山口悠太の事情
その時、既に悠太は後悔していた。目の前を駆け抜けようとする昴の口を塞ぎ、無理やり影に引き入れたことを。慣れないことは、するべきではない。突然のことで昴が体勢を崩して悠太に全体重が掛かり、支えきれずに尻餅をつく羽目となって昴の体重が加算されたことで強かに打ちつけることとなったのだ。さらに立ち上がろうとする昴を口を塞ぐ手で強く引きつけ、小さく「動かないで。静かに。」と忠告を入れて動きを制する。静かになった昴から意識を外して、悠太は赤い光に照らされる廊下を注視した。
『お尻が痛い――』
身を捩りたくなる程の激痛だ。しかも大人しくなった昴の体重ものしかかってきている。クラスでも1〜2を争う長身で体格も良い昴に対して、小柄で華奢な悠太には堪ったものではない。呻き声が出そうになるのを廊下の注視に意識を全て向けて我慢する。
『――汗臭っ』
汗だくになった昴の体臭は、運動部男子特有のもの。体育の授業の後に教室全体がそんなニオイがするのでイヤな感じはしないが、悠太自身が汗をかくほどの運動は全くせずそのようなニオイを発しないので、間近で嗅ぐのは初めてだ。肩幅が広く、大きい背中が悠太に預けられている。重い、そして暑い。脈が速いのを感じる。全力疾走の後だし、恐怖体験の真っ最中だからと悠太は察した。そして廊下を監視し、耳を澄ませながら考えを巡らせる。クラスメイトではあるが親しくもなく、名前すら思い出せない男子を何故、助けてしまったのか。あのまま無視した方が自身が見つかるリスクが無く、安全だったハズだ。普段から騒がしいリア充共なんてすぐさま死んでしまえクソ共がとも思っていたハズだ。しかし咄嗟に助けてしまった。これは正義感だろうかと自問して、すぐ否定する。人間として云々の綺麗事かと考えるが、それも否定した。咄嗟に助けてしまった1つの原因として、悠太自身は認識できていなかったが本能的に業を背負うことを拒否したということが挙げられる。今の平和な世の中にあって、助けられる可能性がある者を見捨てる行為は、先々、過去を思い出すときに苛まれる記憶の棘となったり、逆にそれを気に病まないようになるなら普段の生活の上で人格や性格が既に破綻していて問題を来たす。それらのリスクを悠太は無意識に拒絶したのだ。ただ、人生経験が未だ短い悠太に、それを言語化することができないだけだった。
「――。」
答えが出ない逡巡を悠太はサッと切り上げて、再び意識を周囲の様子に向けた。しばらく、目の前の廊下を「怪異」は通り過ぎていない。聴覚に集中すると、白兎のピアスが力を貸してくれるのを感じる。このアイテムは以前、似たような怪事件に巻き込まれたときに白兎を助け、その御礼に授かった物だ。この様に入手するアイテムの大概がろくでもない悪い効果を持っているものだが、非常に稀に良い力を秘めているものもある。悠太は、この「秘められた力を認識できる」白兎のピアスも大切に思っている。ただ、できれば高校受験を楽々パスできるような、これから勉強しないで遊んで暮らせるようなスーパーなオカルトグッズが欲しかったのが本音だが。
「――もう行ったみたい。」
周囲の安全を確認して、昴に耳打ちした。
「危ないから校門まで送っていくよ。付いてきて。」
赤い光に当たってはダメだとかアドバイスしても、迫りくる「怪異」を察知することは難しいだろう。仕方なく昴を先導しようと立ち上がると、いきなり手を掴まれた。
「!?」
目の前の男子生徒は、下を向き、微かに震えていた。
『――そうか、怖いんだ。』
無理もない、と悠太は思う。悠太が初めて「怪異」と遭遇したときも、恐怖で夜も眠れなかったのを思い出す。少し強く手を握り返し、悠太は手を引いて昴を校門に導いた。ほどなく、2人は校門に到着した。
「あー…。」
悠太は昴に話し掛けようとして、彼の名前を知らないことを思い出した。仕方なく「君。」と呼んで誤魔化す。
「さっきのことは夢だと思って忘れちゃった方がいいよ。ろくなことにならないから。じゃあね。」
こういった特別に強力な「怪異」に遭遇してしまった者は大概、その場で死んでしまうか、死んでしまうまで以降も立て続けに遭遇してしまうものだ。以降も関わってしまう原因として「怪異」が記憶に残ってしまうことも大きな要因だ。日常の微かな異変に気づいてしまって、大きな怪異に辿り着いてしまう。悠太自身の経験上、関係を断ち切るには忘れること、無視することが何より大事だ。いけ好かないクラスメイトだが、せっかく助けたのだから無駄な犠牲者を増やしたくはない。そう考えて忠告し、悠太は本来の目的を完遂する為に踵を返した。と、その時。
「山口!」
突然、後ろから呼び止められて悠太はビックリして「えっ!?」と声に出し振り返った。悠太にとっては「名前を知らないクラスメイト」が大きく手を振る。
「俺の名前は沢渡昴!スバルって呼び捨てでいいから!またな!!」
と、いまさら自己紹介されて悠太は大きく困惑した。確かに悠太は昴の名前を認知していなかったが。同時に僅かな既視感も憶えたが、悠太は深く考えずに小さく手を振った。
「――ああ、うん。」
返事をするが、「何だ、これ?」と内心で自分自身にツッコミを入れた。それを確認して昴は満足したのか、もう一度手を振って走り去った。
「――何だ、これ?」
悠太は小さく声を出してもう一度、自問したがコミュニケーション能力に大きな難を抱えている悠太には、他人の心の機微を察することなど不可能だった。
ともあれ。再び1人となった悠太は、本来の目的地へと慎重に向かった。そもそも「目的」は悠太本人の自由意志ではなく、不本意ながら「知人の依頼」によるものだ。話は1件のライン通知が悠太のスマホを鳴らした、昼休みに遡る。
「ユウ君に超々緊急の頼みがあるの!明日の会合に必要だからA中学校の卒業アルバムを借りたいのよ!昭和20年くらいの、見れば判るから!ヨロシク!!」
悠太の数少ないトーク相手、名前は「源さん」と記されていてメッセージの最後に「お願い♥」とアニメキャラのスタンプが貼られている。この「源さん」という人物は、県庁所在地である隣の市でゲイバーを経営する一方で、悠太が所属するオカルトサークルを主催しているのだ。生物学的に彼である彼女は、オカルト研究者として自費出版した本が何冊もある。恐らく、「古い卒業アルバム」は、明日に開催されると以前に言っていた研究発表会に必要な資料なのだろう。すぐさま、悠太はトタタタタとメッセージを打ち込んで返した。
「学校に昔の卒アルなんてあるんですか?図書室でも見たことないです。」
しばらくして、返信が送られてきた。
「そういうのは校長室にあるのよ。」
「校長室にあっても借りるのはたぶん難しいし、今日中ですか?」
その問いに対して、しばらく時間が経ってから1つのスタンプが送られてきた。ボールを投げるアニメキャラと犬と「取って来ーい」というメッセージは、要は「盗って来ーい」ということかと悠太は頭を抱えた。続けて「報酬は弾むから♥」とメッセージが添えられ、腹をくくるしかなかった。サークルの活動で幾度か命の危険に晒されたこともあるが、いつも何かと世話になってもいる。ほぼほぼガラクタばかりだったが、有名なオカルトグッズも幾つか譲ってもらっている。ちょっと学校に忍び込んで古い卒業アルバムを拝借するくらいで借りを返せるのならと、悠太はこの依頼を引き受けた。
その自分が通う学校で、バリバリの怪奇現象が発生しているとは全くの想定外だったが。
昴を見送った後、悠太は赤光を避けながら校長室へと向かった。この「赤光」が怪異の「キー」となっているのだろうというのは悠太の勘と今までの経験則に依るものだが、学校に侵入してからの経緯を鑑みるに、どうやら正解らしい。赤い光に照らされた怪異は、
まるで血塗れになった美術品のようで、それらが生物とも言い難い不規則な動きで這い回り蠢いていて、悠太は影の中を伝いながら怪異の横をすり抜けて校長室へと到着。何故か施錠がされていなかった。
「――。」
カチャリとノブを回し、中を覗く。室内はほぼ真っ暗であったが、本棚の一角から赤い光が漏れているのを悠太は認識した。そっと室内に滑り込み、悠太は本棚に近寄る。
「これ、か。」
本棚は歴代の卒業アルバムが整然と並べられていた。その最下段の端の方に、ページの間から赤い光を漏らしている卒業アルバムがあった。昭和20年の卒業アルバム、3冊のうちの1冊だ。
「同じ卒業アルバムが3冊?」
悠太は訝しむ。良く見ると昭和18年から25年の卒業アルバムがそれぞれ2、3冊収められていた。疑問に思うが、長居は無用である。悠太は赤い光を漏らしている卒業アルバムを手早く持参したトートバッグに突っ込み、校長室を後にした。再び慎重に影を伝って校門に辿り着くと、1台のバイクが悠太を出迎えた。
「岡本さん!」
悠太が駆け寄ると、バイクに跨がる青年が「よう!」と応えた。この青年も悠太が席を置くオカルトサークルに所属している。過去にサークルメンバーと共に幾度も心霊スポットに赴き、幾度かは共に死線をくぐり抜けた仲である。
「ゲンさんからここで品物を受け取って持って来いって言われてな。」
「バーに行かなきゃって思ってたから助かる…っていうか、岡本さんが来るなら僕が取ってくる必要ないじゃん!?」
「俺は仕事が忙しいんだよ、何とか時間を作って配達だけ引き受けたんだよ。」
「むー。」
悠太は不機嫌を隠さず、卒業アルバムが入ったトートバッグを手渡した。
「源さんに『ガチの学業成就オカルトグッズをお願いします!』って伝えて下さいね。」
「お前、いつもそれ言ってンな?」
そう笑い、青年はバイクのエンジンを吹かした。
「ホント、お願いしますよ!?」
悠太が念を押すと青年はもう一度笑って颯爽と走り去った。
「はーあ。」
悠太は大きくため息を付く。いつの間にか月は地平を離れて白い光を放っており、狂気は既に彼方へと去っていた。
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