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50 王宮での日々

 王宮内での噂の発信源を突き止める案件は、後味の悪い結末となった。


 ソラは、近衛騎士団から提供された会話情報を使い、トロワ姫と関係する20名に、それぞれ噂の影響力という数値を割り当てる作業を行った。


 具体的な作業内容は以下の通りである。まず会話情報に基づいて、要素が各人と各人の会話時間の合計値であるような行列Aを作成した。行列のサイズは20掛ける20。話しかける人を縦、話しかけられる人を横に取る。


 次に、行列の要素の最大値が1になるように数値の大きさを調整した。さらに会話情報に含まれない共通の情報交換の割合を0.001と見積もって、それを全要素に加えた。これは、ペロン・フロベニウスの定理の仮定を満たすためであるが、掲示板など会話によらない情報交換の影響をモデルに取り込む意味もある。


 各人の影響力は、その人に話しかけられた人の影響力と会話時間を掛け、それらを足し合わせた値の定数倍であるとモデル化する。各人の影響力を並べたベクトルをxとすると、このモデル化により、A掛けるxが、λ掛けるx、に等しいという式を得る。ここで、λは正の実数である。従って、xはAの固有ベクトルになる。


 あとは、魔導具を使って、この行列の固有値と固有ベクトルを計算するだけである。ペロン・フロベニウスの定理によって、絶対値が最大の固有値に対応する固有ベクトルの要素はすべて正の実数になることが保証される。この固有ベクトルの要素が、各人の影響力を表すと見なす。


 計算の結果、トロワ姫の家庭教師の一人の噂の影響力が最も高くなった。


 ソラは、師団長のナイツに計算結果を報告した。ナイツは、その家庭教師の素行調査を行うと、ソラに約束した。


 数日後、ナイツの招集により、ソラとトロワ姫は会議室に集まった。


「して、あの家庭教師の調査はどうなったのじゃ?」


 トロワ姫が口火を切ると、ナイツは歯切れが悪そうに答える。


「行方不明になりました。実家にも戻っておらず、足取りはつかめておりません」


「どういうことじゃ?」


 トロワ姫がいぶかしそうに尋ねると、ナイツは真剣な表情をして説明する。


「王宮や王城には様々な検知の魔導具が設置されておりますので、ここまで完全に行方を消すのは、個人の力だけでは不可能と考えます」


「つまり、犯行が露見しそうになったから、背後の組織に消されたと申すか」


 トロワ姫が語気を強めると、ナイツはたじろいだ。


「その可能性が高いかと。王家が不仲になることを望む組織はいくつもございます。王宮内で殿下の悪評が広まるのは、彼らにとって利がございます」


 ソラは、おそるおそる尋ねる。


「本件は、依頼を達成したと言っていいのでしょうか?」


「ああ、そなたはよくやった。これで王宮内のわらわの悪い噂も減るじゃろう」


「ソラ殿のおかげで、王宮に、はびこる虫を一匹退治することができた。感謝する」


 二人には褒められたが、ソラは釈然としない気持ちが残り、素直に喜べなかった。


 ――王宮がこんなに殺伐としているなんて思わなかった。偉い人たちが綺麗な服を着て、優雅にお茶を飲んでいるようなイメージだったのに。ボクの調査結果で、一人が消されるなんて。王族の人は、どれだけタフなんだ。


 家庭教師の失踪は、ソラにとって悪いニュースであったが、王宮に来て良いこともあった。


 当初、トロワ姫はわがままな印象が強かったので、数学を教えるのは難航するかも、とソラは悲観していたが、予想は良い方に裏切られた。


 ソラがトロワ姫に数学を教え始めて、まだ一週間程度であるが、トロワ姫は打てば響くような非常に優秀な生徒であった。驚異的な速度で教えられたことを吸収していった。


 あまりの優秀さに、ソラは、一度、どう勉強しているのか尋ねたことがある。


「なに簡単なことじゃ。食事と睡眠以外はすべて数学ぞえ」


 そばに控えていた護衛騎士のガードと侍女が遠い目をしていたのが印象的であった。きっと色々な苦労をしているのだろうと、ソラは同情した。


 ソラが当初予定していた数理計画法と特異値分解の講義もすでに終わり、まもなくソラが教えられることがなくなると見込まれた。


 ――教えることがなくなれば、さすがに帰してもらえるよね。ボクももっと数学の勉強をやりたいし、ナンバーズの仕事もしたい。早くジンノ村に戻りたい。


 ソラがそんな風に、この一週間を振り返っているうちに、会議は終了した。


 ナイツが退室すると、トロワ姫は待ちかねたように口を開く。


「して、ペロン・フロベニウスの定理というのは、面白いものじゃな。本件では、噂の影響力を各人に割り当てられることを保証しておる。魔物の移動や、冒険者の強さのモデル化における使われ方も感心するぞえ」


「ボクもそう思います。ちなみに、ボクの師匠はペロン・フロベニウスの定理を必殺技と呼んでいました」


 ソラの解説を聞き、トロワ姫は、にやりと笑った。


「必殺技か。うむ、まさにその通りじゃ。して、その証明はどうなのじゃ」


 トロワ姫の質問に、ソラはしょんぼりとして答える。


「師匠によると、坊やにはまだ早い、そうです。この先の勉強を楽しみにしています」


「そうか。数学というのは奥深いのう。わらわも楽しみにしておるぞえ」


 トロワ姫は、誕生日のプレゼントを待つような口調で応えた。

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