2.An ant bite
──死んだ。
初擊で死んだ。両断だった。真っ二つだ。
手も足も出ないとは正にこのこと。
いや、防御をしようとはしたのだ。小盾を構えて、受け止めようとした。
どうしてあのような真似をしたのだろうか。少し考えれば、土台無理だと気付けそうなものを。
「まあ、考える余裕がそもそもなかったわけだが……」
掲げた盾ごと、振り下ろされた大剣で叩き斬られた。潰されたと言っても良い。
圧倒的な力の差。
単純な膂力の、ステータスの格差。それをまざまざと見せつけられた。比べることも烏滸がましい程の隔たりを教えられたわけである。
それは良い。
ある種、予想通りですらあるのだから。
モンスターは質で、プレイヤーは量で対抗するのがこの手のゲームの鉄板だ。
ちょっと、いや多少チュートリアルとして問題があるのではないかと疑問に思わざるを得ないが、これもリスポーンに慣れるためだと言われれば頷くことも吝かではない。
問題は──。
『Again?』
──これだ。
海辺に戻された後、出現しているメッセージウインドウ。
もう一度チャンスをくれるらしい。
良いのか?
繰り返し挑んで良いのか?
逡巡したのはほんの僅かな時間だけ。
もう一回だと答えれば、演劇の場面が切り替わるように立っていた場所が海辺から草原へと変わる。
不思議な感覚だ。
ChallengeStageだからか、それまでのチュートリアルにはなかった演出が盛り込まれている。小鬼どもと戯れたのは全部砂浜での話。
だがここは違う。
背丈の低い青草が生い茂るなだらかな丘陵地。どこか牧歌的で、しかし同時に頽廃的でもあった。
具体的に何が頽廃的かは示せないが、鼻の奥をくすぐる空気の匂いが人心の腐敗を教えてくれる。そんな気がした。
緑の海、そのただ中に奴は居た。
先刻、人を軽々と両断してのけたとは思えないほどに美しい、汚れ一つない純白の鎧。それに身を包んだ細い女。
[《赫激竜》エンゼリカ]
何から何まで疑問だらけだ。
竜には見えない姿。名前に反して白い鎧。それまでのモンスターとは異なる明らかな人名。
"異質"だった。
何より異質なのは彼女が手にする大剣。構えた盾ごと切り捨ててくれたあの大剣だけは、純白とかけ離れた色をしていた。
敢えて言うならば、混沌か。
黒くはある。
多くの色が混ざり濁った黒なのだが、漆黒とは評せず濡烏とも暗黒色とも異なっている。綺麗ではないが汚いとも言い難い。
純白の鎧と対比になって、深さが窺えるとでも言おうか。引き込まれるような、覗き込まれるような、あるいは呼び掛けられているような……。
思考を切り替えて、視線を大剣から外す。
あれは恐らく、良くないものだ。
少なくとも無害ではない。
こちらのファイティングポーズに反応したのか。エンゼリカが身動ぎした。
見ている。
こちらを。
間違いなく。
途端、凄まじい重圧が降りかかった。押し潰すような圧力だ。一度目の邂逅ではなかった手荒い歓迎に、軋むほど歯を食いしばる。
深海に沈められたかのように全身が締め付けられていく。いやそれは錯覚だ。錯覚だと理解しながら、しかしそれに抗えない。
自然と呼吸をしようと喘いでいた。
息ができない。
まるで魚が溺れるような、有り得てはならない理不尽。
先刻の挑戦が呆気なく終わった理由の過半がこれだ。まるで身動きが取れず、案山子も同然にズンバラリン。
ただのプレッシャー、あるいは威圧感であるのだと理解はしたものの、それを微塵も活かせなかった。
視界が明滅する。
色が抜け落ちる。
痛みはない。ただ擬似的な苦しみから逃れようとして、何度も口を開いては閉じる。
輪郭がぼやけて、像が乱れいく。
無数の星のような輝きに手が届きそうだ。
そして、気付けばエンゼリカが眼前に立っていた。
急速に世界が色を取り戻していく中、純白の鎧に続いて振り上げられた刃の暗い輝きが目に入る。
──ああ、死ぬな。
淡々とそう思った。
避けようがないし、防ぐことが出来ないのも実践済み。
詰みだ。
チュートリアルで勝てない敵と戦わされることに腹立たしさを覚えるが、何かしらの意図が運営にあってのものだろう。
だからこれでお仕舞い。
下手な抵抗をすることなく、さっさと次のステップへ進めば良い……。
「……わけあるかよなあッ!」
力を込めれば腕は動いた。
重圧は今も変わらない。変わらずにただただ錯覚し続けている。
錯覚だ。
最初から最後まで踊らされていただけに過ぎない。
居もしない幽霊を枯れ尾花に見るように、エンゼリカがこちらを認識したという恐怖が重圧として知覚されていたのだ。
恐らくはレベル差かステータス差に起因するものだろう。あるいはスキルか何かか。
まあ、検証するつもりはないが。
悠然と振りかぶられた巨剣を迎え撃つべく、左の小盾を身体の前へ割り込ませる。
足りないことは重々承知。
真正面から受け止めることは叶わない。それは蟻が象を倒すようなもの。
しかしここはゲーム。
人が怪物の初擊を往なす、そんな非現実であっても許容される──!
刹那。
何かの、擦れる音がした。
横合いから巨剣の腹を優しく押し出し、軌道を逸らして永らえる。
そんな目論みは半ば成功した。
……迫る剛剣に盾を噛ませるまでは上手くやれたのだ。
そして噛ませてはいけなかった。
逸らしきれず、往なしきれず。
軌道を狂わされたものの、巨剣は鋭く大地まで迸った。あらゆるものを両断せしめん威力そのままに、進路上の全てを切り裂いて。
僅かにズラシた。
それによって命を拾いこそしたものの、代償は決して軽くない。
小盾を砕かれ、左腕は引きちぎられた。
肩口は見るも無惨な様相を呈し、出血状態に陥ったことで鮮血のエフェクトが周囲へとバラ撒かれる。
もって数分だろう。
生命力が尽きていないことが奇跡と言って良かった。
──だが生きている。生きているのだ。
まだ負けていない。
致命傷に近い傷を負わされたものの、圧倒的な格上を相手にして一撃を凌いだ。
だから、次はこちらの番。
「……おおッ!!!」
烈帛の気合いとともに踏み込み、身を捻り、腕を畳む。三つの動作をワンアクションで、連動ではなく並行させて。
最短最速で突きをエンゼリカの顔にぶち込むために。
その予備動作が整う瞬間。
有り得ないものを見た。
腰だめに構えられた巨剣。
踏ん張りが効かないことに遅れて気付いた。ぐらりと身体が傾ぐ。前へと倒れ行く。
足を斬り飛ばされたのだと理解したのは全てが終わった後だった。
このままでは届かない。
届いたとしても力が入らない。
鬼ごっこをしているわけではないのだ。触れれば勝ちなんてルールで動いていない。
目指すべきは完全な勝利。
まぐれ当たりなどではなく、きちんと攻撃を当てて威力を伝えてダメージを与えなければ。
落ちる。落ちる。落ちていく。
極限まで圧縮された時の中で、濃密な粘性の世界で必死に模索する。打つべき手を。
何もかもがゆっくりと見えた。
腰だめに構えられたエンゼリカの巨剣。
ああ、柄を握る手指の優美なるかな。まるでテラスにテーブルセットを置いてティーカップを摘まむようにして、お茶を楽しむのがお似合いなお嬢様のよう。いやいや真実、お嬢様なのだろう。その線の細さは戦う者の空気とはかけ離れている。
それでも覇者としての存在感は暴力的なほどで。
とりとめのない思考。
何もかもがよく見える。と同時に、深く捉えることは出来ない。
あらゆるものに意識が向かい、それでいてあらゆるものから興味が離れていた。
目に映る、読み取れる情報の上っ面だけを掬い取り、右から左へ聞き流すかのごとき所業を視覚情報の処理で行っていく。
自分自身を広く薄く延ばしていくような感じであった。
ある種の機械染みた自身の反応に戸惑いはある。だが、その戸惑いからは切り離されて事態は進む。
宙に浮いた身体が地に落ちるよりも早く、突きを放つために胸元で構えていた剣を手首の返しで肩へと担ぐ。
直感の命じるままに動いた形だ。いや、もう命じるとかそんな次元ではない。思考とは独立して身体が動く。そのような感覚に近い。
──瞬間、巨剣が振り抜かれる。
甲高い音が鳴り響いた。
「……有り得ぬ」
エンゼリカが呟く。口元を覆う装甲によってくぐもっているが、その鈴の音のような声には確かな驚きが乗せられている。
彼女の視線が向けられたのは、上。
見下ろして、彼女と目が合う。
「くはは!」
自然と笑みが漏れた。
向けられた驚愕だけで、挑戦に意義があったと感じられる。
我ながら無茶をしたものだ。だがその甲斐はあった。
巨剣が振り抜かれる瞬間に合わせて、渾身の一撃を叩き込んだのだ。巨剣の腹に。
『スラッシュ』も起動させての一撃は何ともならずに弾かれた。それは当然のこと。元よりどうこう出来るとは思ってもいない。
そも弾かれることこそが狙いだった。
その勢いを上方向へ調整して、跳び上がったわけである。もう一度は出来る気がしない。
脚を斬り飛ばされた時点で、地上での戦いは諦めていた。まあ、脚が無事でも打ち合えないことには変わりないだろうが。
とにかく、脚を失った不利を埋めなければならない。そこで空中に留まることを求めた。
滞空状態にあれば、脚が失くなったことは的の小ささというメリットに転じる。
──そして、今この状態にあってこそ使えるものも存在するのだ。
巨剣が再度弧を描く。
だがそれよりも先に、こちらの刃がエンゼリカの顔へと迫る──!
突進技。重力加速度。軽量化。そして、僅かながらも確かにあった驚愕による硬直。
『汎用剣技Lv.1』ではスラッシュとストライクの二つが扱える。その場での切り下ろしと相手へ突っ込んで剣を叩きつける技の二つだ。
見せることのなかった『ストライク』が、ここに来て力を発揮する。
ぐん、と加速する身体に勝利を予感した。
エンゼリカの巨剣よりも、こちらの方が僅かに早い。そう思った。そうだと信じていた。
空気の、爆ぜる音。
恐ろしい速さで迫る混沌。
辛うじて認識は出来たものの、反応など出来るはずもなく。
ほんの一瞬。
脇腹から肩へと抜けて、巨剣が振り切られる。遅れて衝撃が。全身がバラバラになるような感覚。視界が回る。回転軸が日常生活では有り得ないものであった。
切り裂かれた?
そんな温いものではない。完全に破壊されたのだ。線ではなく面での攻撃。トラックに轢かれたとしてもこうはなるまいて。
巨剣が胴を通過してから体感で一拍も二拍も遅れて、内から弾け飛ぶようにして吹き飛んだ。
◇
ガランッ──。
抜け落ちた剣をエンゼリカは注意深く観察する。
それは何の変哲もない店売りの片手剣で、先ほどまで居た男の持ち物で、エンゼリカの兜のスリットから抜け落ちたものだった。
そう、抜け落ちたのである。
スリットに差し込まれていたそれは、ほんの数瞬前までエンゼリカの頭部にあった。
俄には信じがたい。
戯れではあったものの、それで隔絶した力量差が消えてなくなったりする訳がないのだ。
象と蟻より尚遠い。であると言うのに、蟻の一噛みが届いてしまっている。
しばしの間、剣を眺めていたエンゼリカはやがて興味を失って顔を上げた。
考えるのを止めたのだ。
蟻の一噛みが届いたとして、それで象が死ぬことは無いように。
そこらの剣が隙間から差し込まれたくらいで、エンゼリカが傷を負うことはないのだから。
「……名前を聞いておくべきだったか」
──それでも。いささか珍しい蟻に、エンゼリカの心が動かされたのもまた事実であった。
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