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5.Silence


 第二形態。

 それは心躍る言葉にして、ある種の絶望。

 と言っても、立ち上がっただけのレッサーパンダに使う分には滑稽さが勝る。


「グワァァァ!!!」


 威勢良く吠えても所詮は獣。

 ディングレイに対して恐ろしさは感じない。

 だが、舐めてかかって良い訳ではない。

 奴は格上。気を引き締めて当たらねば。


 小盾を構えつつ距離をとる。

 四足から二足に。大幅な変化で動きが読みにくい。そのため、まずは観察をしようとしたのだ。


 ディングレイが一歩踏み出しながら前足を振りかぶる。

 右の大振り。

 続けて左前足が振られる。

 さらに右。

 それから左が繰り返される。


「大振りしかねえじゃねえか!」


 当然だ。

 ディングレイは大型であるものの、結局はほぼレッサーパンダなのだから。その足は前後問わず短く太い。

 当たれば相当に"効く"のだろう。だがそれは当たればの話であって、どうやって当てるかではない。付け加えるならばディングレイは獣であり、その当てるための作戦を組み立てる頭が足りないのだった。


 よたよたと歩み寄り、前足をぶんぶん振り回す。

 それがディングレイに出来る精一杯だった。


「あれか? ボス戦のチュートリアルか?」


 そうとしか思えなかったし、そう思いたかった。

 真面目に設計されてこれだったなら、ディングレイが少しばかり不憫だ。


 レッサーパンダの二足での直立は、歩行が付随するものではない。彼らはただ立てるだけなのだ。

 その無茶を魔物ということで押し通して無理くり歩いているだけで、ディングレイは二足での歩行が不得意である。そういう骨格でないのだから当然だ。

 結果、よたよたと歩き始めの赤子のような動きで敵に詰め寄る怪物が生まれた。


「足使えば余裕で勝てそうだな」


 前足で殴られないように脇をすり抜け、片手剣を叩きつける。

 そしてその手応えに目を眇める。


「……固い」


 硬質というより堅固な手応え。

 よく締まった筋肉と厚い毛皮によって、刃が通らない。


 さらに片手剣を振るうが、がっちり肉に食い込むだけだ。

 その手応えにスキルの使用を思い止まる。


 そうして間合いを開ける。

 考えをまとめる時間が欲しかった。


 よくよく考えれば至極普通のことだった。

 大きくなったということはそれだけ体積が増して、自重が増大したということ。ならばそれを支えられるだけの筋肉が、加算された容量に詰め込まれていてもなんら不思議はない。

 ……いやそもそも、ディングレイは仮にもボス。簡単に傷つけられなくてもおかしくない。


 そこで一つ思い出す。

 鼻先にはダメージが入っていた事実。

 軽く叩くだけで有効打になっていたのだ。と言うことは、あそこが弱点だったのでは?


「なるほどね、そういう感じか」


 ディングレイと正面から向かい合う。


 きっと遠距離主体で攻めるとこのボスは苦戦する。でなくとも時間が物凄くかかるようになっている。

 誰かがボスの気を引き、仲間が体勢を崩し、皆で弱点の鼻先を叩く。そうしたパーティでの連携を重視して作り上げられた魔物なのだ。

 やはりチュートリアルボスか。


 そう理解すれば、自ずと取るべき道筋も見えてくる。

 真正面から前足を潜り抜けて、顔面を攻撃する他ないだろう。

 横や後ろに回っても、高さのある鼻先まで片手剣を届かせるのに難儀する。

 ならば、リスクを呑んで正面から捩じ伏せるだけのこと。


 向かい合うとディングレイは大きく見えた。

 頭一つ分高い背丈、ずんぐりとした胴、短い手足は太く、俊敏な動きは不得手ながらも力は強い。

 特徴を列挙すると、そこまでの難敵には思えなかった。

 大きいと言っても頭一つ分程度。胴長で足払いに強そうだが、ガードなどの技術はまるで無い。短い手足はリーチに劣り、瞬発力に欠けて躱すのは容易い。


 ぶん、と振られた右前足を屈んで避けて、脇を片手剣で叩く。

 やはり刃が通らない。チュートリアル報酬の鈍物ではダメか。

 本来は挑む前に装備の調整をしておくべきなのだろう。

 それから技術面か。いくら他のゲームでも触れているとしても、武芸者では無いのだ。いつ如何なる時でも刃筋を立てられているかと問われれば、残念ながらそうではない。

 まだまだ向上の余地があることに笑いが漏れる。


 そのままバシバシとディングレイをしばく。

 鼻先を狙える瞬間はまだ来ない。それを待ちながら、他にも弱点がないか調べ尽くす。

 こういう手合いは関節が弱かったりするのだが、このレッサーパンダは骨も頑丈で、剣を思い切り肘めがけて叩き付けた時は痺れで取り落とすかと思ったほどだ。

 胴長短足は足払いに滅法強く蹴り倒すことは出来ず、高い重心で揺れる上半身はその筋力で強引にバランスを立て直す。


「面倒だな、お前!」


 一人でなく二人なら。それが三人四人と仲間を集めていたのなら。

 きっと楽に倒せていたのだろう。

 何度も片手剣で打ち付けたからそれが理解できる。ただ、ここまで殴り続けたことは全くの無意味ではなかった。


 少しずつディングレイの動きが鈍りつつあるのだ。

 僅かながらに蓄積されたダメージが、徐々にその体力の底を見せ始めていた。


 だが、まだまだ。

 体感で五割を下回ったところだろうか。しかし裏を返せば、まだ四割強も残っていることになる。気は抜けない。

 さらにはこちらの体力。HPのようなゲーム上の生命力の話ではなく、集中力のようなプレイヤーとしての私の限界点の話だ。



 疲れがあった。



 エンゼリカと相対したのが、想像以上に精神を削ったらしい。単調なディングレイを相手にしていても疲弊していた。

 ともすれば散漫になる思考を無理やりまとめ上げ、隙を窺うのにも流石に飽きが来ていた。

 避けて剣を振るう。

 ただこれだけであるのが悪い方に働いているのだ。出来の悪いリズムゲーにも似て、ひたすら反射で進められるため、脇道に思考が逸れる余裕がある。


 弱点らしき鼻先を狙おうにもディングレイとてそれは理解しているのか、顔を下げる素振りを見せない。

 ジリ貧である。

 だからこそ──。


「──殺すぜ、お前をな」


 敵意、害意、殺意、あるいは戦意。形容する言葉は何でもいい。

 たとえ仮想なのだとしても命を奪う。

 それに見合った覚悟さえあれば。


 ディングレイが吠える。

 先ほどまでとは違い、焦りを含んだ咆哮だ。


 振りかぶられた右前足。それに小盾を合わせる。


「【ガード】!」


 初歩も初歩、レベルが1からでも使える【スラッシュ】などと同列の技。

 効果は単純に、正面からの攻撃に対して防御力が向上するだけ。

 しかし、それでも無いよりは遥かにマシで。


 ガツン、と大きな衝撃を小盾に受けながら渾身の力で踏ん張る。

 スキルも働き、ディングレイの右前足を受け止めた。僅かな時間なれど、確かに拮抗する。

 ただ、反撃するだけの余裕はなく、ミシミシと押し合いになった。


 ディングレイがさらに強く押し込もうとしてくる。所詮は獣、受け止められたからより力を込めるだけ。正直な反応にほくそ笑む。

 押し込まれる瞬間に後ろへと勢いを逃がせば、ディングレイはたたらを踏んだ。


「くはは! 【スラッシュ】!」


 狙い通りの挙動に笑いが止まらない。

 肩に担いだ片手剣を真っ直ぐに振り下ろす。つんのめって頭の下がっていたディングレイの顔面に目掛けて。

 その鼻先を思い切りぶっ叩く。


 ごしゃり。


「グゥオオオオオォォ…………!!!」


 明らかにこれまでとは異なる手応えだ。

 クリティカルヒット。

 ディングレイが痛みに叫び、やたらめったら前足をぶん回す。巻き込まれては適わない。

 一旦さっとその場を退く。


 十数秒暴れたディングレイが血走った目でこちらを睨む。息は乱れ毛は逆立ち、涎をだらだらと垂らす姿はまさに半狂乱といった具合で。

 膨れ上がった殺意の塊へ、躊躇なく踏み込む。

 押しきるなら今だ。

 落ち着くのを待っていては好機を逃してしまう。


「【ストライク】!」


 ぐん、と加速し振り抜いた剣がディングレイの頬を張る。

 だが奴も譲らない。

 カウンターにはややずれたタイミングだが、左前足を叩き付けてきた。

 まともに受けてはならない。避けるのも無理だ。前後左右に、逃げ場は無い。


 なら──。


 軸足の踵を基点に、くるりとその場で半回転。ディングレイの左前足へ裏拳気味に小盾をぶつけ合わせる。

 今までで最も大きな動揺の気配。ディングレイが硬直する。

 払い除けるまでは無理だった。だが軌道を逸らし、さらには硬直によって動きがずれて威力の落ちた左前足を受け止める。

 敵に背を向け、頭を曝し。どうしたものかと逡巡する間もなく、自然と身体が動いていた。


 片手剣を肩に担ぎ、膝を畳んで腰を落とす。

 そしてそこから伸び上がりながら。


「【スラッシュ】!」


 上方向へと迸る斬撃がディングレイの顎下を捉える。叩き割りながら、切り裂きながら、白刃が顔面を両断した。


 叫びもなく、苦悶もなく。

 緩やかに後方へ倒れると、そのまま跡形もなく霧散した。


 こうして、チュートリアルボスと思われる[《橋塞ぎの》ディングレイ]は沈黙するのであった。




ご覧いただきありがとうございます。

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