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前編




 窓ガラス代わりに垂らした布をまくると、まばゆく輝くオレンジ色と日陰の闇の強いコントラストが目に飛び込んできた。初秋の夕暮れの風は未だ熱気を失わず、ビルの中に吹き込んでくる。目を凝らすと、黒い粒のような小鳥が、何もない空を一直線に横切ってゆくところだった。


 夕日に照らされて輝く外の景色をぼんやり眺めながら、五十鈴は、ふう、とため息をついた。

 迷いなく空を切り裂いてゆく小鳥が、なんとなくうらやましくなったのだ。

 その小さな体にしてはすさまじいスピードで、まっすぐ前だけを見て飛び去ってゆく。

 比べて自分はなぁ、とちょっと悲しくなる。


 五十鈴は決して引っ込み思案でもなければ悲観的でもない。どちらかといえばさっぱりしていて、あまりくよくよ悩まない方だ。

 しかし、いざという時の実行力や決断力は年下の友人であるミノリの方が上だろうな、という確信がある。

 特に、こういう局面で彼女が悩むことは決してないだろう。


 五十鈴はくるりと振り返り、自分を悩ませているものをもう一度眺めた。

 ドアに乱暴に貼り付けられた一枚の紙。


 そこには、「仕事中!立入禁止!」とでかでかと書かれている。


 わざわざ血のように赤いインクで、毛筆ででかでかと。しかも相当焦っていたのか、ほとんど殴り書きであるところに無言の圧力を感じる。


 それは、五十鈴の所属するギルド〈記録の地平線〉の若きギルドマスター、シロエの書斎に続くドアだった。

 〈円卓会議〉の顔役としてはクラスティやミチタカ、アイザックといった元々有名な大手ギルドのリーダーたちの名前が真っ先に思い浮かぶのが今のアキバの住民の一般的な認識だろう。しかし〈円卓会議〉の真の立役者であるシロエの名もまた、様々な称号と共に、知る人の間では大きく広まっている。

 アキバ一の情報通。手段を選ばぬ闇参謀。主従プレイ変態ロリコン眼鏡。アキバの影の支配者、などなど。口さがない人間の間では「腹ぐろ眼鏡」の名前以外にもこれだけ多様な呼び方がなされていることをシロエ本人は知っているだろうか。総じてあまり良い印象を与えない称号であることについては、あまり表に出たがらない本人の責任なのかもしれないが。


 もちろん、そのような噂の大半が恐らく妄想に過ぎないことは五十鈴も十分に承知している。直接話す機会こそほとんどないけれど、毎日のように食卓を一緒にしていれば少しは見えてくるものだ。彼がギルドのメンバーに向ける視線はいつも優しく、口調も穏やかで決して荒れることはない。


 しかし、五十鈴はかつて一度だけ「それ」を見たことがあった。

 あれはチョウシの町の防衛戦で、ルンデルハウスが死にかけた時だった。ミノリの救援に応えて突如現れたシロエは、その場にいた全員が全く思いつきもしなかったような前代未聞の手段で、誰もが諦めかけていたルンデルハウスの命を見事に救ったのだ。


 その時、五十鈴は、ただただシロエに圧倒されていた。彼が自分より年上だからでも、レベルが遥かに高いからでも、ベテランだからでもない。そこにいたのは、強い意志がそのまま形となったような存在だったからだ。半端な覚悟で迂闊に触れると心を折られるような恐ろしい迫力があった。


 家庭で、親戚で、近所で、学校で…五十鈴のこれまでの生活では出会ったことのない異質な存在に、五十鈴は頭から呑まれてしまったのだ。

 最初にあれを見てしまったあとでは、実は噂の方が本性で、普段見せる「普通の青年らしい」顔の方が、むしろ演技ではないのかとさえ思えてしまう。


 ルンデルハウスはそこに何か感じ入るものがあったのか、シロエのことを単なる命の恩人以上の存在として見ているらしい。

 その前から付き合いのあるミノリやトウヤも同様だ。

 しかし、五十鈴はシロエにどこか恐怖を感じていた。


 何しろ、五十鈴はシロエのことをほとんど何も知らないのだから。


 そして、この張り紙である。

 〈円卓会議〉関連かどうかはわからないが、どうやら急かつ重大な案件があったらしく、一昨日から書斎に籠りっきりなのだ。

 差し入れを持っていくアカツキやミノリの話によると、日に日にやつれているらしい。高レベル〈冒険者〉の体でそれなのだから、相当な修羅場だったのだろう。


 ついさっきロビーで会ったにゃん太が言うところによると、ようやく仕事が一段落し、今はシロエの苦闘の成果である書類一式をアカツキがギルド会館へと全速力で運搬中なのだという。

 にゃん太も根をつめるシロエが心配だったのか、今日のディナーはちょっと豪勢にいきますにゃ、と嬉しそうに語っていた。


 そこでシロエとちょっと話がしたいと思って部屋を訪れたところ、出迎えた張り紙がコレだったというわけである。

 単に剥がし忘れているだけなのだとは思うが、万一の場合があるかもと思うと入りづらい。

 まして、用件は遊びのこと…十日後の〈天秤祭〉のことだったのだから。


 十日後。アキバの街は、この異世界に来てから初めてのお祭りを迎える。〈天秤祭〉と名付けられたそれは、最初は生産ギルド中心のちょっとした合同販売会程度の規模だったらしいが、誰もが娯楽に飢えていたのか、あっという間に街を挙げての一大イベントに発展してしまった。

 五十鈴の目的は、〈天秤祭〉の間のギルドの予定を尋ねることだった。どうせルディのことだ、何か仕事を割り振られない限り、いつも通り修行に精を出すだろう。しかしせっかくのお祭りにそれは淋しい。飼い主としてちゃんと休暇を与え、できれば一緒に美味しいものでも探し歩きたいと思う。

 兎にも角にも、ギルドの予定がわからなければ個人の予定も立てられない。そこで、お祭りに逸る気持ちを抑えながら、ちょっと勇み足気味とは思いつつもシロエの部屋を訪れたのだ。

 しかし、この張り紙を見た瞬間、浮き立つ心は冷や水を浴びせられたように委縮してしまった。


 得体の知れない〈記録の地平線〉のギルドマスター。頼れるリーダーであり、底知れぬ意志の強さを感じさせる稀代の策士。

 そんな人間が、修羅場直後のくたくたの状態で部屋に一人鎮座しているのだ。殺気立ってさえいるかもしれない。女子高生の浮かれた話なんか持ち込んで本当にいいのか。


 また窓の布をめくり、外の景色を眺める。さっきの小鳥はもうどこにもいない。夕暮れの穏やかなアキバの街からは、どこからともなく美味しそうな匂いが漂ってくる。現代日本に比べて明かりの少ないこの世界では、夕食も日が落ちる前には済ませてしまう傾向がある。

 ああ、おなかがすいたよぅ。


 それはともかく。

 結局のところ、シロエがどんな人物なのかを知らないのが問題なのだ。

 現実逃避をやめて五十鈴は考える。

 ルンデルハウスを追いかけるように〈記録の地平線〉に入ってから二か月、いろんな人から話を聞いて、これでも五十鈴なりにシロエの人物評価に努めてきたのだ。





 まず話を聞いたのは、五十鈴の移籍元ギルド〈三日月同盟〉の長であるマリエールだ。

 といっても、彼女の場合は「シロ坊? ええ子やん?」の一言で片付いてしまった。

 試しにルンデルハウスのことも質問してみたところ、こちらも「ええ子やん」という評だったので、正直、全然参考にならない。


 一方で隣のヘンリエッタなどは「シロエ様ですか? 大丈夫ですわ、腹の黒さとやり口の悪辣さにおいて、アキバであの人に敵う方はいませんから」と、何が大丈夫なのか全くわからない太鼓判を押す始末だ。褒めているのかけなしているのかさえもわからない。信頼しているような口ぶりではあるのだが……。


 小竜や飛燕、明日架たち他の〈三日月同盟〉のメンバーにも尋ねてみたが、やはり接点の薄さが響いたのか、どうにも要領を得ない返答しか返ってこなかった。むしろ何故部外者に聞くのかわからないと逆に尋ねられる始末だ。それもそうだと五十鈴も思う。


 〈記録の地平線〉の仲間に直接聞くのは憚られたので、先に外堀の〈三日月同盟〉から情報収集を試みたのだが、以上のようにさっぱりわからないという結果に落ち着いてしまった。

 となれば、もう四の五の言わずに〈記録の地平線〉のみんなから直接聞いてみるしかない。


 そこで、あまり気は進まなかったけれど、まずミノリに話を聞いてみた。五十鈴より何歳も年下ではあるけど、自分なんかよりよっぽどしっかりしている子だ。五十鈴は対等な友人のつもりで接しているし、向こうも五十鈴にはずいぶん気を許してくれているんじゃないかと思っている。


 で、結論としては、ミノリの話も参考にならなかった。


 もちろん何の情報も得られなかったというわけではない。逆だ。あまりに膨大な、しかも多分に偏った情報を怒涛のように流し込まれた。普段そこまで饒舌ではないミノリが、二時間にもわたって熱弁したのには流石に引いてしまった。

 ミノリ曰く、シロエは最高に格好良くて、優しくて、頭が切れて、強くて、気が回って、困っている人をほっとけないお人好しで、博識で、人格者で、〈冒険者〉としても超一流で、深く尊敬しているヒーローなのだという。

 そんなことを延々と、きらきら輝く瞳で力説するのだ。五十鈴はたまに相槌を打つことしかできない。


 不思議なことに本人は自覚していないようだが、これはどう見てもシロエにほの字としか言いようがない。

 五十鈴は年下の親友の微笑ましい姿に気分が良くなる。

 内心吹き出しそうになるのを必死に表に出さないようにしたが、これではとても中立的な意見は望めないだろう。


 もちろんミノリの恋路を邪魔するつもりはない。自分にできることがあるなら、友人として協力は惜しまないつもりだ。

 でもそれはミノリが自分でしっかり恋心を自覚してからの話だ。その前に自分がしゃしゃり出るのはいけない。

 その程度の分別は五十鈴にもある。


 先に述べた通り、現状、アキバにおけるシロエの評判は決して良いとは言えない。

 ミノリはそれがずいぶん不満なようで、内心シロエを恐れていた五十鈴に彼女の憤慨は耳が痛かった。

 自分やアキバの他の〈冒険者〉のように、こうして遠巻きに見ているだけではわからない何かがあるのかもしれない。


 ルディを連れ回す計画を立てている五十鈴のように、ミノリはミノリで〈天秤祭〉でシロエをなんとかしたいと考えているようだったので、五十鈴は彼女に街でもらったビラを渡した。ケーキバイキングの告知だ。本当は自分とルディで挑むことも考えていたのだけど、いたく喜んでくれたので、五十鈴としても満足だった。


 さて、ミノリが当てにならないなら、次はトウヤだ。

 トウヤもミノリと同じようにシロエを慕っているのは知っている。ただ、トウヤ自身はどっちかというと直継と仲が良く、あれほど盲目的にシロエを信望しているわけではなさそうだし、もう少し冷静な意見が聞けるんじゃないかな。


 と、楽観的に考えた五十鈴が愚かだったのかもしれない。


「シロエ兄ちゃん? すげー人だよ。何がって……いろいろ」

「いろいろって、例えばどんなとこが凄いのかなってふと気になったんだけど」

「えーと……〈ハーメルン〉から俺達を助けてくれたじゃん」

「うん」

「な? すげーだろ?」


 つまり、トウヤはマリエールと同じタイプだった。

 捉え方がなんとも大雑把すぎて、詳しい話を聞くにはまるで適さない。温かい信頼は強く感じるし、トウヤなりにいろいろ考えて人物評を下している気配は感じるものの、それを言葉にして語る術が決定的に不足しているようなのだ。


 それは決して悪いことではないし、それどころかちょっと可愛いとさえ五十鈴は思う。

 ルンデルハウスもあまり口達者な質ではないし、ましてトウヤは中学生だ。中学生の男子ならこれくらいの口下手は当然のことだろう。

 素直で誠実な分、ガラの悪い田舎の不良学生を見慣れた五十鈴には眩しく見えるくらいだ。


 ただ、まっすぐな瞳でシロエへの漠然とした信頼と尊敬を述べられても、五十鈴の目的を達することはできない。

 シロエのあの表情、仮に全身の骨が砕けても相手の心臓を貫くことができればそれでいいという、底が見えないほど深すぎる覚悟は、未だに五十鈴にとって近寄りがたいものだ。


 その覚悟は、何に根差すものなのか。

 どこを見ているのか。

 そして、どこまでを犠牲として割り切ることができるのか。


 それがわからないから、シロエに恐怖を感じるのかな、と五十鈴は思う。

 これほどの覚悟は五十鈴のこれまでの人生で一度も見たことがないし、従ってその性質の類推のしようもない。


 それは知り合って二か月にも満たない自分が知り得る領域ではないのかもしれない。

 しかしこのギルドに胸を張って所属するためには、全面的にリーダーを信頼したいし、そのために自分でできる限りの納得を得たい。

 そう五十鈴は考える。それは彼女なりの誠実さだった。


 年少組がダメならということで、次に当たったのは直継だった。

 よく年少組の狩りの引率をしてくれる直継とは、割と仲が良い。親戚にああいう手合いの気さくな下ネタ大好き兄ちゃんがいるので、五十鈴も扱いには慣れているから、打ち解けるのも早かった。

 直継も直継で、年下からのツッコミを受けても気分を害するどころかげらげら笑って喜ぶタイプなので、五十鈴に限らず年少組とはレベルや年の差から想像もつかないほど気安い関係を築いている。

 直継が引率の時の狩りは、にゃん太やアカツキが引率の時と比べてひどく緊張感に欠けているのは否定できない。


 まあ、あまりに気安すぎてトウヤやルンデルハウスと遠慮のないシモトークに走っている時も多いので、そういう時は切り込み隊長アカツキを筆頭に女性陣で思いっきり叱りつけている。

 ルディに変な知識を吹き込むのはやめてほしいと飼い主として切に願う。困るのはこっちなのだ。


 さて、そんな直継によるシロエ評だが、これは予想に反してひどくシステマチックな観点のものだった。

 主に〈エルダー・テイル〉の支援役・参謀役としていかに優秀かという点に説明の重心が置かれていた。ゲームに疎い五十鈴には、直継の言っている凄さの半分も理解できたか怪しいものだったが、それでも只者ではないことだけは十分に伝わってくる。


 曰く、普通は百人集めてようやく突破できる超難関クエストを、その四分の一程度の人数でクリアしてしまったとか。

 わざわざ3Dモデリングソフトでダンジョンの立体地図を作成してサイトで公開していたとか。

 戦闘では今から三十秒後に何が起きるのかほぼ把握していたと聞いた時は思わず耳を疑ってしまった。

 それじゃほとんど予知能力だ。


「その場にいる敵味方すべてのパラメータやスキル、残MP、それに技の好みや手癖、あと今の状況だな、今ここで全力を出していいのか、セーブすべきか、さっき使った特技があと何秒で復帰するのか、代わりの特技は何が使えるか……そういうのを全部把握して、論理的に流れを組み立てていくんだよ。

 今ここでモンスターと出くわした場合、味方がこうで、敵がこうならまず誰が何をするのか、させるべきか。そうなったら、次に動くのは誰で、どう動くのがベストか。すると敵がこう反撃するはずだから次はこう……ってな。それを三十秒先の未来の分まで“読む”。そして、さりげなく自分の行動を挟み込むことで場を誘導し状況をコントロールする。

 もちろん戦闘なんていつ何が起こるかわかりゃしないから、読みが外れることなんてチャメシ祭りだぜ。だけどあいつは、そうなったらそうなったで瞬時に読み直すんだ。そもそも最初から多少イレギュラーがあってもいいように遊びを入れておくことも忘れない。

 そんなことができるプレイヤーなんて一体何人いるだろーな」


 理屈はわかる。五十鈴だって、HPもMPも全快の状態で、仮にいつものメンバーで正面からモンスターに出くわしたら、まずトウヤが〈武士の挑戦〉を使うだろうな、くらいの展開は読める。次にミノリのダメージ遮断呪文が飛ぶだろうな、というのもわかる。

 だがそれを敵を含めて全員分、何十パターンもの展開を、即興込みで何手あるいは十手以上も先まで見通すとなると、はっきりいって異常だ。

 一体どれだけ〈エルダー・テイル〉に精通し、戦闘経験を積めば可能になるのか。

 見たところそんなに年齢も高くないのに。

 五十鈴は背筋に空恐ろしいものを感じた。


 と、ここで本来の目的を思い出し、五十鈴はシロエの性格について直継に尋ねた。

 直継は咳払いして、その問いにただ一言をもって答えた。


「シロも、おぱんつは好きらしいぞ」


 直後にアカツキの飛び膝蹴りが彼の顔面にめり込み、それ以上の話を聞くことは叶わなかった。

 〈記録の地平線〉ギルドビルゾーンはこのためだけに戦闘行為を解禁している。


 というわけで、気絶した直継はほっといて、次はアカツキにシロエのことを尋ねてみることにした。

 アカツキはひどく無口でクールな性格だ。いつも黙々と訓練に没頭しているし、表情を和らげることも少ない。

 同じ女性ではあるものの、最初はとっつきづらいところを感じていた。下手をするとシロエ以上に。


 だが、あれはいつだっただろうか、リビングでくつろぐシロエの背後で壁から顔を出してじりじり様子を伺っていたあと、中庭で練習していた謎のステップを駆使してシロエの背後に密着するシーン、ついでに言えばその時わずかにアカツキの頬が緩んでいたのをうっかり目撃してしまった瞬間、アカツキへの警戒心は一気に吹き飛んでしまった。

 あれはどう考えても、恋する乙女特有の奇行以外の何物でもない。自分にも覚えがある。全身黒尽くめだろうが、びっくりするほどの美少女だろうが、無口であまり表情が変わらなかろうが、とんでもない身のこなしだろうが、中身は自分たちと同じ、普通の女の子なのだ。


 それに気付いてからというもの、それまで怖がっていた反動か、五十鈴はアカツキに対して急に親しみが湧いてしまった。

 そういう不器用な女の子は五十鈴の田舎高校にも山ほどいたし、その手の相談に乗ったこともある。その大半が実に些細で可愛らしいことに悩んでいた。

 今回は……ミノリのことがあるから積極的に手を貸すことはできないが、そうでなければ余計なおせっかいを焼いていたかもしれない。自分も大概田舎のおばちゃんみたいだなと五十鈴は苦笑する。自分に害がなければ、人の恋路ほど見ていて楽しいものはない。

 ついいたずら心が芽生えてしまったので、五十鈴は質問の仕方を他と変えてみた。


「アカツキさんは、シロエさんのことを、どう思ってるんですか?」


 ちょっと間があった。

 無表情だが、内心相当動揺しているものと見える。


「……主君は、プレイヤーとして尊敬に値する、手練れの術師だ」

「そうじゃなくて」


 思わずにやけてしまうのはどうしようもない。


「シロエさんもアキバの街の代表者の一人ですし。他のギルドの女の子にモテても不思議じゃないかなと」

「そ!それはダメだ!!」


 語るに落ちたり。

 咄嗟に叫んだアカツキが、ワンテンポ遅れて、ようやく自分の言葉の意味を理解した。


 無言。

 沈黙。


 そして、ギシギシ軋み音がするようなぎこちない動きで、アカツキは一言も喋らず後ろを向き、ロボットのように階段を下りていった。

 頭が見えなくなってからそっと階下を覗いたところ、すでにどこにもいなかった。

 最後までクールな表情を貫き通したのは見事だと思うが、しっかり耳が赤かったのを五十鈴は見逃していない。


 その夜の夕食後、あれはそういう意味ではない、ギルドの結束のために部外者が云々とアカツキが必死に弁解するものだから、五十鈴も馬鹿正直な顔で頷き返し、とりあえずこれ以上混ぜ返すのは控えることにした。アカツキは五十鈴が納得したものと考えたようだ。もちろんそんなわけはないのだが。

 肝心のシロエの情報については……アカツキいじりが楽しすぎたのでつい聞きそびれてしまったが、どのみちアカツキはひどく無口、というよりトウヤ以上の口下手なのだ。ちゃんとした話が聞き出せたかは怪しいし、仮に饒舌に喋ってくれたとしても、ミノリの時と似たようなことになるのは目に見えている。


 アカツキとミノリが同時にシロエに想いを寄せているらしいことについては……それは自分が考えてもしょうがない、と五十鈴は割り切った。特にミノリは想いをまだ自覚すらしていないのだ。本人たちに任せて、落ち着くところに落ち着くのを見守るしかないと思う。

 事態が悪化しないよう的確に状況をコントロールする術なんて、普通の女子高生である五十鈴は持ち合わせていないのだ。


 となると。

 あと話を聞けそうな人は一人しかいない。

 〈記録の地平線〉最年長、ギルドの食卓を一人で支える胃袋の番人、素敵なもふもふ紳士にして頼れるご意見番、にゃん太班長である。


 新人合宿で初めて会う前から、セララを通じてたびたびにゃん太の逸話は聞いていた。

 その頃は、にゃん太のことをあまりに持ち上げすぎるので、あらあらこの子も恋の病にずっぷり浸っちゃってと暖かい目線で見ていたのだが、実際会ってみると彼女の言葉がまんざら誇張でもないことを知った。

 五十鈴個人の感想としては、申し訳ないけどあの頭だ。ねこが立って歩いて喋っている! それだけで無条件に好いてしまう。卑怯なくらいかわいいと思う。ましてあの紳士な性格だ、セララが骨抜きになるのもわからなくはない。

 小さな頃に見たアニメの登場人物のようで、見ているだけでなんだか楽しくなってくる。


 だが、そこに触れる人があまりに少ないのが五十鈴には解せなかった。

 もちろん本人からすると、かわいいでは済まない影の苦労も多いだろうから、あえて話題にしていないのかと最初は考えた。

 だが、みんなの様子を見ていると、どうも気を遣って黙っているわけではないらしい。普通に受け入れている。


 〈エルダー・テイル〉歴が長いとそのくらいは別に驚きでもなんでもないのかもしれないが、それは経験の浅い五十鈴にはよくわからない。

 なので、にゃん太個人の温和で飄々としたキャラクターがあの猫人族のボディにぴったりすぎて違和感がないんだろう、と結論付けた。


 さて、にゃん太にシロエのことを尋ねてみるも、残念ながら「吾輩がここで言葉を並べて説明するより、実際にシロエちと話をしてみるのが一番だと思いますにゃあ」とやんわり諭されてしまった。にこにことそんな正論を吐かれてはぐうの音も出ない。


「シロエちはいささかまっすぐすぎるところがありますからにゃあ。

 付き合いが浅いと、ちょっと気後れしちゃうのはわからなくもないにゃ。

 でも大丈夫、五十鈴っちが不安になるようなことは何にもないにゃ。あの子はいい子ですからにゃ」


 言っていることはマリエールと大差ないのだが、にゃん太に大丈夫と言われるとなんだか本当にそんな気がしてくるので、自分もたいがい単純なのかもしれない。それでうっかり気を緩めて、深く考えずに気楽な質問をしに来てしまったわけだが……



 〈記録の地平線〉は居心地がいい。

 〈ハーメルン〉などとは比べるだけ失礼だし、アットホームが売りの〈三日月同盟〉にさえ負けじ劣らじの安心感がある。

 ルンデルハウスを放っておけずに半ば成り行き任せに入ったギルドだったが、今となってはここに来て本当に良かったと思っている。


 だけど、シロエだ。

 シロエの底が五十鈴にはどうしても掴めない。

 年長組の三人や双子があれだけの信頼を寄せているのを見れば、決して悪い人ではないことは頭では理解できる。

 しかしそれを五十鈴自身が実感するには、これまでシロエとの接点があまりになさすぎた。


 食事を共にしている時の好青年然とした態度は「本当」なのか。

 時折遠くを眺めるように細められる鋭い目つきの先に何があるのか。

 アキバに流布する黒い噂の意味するところは。

 チョウシの町で垣間見えた、あの途方もなく強靭な意志は、何を願っているのか。


 〈記録の地平線〉ギルドマスター・シロエとは、いったいどんな人物なのか。

 五十鈴はまだ、それを知らない。





(後編に続く)

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