4.Red panda
一瞬で切り替わった景色。
海岸に居たはずが、気付けば町中となっていた。板で作られた簡素な家々は、あまり裕福でない様子を窺わせる。それほど大きくない広場は人影でひしめき合っていた。
精霊だ。すぐに理解した。深紅だの黄金だの銀髪だのカラフルな頭をしているのだ。一人や二人ならともかく、これだけいれば間違いない。
そこでまとめて送られたことを察する。
「ははっ、異世界転生かよ」
呟きながら辺りを見回す。
ボロ屋の群れは、貧困の二文字を想起させた。裕福でないどころか、スラム街にも近いのではないか。
……いや、そもそもここはどこか。
大きな街には思えない。
思案しながら人混みをすり抜けて行く。
精霊は増える一方だ。
まさかこの寒村に全員詰め込まれるとは思えないが、一割でも送り込まれれば600人を超えるのだ。
キャパシティが足りていると楽観出来なかった。
広場を出てすぐに、村境の柵が目に入った。
直感は正しかったのだ。
この初期地点である寒村は大きくない。小さいと言って良い。であれば、数十、数百の精霊を受け入れられない。
そうなった時に、どこへ行けば良いのか。
面倒なクエストとか強制ミッションのような物を受けさせられるのでは。
強ち考えすぎではないのかもしれない。あるいは考えすぎであるのかもしれない。
だが、どちらに転んでも良いように備えるべきだ。
せめて、多少は好みな選択肢を採れるように。
村境の入り口だろうか。
柵が途切れている場所までやって来た。
精霊が数人、村を出ていく。同じように考えたのだろう。
歩きながら所持アイテムを確認した。
初期配布のポーションが5本。
携帯食料の乾パンが5袋。
火起こしセット。
ログアウト用寝袋。
インベントリの中身はそれで全部だ。
身に付けているものはチュートリアルと変わりない。
麻のシャツとズボンに、片手剣と小盾。
片手剣をじっと観察する。
『鑑定』のようなスキルは採らなかったため、詳細は分からない。ただ、どうやら鉄製ではなさそうだ。
小盾は木製で、耐久性にはどこか不安が残る。
やはり、装備の更新を考えると初期地点の寒村に留まることを選べない。
メニュー画面から簡易マップを開く。
簡易なだけあって現在地の名前も分からないが、それでも周囲が何となく分かるだけ大きな違いだ。
どうやら南に川が、東に森があるらしい。
そして、今居るのは村の南東の入り口だ。
「川を越えるか、下っていくか……」
北側に向かうのは単純に時間的なロスだ。またあの広場の人混みを抜けていく気にはならない。
こういうのは巡り合わせで、南東に来たのは何かの導きと思って進むべきだろう。
ひとまず川へと向かって歩き出す。
いざ、川とぶつかってからどうするかを考えよう。そう決めて。
土が剥き出しの道を歩く。
轍の無い、デコボコした道だ。
あの寒村は馬車の来ない僻地なのか。
日差しは弱い薄曇り。
スッキリしない天気に空を仰ぐ。
ワールドシミュレータの流れを汲むとは言っても、旅立ちの日くらい気分良くさせて欲しいものだ。
と、そこに脇の草むらからポヨンと魔物が飛び出した。
ムルテだ。
チュートリアル初戦で相手した緑色のプルプルで、恐らくは『CoH』において最弱の存在。
何も身構えることなく、抜き放った片手剣を叩きつける。
それで終わり。
バチュン、と弾けてムルテは消えた。
「まあ、そりゃそうか」
チュートリアルでそうだったのだから、今さら苦戦するはずもなく。
近辺に出現するのがこれと同程度の魔物であれば、なおのことあの寒村に留まる理由がなくなる。
さらにムルテを2匹潰し、少し歩けば川岸に辿り着いた。
綺麗な川だ。川底が見えるくらいには透明で、流れも緩やかで波が少ない。
泳いでいる魚、あれは食料アイテムになるのだろうか、がちらほらと居る川は、生命力を感じさせる。
ただ一つ気になるところがあるとするならば──。
「──あれ、ボスだよな?」
川に架けられた唯一の橋。
その手前に陣取る獣。
離れて様子を窺うこちらに反応こそしないものの、近付けば間違いなく襲いかかってくることだろう。
四足のそいつは、薄汚れた茶色の毛皮に覆われていて。額に短い角が生えている点以外は、レッサーパンダにそっくりだった。
その愛くるしい姿に力が抜ける。
なんだレッサーパンダって。定番なら狼や熊、あっても兎だろう。多少汚れていようと、ビジュアルがファンシーに過ぎる。
しかし侮ることは出来まい。
チュートリアルに登場しなかった奴の戦闘力は未知数。
加えて、橋のような重要施設を塞ぐボスとくれば、周辺の魔物よりも戦闘力が高くなるのは自明の理。
さらに、ムルテとしか遭遇していない私は、この周辺に出る他の魔物を知らず、そこからレッサーパンダの強さを類推することも不可能。
そもそもだ。
普通、この手の連中は仲間を集めて挑むのがセオリーで、レベルが1のソロで突撃をかますのは死にに行くのと同義である。
などと考えながらも、その場を離れる気は欠片も起きなかった。
戦略的撤退くらい理解している。
だが、それは周りに迷惑をかけてしまう時の話だ。
今なら違う。失敗しても困るのは自分一人。ペナルティを負うのも納得尽くで済む。それだって寒村に叩き戻されるくらいで、損失はほとんど無いと言える。
そう、挑まない理由がなかった。
片手剣を抜き放ち、小盾の留め具を確認しながら、ゆっくりとレッサーパンダへと近付いていく。
あと5メートル。レッサーパンダがのそりと顔を上げた。その視線はこちらを捉えている。
大きい。
寝そべっていた時点で現実のものとは比較にならないサイズ感だと思っていたが。
身体を起こしたレッサーパンダは大型犬くらいの大きさに見える。
お前、小さいからレッサーパンダって名前にされたんだろうが。でかいならレッサーじゃねえよ。
ふるふると身体を震わせてから、そのビーズのような瞳がこちらを正面から見据える。
視線が交錯した。
明らかな敵意。
[《橋塞ぎの》ディングレイ]。
警戒するように、威嚇するように。
牙を剥くディングレイ。
こちらも応じるように片手剣の鋒を向ける。
改めての戦力分析。
こちらは一人。レベルは1。装備も初期のもの。ゲームを始めてから30分も経っていない。
あちらは1体。レベルは不明。パーティをまとめて相手に出来る。とは言え、位置的に最初のボスであるから低レベルで戦う想定のはず。
結論を述べるなら、圧倒的な不利。ただ、勝ち目が全く無い訳ではない。
「くははっ……!」
自然と笑みが漏れた。
このレッサーパンダがどれほどのものであろうと、エンゼリカの圧の方が格段に上だった。それは間違いようがない。
ならばここで、止まれるものかよ。
先手を取ったのはこちら。
様子見をしようとしたディングレイの鼻先へ片手剣を突き入れる。
それを嫌がられて弾かれる。まあ想定通り。弾かれながらも何度か突きを入れていく。
牽制だ。
腰は残して、軽い攻撃を連続させる。
時折フェイントやタイミングをずらした突きを混ぜ、ディングレイの苛立ちを誘う。
攻撃をしつつ、少し感心していた。
初期も初期の敵が相手で、まさか駆け引きが成立するとは思っていなかったからだ。想像以上にハードな攻略となる予感がした。
繰り返される突きを嫌がって暴れるディングレイ。身悶えしている間は二歩退いて落ち着くのを待ち、モーションが途切れたところでチクチクと攻撃する。
堅実に攻めるのだ。
噛み付いてこようとすれば、手首のスナップでその鼻先を打ち据える。突進には体を入れ替えてすり抜ける。
そうしてチクチクと刺し続けた。
5分近くそれが続く。
ひたすらド突きまわす時間だ。顔を狙って執拗に攻撃を重ねる。
その鬱陶しさに痺れを切らしたディングレイが吠え、後足で立ち上がった。
「ははぁん。第二形態だろ、それ」
レッサーパンダの特技として、二本足での直立が挙げられる。
短い後足の上に骨盤を乗せる形で支え、真っ直ぐに立つことが可能であるのだ。
すっくと立ち上がったディングレイの背丈はこちらを超える。
頭一つ分は上にあるディングレイの顔を見上げて、それから──。
「こっからが本番ってか? 分かってるよ!」
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