第三章 将来のこと、考えてる?
☆
おぉ‥
見慣れたはずの町並みが、いつもと全然違って見える。
一体、今の心境をどう表せばいいだろう。この嬉しい様な恥ずかしい様な、それでいて居心地が良い様な悪い様な‥
とにかく彼女が腕を組んできてからと言うもの、俺は天にも昇る様な気持ちで往来の中を歩いていた。
二の腕に当たる柔らかな感触が、じわじわと理性を狂わせる。服越しとはいえ、女の子の胸は温かくてふにっとしてて、なんて言うかものすごく気持ちいい。おかげでこの上なく浮ついた気分となり、地に足がついてない感じだ。もし背中に羽があれば、天国へだって飛んで行けそうだ。
思えば女の子と町の中を歩くなんて、今までなかった‥、こともないな。そう言えば桃井と一度だけあったっけ。
桃井香奈子は、幼稚園のさくら組から今に至るまで、ずっと同じクラスと言う筋金入りの腐れ縁。実は初恋の女の子でもあるんだが、彼女は高校に上がってから部活の先輩と付き合いだして、告白もしないうちに振られてしまった相手でもある。
確か中二の時だったか。皆で文化祭の買い出しに行く時、どういうわけだか一緒に行くはずだったメンバーが全員来れなくなって、二人で出かけた事があったんだ。あの時は相手が馴染みの相手だと言うこともあって、普通におしゃべり出来たんだが、今回はまるで勝手が違う。
大体俺だって男だぞ。こんな美人に密着されて、冷静でいられるはずがない。
‥はずはないんだが、それで彼女をどうこうしようと言う勇気もない。そりゃ触ってみたいとか抱きしめたいって衝動はあるけれど、もしそんなことして嫌われでもしたら、どうすればいいんだ?何より彼女はクラスメイト。明日から学校でどんな顔していいかわかんねえよ。
それにすれ違う人の多くが、俺達に目を向けていく。もっとも注目を集めているのは小夜子さんの方で、男女を問わず、好奇とも感嘆ともつかぬ視線が注がれている。そして俺はと言うと、主に男性から羨望とも嫉妬ともつかぬ視線を向けられているが、その大半の目には、不釣り合いなカップルと映っていることだろう。
結局のぼせあがったままの俺は、一言も気の利いたことを言えないまま、バスが来るのを待つだけだった。
定刻通りにやってきたバスは、前の方に何人かの乗客が座っているだけで、わりと空いていた。ガラガラの後部座席に二人して腰を据えると、ようやくと言うべきか残念ながらと言うべきか、柔らかな誘惑から解放された。
「ねぇ、冬也クンの妹さんってどんな子、可愛いの?」
「えっ、いや、、本人はマシュマロ女子なんて言ってるけど、お菓子ばっかり食べてるデブだよ」
「あっ、ひどいんだ、そんな言い方しちゃ駄目よ」
喫茶店での続きとばかりに会話が再開されるが、それにしても今日の彼女は饒舌だ。いつも教室の片隅で、ぽつんと本を読んでいる姿が嘘の様に思えてくる。彼女の出す色んな話題に受け答えしながらも、どうしても感じずにはいられない疑問があった。
何で学校での彼女は、人を遠ざける様な態度をとるんだろう。対人関係が苦手なのかと思えば、こんなにフレンドリーな態度も取れるし、話だって上手だ。お洒落にも興味なしかと思いきや、クラスの誰より綺麗だし、すごくもったいない。
‥ひょっとして、小夜子さんは以前から俺に気があったのだろうか。そうでなければデートに応じてくれるはずもないし、こんなお洒落してくることもないだろう。だからこんな一面を俺にだけ見せてくれるのかな。あれ、俺ってもしかしてモテてる?全然そんな風に感じたことなかったけど、そう考えるとなんだか嬉しくなってきたぞ。
「そう言えば、冬也クンって、大学どこ狙ってるの?」
「大学!?う~ん、そりゃ出来るだけいい所に行きたいけど、とりあえず関東方面で、早稲田、慶応、修学館あたりかな」
「なんだか有名どころばかりね、‥あっ、ネームバリューで選んでるんでしょ」
「まぁ、そこは否定しないよ。だって俺テレビ局で仕事したいから、人脈とか広げたいし‥」
「テレビ局!?」
驚いたような口ぶりに、俺はちょっと浮かれ過ぎていたことを知った。しまったな、あまり人に話した事なかったんだが、うっかり口を滑らせてしまった。
「へぇ、意外ね。冬也クンって芸能界とかに興味あるんだ」
「ははっ、そんなんじゃないよ。実はうち、親父がテレビ局のディレクターでさ。と言っても地方局だけど、子供の頃から親父の作る番組見て育ったから、興味はわりとあったんだよ」
「ふ~ん、そうなんだ」
「で、ちょくちょくADのバイトに駆りだされて、現場を見てると、ああ、こんな仕事につけたら面白いかな、なんて思ってきたんだよね。‥って、ごめん、こんな話つまんないかな」
「ううん、そんなことないよ」
あれ、意外そうな顔してるけど、本当に興味がありそう。なかなか人と出来る話じゃないから、聞いてくれるだけでも嬉しいな。
★
家族の話とか将来の事とか、さも相手に興味ありそうな話題を並べただけなのに、思わぬ話が出てきてちょっとびっくり。ふ~ん、ちゃんと将来のこと考えてるんだ。
「でもテレビ局の仕事って忙しいんじゃないの。ちょっと大変そうね」
「ちょっとどころか、死ぬほどハードな時もあるよ。まぁ、地方はそこまでひどくはないんだけど、東京とかじゃADがバンバン辞めてって、全然人手が足りないらしいね」
「そんなハードな仕事なのにやりたいの?」
「あ~、うん、まぁ大変な半面やりがいもあってさ。なんかチームで一つの番組作るのって楽しいんだよね。自分達の作った番組が、お茶の間に幸せな一時を届けてるんだ‥ってね」
あっ‥
‥やだな、ちょっとカッコイイかも。
どちらかと言うと童顔で可愛い感じだった冬也君が、今日初めて男らしく見える。不覚にも、爽やかな笑顔にドキッとしてしまった。
でも冬也君って、本当楽しそうに笑うのね。夢の話をしてる時の男の子って皆こうなのかしら。頼りなさそうだし、腕組んだだけで顔真っ赤になっちゃうけど、やっぱり男の子なんだ。
‥って、何考えてんのよ。もうっ!こんな事でドキドキするようじゃあ、ケイに男作れば、なんて言われるのも当然だわ。
動揺を出すまいと慌てて質問を口にするけど、少し声が上擦ってしまう。
「あっ‥、で、でもテレビ局って入るの難しいんじゃないの?」
「そ~なんだよ、倍率三桁とか当たり前でさ。まぁ、地方局ならなんとか入れないかなって思ってるんだけど、無理かもしれないでしょ。だからなかなか人にも話せなくて、‥あっ、この話皆には内緒にしといてね」
にぶちんの冬也君は私の様子に気付いた様子もなし。内緒も何も、私、学校では人としゃべってないでしょ。
「それで、小夜子さんは、やっぱり東大狙ってんの?」
「えっ‥?」
‥あっ、そうよね。こう言う流れなら、当然聞かれる話よね。
「‥ええ、そうよ。私、第一志望は東大の文Ⅰ」
「へ~、凄いな~。‥で、それからは?」
「えっ!?」
二度も素っ頓狂な声を上げるなんて、私らしくもない。でも、それからって何?
「いや、東大行って何したいのかな~って‥」
何って、いい大学出れば、やりたい仕事を選べるでしょ。文Ⅰからなら法学部に進んで、末は弁護士とか裁判官とか‥
‥‥‥
でも、冬也君みたいに、何をやりたいって夢はないわ。そもそも私、何で東大に行きたかったのかしら。
‥そうだわ、両親の離婚が決まった時、自分で決めたのよ。結婚なんて、馬鹿げた幻想だと思い知ったあの日に。
社会的には父も母も成功を収めているけれど、家庭的には無残な失敗しかなかった。物心ついた頃には、既に二人の関係は冷え込んでおり、篠宮家はおよそ愛とは縁遠い環境だった。そして中学三年の冬、かりそめとも呼べぬ夫婦生活がついに終焉を迎えた時、私は独りで生きていこうと決めたのよ。
遊び暮れていた中学時代と決別するため東京を離れ、煩わしい人間関係も極力避け、地方の高校で一心に勉強に打ち込んだ。結婚して幸せになろうなんて、普通の女の子らしい夢想は抱かず、将来独りで生きていけるようになろうと必死だった。
だからかな。上ばっかり目指していて、自分が何をしたいかなんて、きちんと考えたことなかったわ。
「‥えっとね、まだ何って決めてはないけど、とりあえず法曹界を目指すつもりよ。そうね、弁護士なんて面白いかな」
「おぉ~、字は一緒なのに俺の目指す放送界とは全然別世界だ」
‥何それ、ジョークのつもり?くだらない。
笑ってあげるべきなんでしょうけど、私は曖昧な笑みを返すので精一杯。勉強だらけの生活で、ほんのちょっと初心な男の子をからかってやろうと出向いたデートなのに、なんだか負けた気分。こんな気持ちになるとは思ってもみなかったわ。
バスがどこかの停留所をアナウンスした後、降車ボタンを押した冬也君は、もうすぐ着く事を教えてくれる。愛想よく受け答えをしながらも、笑顔の仮面の裏で、私は無邪気に笑う彼をほんのちょっと疎ましく思っていた。
‥それはそうと、ここはどこかしら?
作中に登場する修学館は、架空の大学名です。