7.One problem after another.
橋を渡った向こう側の景色には、特段の変化がなかった。そこそこの草むらと疎らな木々、それから踏み固められた道が続いている。
ただ、道は若干荒れていた。
ディングレイが橋を塞いでいたために流通が途切れていたのだろうか。
であれば、しばらくの後に元通りとなるはずだ。きっと人通りが戻るだろうから。
「そんで、出てくる魔物にも変化は無しか」
ムルテを叩き潰して一言呟く。
ほんの僅かに叩いた時の抵抗が増したようには思う。だが、それでも一撃なのは変わらず、結局のところ雑魚でしかない。
そこかしこから気配はするのだ。
草むらの中をムルテと異なる気配が動いてる。速さや大きさが違うと、ソイツの立てる音が教えてくれていた。それから獣臭も。
出てくるのを待つか。それともこちらから仕掛けるか。
一瞬悩んだものの、待ちを選ぶ。
正確な位置を把握しきれていないのだから、初撃を外す可能性は低くない。
分の悪い賭けだ。
再び歩みだそうとしたその時。
背後の草むらから何かが飛び出す。
音に反応して咄嗟に振り向いた瞬間、先ほどまで見ていた方の草むらからも何かが飛び出す音がした。
「クソッ……!」
反射的に横へ跳ぶ。
油断した。まさか連携して襲ってくるとは。
こちらを罠にかけるだけの知能もある。侮れない。
転がりながら跳ね起きる。
顔を上げた先に居たのは2体の狼。
低い唸り声が耳に届いた。
狼はこちらを警戒しているのか追撃をかけて来ない。
明らかな格上だ。見ただけで分かる。
人はイエネコにすら勝てないと聞くが、狼になんて逆立ちしようと勝てやしないだろう。猟銃で武装してイーブンなのだから。
チュートリアルの雑魚とは違う熱を感じた。
ましてやムルテなどとは比べるまでもない。
いやともすると、数的有利を得ているこの狼どもはディングレイにも勝る強敵であるかも知れなかった。
[《彷徨う番狼》ノイツェ&ビェンテ]。
見たくなかったものが表示された。
「ボス越えてすぐにまたボス置くかよ、普通」
名前から察するに徘徊型のボスだろうか。
ボスにも種類がある。
例えば、ディングレイのようなその場から離れないタイプ。特定のオブジェクトやら宝物やらを守っていることが多い。進行上、ほぼ必ず倒さなければならなくなる奴だ。
対して、このノイツェ&ビェンテのような徘徊型はフィールドをある程度自由にうろつき回る。そのため、進行上倒す必要があることにはなりにくい。一ヵ所に居着かないこともあり、全く出会うことのないまま素通りしていくことすらある。
そんな徘徊型ボスだが、厄介なことに出会いたくないタイミングで出会すことが少なくない。いや勿論、そんなのは錯覚だ。物欲センサーと同じ類いの話であり、つまりは与太話である。
だがどうしても、出会いたくない場面に限って遭遇してしまうように感じるのだ。
ボスを越えてすぐ、リスポーンポイントを更新出来ていない時、装備の整っていない序盤、回復手段の乏しい時……。
「は……、つまりは今じゃねえか」
小盾と片手剣を構えて、狼たちと向き合う。
どちらも立派な狼だ。
大型犬よりも一回りも二回りも大きい身体は、針金のような剛毛に覆われていて。その大きな口には人の腕など軽々と食い千切られるだろう。ずらりと並んだ牙はナイフのようで、構えた小盾が心細く感じてしまう。
爛々と光る瞳はどろりとした金色で、粘性のある殺意に満ち満ちている。そして、唯一現実と異なる特徴として、狼たちには小さな翼が生えていた。コウモリのような形で人の掌ほどのそれは、飛ぶための機能などとてもじゃないが有しているように見えない。
ディングレイに迫るどころか上回るのではないかという巨軀に数的な有利、そして優位に立ちながら慎重に動こうという思慮深さ。
強敵だ。
「そーかい、これからが本番ってか」
没入型の死にゲーなんて流行らねえぞ、と毒づきながら、それとなく周囲に視線をやる。
顔は動かさない。目だけで周りを確認した。
これ以上の横槍はなさそうだ。草むらは静かでそよ風に葉を揺らしている。そこに不自然な動きは見られない。
なお、退路は絶たれていた。
進んでいた先に向かって転がってしまったからだ。挟み撃ちを避けるためには間違っていなかったと確信しているが、最良ではなかったか。
開けた場所に、機動力で勝る敵。それから数の差。
絶体絶命である。
「……ただで死んでやるかよ」
だからこそ。
だからこそ、己が血潮の熱きをかつてないほど明確に感じていた。全身を巡る活力とその脈動。燃え上がるようだった。
こんなのは初めてだ。
──いや。
初めてではない。
これと同じ。あるいはこれ以上を知っている。
鋭敏な感覚。冴え渡った知覚。それらをもってしてもゆっくりと感じられる時間。
粘性を帯びた世界に驚き、そしてそれはさらに純化していく。
この世から切り離されたかのようにすら"思えた"。
先手を奪う。
踏み込み、間合いを潰し、危地へと身を置く。
牙が届くということは、刃も届くということだ。
跳ね上がる白刃が顔を掠めて、ノイツェが思わず飛び退いた。そこへ剣を振り下ろすと見せかけて。
──ぐりん。
その場でターン。見えていたビェンテの跳びかかりに盾を合わせる。回転の勢いそのままに、振り抜いた盾が強かに奴の顔面を打ち据える。
脳裏に浮かぶは純白の鎧。
無垢を体現した竜は眼前の犬ころ如きを遥かに上回る圧迫感と、気を抜けば殺されるという緊迫感をそこに居るだけで与えてきた。
不思議だ。
今も危機に面しているはずなのに、指の先まで全能感が駆け抜ける。
あの瞬間とは違う。
似ているのに違うのだ。
そう、ここは危地だが死地ではない。
「っふ、はは……!」
ちりちりと脳内で火花が散るようだ。
頭の中の何かが繋がりかけている。あと少し。もう少し。
"これ"が繋がればきっと全てが手に入る。そんな幻想が真実のように感じられた。溢れんばかりの多幸感。
でも足りない。
飢えが、乾きが、どうにもならないもどかしさに喉をかきむしりたくなる。
薄皮一枚向こう側で手薬煉引いて待ち構えているのだ。針を一本刺して薄皮を破くだけで、それら全てが止めどなく溢れ出すに違いない。いや、針を刺すまでもなく自壊して、肥大した苦しみに押し潰されるのでは。
そんな恐れが胸の奥で暴れ狂う。
全能感と恐怖心。
反する二つがめまぐるしく跳ね回り。
剣を振るい、盾を掲げ、立ち止まり、踏み込み、激しく殴りつけたかと思えば撫でるように腹を割き、風にそよぐ柳のように突進を受け流す。突き込み、蹴り上げ、後ろへ下がり、時に傷も恐れず苛烈に攻め立て、時に避けることに心血を注ぐ。半歩下がり防御を主体に、盾で弾き、剣で叩き、捩じ込み、抉じ開け、逸らし、打って突いて引いて押して、攻撃の回転数が上がっていく。
動作が素早くコンパクトにまとまりつつあった。
直線的な動きの中に、曲線的な動きのみならず点の動きや溜めをも織り交ぜて、軌道の読めない剣撃が組み立てられていく。
初見のボスを相手に、二対一の状況でありながら、優位に戦闘を進められていた。
勝ちの目が見えていた。
勝てるかも、と頭を過った。
──だが。あるいは、だから。
「はあ、はあ……」
仮想世界での仮想の息切れ。それは即ち、集中力の限界である。
全力を尽くした。全霊を傾けた。全てを振り絞った。
だから終わりが近付いてきた。
つまりはそう、スタミナ切れ。
それまで気にも留めていなかった武器の重さが今になって煩わしい。
いくつも負わされた傷が主張を始め、痛みこそないものの神経が苛立つ。
かいていないはずの汗を拭い、必要のない呼吸を求めて喘ぐのが止められなかった。
それでもどうにか二体の狼を相手取る。
必死になって攻撃を捌いて、生存時間を一秒単位で削り出す。
主導権は完全に奪われていた。
身体の重さは錯覚だ。だが、レスポンスの悪さは錯覚ではない。
パフォーマンスは低下の一途を辿り、どうにかそれに抗おうと抵抗を続ける。
爪を弾き、身を翻す。
顔を叩いて牙から逃れる。
傷が増え、体力が削られることで動きが鈍っていく。
そして、その時が来る──。
突き出した片手剣。
深く考えず、ノイツェの突進に合わせた一撃だ。それは胸元へと吸い込まれるように伸びていき、深く深く肉へと潜り込む。
根本まで刺さった剣に、はっとした。
「っ……、抜けな……!」
ガチン!!!
意識が剣に向かっていた。その隙を狙われた。
無防備に接近を許してしまった。ビェンテがぬうっと現れて。
食い千切られた左腕。
肩口からが一気に軽くなる。
「クソ……!」
迸る鮮血。
視界が明度をガクンと落とす。
足から力が抜け、その場に尻餅をついた。
ビェンテがこちらに向き直り、誇示するように牙を剥く。見せつけるように開かれた口は赤き血で染まっている。
同時、剣が軽くなった。
ノイツェが粒子へと変わり消え失せ、自由を取り戻したのだ。
瞬間、褪せた世界で本能的に剣を振るう。
座ったままでの型もクソもない不細工な一撃。だがその剣筋は冴えて、滑らかな弧を描く。
眼前に迫る牙。それを上から白刃が割った。
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