第一章 それはグーから始まった
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自慢じゃないが生まれてこの方、女の子をデートに誘ったことなど一度もない。ましてやそれが訳ありの、となれば尚更だ。
だが止むに止まれぬ事情から、俺は人生初となる、デートへのお誘いをすることとなった。
‥それも、振られるのが前提の。
キーンコーンカーンコーン‥
放課後を告げるチャイムが鳴り渡り、二年一組の教室は雑然とし始める。週末を迎え、ようやく連休に入れる安堵からクラスメイトの顔はどれも嬉しげで、足早に教室を去る者が多い。いつもなら俺もその内の一人となるのだが、今日はそうもいかない事情があった。
人がいなくなるにつれ緊張は高まり、ついに教室に残るのは俺と彼女だけになる。もっとも、戸口からこっそり覗く三人組を別にすればの話だが。
問題の彼女は、教室の片隅で読書に耽っていた。そうでなくても話しかけづらい相手なのに、今では誰をも寄せ付けぬオーラを発しているように見える。心臓が飛び出しそうになると言う表現があるが、今体験しているのはまさにそれだ。緊張はもはや耐えがたいものとなり、俺は意を決して声をかけた。
「‥あの、篠宮さん」
突然のクラスメイトからの呼びかけに、彼女は本から顔を上げる。ダサい黒縁眼鏡の向こうから、冷淡な瞳が俺を見据えていた。
「‥何、藤谷君?」
「え~と、その‥」
抑揚のない声で応じられ、言おうと思っていたセリフが出てこなくなる。なんとか言葉を紡ぎだそうとするが、心の中では焦りまくっていた。
‥うっわ~、心臓バクバク言ってる。
‥やばいな~、きっと顔真っ赤だろうな。
‥あ~、くそ、なんだって俺がこんな目に。
おりしも五月の穏やかな風が窓辺から吹きこみ、教室に爽やかな空気をもたらすが、感情の浮かばない彼女の表情は、言い淀む俺を責めてるように見えた。
‥頑張れ、俺!勇気を出して言っちまえ!
「あ、明日~、‥俺とデートに行きませんか!」
‥くあぁ~、言っちまった~!
すっごい恥ずかしさと戦いながら、俺は拳を握りしめる。ちくしょ~、全てはこのグーが悪いんだ、グーが‥
事の発端は数時間前に遡る。
昼休みも終わりかけの頃、いつものメンツとだべっている内に、恒例の「王様じゃんけん」が持ちかけられた。
王様じゃんけんとは、一度もじゃんけんに負けなかった王様が、一度も勝てなかった奴隷に命令を下せると言う仲間内の遊びで、普段は肩を揉めとかジュースの買い出しに行けなど雑用が命じられる。暗黙の了解のうちに、金のかかる行為や他人に迷惑をかける行為は禁じられてきたが、最近はちょっと飽きが来たので、新ルールが追加された。それが、十戦ごとにいつもより強い命令が出せる皇帝ルール。ちなみに前回皇帝だった俺は、面倒な古文の宿題をやらせて随分楽をした覚えがある。
だが運命のじゃんけんで、満を持して出した俺のグーは三つのパーの前に敗れ去り、栄枯盛衰、哀れな奴隷へと転落したのであった。その後、皇帝を決めるじゃんけんは八回戦までかかったと言うのに‥
「よっしゃあ、皇帝!」
‥声がでけえよ、野球部め。どうやら接戦を制したのは、言い出しっぺの葛西のようだ。
「くっそ~、せっかくトーヤが奴隷なのに‥」
‥前回宿題させたことを根に持ってやがったな。葛西と同じく中学からの付き合いの桐生が悔しがる。
「さぁ皇帝殿、哀れな奴隷めにお下知を」
‥他人事だと思って、無責任な野次を入れるのが、小学校からの付き合いの椎名である。
趣味も部活もバラバラな俺達だが、妙にウマの合うところがあって、親友と言ってもいい連中はこいつらだけだ。それなりに付き合いも長く、喧嘩も仲直りもしたことがあって、何をするにも遠慮がない。
仕方ない、遊びとは言えルールはルールだ。今回は貧乏くじを引くとしよう。と、半ば覚悟を決めていたのだが、小声で出す「皇帝」葛西の命令は、思わず声を張り上げるほど突拍子もないものだった。
「馬鹿野郎、できるかそんなこと!」
慌てて反論するが、後の二人は、面白そうだからという理由で皇帝を支持する。
‥そう、篠宮さんをデートに誘え、と言うとんでもない命令を。
篠宮さんと言えば、俺の中ではとっつきの悪い優等生である。彼女はこの県下トップレベルの進学校、夜紫乃高校において不動の首席保持者。全国模試での成績も上位をキープしており、その学力は十分東大を狙えるレベルだ。しかしクラスの中での彼女は浮いた存在だ。その理由はまず人付き合いの悪さにある。
クールと言えば聞こえもいいが、普段の彼女は無口で無愛想。誰が話しかけても冷めた対応が返ってくるだけで、笑ったり怒ったりしてるところは見たことがない。彼女自身も友達を作る気はないのか、休み時間はいつも一人で予習をしているか本を読んでいるかのどちらかで、人を寄せ付けようとしない。その上、高校に上がってきた頃こちらに引っ越してきた転校生で、中学からの友達もおらず、今では誰も近づかない孤立した存在となっている。
加えて女の子らしいお洒落っ気が全くと言っていいほどない。女子力が低いと言えばそこまでだが、例えば可愛いアクセサリーを身につけるとか、スカートの丈を短くするとか、そういう女の子らしいものが一切ない。髪はいつも無造作に束ねているだけで、制服も校則通りでかえって目立つくらいだ。そして何より極め付けなのが、センスのかけらもない黒縁眼鏡。同じく眼鏡をかけている桐生が「あれはあり得ねえ」と言うのも同感で、あんなのをわざわざかけようなど、美的センスが狂っているとしか思えない。まさに天は二物を与えず、である。
そんな彼女に葛西が声をかけたのは、下心あってのこと。ただしそれは篠宮さんにではなく、彼女をクラスに馴染ませようと涙ぐましい努力をする、クラス委員の梅原さんに良いところを見せたいがためであった。
しかし、彼女の関心を惹こうと葛西が披露したユーモアは、鉄壁の無関心の前でむなしく砕け散り、クラス中の失笑を買ったのはつい先日のこと。絶対笑わせる自信がある、と豪語していただけに、哀れなピエロよろしく、見てて同情を誘うものがあった。
デートに誘うのはその意趣返しと言わんばかりだが、問題はそれをするのが俺だと言う点にある。
「だってよ~、あいつの驚いた顔、見てみたいじゃん」
「なら自分でやりやがれ、俺に振るな!」
「駄目駄目、トーヤ、皇帝の命令は絶対だぞ、絶対!」
「そ~だそ~だ」
‥どいつもこいつも、好き勝手言いやがって。
しかし、最終的に俺は押し切られることとなった。なにしろ、この皇帝ルールを発案したのは、他ならぬ俺だったからだ。
もちろん断られるのは覚悟の上だが、どういう反応が返ってくるかはわからなかった。冷たくあしらわれるか、それとも怒って拒否されるか。さすがに黙って無視されるのだけはやめて欲しいが、考えてみれば同じクラスになってから、彼女に話しかけるのは初めてのこと。いきなりしゃべったこともない男子からデートに誘われたら、びっくりくらいはするだろう。もしかしたら葛西の思惑通り少しは動揺するかなとも思ったが、能面の様な彼女の顔には何の感情も浮かんでこなかった。
「藤谷君」
「は、はい!」
「‥私、土曜日は用事があるの」
うぉっと~、そう来ましたか!
‥なるほど、うまい断り方だ。いや、それにしても顔色一つ変えず言われると、さすがにショックだな。クソ、葛西め、覚えてろよ。
‥あ~、それにしても恥かいた。よし、じゃここは、用事があるんじゃしょうがないね、と言ってさっさと退散するか‥
ところが、全く予想外の言葉が、俺を硬直させた。
「‥でも日曜なら空いてるわよ」
「‥へっ!?」
「日曜なら空いてる、と言ったんだけど、都合悪いかしら?」
「‥あ、いや、全然大丈夫‥です」
「じゃあ、そうね、‥十二時にCAROLの西口で待ちあわせましょうか?」
「‥‥‥あ、はい‥」
‥えっ、嘘、まじっすか?
耳を疑うとはこのことだ。今のはなんだ、幻聴か?それとも俺の都合の良い妄想なのか?
いやいや、そんなはずないよな。してみると、マジで今度の日曜日に、篠宮さんとデートするってことなのか?
困惑したまま突っ立っていると、今度は少し怪訝そうな声がかけられた。
「‥まだ、何かあるの?」
「い、いや、それだけ‥」
‥ははは、声が震えてるや。
「そう、じゃ日曜日にね」
それだけ言うと、彼女は用は済んだとばかりに、再び本の世界へ没頭する。
とてもデートの承諾を得たと言う雰囲気を感じられないまま、俺は狐につままれたような気分で教室を後にした。少し離れたところで三人組が結果を聞いてきたので、驚きの結果を教えてやったが、頭の中は日曜日のことでいっぱいだった。
★
「え~、何それ、サイッテー」
一部始終をケイに話すと、彼女は我が事の様に憤慨した様子を見せる。
「ほんっと、最低よね~」
気のない返事で同意を示しつつ、私はくるくるとフォークにパスタを絡ませる。
土曜日も夜八時を過ぎると、喫茶「ロベリアの台所」では空席が目立ってくる。何組かのお客さんがテーブルで珈琲とおしゃべりを楽しむ中、私はカウンター席で遅めの夕食をとっていた。
それにしてもケイの作ったペペロンチーノはおいしい。このニンニクの旨味とトウガラシの辛さ加減が絶妙で、何度か自分で作ってみたけど、なかなかこの味は出せないのよね。あ~あ、ケイの旦那さんになる人は幸せだわ。カウンターの向こうで珈琲を淹れる彼女を見て、そんなことを思う。
「要するに、小夜子は罰ゲームでデートに誘われたってわけ?」
「まぁ、そういうことになるわね‥」
昨日の放課後、真っ赤な顔でデートに誘ってきたクラスメイトを思い出し、笑いそうになる。まったく、男の子ってどうしてバカばっかりなのかしら。
「アホらしい、すっぽかしちゃいなよ、そんなの!」
「あら、せっかく誘ってくれたんだから行くわよ。もちろん、ちゃんとおめかししてね」
「‥何、その子カッコイイの?」
「ん~‥、ルックスは六十点。どちらかと言うと可愛いって感じかな」
私の前に珈琲を置きながら、ケイは怪訝な顔を向ける。
「そもそもあんた、学校でハブられてるって言ってなかった?」
「そうよ、だからいきなり誘われて、こっちもびっくりよ」
そう、私は人付き合いを避けている。一応勉強に集中するためと言う名目はあるが、本当のところ、人間関係で面倒な思いをしたくないだけ。学校では徹底した無愛想を貫いたおかげで、今では私に話しかけてくる人も稀になった。でも時々孤独を感じることもあるから、こうして週に一度はケイのお店に夕食を食べにくる。
星野ケイは私の親友。本当の名前は綺羅凛って言うんだけど、彼女はこの本名を死ぬほど嫌っている。だから、イニシャルからケイってあだ名をつけたら、ものすごく気にいられ、本当にこの名に改名すると言いだした。すっかり名付け親となってしまった私は、ケイとは名前で呼び合う仲となり、その友情は高校が別々になった今も続いている。
改名裁判で改名が認められるまで帰らない、と言って家を飛び出した彼女は、高校進学と同時に喫茶店を経営する叔父のもとに転がり込み、現在学業の傍ら、休みの日は家賃代わりに仕事の手伝いをしている。
かくいう私も、家庭内でトラブルを抱えている点はケイと一緒。もっとも私の場合は両親の離婚を機に、親元からも地元からも離れ、一人暮らしを始めたのだけど。
「まぁ、小夜子も人間嫌いをやめて、本当に彼氏でも作れば?」
「お生憎様、男作る気なんてないわよ」
「じゃあ、なんでデートにOKしたのよ?」
もっともな質問ね。私は食後の珈琲をすすりながら、その香りと苦みを楽しむ。そう、今度のデートも珈琲と同じ。おいしいけれど苦みを伴うの。
「‥ちょっとからかってやるだけよ」
「‥はぁ!?」
「だって、失礼な話でしょ?だから恋人ごっこを一日演じて、う~んと楽しんで、最後にビシッと振っちゃうのよ」
呆れたようにケイは肩をすくめてみせる。何よ、女の子の気持ちを弄ぼうとしたのよ、当然の報いじゃない。
「でも、その割に嬉しそうな顔してる」
「まぁね~、だってデートなんて中学の時以来ですもの」
‥そうね、久々に素の自分を出して、楽しんじゃおうかな。
‥もちろん、デートが終わったら、いつもの私に戻るつもりだけど。
‥うん、確かにちょっと浮かれてるかも。
「ところでケイ、ひとつお願いがあるんだけど‥」
隣の席に腰掛けてくるケイに、私は表通りに面した窓を指す。
「実は待ち合わせ場所、そこなのよ」
通りの向かいには、染井市最大のショッピングセンタ-CAROLがそびえ立ち、ここからだと西口が良く見える。待ち合わせ場所にここを選んだのは、遊ぶ場所がいっぱいある繁華街だからと言うのもあるけど、予想される事態を想定して、ちょっとした保険をかけるためでもあった。
このデートが気に入らないのか、ケイは何だか不満げな表情を浮かべている。
「別にいいけどさ~、本当にからかうだけでしょうね、案外ミイラ取りがミイラになるかもしれないよ」
「何言ってるのよ、思いっきり初心そうな子よ。多分デート自体初めてじゃないかしら?」
「はいはい、どうだか」
明日の段取りを説明すると、なんだか気乗りしない様子だけど、それでも彼女は協力してくれることになった。
‥それにしても、ケイったら心配症ね。私があの子と付き合う?
‥馬鹿ね、そんなわけないじゃない。
「ところで、その子なんて名前なの?」
「うん、名前はね‥」