。

 「‥‥知って‥たんだ‥」

 表情をなくした冬也君は、愕然とした表情で立ち尽くしている。自分の言葉が想像以上に彼を傷つけてしまったとわかり、堪らなく悲しくなってきた。

 「‥‥うん、そうだよな、俺、あいつらとのじゃんけんに負けて君を誘ったんだよな」

 ほとんど呟くような声が、彼のショックの深さを物語っている。胸が潰れそうな思いに、私は足が震えてくるのを覚える。

 「だけど‥今日デートをしていた時、そんなこと関係なかった。‥‥でも、ごめん、俺にこんな事言う資格ないよな‥」 

 うろたえて後ずさりする彼はなんだか泣きそうで、居たたまれなさを物語っている。このまま、彼がどこかへ行ってしまいそうで、堪らなく不安な気持ちに苛まれる。

 ‥違う、違うの!

 そう言いたかったのに、言葉が出ない。気持ちが昂ぶりすぎて、私の思いは言葉にならなかった。引き留めようとするも、心の中の声は言葉にならず、どうしても喉から出てこない。

 「‥ごめん、さよなら!」

 ついに彼は背中を向けて走り出した。そのまま街灯の光も届かぬ闇の中へ消えていき、残された私は追いかけることもできず、ただ惨めな気持ちのまま一人取り残された。悔恨の念に捕われるも、今の私は恐ろしく無力だった。

 ‥どうしよう、私、取り返しのつかないことしちゃった‥


 ‥ハァッ、ハァッ、ハァッ、‥

 何も考えず、俺は夜の町を力の限り走っていた。

 どこをどう進んだかわからないまま、とにかく息の続く限り走り続けた。

 大きな声で叫び出したい気分だった。このまま走り続けていたら本当にそうしていただろう。だが、心臓が張り裂けそうになるほど苦しくなって、ついにどこかの自販機の前でへたりこんでしまった。

 ‥ぜぇ‥ぜぇ‥ふぅ、ふぅ~‥

 これ以上なく息が上がっており、静かに唸る自販機を背に座り込む。澄み切った夜空を見上げれば、銀色の月が煌々と輝いていた。

 息が落ち着くまでのしばらくは、何も考えずにいられた。だが徐々に、別れ際に見せた彼女の泣き出しそうな顔が浮かんでくる。

 ‥俺は、‥ひどいことしたんだな。

 そう思うと改めて罪悪感が込み上げてくる。俺は‥彼女を傷つけたんだ。この罪の烙印は容易なことでは消えはすまい。

 ‥そうだ、デートに誘ったのは俺の意思じゃない。彼女の言うように、王様じゃんけんの罰ゲームで誘ったんだ。何で今まで考えなかったんだろう。その上、告白するなどおこがましいにも程がある。今更言っても後の祭りだが、そう思わずにはいられなかった。

 ‥でも、知ってたんなら、何で小夜子さんはデートに来たんだ。もしかして、最初から俺をからかうつもりだったのか?

 その考えにはぎょっとさせられる。じゃあ、今日の彼女の行動は全て演技だったのか?

 ‥いや、違う。そんなことはない。だが、たとえそうだったとしても、俺に彼女を責める資格なんかないよな。

 息が落ち着くにつれ、次第に焦りとももどかしさともつかぬ感情が込み上げてくる。行き場のない気持ちが出口を求めて、心の中で暴れ回っているようだった。

 ‥そりゃ俺だって、人並みに彼女が欲しいとか女の子とエッチしたいとか、そういう願望はあったさ。でも小夜子さんに告白したのは、そんなんじゃない。ただ、彼女が皆と仲良くなって、いつも今日みたいに楽しそうにしてほしい。あの笑顔をもっと見ていたい、そう思っただけなんだ。

 だけど、これは偽善じゃないのか?少なくとも、最初は驚かせて笑いものにするつもりだったんだろ。そんな俺が、彼女に好きだなんて言う資格があるのか?

 ‥振られて当然だ、自業自得なのはわかっている。でも、俺のこの気持ちは一体どこへ行けばいいんだ。

 残念ながらそれに対する答えは、何一つ思い浮かんでこなかった。この胸にわだかまる葛藤は、きっと俺への罰なんだろうな。

 気分はどん底で、泣き出したくなるような失意の中、俺は立ち上がることもできず、ただ夜空に浮かぶ冷たい月を眺めるだけだった。


 ‥眠れない。

 何度目かの寝がえりの後、私は諦めてベッドから身を起こした。

 カーテンを開くと、燦然と銀の光を降り注ぐ、美しい月が夜空に浮かんでいた。そんな情緒的な景色も、今の心を慰めるには役不足だった。

 あれからどうやって家まで帰りついたか覚えてない。ただ服を脱いで、ベッドに潜り込んだのはおぼろげながら記憶にある。それから全然寝つけないまま、時間だけが過ぎて行った。だからなのか、とりとめのないことばかり浮かんでくる。

 私は何を望んでいたんだろう。これまでの人生を思い返し、その答えを見つけようとする。

 ‥ずっと、私は一人だった。誰かに心を開くことを恐れていた。友達はたくさんいたけれど、どこか一線を画しており、心はいつも孤独だった。本当に友達と思えたのは、同じように家庭のコンプレックスを抱えていたケイだけ。

 でも、本当は愛が欲しかった。誰かに大切にされたいと思ってた。だから中学時代には色んな男の子と付き合ってみた。ところが世間から見れば私はお金持ちのお嬢様で、言い寄る男の子は何らかの下心を持つ子ばかり。皆私の気を惹こうとするだけで、愛してはくれなかった。結局、求めているものが得られないのに腹を立て、家を飛び出し、孤独に生きる道を選んだのよ。

 ‥結婚願望は、もともとなかったと思う。両親の冷え切った関係を見て育ったせいで、結婚が自分を幸せにしてくれるなんて、どうしても思えなかった。だから将来は一人で生きていこうと、がむしゃらに勉強に励んだ。でも、それは人との信頼関係を築こうとせず、ただ逃げていただけだったのね。

 冬也君の傷ついた顔が脳裏をよぎると、胸が潰れそうな思いに捉われる。

 ‥私はなんて傲慢だったんだろう。

 ‥冬也君は私に優しくしてくれた。一緒にいて楽しかった。それなのに‥ひどい仕打ちをして傷つけてしまった。そもそも私は、一体何様のつもりでいたのかしら。

 確かに罰ゲームでデートに誘うなんてひどいわ。でも、それを知ってて、からかうためにデートするなんて、もっとひどい事じゃない。私に彼を責める資格なんてなかったのよ。

 彼は、今まで付き合ってきたボーイフレンド達の様に、私に何も求めてこなかった。きっかけこそ不純だったかもしれないけど、冬也君は優しさを‥、‥愛を与えてくれたのだと思う。

 ‥何なの、この気持ち。

 苦しくなるほど胸がせつないのに、どうしたらいいのかわかんない。ただ、冬也君に謝りたい。例え許されなくても、ごめんねって言いたい。

 ‥でも、明日学校へ行くのが怖い。一体どんな顔して冬也君に逢えばいいの。

 膝を抱えて頭を埋め、悲嘆にくれるも何の解決にもならなかった。感情が胸の中に溢れだし、感じた事のない痛みが心を穿つ。いっそ泣いてしまえればよかったのに、悲しい気持ちが込み上げてくるだけで、涙は出てこなかった。

 ‥ひどい女ね、私って。こんなに悲しいのに、涙の一つも出ないなんて。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ