我、神域に入する
初の純文学作品でございます。
我、神域に入する。
隔絶しているのだろうか。 其処の空気に世俗の臭いは無く、碧の壁が、翠の空が、周囲から一帯を覆い隠して仕舞っている。
人々の喧噪も、耳障りな車音も、土瀝青を削る音さえも此処に届く事は無い。
だが其処は決して閑寂では無く、静寂と言う訳でも無い。
そっと流れる風の音。
命を掛けて響かせる虫の声。
耳心地の良い小鳥達の囀り。
遠く遠くまで響かせる鳶の鳴き声。
賑やかに、和やかに、管弦楽の様に音を重ねて演奏している。
其処へ混じるのは歩む砂砂利や玉砂利の音。
自らの出す不協和音に思うのは申し訳なさ。
此の様な聖域神域に於いて、人など不要なのだと、寧ろ在っては成らないのではないかとすら思わせる。
強く強く思わせる。
そう、在っては成らないのだ。
――古来より、此の様な場所にて深夜行われてきた儀式に丑の刻参りが在る。
其の名の通り、丑の刻に行われる呪いの為の儀式だ。
術者は白装束を纏い、頭には逆さにした五徳や金輪を被り、其処へ蝋燭を三本。 足には下駄、胸には鏡を掛け、口には櫛を咥える。
その姿で神社の御神木へ呪う相手に見立てた藁人形を五寸釘で打ち付けるのである。
此れを続ける日数は七日間。
悍ましい呪いの為の儀式。 誰かを呪い、災禍を望む、昏い望みを叶えようとする儀式。
此の様な場所でその様な事をする人間など在っては成らないのだと、そう思わずには居られない。
抑も神域にある御神木へ呪いを刻み付けると為れば、本来呪われる、祟られるのは術者であろう。
神域の中心を穢した者が祟られるのは理に適った、正しく道理である。
だが此の儀式に於いて術者が呪われるのは他者に儀式を発見される場合のみだ。
其れで術者が祟りから免れるのは理には適わないのではないか。
術者の受けるべき神罰を、代わりに受けられる様な形代は藁人形と鏡である。
然れど、其の祟りを起こさんとするのは辺り一帯を統べる神格である。 其れが藁人形と鏡程度で騙されてくれる筈もない。
つまり術者は祟られるのだ。
人を呪わば穴ふたつ、ではまるで足らぬであろう呪いの奔流にその身を晒されるのである。
この神域を穢す愚かな者は。
否、だからこそ此の前提条件なのであろう。
『神』に識られた、見られた其の時点で此の儀式は既に失敗していると言えるのだ。
――そう、此の様な聖域神域に於いて、人など不要なのだから。
だから神よ。
呪うが善い。 祟るが善い。
此の地を穢す愚かな我に神罰を下すが善い。
心の内を手の槌に込め、我は悪鬼の形相で釘を打つ。




