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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房
第6章 西からの十五、線が制度になる戦場

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第78話 戻れるだけを、戻す線

 視界の端が、赤い。

 リラが重ねたHUDの「危険ライン」が、赤→赤→赤と、点滅じゃなく“常時点灯”に近い状態になっている。つまり今この帯は、どこを踏んでも危険が上がる。

 どこを間違えても、命が落ちる瞬間が連続する――そういう場所だ。

(……撤退戦ってのは、こうなる)

 俺は息を吸って、吐く。

 短く。

 深くは吸わない。

 胸を広げすぎると、集中が緩む。

 緩んだ瞬間、判断がズレる。

 前庭から本命洞窟寄りに伸びた線は、もう“突撃”の形をしていなかった。

 皆、戻りたい方向を向いている。

 向いているのに、戻れない。

 崩れた足場。

 濁りの杭。

 見えない罠。

 そして――自分たちで作った混乱。

「セイ、左!」

 コルトの声が飛ぶ。

(薄い赤――まだ踏める帯を示して)。

 次の瞬間、リラが赤線を一段だけ薄くした。

 リラが意図を汲んだ。

 危険度の高低じゃない。

 “まだ踏める”帯の表示だ。

 黒い杭が一本、斜めに突っ込んでくる。

(――邪魔)

 マナソードを抜く。剣筋が、一本の線に見える。

 斬るのは「杭」じゃない。

 杭の“勢い”だ。

 勢いが残ったまま地面に刺されば、足場が割れる。

 割れれば、撤退路が消える。

 一太刀。

 黒い杭は、角度を変えて土に刺さり、崩落の中心から外れた。

 地面が揺れない。

 揺れが出ないなら、後ろの列が崩れない。

「通れる! 今!」

 俺が叫ぶと、ミナが即座に拾う。

「今の合図で、走れる人から走って! 止まらない! サラ、リアン、こっち!」

 ポケット――一時退避の“くぼみ”は、バルドとテオが作って維持している。

 盾の壁と土壁の合わせ技で、濁りの面制圧から一瞬だけ逃げられる箱を作る。

 そこに、コルトの《灯の矢筋》が「戻りの方向」を光で描く。

 みんなの仕事が、噛み合っている。

 噛み合っているからこそ、俺は“余計なこと”をしない。

 やるのは、引き抜き。

 拾って、渡して、戻す。

「もう一人! 担架じゃない、肩貸しでいける!」

 ミナの声に、サラがすぐ答える。

「はい! 腕を回して! 骨は――固定、いける!」

 リアンが短く祈り、光が足元に落ちる。

 濁りの“重さ”が、ほんの少しだけ軽くなる。

(良い。ここまでは良い)

 問題は、ここから先だ。

 HUDに、まだ残っている光点がある。

 動きが遅い。

 しかも、位置が悪い。

 本命洞窟寄りの“濃い帯”の縁――そこは、崩れたら戻れない。

【セイ。まだ残ってる。匂い、濃い】

 けむりの声が、意識の奥で鳴った。

 灰色の狼――煙の魔獣、スモークハウンド。

 鼻が利く。

 濁りの線と、生存者の匂いを嗅ぎ分ける。

 けむりは単独の狼に見える。

 でも、動きは“群れ”だ。

 偵察役らしく、煙を薄く分けて前へ伸ばし、いくつもの気配みたいに道を示す。

 影が二つ、三つ、霧の向こうで揺れる。

(……濁り狼“たち”。そう見えるのは確かだ)

「ミナ。全体の撤退、もう回る?」

「回る! 今の流れなら、ポケットを二つ回せば――ほぼ全部、玄関線までいける!」

 ミナの声が、少しだけ明るくなった。

 状況が“突撃”から“撤退”にシフトしている。

 皆が戻る方向を向いた。

 だから、拾い上げの効率が上がった。

 ――想定より、救える。

 その事実に安心しそうになる。

 けど、ここで安心したら終わる。

「いい。じゃあ俺は――残りを拾う」

 ミナが一瞬だけ目を見開いた。

「セイ、どこ行く気……!」

「深いとこに一人、残ってる。――行って戻る。時間は、取らない」

 サラが即座に釘を刺す。

「戻る線、忘れないで!」

「忘れない」

 俺は言い切って、けむりの示す煙の筋へ身体を向けた。

【セイ。危険が濃い。けど、一本道はある】

「案内頼む」

 けむりは、低く鳴いた。

 霧が一段、濃くなる。

 周囲が“見えにくい霧”に変わるのに、俺とけむりだけは進む方向がはっきり分かる。

 煙の魔獣は、煙の中でも自分の線を見失わない。

(やっぱ便利だな、お前)

 俺は走った。

 止まらない。

 立ち止まれば、地面が沈む。

 目標の位置が近づくにつれ、濁りの杭が増える。触手みたいな影が、地面から這い上がってくる。

 濁り獣――骨が外に浮き出た狼のような影、泥をまとった猪のような影。

 形は定まらない。

 定まらないから、余計に危険だ。

(減らす)

 ここで“避けて通る”と、追撃が増える。

 追撃が増えると、撤退路の背中が削られる。

 だから、減らす。

 俺の役目は前衛じゃない。

 でも、今は「撤退路を守るための一閃」が必要だ。

 一太刀。

 濁り獣の首の“つながり”だけを切る。

 体が崩れて、霧の中へ溶ける。

 一太刀。

 触手の根元だけを落とす。

 杭が一本、出る前に沈む。

 一太刀。

 地面を割るように伸びた濁りの線を、切って途切れさせる。

(数を減らせ。戻る線を守れ)

 そうして、俺は見つけた。

 倒れている男。

 鎧は裂け、腕も脚も血で濡れている。

 周囲には、彼が引き留めた痕跡がある。

 踏みとどまった跡じゃない。

 “押し返した”跡だ。

 誰かを逃がすために、ここに残った。

「……おい」

 男が目だけを動かす。

 視線が俺を見て、笑ったように見えた。

「……撤退役……来た、のかよ」

 元Bランク冒険者たちのリーダー格。

 武闘派の中心にいた男だ。

 今は、口の端が切れて、歯が赤い。

「来た。お前、ここで何してる」

「何って……見りゃ、分かんだろ……。後ろ、戻して……」

 声が掠れている。息が浅い。

(……気づいた顔だな)

 こいつは、後から気づいたんだ。

 自分たちが利用されていたことに。

 若手騎士爵が“一歩後ろ”で功績だけ拾う気だったことに。

 そして、自分たちが捨て駒だったことに。

 気づいた上で、こいつは“殿”に回った。

 他を助けるために、自己犠牲に走った。

 ――悪くない。

 でも、そこで死んだら、全部終わる。

「立てるか」

「……無理だ。……置いてけ。お前らが沈む」

「置いてけるかよ」

 俺はしゃがみ込んで、男の肩を掴む。

 血が指に付く。

 温かい。

 まだ生きてる。

「お前は生きて帰る。証言して、償う」

 男が、薄く笑った。

「……償い……か。……俺が?」

「そうだよ。逃げるな」

 男の目が揺れる。

 悔しさと、後悔と、怒りが混ざった目だ。

「……騎士爵ども……」

「それも含めてだ。お前が死んだら、都合のいい“事故”で終わる」

 男が、そこで歯を食いしばった。

 声にならない唸りが漏れる。

「……分かった……。生きて……言う……」

「よし」

 俺は男の腕を肩に回し、引き起こす。

 その瞬間、背後の霧が裂けた。

 若手騎士爵の一人が、そこにいた。

 鎧は比較的きれいだ。

 危険の濃い帯に長居していない証拠。

 目が合うと、彼は一瞬だけ顔を歪めた。

(……やっぱり、ここにいたか)

 この位置は貴重だ。

 “どこに立っていたか”は、全部の証拠になる。

「貴様――!」

 騎士爵が叫びかけた瞬間、彼の背後から濁りの影が伸びた。

 触手。

 彼を狙ってるんじゃない。俺たちの“戻り線”を割りにきている。

「邪魔」

 一太刀。

 触手が落ち、霧に溶ける。

 騎士爵はそれを見て、言葉を失った。

(見せすぎたくない。けど、今は減らす)

 俺は男を抱え直し、戻る方向へ身体を向けた。

『セイ、後ろ。二本』

 けむりが告げる。

 霧の中で杭が二本、同時に生まれる。

(来い)

 一太刀で一本。

 もう一本は、角度を変えて“外す”。

 地面が割れない。

 割れないなら、戻れる。

「走るぞ」

 俺が言うと、男は喉の奥で笑った。

「……俺、もう……走れねぇ……」

「走らなくていい。運ぶ」

 俺は言い切って、霧の中を抜けた。


 ポケットの手前まで戻ったところで、バルドの盾が見えた。

 盾の縁が、泥の弾を受けて火花みたいに弾けている。

「セイ! そいつが“最後”か!」

「最後じゃない。まだ残りがいる。けど――こいつは必要だ」

「……証言か」

 バルドは察しがいい。

 サラが、俺の肩越しに男の顔を見て、眉をひそめた。

「ひどい傷……! リアン、固定、手伝って!」

「はい」

 サラの治癒が落ちる。温かい光が、男の裂けた皮膚を塞いでいく。塞がるだけじゃない。

 “動ける程度”に戻していく治癒だ。

「……すまねぇ……」

 男が掠れ声で言う。

「謝るのは、玄関線の内側で。今は口を閉じて呼吸して」

 サラはそう言って、治癒を続ける。

 バルドは盾を前に出し、俺たちを包む角度に構え直す。

「コルト! 援護、厚く!」

「了解!」

 矢が飛ぶ。

 光が走る。

 追ってくる濁り獣の目と、関節と、動きの核だけを止める射。

 テオの土が、退路の端を持ち上げる。

 敵の進行を止めるためじゃない。

 “追撃の列”を崩すための土の段差だ。

(いい。みんな、役割を守ってる)

 その時だった。

 撤退列の少し後ろ――若手騎士爵たちが、妙に固まって動いているのが見えた。

 彼らは前に出ていない。けど、撤退の列からも微妙に外れている。

 ――そして、その視線が、俺の肩の男に刺さっている。

(……口封じ)

 このまま生きて帰れば、彼らの立場が露見する。

 だから、消す。

 冒険者上がりを。

 内情を知る者を。

 事故に見せかけて。

 騎士爵の一人が、護衛の兵に顎で合図した。

 兵が、撤退列の脇にいる負傷者の背中を押す。

 押された男が、濁りの“薄い帯”の外へよろける。

「――っ!」

 俺が声を上げるより早く、コルトの矢が飛んだ。

 矢は、押した兵の足元へ突き刺さる。

 土を貫いて、靴の縁を縫い止めた。

 兵が転び、押された負傷者も倒れ込む形で“薄い帯”の内側に残る。

「今の、何だ……?」

 騎士爵が顔を上げる。

 コルトは弓を構えたまま、淡々と言った。

「足が滑っただけに見えるようにした。けど、次は“腕”に刺す」

 声が冷たい。

 テオも、黙って土をせり上げた。

 若手騎士爵と負傷者の間に、低い土の壁が立つ。

 高さは膝程度。越えられる。

 けど、急いで越えるには邪魔だ。

「……撤退列に、余計な動きが混ざってる」

 テオが短く言う。

 その言葉で、周囲の兵たちも気づく。視線が、騎士爵へ向く。

 騎士爵は、すぐに表情を作り直した。

「誤解だ! 混乱している! 撤退のために――」

「撤退のために、味方を落とすのか?」

 俺は低い声で言った。

 騎士爵の目が、鋭くなった。

「貴様のような田舎者が――!」

「田舎者でいい」

 俺は言い切る。

 そして、肩の男に一瞬だけ耳を寄せた。

「――生きろ。今ここで死なれると困る」

 男が、かすかに頷いた。

 俺は視線を戻し、騎士爵を見た。

「今、線は一本だ。玄関線まで“戻れるだけ”戻す。ここで味方同士を削ったら、山が笑う」

 騎士爵は唇を噛む。

 彼らは、今ここで争えば損だと分かっている。分かっているから、別の手を選ぶ。

 彼は身を翻し、別の負傷者の列へ近づいた。

 背中に、短剣が見えた。抜く気だ。

(やる気か)

 コルトの矢が、再び光る。

 だが、矢を放つより先に――けむりが動いた。

 灰色の霧が、騎士爵の足元に絡みつく。

 濃い煙幕。

 視界が奪われる。

 けむり自身は煙の中でも見えている。

 だから、煙幕は“味方への援護”になる。

「――なっ!?」

 騎士爵がたたらを踏む。

 その瞬間、テオの土が足元を少し持ち上げ、騎士爵は尻餅をついた。

 短剣が抜けない。

「……事故だな」

 コルトが淡々と言った。

「そうだな。事故だ」

 俺も淡々と返した。

(事故に見せかけて殺すなら、事故に見せかけて止める)

 撤退戦で大事なのは、勝つことじゃない。

 “増やさない”ことだ。危険も、被害も、混乱も。

「ミナ!」

「はい!」

「撤退列、二本に分ける。負傷者列と騎士爵列、距離を取れ。接触させるな」

「了解、すぐ回す!」

 ミナが合図を飛ばす。手首輪ネットの短い文が、仲間に流れる。声が出しにくい状況でも、「撤退」「注意」程度なら共有できる。余計な会話はしない。今はそれで十分だ。

 バルドが盾をずらし、列の角度を変えた。

 サラは治癒を途切れさせないまま、負傷者の肩を支えて歩かせる。

「セイ、もう一人、気絶がいる!」

 リアンが言う。俺は反射でHUDを見る。

 ――いた。光点が一つ、動いてない。位置が、悪い。

(……最後の一人)

 ミナは今、撤退列の再編で手が離せない。

 バルドも盾で列を守っている。

 サラもリアンも回復で動けない。

(俺が行くしかない)

 俺は息を吸って、吐く。

「けむり」

『行くか』

「行く。十数える間だけ、煙を濃くしてくれ」

『承知』

 霧が一段濃くなる。

 敵も味方も、俺の動きを見失う程度に。

 外から見れば、撤退列が煙に包まれた――ただそれだけに見える。

(見せすぎない。短く。戻る)

 俺は走った。

 戻る線へ逆走するんじゃない。

 “折り返し”だ。

 リラがHUDの赤を一瞬だけ薄くして、通れる筋を示す。

 倒れていたのは、兵だ。気絶している。呼吸はある。

「……生きてる」

 それだけ確認して、担ぐ。

 濁り獣が一体、霧を割って来る。

(邪魔)

 一太刀。

 核だけ落とす。

 濁り獣は形を失い、煙に溶ける。

 俺は戻った。

 煙の中を抜けて、撤退列へ滑り込む。

「――セイ!」

 サラの声が強い。怒りというより、安心と苛立ちが混ざった声。

「……戻ったよ」

「戻ったならいい! 置いていかないで!」

「置いてかない」

 俺は短く答え、担いだ兵を王都兵へ渡した。

「運べるか」

「はい!」

 王都兵が歯を食いしばり、担ぎ直す。

 撤退列は、もう崩れない形になっていた。

 コルトの矢が、追撃の影を削る。

 テオの土が、段差を作って追撃の列を崩す。

 バルドの盾が、前を塞ぐ。

 サラとリアンの治癒が、倒れる人間を“歩ける側”へ戻す。

 ミナが、それらを全部、回す。

 俺は、その中心で――線を引き直す。

「ここでタイムアップだ」

 俺は言った。

 言葉にすると、皆が迷わない。

「これ以上は、俺たちが沈む。玄関線へ戻る。――全員、戻る」

 返事はひとつ。

「了解!」


 灯籠の光が見えた。

 玄関線。

 戦場の玄関口。

 その内側には、本隊がいる。

 玄関線の内側で、動かないで待っていた王都部隊の盾と槍の列。

 総大将エドガーの旗。ガランの影。

 俺たちが線を越えた瞬間、重い空気が少しだけ変わった。

 濁りの重さが、背中から外れる。

 代わりに、疲労が一気に表へ出る。

 倒れ込む兵。

 座り込む冒険者。

 担架が走る。

 救護テントへ誘導される列。

 若手騎士爵たちも、線の内側へ滑り込んだ。

 彼らはきっと、“功績”の言い方を考えている。

 でも、今日はそれを許さない。

 俺の肩にいた冒険者リーダーが、息を吐いた。

「……生きちまったな……」

「生きたなら、やることがある」

 俺は低く言う。

「証言して、償え。逃げるな」

 男は目を閉じて、ゆっくり頷いた。

 灯籠の光の下、俺は空を見上げる。

 勝利じゃない。壊滅を、かろうじて避けただけ。

 けど――避けた。

 線を守った。

(次は、“同じ愚かさを繰り返さないため”の一歩だ)

 そう思った瞬間、ガランの視線がこちらを捉えた。

 怒りは、後でいい。

 今は、もう一度線を引き直す。

 俺は息を整え、救護テントのほうへ歩き出した。

 証言者を、生かしたまま運ぶために。


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