2 孤児院の一日
孤児院の朝はあわただしい。鐘の音とともに起き上がり、着替えて洗面所で顔を洗い、食堂に駆け込む。朝食のメニュ―は、たいていパンと飲み物とおかず一品である。全員が座ると、院長がひとこと挨拶する。その後、いただきますと唱和して食べ始める。
院長は、身長165cmで真っ赤な髪をした中年の女性。魔法スキル持ち、いわゆる魔法使いである。魔法使いの一般的なイメージと違い、筋肉質の大柄な体格でいつも派手な花柄の服を着ている。
朝食後は勉強。内容は読み書き、計算、王国の文化などの一般常識である。院長や副院長が先生となり、年齢で分けられたグループごとに教える。
ソラは計算の時間が苦痛でしかたなかった。
先月、やっと掛け算九九の唱和が終わり、今月からは文章で表される場面に掛け算を当てはめる授業が始まった。
まず文章からどんな場面かを読み取り、一つ分がいくつあるかを掛け算として書き、それにイコールを付け、覚えた九九を使って求めた計算結果をその後に続けて記入し、最後に答えとして単位を添える。
――ああ堅苦しい。好きにやらせてほしい。
また怒られるかもしれない、と思いながらもソラは手を挙げた。
「先生、1枚9円の紙を3枚買う場合、30円出しておつりを3円貰えばいいのではないですか?」
副院長は一瞬、眉をひそめたが、ソラの質問が聞こえなかったかのように、他のグループの指導に移った。代わりに、身長130cm、最年少の7歳で狩りに加わっているオヤマが口を開く。
「ちっとも分かってないな、ソラ。いいかげん、場面に応じたルールを覚えろよ。答えがたまたま合ってもダメだって習ったろう」
オヤマといつも一緒にいる身長125cm、7歳のコビィも嘲笑を浮かべる。
「大体、ソラは戦闘系のスキルがないから狩りなんてとうてい無理。身体も弱いから農作業さえロクにできない、役立たずじゃないか。院長の手伝いくらいででかい顔をするな。せめて授業ではみんなの邪魔にならないようにおとなしくしていろよ」
先月までは質問するたびに副院長から怒られていたが、今月はついに無視されるようになった。オヤマとコビィは副院長のお気に入りらしく、よく一緒にいるのを見かける。
コビィが言うように、たいして孤児院の役に立っていないのは事実なので、ソラは気落ちしつつも、残りの勉強の時間をおとなしく過ごした。
勉強の後は、何もなければ昼まで自由時間となる。ソラは図書室で読書をするのが常であった。院長から個別に呼び出される日もあり、その場合は院長室で帳簿付けを手伝う。
この日は、院長に呼び出され、孤児院への入金と出金を記載した現金出納帳と、金庫の現金の突き合わせを行った。まず入金と出金の合計金額を計算して、帳簿残高を更新する。次に、金庫の現金残高を数える。
「金貨(10万円)70枚、小金貨(1万円)9枚、銀貨(1000円)5枚、小銀貨(100円)8枚、銅貨(10円)3枚なので、現金残高は709万5830円。帳簿残高と一致します」
「相変わらずすごいわね、ソラ。金庫をちらっと見ただけでよく分かるわね」
院長は感嘆の声を上げた。しかし、ソラにとっては見れば分かることなので何がすごいのか理解できない。
「院長は、見ても何枚あるか分からないのですか?」
「銅貨の3枚は正確に分かるわ。小金貨はだいたい10枚程度と分かるけど、金貨はたくさんあることしか分からないわね」
実感は持てなかったが、なんか不便そうだな、とソラは思った。院長は続けて言う。
「多くの人はこれくらいだと思うわよ。アタシたちが使っている漢数字やアラビア数字も1から3までは棒をその本数だけ並べて一、二、三って表すでしょ。これは普通の人にとって、一目で分かるのは3までという証拠じゃないかしら」
「アラビア数字って、1、2、3のことですよね。確かに、2や3は漢数字の二、三を一筆書きで描いているように見えますね」
「そうよ。だから金貨が70枚と一目で分かるソラはすごいのよ」
――こういうのが分かるスキルなのかもしれないけど、あまり役に立つとは思えないなあ。
ソラは苦笑しながら返答する。
「ありがとうございます。でも、院長が持っている魔法スキルの方がすごいと思います」
「ありがとう。平民なのに孤児院の院長になれたのだから、アタシはこのスキルに感謝している。でも、世の中には様々なスキルを持った人がいて、それぞれが得意なことでお互いに助け合って生きているの。だから、自分のスキルを卑下するのはよくないわ」
自分に自信が持てないソラは、分かりました、と答えるのが精いっぱいであった。
帳簿付けの手伝いが一段落したので、ソラはさきほどの計算の時間に起こったことを話した。
「計算の時間に副院長に質問すると、なぜ怒られたり、無視されるのか分からないのです」
院長はちょっと困ったような表情を浮かべた。
「教える側の事情になるけど、手間を掛けさせるなということよ。一対一ならともかく、大人数の生徒が相手だと、一つの決まった方法を正解として仕込むような教え方になるわ。気のきいた別の方法を出されるとやりにくいのよ」
「確かに、みんなが違うことを言ったら収拾がつかなくなると思います。でも怒るとか無視はひどいです」
「それはその通りね。副院長には態度を改めるように言っておくわ」
ソラが感謝の言葉を述べた後、院長は何かを思い出したように口を開く。
「ちなみに、1枚9円の紙を3枚買う問題で、ソラが考えた30円出して3円おつりをもらう方法は、工夫して計算するという単元に出てくるわ。9歳で習うの。でも、この方法は評判が悪いのよ」
ソラは意外に思い、なぜかと尋ねた。
「だって、紙が1枚10円という仮の場面をわざわざ考えるなんて面倒じゃない? 実際の紙は1枚9円だから、1円払いすぎでおつりが3円になるのは分かるけど、普通に計算する方が素直で簡単でしょ」
院長の説明を聞いても、ソラには理解できなかった。ソラにとっては、仮の場面など不要で、9掛ける3と同時に、30引く3が頭に浮かぶ。
このあたりが他の人と違うのかもと思いながら、ソラは院長に尋ねる。
「もしかして普通の人は場面を考えないと計算できないのですか?」
「そりゃ、そうでしょ。だって、どんな場面か分からないと、どのルールを当てはめて計算したらよいか分からないじゃない?」
さも当然という顔をして院長は言った。ソラはこのところ感じていた違和感が解消される気がした。
「ありがとうございます。このあたりの感覚が人と違うことが理解できました。計算の時間に、場面とルールが出てくる理由がやっと分かった気がします」
「よく分からないけど、何か役にたったのならよかったわ」
手伝ったお礼としてお茶をごちそうになり、ソラは院長室を後にした。
すぐ昼ご飯の時間となり、午後は畑で農作業である。体力がないソラは途中で孤児院に戻ることを許されている。休憩したり、年少組の様子を見ているうちに他の子供も戻ってくる。その後、夕食となる。
孤児院がある村には、豊富な水量を誇る地下水源があり、水が容易に入手できる。そのおかげで、孤児院では、毎日、お風呂にお湯が張られる。
ソラは夕食後のお風呂の時間が大好きである。広い湯舟につかりながら、あ~疲れが取れる、と思わず小声で独り言をつぶやいてしまう。
一方で、ソラは孤児院の帳簿付けを手伝っていることもあり、入浴にかかる費用が頭をよぎる。
地下水を汲み上げるポンプや水をお湯にする加熱器といった魔導具は、魔石を動力源とする。飲み水にするための浄水器、照明、冷暖房、調理器具、水洗トイレ、さらには農作業で使う農具、狩りで使う防具などすべてそうである。孤児院の生活は魔導具と魔石に支えられているといって過言ではない。
しかし、魔石は高い。100人の子供が暮らすこの孤児院で月あたり150万円かかる。集団生活で節約してこれである。
――毎月の補助金450万円がなければ、お風呂なんて絶対無理。
ソラは補助金を出している名も知らないスポンサーに感謝しつつ、風呂を上がった。
入浴後は自由時間。消灯は9時である。ソラは図書室から借りてきた読みかけの本をベッドの脇に置くと布団に潜り込んだ。
孤児院の一日はこうして終わる。




