第9話 役目の線
浅い眠りの底から、鐘の音に引き上げられた。
胸の奥に、低く響く振動。
教会の鐘の塔から届く音は、村じゅうの空気を揺らして、最後に俺の耳へと落ちてくる。
(……昼前、か)
ぼんやりとした頭で、窓の外の明るさと鐘の回数を照らし合わせる。
体の重さは、ほとんどない。
腕も足も、さっきまで闘技場で木剣を振っていたとは思えないくらい、すっきりしていた。
『筋肉の微細損傷、許容範囲内。体内マナの残量も充分です』
「おはよう、リラ」
『おはようございます。……“疲れたフリモード”は、まだ継続でよろしいですか?』
「それをモード呼ばわりするなよ」
苦笑しながら、ベッドから身を起こす。
腕を回し、足首をひねる。
関節はなめらかで、寝る前よりむしろ軽いくらいだ。
でも、それをそのまま顔に出すつもりはない。
立ち上がる前に、深く息を吐いた。
胸を少し大きめに上下させてから、わざと肩で息をする。
「……ふう」
『演技、良好です。呼吸数だけ見れば、“午前中に全力で動いた少年”です』
「そこだけ切り取ると、なんか罪悪感あるな」
理層の奥で、リラがくすりと笑った気配がした。
ベッド脇に畳んでおいた服に手を伸ばす前に、軽く詠唱する。
「《清浄》」
指先から、薄い光の膜がじわりと広がり、肌と髪に残っていた汗の感触と匂いをさらっていく。
砂と土の細かい粒子が浮かび上がるように消え、寝巻きの生地も少し軽くなる。
鏡代わりの金属皿に映る自分の顔を、ちらりと覗く。
あえて、目の下にほんの少しだけ陰りが見えるように、表情筋を落とす。
──疲れているように見えて、でも「無理して立っているわけじゃない」程度。
この辺が、いま決めている“線”だ。
『セイ』
「ん」
『もう少しだけ、口角を上げておいた方がいいかもしれません。“不安で潰れそう”より、“ちょっと緊張しているだけ”くらいの表情が、周囲の大人には安心かと』
「了解」
口元だけ、ほんの気持ち持ち上げる。
自分でやっていてなんだけど、面倒な世界に来てしまったもんだ。
服を着替え、部屋を出る。
廊下には、昼の光が淡く差し込んでいた。
食堂に降りると、神父さんがちょうどテーブルを拭いているところだった。
「起きてきましたか、セイ君」
「はい。……少し、寝過ぎました?」
「いいえいいえ。今日は、たっぷり休んでいい日ですよ」
神父さんは、いつもの穏やかな笑顔で、椅子を引いてくれる。
「さっきギルドの方から使いが来ましてね。“午前中は休ませておいてくれ”と。珍しいことです」
「ガランさんからの伝言、ですか?」
「ええ。あの方が、わざわざそう言ってきたんですよ。あんな顔をしていますが、随分気を遣っているのでしょう」
目の前に置かれたのは、スープとパン、それから薄く焼いた卵。
質素だけれど、しっかりと香りのある昼食だ。
「……いただきます」
「どうぞ。食べながらで構いません。今日のこと、少しだけ聞いても?」
パンをちぎりながら、俺は苦笑する。
「昇格テスト、でした。模擬戦で、どこまで“いなして守れるか”を見たいって」
「なるほど」
神父さんは頷き、テーブルに肘をつかないように、指を組んだ。
「生きて帰るための力を測る、というわけですか」
「……そんな感じだと思います」
あの場で交わされた視線や、観客の空気を思い出す。
俺の木剣と、ガランさんの木剣。
どこまでも追いかけてきた線。
「結果は、昼過ぎに教会の庭で、って言われました」
「そうですか」
神父さんは、少しだけ目を細める。
「セイ君。私は冒険者のことは詳しくありません。けれど、一つだけ、ギルドの人とも確認していることがあります」
「確認、ですか」
「ええ。“この子をどれだけ危険な場所へ近づけるか”という線を、必ず大人たちの間で決めてほしい、と」
スプーンを持つ手が、自然と止まる。
「……神父さん」
「私は、君のすべての事情を知っているわけではありません。でも、村に預かった命として、ギリギリの線を越えさせないようにする責任は感じています」
言葉は柔らかいのに、その眼差しには、どこか強い芯があった。
「君自身も、どうか。“どこまでなら踏み込んでいいか”を、これから一緒に考えていきましょう」
「……はい」
素直に、頭を下げる。
俺が決める線。
ギルドが決める線。
教会が守ろうとしてくれている線。
いま、その全部が、どこで重なるのかが決まろうとしている。
『セイ』
器に残ったスープを飲み干したあたりで、リラが小さく囁いた。
『マナ水晶ネットの進行ログだと、ギルド会議は“結論整理中”になりました』
「相変わらず、外から様子だけはよく見てるな」
『外側の状態表示だけです。中身の会話までは読んでいませんから』
そういうところは、妙に律儀だ。
食事を終えると、神父さんに礼を言って、教会の裏庭へ出る。
教会の庭には、日差しに温められた土と草の匂いが、ほんのりと残っていた。
石造りの建物の影が、地面に短く落ちている。
大きな木の根元に腰を下ろし、空を見上げる。
青空の上に、薄くマナの線が走っている。
村の中心部──ギルドや広場につながっているマナの流れと、教会の塔から伸びる祈りの筋が、空中でゆるく交差しているのが見えた。
その交差点のどこかで、いま、大人たちが俺の扱いを話している。
(……あの試合を見た後で、か)
胸の奥に、じわりとした熱が蘇る。
木剣がぶつかる感触。
砂を蹴る足。
ガランさんの、重たい一歩。
『心拍数、さっきより少し上がりましたね』
「そりゃあ、なるだろ」
『不安ですか?』
「不安っていうより……」
言葉を探しながら、両ひざに腕を乗せる。
「“どこまでやっていい”かより、俺のことを“これから何させるつもりなのか”の方が気になってる」
『さっきの試合を見たうえで、ですね』
「うん。あれだけ見れば、“やらせればやれる”って思われてもおかしくないだろ。でも、ギルドから見た俺って、まだ教会預かりの見習いみたいなもんだし」
前の世界で積み上げてきた場数と、この体の年齢のギャップが、胸の奥でちぐはぐに擦れ合う。
「前の世界だとさ、プロジェクトでも何でも、“もっとやれ”って言う人はいくらでもいるのに、“ここまでにしよう”とか“やめよう”って言う権限を持った人は、なかなかいなかったんだ」
「そういう現場がだんだん壊れていくのを、何度も見てきた」
火のついた企画、止まらなくなった現場、言い出せない中止。
そんな光景を、俺は嫌というほど見てきた。
「この世界でも、同じことが起きると思う。濁りの調査とか、もっと大きい戦いとかさ。……誰も『ここまでにしよう』って言えなかったら、きっと同じように壊れる」
そこまで口にして、いったん言葉を飲み込む。
自分がその役をやりたいのかどうかなんて、まだはっきりしていない。
ただ、また同じ壊れ方を目の前で見るのが怖い――それだけは分かっていた。
苦笑しながら、木の幹にもたれかかる。
「でも、誰かがやるなら、俺がやるって決めた。線が見える分、言葉にしやすいから」
俺の視界には、地面の下を流れるマナの筋や、村の人々の生活の線が、薄く、しかしはっきりと見えている。
そこに、「生きて帰るための線」を重ねて引くこと。
それが、自分にしかできない仕事なら──。
『……セイ』
リラの声が、少しだけ柔らかくなる。
『その決意を、ちゃんと口にできている時点で、もう半分は踏み出してます』
「残り半分は?」
『ギルドとの契約書面ですね』
「そこで現実に戻すな」
そんなやりとりをしていると、教会の門の方から、ざわめきが聞こえてきた。
木の陰から顔を出すと、見慣れた姿が見える。
先頭を歩く、大柄な背中。
その後ろに、剣を腰に下げた少女と、弓を負った青年。
派手なポーチをいくつもぶら下げた錬金術師と、聖印を胸に提げた神官見習い。
ガランさんと、《リュミエルの灯》だ。
「……来たか」
俺が立ち上がるより早く、アヤがこちらに気づいた。
「セイ!」
大股で距離を詰めてきて、目の前でぴたりと止まる。
その顔は、今朝、ガランさんとの戦闘を見ていたときの不安そうな表情とは裏腹に、どこかスッキリした心境が垣間見える笑顔だった。
「体、大丈夫?」
「はい。打撲も、たぶん明日あたりに筋肉痛が挨拶に来るくらいで」
「軽口を叩けるなら、まだ余裕があるってことね」
アヤは、ふっと息を吐く。
その後ろで、ミナがにやにやしていた。
「セイ君、午前中、ちゃんとおとなしくしてた?」
「神父さん監視付きで、教会の中でした。逃げ出す隙、ありませんでしたよ」
「それはそれで安全管理ばっちりだね〜」
ミナが笑い、コルトは短く言う。
「見た目は、少なくとも“倒れる寸前”ではないな」
「ほんとですよ。ガランさんの一撃、一瞬“これ殺す気か…”って思うくらいでしたから。こっちは必死でしがみついてただけです。余裕なんて全然なかったですよ」
それは本当のことだ。
実際には、リラがずっと線を見ていて、俺の体力と反応速度に合わせて「ここまでは耐えられる」「ここから先は危ない」と、避ける方向を細かく示してくれていた。
ガランさんも、その範囲の中で踏み込みを止めてくれていたのが分かる。
だからこそ、“殺す気か”と思う一歩手前で、きっちり試験の範囲に収まっていたのだ。
ただ、その「本当」がどこまで伝わるかは、また別だ。
「セイさん、本当に、怪我は……」
リアンが、おずおずと口を開く。
「祈りの準備はできていますから、少しでも痛いところがあれば」
「今のところは、本当に大丈夫です。あの時も、リアンさんのおかげで、大きな怪我は避けられましたし」
リアンの頬が、わずかに赤くなる。
その横を、ガランさんがゆっくりと通り過ぎ、庭の中央に立った。
「集まってくれて、助かる」
いつもの落ち着いた声が、庭に広がる。
「ここなら、ギルドより人目も少ないからな。教会には、話をする許可も取ってある」
神父さんが、少し離れたところで頷いているのが見えた。
「さて」
ガランさんが、俺の方を見る。
その視線を受けて、背筋が自然と伸びた。
「セイ。まずは、昇格テストの結果から伝える」
「……はい」
喉の奥が、少しだけ乾く。
舌を動かしすぎないように注意しながら、返事をする。
「結論から言うと──お前を“教会預かりの見習い”のままにしておくのは、もう現実的じゃない」
その言葉に、アヤたちが小さく息を呑む。
「実力の話だけをするなら、今の時点で、普通のDランク冒険者と同等以上だ」
「Dランク……」
思わず、声が漏れた。
ギルドに登録してから何度も見てきたランク表。
その中で、俺の名前の横にはずっと「見習い」とだけ書かれていた。
『想定範囲内ですね』
(分かってたなら、もう少し心の準備をさせてほしかった)
『準備しすぎると、表情が硬くなりますから』
リラの返事に、心の中でだけため息をつく。
「ただし」
ガランさんは、指を一本立てた。
「年齢、実績、それからお前の特殊性を考えると、“普通のDランク”として扱うわけにもいかない」
「特殊性、ですか」
「線が見えることも含めてだ」
あっさりと言われて、背中に汗が滲む。
でも、ここで取り繕っても仕方ない。
昇格テストの最中、俺がどれだけ「線」を拾っていたかは、ガランさんにはほとんど見抜かれている。
「そこで、ギルドとしては二つ決めた」
ガランさんは、庭の全員を見渡す。
「一つ。セイは近いうちに、正式なDランク冒険者として登録する。書類と本部への連絡があるから、証が届くのは数日後になるが、扱いは今日から“Dランク相当”だ」
「……はい」
予想していたはずなのに、胃の奥がきゅっと縮む。
見習いという薄い殻が、音もなく剥がれ落ちていく感覚。
「そしてもう一つ。危険な依頼のとき、お前には“特別な役目”を任せる」
ガランさんの声が、少しだけ低くなる。
「名前をどうするかで、さっきまで中で揉めていてな」
「名前、ですか?」
「ああ。最初は、“撤退を言う役”とか、色々案が出た」
「撤退を……言う役」
ミナが、口元を押さえて笑う。
「なんか、縁起悪くない? “撤退を言うために連れてきました”って紹介するの」
「言いにくいですね。責任の所在も、曖昧になりそうです」
コルトが、現実的な顔で言葉を足す。
「“言う”だと、命令されて言わされるみたい、でしょうか」
リアンが、おそるおそる続ける。
「私だったら、“誰の判断で”と言われたとき、少し戸惑います」
「そういう話を、ついさっきまでしていた」
ガランさんは、小さく頷いた。
「だから、正式な呼び名はこうすることにした」
俺の前まで数歩近づき、真正面から見据える。
「──“撤退を判断する役”。危険度の高い依頼では、お前がそういう立場だ」
その言葉が落ちた瞬間、俺の視界に、見えない線が一本引かれた気がした。
前へ、ではなく。
引き際の方へ伸びる線。
「セイ」
アヤが、横から口を挟む。
「つまり、どういうことなんですか?」
「簡単に言うとだな」
ガランさんが、手短に整理するように言葉を並べる。
「外縁や濁りポイントで、“これ以上進めば、生きて帰れない危険が大きすぎる”とセイが判断したとき」
そこで、一度言葉を切る。
「アヤ、お前の意見よりも、俺の判断よりも、セイの“撤退だ”という声を優先する。そういう取り決めだ」
「……!」
アヤの目が、大きく見開かれる。
リアンも、胸元で握った手に力を込めた。
「もちろん、最後に決めるのはパーティ全体だ。だが、“撤退ラインを見る役”としては、セイの判断を最優先に尊重する」
ガランさんの視線が、俺の目の奥を探るように深くなった。
「その代わり──」
嫌な予感と、分かっていた予感が、同時に胸をよぎる。
「お前が“まだ行ける”と判断して前に出るときは、その責任も背負うことになる」
「責任、ですか」
「そうだ。お前は前衛として戦う人間じゃない。前線を張るのは、これまでどおり《リュミエルの灯》だ」
アヤたちをちらりと見てから、続ける。
「セイが前に出ていい条件は、一つだけ。──“このまま行けば、次の一撃で誰かの命が落ちる”と、お前自身が判断した瞬間だ」
その言葉は、すでに一度、取り決めとして聞かされている内容だ。
崖が崩れたあの日の前夜に、ガランさんと交わした約束。
でも、いまこうして、“正式な役目”の中に組み込まれると、重さが違って聞こえる。
「その瞬間だけは、ギルドや《灯》の事前許可なんて待たなくていい。前に出ろ」
ガランさんは、きっぱりと言い切った。
「その代わり、“戦いたくて勝手に前に出た”ときは、俺はお前を叱る。分かったな」
「……はい」
喉の奥で、何かが鳴った。
前に出る権利と、その責任。
引き際を決める権利と、その責任。
どちらも、軽いものではない。
『セイ』
リラの声が、静かに重なる。
『ここまでの話、ログに保存しました。“やっていいこと”と“やるべきこと”の線引きを、あとで一緒に整理しましょう』
(頼む)
心の中で短く返事をしてから、俺は顔を上げ直した。
「……一つ、確認してもいいですか」
「何だ」
「撤退を判断するのは俺ですけど、俺一人で決めるつもりはありません」
自分でも意外なほど、すらすらと言葉が出てきた。
「現場では、アヤさんたちの目や経験、それに現場の情報がなきゃ、正しい判断なんてできません。だから、“撤退が必要そうだ”って思ったときは、必ず一度、皆さんにも状況を共有します」
アヤたちを見る。
それぞれのマナの流れが、いつか見た輪のように、静かに回っていた。
「そのうえで、“それでも戻ろう”って言う権利を、俺にください」
庭の空気が、ほんの一瞬だけ静まる。
最初に口を開いたのは、アヤだった。
「……ずるいな、あんた」
「え?」
「そんなふうに言われたら、“嫌だ”なんて言えないじゃない」
アヤは、少しだけ笑って、それから真面目な顔に戻る。
「いいわよ。私も、ちゃんと言う。前に出るときは、出る。戻るべきだと思ったら、戻ろうって」
剣士の瞳に宿るのは、闘志だけじゃない。
仲間を生かして帰すための、覚悟の線だ。
「俺も賛成だ」
コルトが、短く続ける。
「撤退ラインにうるさい現実派としては、明確な役割分担は歓迎する。セイが判断するなら、俺はその判断材料をできる限り揃える」
「ミナも賛成〜。撤退の合図がちゃんと決まってた方が、爆薬の使いどころも考えやすいし」
ミナが、腰のポーチをぽんぽんと叩く。
「セイさんの“戻ろう”が、私たちを守ってくれるなら──」
リアンは、胸の聖印をそっと握りしめた。
「私は、その声を信じます」
四人の言葉が、胸の中に静かに積もっていく。
ガランさんは、そのやりとりを聞き終えてから、ゆっくり頷いた。
「……よし。大枠は、そんなところだ」
そこで、ふっと表情を緩める。
「今日のところは、ここまでにしよう」
「え?」
「これ以上一度に詰め込んでも、頭がパンクするだけだ。細かい話、正式な登録、依頼の範囲や報酬の扱いは、明日以降ギルドで詰める」
肩から、大きな重りが少しだけ降りた気がした。
「いま決めたのは、“大きな線”だけだ。──セイ、お前がどこまで前に出ていいか。そして、どこで“戻ろう”と言っていいか」
「……十分、重いですけどね」
思わずこぼれた本音に、ガランさんが少しだけ笑う。
「重さは減らさん。減らしたら役目の意味がなくなるからな」
「ですよね」
「だが、その重さは、お前一人に背負わせるつもりもない」
ガランさんは、アヤたち、《灯》の四人と、教会の神父さんを順番に見た。
「俺も《灯》も教会も、それぞれの立場でお前を支える。その前提での“撤退を判断する役”だ」
視線が、最後にもう一度、俺に戻る。
「……受けるか、セイ」
問いかけは短い。
それでも、その中に詰まっているものの多さは、嫌というほど分かる。
だからこそ、答えも短くする。
「はい。──引き受けます」
言葉にした瞬間、胸の奥で何かが「かちり」と噛み合った。
リラが、静かに告げる。
『新しい役目、“撤退を判断する役”。登録完了です』
(システム的に言うな)
『大事ですから』
心の中だけのやりとりに、俺は苦笑した。
庭に吹く風が、少しだけ変わる。
決意をなぞるように、木の葉の隙間から差し込む光の線が、俺たちの肩を順番になぞっていった。
◇ ◇ ◇
話が一段落すると、アヤたちは一度ギルドへ戻ることになった。
軽い依頼の報告や、これからの調整があるらしい。
「じゃあ、また明日」
ミナが手を振り、リアンがもう一度「本当に、無理はしないでくださいね」と念を押す。
コルトは「明日、ギルドで」と短く告げ、アヤは最後に俺の肩を軽く小突いた。
「次は、前に出る前に、ちゃんと一声かけなさいよ」
「その時点で余裕がある状況であってほしいですね」
「そう願っときましょう」
彼らの背中を見送ってから、ガランさんがふと立ち止まる。
「セイ」
「はい」
「今日の午後は、もう好きにしていい。教会でも、自分の部屋でも、どこでも構わん。ただし、外縁や濁りの近くへは絶対に寄るな」
「了解です」
「……それと」
ガランさんは、ほんの少しだけ言いにくそうに顔をしかめた。
「さっき決めたことを、全部完璧にこなそうとするな」
「え?」
「お前は真面目だからな。線を守ろうとして、自分の方を削りがちだ」
図星すぎて、言葉が詰まる。
「迷ったら、相談しろ。俺でも、アヤでも、リアンでもいい。“判断役だから一人で抱え込む”なんて勘違いは、するな」
「……はい」
その言葉に、少しだけ胸の奥が軽くなる。
ガランさんは、満足そうに頷くと、「じゃあ、今日はここまでだ」と言って教会を後にした。
庭に残されたのは、俺と、木の影と、ゆっくり傾き始めた陽射しだけ。
『セイ』
「ん」
『役目が一つ増えましたね』
「そうだな」
空を見上げる。
マナの線が、さっきよりも少しだけ濃く見えた。
「でもまあ、“生きて帰るための役目”なら、悪くない」
『同感です』
リラの声が、どこか嬉しそうに響いた。
『これから先、何度も“戻ろう”と言う場面が来るはずです。そのたびに、セイと一緒に線を引き直します』
「頼りにしてる」
そう答えて、俺はゆっくりと目を閉じた。
濁りの源へ向かう川の線。
村の人々の暮らしの線。
そして、今日新しく引かれた──“撤退を判断する役”としての線。
それら全部が、どこかで一本につながっていく未来を想像しながら。
まだ誰も踏みしめていない、その先の道筋を。
俺は、頭の中でそっとなぞっていった。




