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歴史物

はざまにありて

作者: 網笠せい

 薫風が木々の合間を抜けると、木の葉がざわめいた。

 傍らに眠る娘たち……茶々と初に小袖をかけたお市は、その音に耳を澄ます。

 葉ずれの音に混じって、甲冑の音が聞こえる。ただならぬ気配である。いったい何事かとお市が問うと、鎧武者はわずかに言い淀んだあと、敦賀金ヶ崎への出兵を告げた。

 お市は瞠目して唇を引き結んだ。金ヶ崎には兄、織田信長が布陣しており、今まさに越前朝倉領に攻め入らんとしている。浅井領から信長を挟撃しようという腹だろう。いかに戦上手の兄とはいえ寝耳に水、妹を嫁がせた浅井長政が裏切るとは露ほども思うまい。

 昨夜、鴉が一声鳴いた。あれは凶兆であったかと、お市は小袖を握りしめた。このところ長政は何かとお市に声をかけ、困りごとはないか、もしあるならば遠慮せず申せと、ことあるごとに気遣った。


 ──織田家に頼みたいことでもあるのかと勘繰っていたが、この企てがうしろめたいのであったか。


 お市はゆっくりと目を伏せて侍女に小豆を所望すると、机の上に花菱模様の布を広げた。

 浅井は六角氏、朝倉氏、織田氏を主家筋とするが、よもや朝倉家を選ぶとは。お市はため息をついて、眠る娘たちを眺めた。

 いつまでも上洛せぬ越前朝倉家に業を煮やして織田家を頼った足利将軍義昭だが、傀儡にされるのをよしとせず、各地に密書を送って信長包囲網を敷いたという。

 なにも将軍が見限った朝倉家につくことはあるまい。

 しかし浅井長政という男は、そのような気質である。

 戦場にあっては勇猛果敢だが、義に篤い。長政の父の隠居に際しても、命を取るような真似はしなかった。織田や武田ならば問答無用であったろうにとお市は苦笑いを浮かべて、眠る娘たちに手を添えると、とんとんとあやした。

 にらみ合いと小競り合いに終始して上洛を果たせなかった諸勢に、何ができるというものか。

 とはいえ、兄信長は、長政が裏切るとは考えてもいまい。

 侍女が届けた小豆を受け取ると、お市はつづけて密使の手配を任せた。

 小豆をそっと手ですくってみる。ざらざらという音がして、花菱模様の布の上に小豆が転がり出た。


「茶々もやる!」


 いつの間にか起き出していた茶々が横から手を伸ばす。小さな手のひらで小豆を集めるが、いくつかころころと机から落ちた。

 いとけない仕草に微笑みながら、お市は茶々の落とした小豆を拾い上げる。


 ──長政も、不器用なひとなのだ。


 お市は布の上に小豆を戻すと、茶々の頭をそっと撫でた。やわらかな感触が、お市の手のひらに残る。当の茶々はきょとんとした顔をしている。初はまだ寝ているようだ。

 外から甲冑の往来する音がひっきりなしに聞こえてくる。戦支度を整える武者たちが邸内を駆け回っているのだろう。

 兄信長は、有能な配下の謀反を許す。長政ほどの人物であれば、おそらく赦免されるであろう。織田家と浅井家の安泰のためにも、今信長を討たせてはならない。

 長政がそれを受け入れるとは限らないのが、悩みの種だった。

 小豆を布で包み終えた頃、密使がやってきた。両端を縄で縛った小豆を渡すと、密使は目をぱちくりとさせた。


「お便りなどはよろしいので?」

「言伝を。陣中のお菓子になさるべく候と」


 庭の木がさざめいている。お市はそっと胸の前で小袖を握りしめた。駆け出した密使の向こうに、輝く近江の海が見えた。

 小豆は無事、信長に届けられたという。

お読みいただき、ありがとうございます。

この小説は『朝倉義景記』(原題は『朝倉家記』)に記載された逸話を元にしたものです。

『朝倉家記』は作者不詳、成立年不明ですが、国立公文書館デジタルアーカイブで読めます。

元は昌平坂学問所の蔵書ですから、おそらく戦国〜江戸時代に書かれたものです。


・参考資料

Wikipedia / コトバンク / リファレンス共同データベース / 国立公文書館デジタルアーカイブ『朝倉義景記 下』(朝倉家記) / 滋賀県 / 金谷信之『情報夜話』より『袋の小豆』 / 戦国サプリメント 戦国未満 / Histonary / ふりがな文庫/ GoogleMap / 気象庁

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