表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房
第6章 西からの十五、線が制度になる戦場

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

68/78

第68話 西からの十五と、下げない線

 ウツシの西端で灯った赤い印が、じわじわと村の方へ滲んでいく。

 その変化を見届ける前に、ギルドの一階から鐘の音が響いた。

 いつもの閉館前の鐘とは違う、短くて尖った響きだ。

「……嫌なタイミングだな」

 椅子から立ち上がり、階段を駆け下りる。

 一階では、受付の青年が慌てた顔で出入り口へ走っていくところだった。

「どうした」

「に、西の見張り台から信号です! “多数接近”の旗が――」

 言葉を最後まで聞く前に、地面が低く震えた。

 足の裏から骨に届くような、鈍い振動。

 入口脇の窓の向こうで、西の景色が一瞬だけ赤く染まる。

 そのタイミングを狙ったみたいに、奥の扉が勢いよく開いた。

 ギルドマスター室から、ガランがホールに飛び込んでくる。

「セイ、見えてるか!」

「ああ。西の畑と森の縁に、でかい反応が十五前後。火のマナも混じってる。畑に火を入れながら来るかもしれない。……外に出るぞ」

 俺が先に入口の扉を押し開け、そのまま広場へ飛び出した。

 すぐ後ろで、ガランも外に出てくる。

 外気と、焦げ始めた匂いが一気に肺に流れ込む。

 視界の端に、赤い点滅表示が現れた。

 ヒトリが送ってくる、空からのマナ地図。

 西の畑と森の縁に、濃いマナ反応がいくつも並んでいた。

 足跡の軌跡も、一気にこちらへ向かっている。

『オークの群れ。頭数、ざっと十……十五前後。速度、高め』

 リラの声が、いつもより一段低い。

「……足跡の時点で、もう少し早く気付けたかもしれないな」

 苦い言葉が口から漏れたところで、広場で遊んでいた子どもたちが目に入る。

 このままだと、危険の線の内側に取り残される。

「全員、教会に入れ! 走れ、転んでもいいからとにかく中へ!」

 子どもたちが一斉に顔を上げる。

 何が起きたか分からないまま、年長の子が下の子の手を掴んで走り出した。

 ミナが、顔を真っ青にして駆け寄ってくる。

「セイ! 何――」

「オーク十五。第一線と第二線が持たない可能性がある。ミナ、リアン、サラは第三線の準備。ライト弩を持って、教会前と広場の後ろに回れ!」

「わ、分かった!」

 ミナが駆け出す。

 リアンとサラも、祈りの杖と弩を抱えて教会へ向かった。

 ガランが、短く鋭い声で指示を飛ばす。

「バルド隊は第一線! 牧場と畑の手前で時間を稼げ! 

 テオ、土壁と風で退路を作れ! 

 コルト、重弩を第二線に据えろ! 

 《リュミエルの灯》の後衛組は教会と広場の守りにつけ! 

 炭焼き小屋組と常駐の連中のうち、弩を持てる奴は第二線の穴埋め! 

 残りは消火と避難誘導だ! 

 セイ、お前は第三線と全体の線を見てくれ!」

「了解!」

 ガランの号令に、広場にいた冒険者たちが一斉に散った。

 《鎚灯り》以外の前衛組はバルドの後ろに回り、第一線の盾の隙間を埋めに走る。

 ギルド登録済みの新人たちと、炭焼き小屋組の数人は、水桶と簡易の弩を抱えて倉庫と家々の方へ散っていく。

 弩をまだまともに扱えない者たちは、子どもと年寄りを教会へ運び込み、そのまま扉の前の守りに回った。

 走り出しながら、頭の中で線を組み立てる。

(第一線は“時間稼ぎ”。第二線は“削りと退路”。第三線は“下げない線”。それ以外は全部、捨て線だ)

 ギルド前から西へ抜ける路地を駆け抜けると、土埃が鼻を刺した。

 牧柵の向こうで、黒い影がうごめいている。


 第一線――西の畑と牧場。

 夕焼けの光を背に、バルドたちが柵の手前に盾を並べていた。

 土を踏み固めた通路に、粗い木柵をジグザグに立て、進路を絞る。

 畑の脇には、水を張った樽と、土砂を詰めた桶がいくつも並べてある。

「第一線、“時間稼ぎ線”だ!」

 息を切らせながら叫ぶと、バルドが振り向いた。

 額にはもう汗が浮かんでいる。

「時間は?」

 俺は第一線の一列後ろ、バルドたちの背中が全部見える位置に立って声を飛ばす。

「ウツシ上の足の速さから見て、ここで一回目の接触まで、あと三分。ここは“時間稼ぎの線”だ。足を止めて一、二頭削ったら、すぐ下がる準備をしろ」

「ちっ……了解だ!」

 バルドが舌打ちしながらも頷く。

 バルドたちが構えを整え始めるのを確認して、俺はすぐに数歩下がり、第二線と退路の方角に目を移した。

 その横で、テオが短く詠唱し、牧柵の外側に低い土壁を起こしていく。

 膝の高さほどの、波打つ土の帯。

 オークの突進を真正面から受けなくて済むように、少しだけ進路をずらす仕掛けだ。

『足場線、ここにも引く?』

「頼む。ただし、半歩だけだ。長期戦する場所じゃない」

 リラの声に合わせて、俺は土の下に細い線を落とす。

 人間側が踏ん張りやすく、オーク側がわずかに滑りやすくなるライン。

 遠くで、地面が鳴った。

 森の縁を割るようにして、オークたちが姿を現す。

 丸太をそのまま太くしたような腕。

 泥と血にまみれた棍棒。

 肩から下げた袋の口から、赤い火の粒がこぼれていた。

「おい、あいつら……棍棒だけじゃねえぞ」

 盾の隙間から、バルドがうなった。

 よく見ると、前に出ている何頭かは、太い棍棒とは別に、黒ずんだ袋を肩からぶら下げている。

「肩からぶら下げてる袋、火の匂いがする。なんだありゃ」

 鼻を刺すような焦げた匂いが、風に乗って届く。

「火のマナが漏れてる。……火種を運んでやがる」

 俺はウツシ越しのマナの濃さと、袋の口からこぼれる赤い粒を見比べながら答えた。

「アイツら、あんなもんをどこから手に入れやがったんだ」

 バルドが盾の陰から、吐き捨てるようにうなる。

 袋を引きずるオークが、炭焼き小屋に近づく。

「離れろ! 小屋から離れさせろ!」 叫んだのと、爆ぜる音が響いたのはほとんど同時だった。

 次の瞬間、袋の中身――油を染み込ませた布と思しき塊が、火花を散らして破裂した。

 乾いた小屋の壁に、炎が一気に走る。

 胸の奥で、危険の線が一段上がる。

「バルド! “火袋持ち”から一頭ずつ落とせ! それ以外は、無理に前に出るな!」

「おうよ!」

 オークたちが吠え、地面を蹴った。

 最前列の一頭が、牧柵を折り飛ばす。

 木片が宙に舞い、土と火の粉が混ざる。

 その瞬間、バルドが一歩出た。

 左足を、土に刻んだ足場線の上に置く。

 そこで重心を一度止め、右足を半歩分、柵の残骸の外側へ送る。

 オークの棍棒が振り下ろされる線から、ぎりぎり一枚ずれる位置だ。

 棍棒が空を切る。

 すれ違い様に、バルドの盾がオークの顎を打ち上げた。

 Dランクパーティ《風切り》の前衛、オルドの槍が、オークの突進を横からはじいた。

「一頭!」

 叫び声と同時に、オークの巨体が土の上に崩れた。

 だが、列は崩れない。

 後ろにいた二頭が、そのまま死体を踏み台にして前へ出る。

『数の線が重い。ここで粘りすぎると、退路が潰れる』

「バルド! “この線”で三十カウントまでだ!」

 足元の土を軽く蹴り、線の終点を示す。

 バルドが短く頷いた。

 オークが二頭目、三頭目と柵を砕いて突っ込んでくるたびに、盾が一歩ずつ下がる。

 下がるたびに、足はさっき引いた足場線をなぞるように動く。

 盾と棍棒のぶつかり合う音。

 呻き声と、短い悲鳴。

 横目で、畑の端を見た。

 乾いた麦束に火が移る。

 赤い舌が、まるで喜ぶように稲穂を舐め上げていく。

(もう一日早く、火に対する線を引いておければ――)

 喉元まで上がってきた後悔を噛み潰し、俺は叫んだ。

「バルド! 撤退開始! “生きて第二線まで下がる”が勝ちだ!」

「ちくしょう……!第一線、退くぞ!火の熱で体を焼かれるな!退きながら背中から叩かれる一撃は、互いの盾で受けろ!」

 バルドの号令で、盾の列が一斉に後ろ向きに動き出した。

 オークの棍棒が牧柵と土壁を砕く音を背に、第一線は後退を始める。


 第二線――村の中央へ続くメインストリート。

 石畳の上に、簡易の木柵と土嚢。

 その後ろに、三脚で据えられた重弩が二台。

 弦は張られ、太いボルトが装填されていた。

 コルトが、汗をにじませながら照準を微調整している。

「コルト!」

「照準はできてる! あとは、前が止めてくれれば――」

 声は緊張で少し硬い。

 前方では、バルドたちが第二陣の盾を構え直していた。

 路地の両側には、テオが起こした低い土壁。

 オークが横から回り込めないよう、進入経路が一本に絞られている。

『足場線、ここも補強する?』

「頼む。ただし、“一歩だけ”。ここは“削って退く線”だ」

 土の下に、踏ん張りの帯を薄く伸ばす。

 オークの突進が集中する線を、ほんの少しだけずらす。

「バルド! “この線”で一回止めろ!」

 指先で示した位置に、大盾が並ぶ。

 次の瞬間、オークの巨体がぶつかった。

 石畳に響く衝撃。

 盾と棍棒がぶつかり合う音が、路地にこだまする。

「コルト!」

「――今!」

 重弩の弦が低く唸る。

 放たれたボルトが、オークの胸板を貫き、そのまま背中へ突き抜けた。

 一頭が崩れ、その後ろのオークがつまずく。

 列の一部が一瞬だけ乱れた。

「よし、一頭!」

「いい線だ! けど、まだ十以上いるぞ!」

 バルドの叫びに、コルトが歯を食いしばる。

「装填に時間がかかる! 次は三歩下がってから!」

 後方では、村人が震える手で予備ボルトを運んでいた。

 そのうちの一人――顔見知りのパン屋の兄ちゃんが、汗と灰で顔を真っ黒にしながら重弩の横に立つ。

「お、俺でも……運ぶくらいは、できるから!」

「十分だ。そこで転けるなよ!」

 コルトが短く笑い、すぐに視線を前に戻した。

 火の匂いがさらに濃くなる。

 西側の畑だけでなく、隣の倉庫の屋根にも火の粉が飛び始めていた。

(第一線で削りきれなかった分が、そのままここに雪崩れ込んでる)

『危険の気配が濃い。第二線を“守る”線にしたままだと、第三線が危ない』

「第二線は、“削ったら下がる線”だ」

 自分に言い聞かせるように呟く。

「バルド! ここで二頭落としたら、すぐ第三線まで下がれ! この線で“勝負”するな!」

「……ちくしょう! 分かった!」

 怒鳴り声とともに、バルドたちは再び退き戦の姿勢を取った。

 盾を少し斜めに構え、オークの棍棒を受け流しながら半歩ずつ後ろへ送る。

 足の裏は、さっき引いた足場線から外れないように、慎重に。

 そのときだった。

「きゃっ――!」

 路地の端。

 崩れた木柵の向こうで、足を取られて転んだ村娘が一人。

 避難の列から遅れたのだろう。

 その上に、影が覆いかぶさる。

 太い腕。

 振りかぶられた棍棒。

(このままだと、“その場で命が落ちる”)

 (ことわり)層を見るまでもなく、結果が線で見えた。

 足が勝手に動く。

 一歩で路地の端へ飛ぶ。

 左足を石畳の継ぎ目にねじ込み、右足を村娘とオークの間に滑り込ませる。

 振り下ろされる棍棒の線から、上半身を半身ぶん外へずらした。

 剣を握る右手に、薄く(ことわり)を重ねる。

 刃筋に沿って、「通り道の線」を一本だけ引く。硬いものを裂くための線だ。

 棍棒が地面へ落ちる軌道に入った瞬間、その内側から、斜め下から上へと一気に振り上げる。

 刃が棍棒ごと、腕から肩口までまとめて断ち割った。

 筋と骨の感触が一瞬だけ手に伝わり、そのまま首の付け根まで抜ける。

 踏み込み足を軸に半歩だけ回転し、返す刃を首筋に滑らせる。

 抵抗が一度だけあって、その先は空だった。

 オークの頭が、遅れて石畳の上に転がり落ちる。巨体が前のめりに崩れた。

「走れ!」

 足元の娘の腕を引っ張り、路地の内側へ押しやる。

 その拍子に、オークの袋からこぼれた火の粒が、娘の裾のすぐそばに転がった。

 石畳の上で、じりじりと布に火を移そうとしている。

 石畳の隙間を走る水の線に指先で触れる。

 井戸から引かれている細い水路の(ことわり)を、一瞬だけ跳ね上げた。

 冷たい水が足元で弾け、火の粒と裾の端をまとめて飲み込む。

 じゅっと短く音がして、火花の色が消えた。

『セイ、“ちょっと見せすぎ”』

「一頭だけだ。あとは任せる」

 二歩、三歩と盾列の内側へ下がりながら、正面のバルドたちに声を飛ばす。

「分かってる」

 小さく息を吐き、二歩分だけ後ろに下がる。

 バルドたちの盾列の内側へ戻るラインだ。

「バルド、今の一頭、任せる!」

「任された!」

 バルドが踏み込み、さっき俺がずらした棍棒の余波で体勢を崩したオークの膝裏を、大盾の縁で思いきり叩きつける。

 膝が折れ、巨体が沈んだところに、別のオルドの槍が喉を貫いた。

 血と煙の匂いが、さらに濃くなる。

(これ以上、第二線に長居すると、火に包まれる)

「第二線、撤退! “生きたまま第三線に届く”のが目標だ! 倒し損ねた分は、全部持っていけ!」

 前衛たちが一斉に声を上げる。

「退くぞ! 盾の穴に入れ! 振り返るな!」

 村人たちも、その背中を追って走り出した。


 第三線――教会前と広場。

 教会の階段の上には、リアンとサラ。

 祈りの杖とライト弩を手に、短い詠唱を繰り返している。

 広場の手前には、簡易の柵と土嚢。

 その裏に、ミナがライト弩を構えていた。

 肩が少し震えている。

 引き金を握る手には、汗がにじんでいた。

「ミナ」

 息を切らせながら声をかける。

「撃てるか?」

「……分かんない。でも、“撃たなきゃいけない線”が来たら、やる」

 ミナは、震える声でそう答えた。

 俺は頷く。

「“撃たなくて済んだ線”なら、撃たないでいい。その代わり、“撃てないまま”になりそうなら、声出せ。代わりを探す」

「うん」

 背後で、教会の扉が閉まる音がした。

 避難を終えた村人たちが、中で祈りと息を殺しているはずだ。

 火の匂いが、さらに濃くなる。

 西の空は、ほとんど赤一色に染まっていた。

 畑も倉庫も、半分以上が炎に飲まれかけている。

(家は、半分燃えるかもしれない。けど――)

(村はここで止める)

 そのとき、バルドたちが第三線に飛び込んできた。

「第一線、第二線ともに撤退完了! オーク、十数頭が追ってきてる!」

「第三線は、“下げない”。ここで止める」

 自分に言い聞かせるように言葉を落とす。

 オークの群れが、広場の手前に姿を現した。

 棍棒を振り回し、咆哮を上げながら突っ込んでくる。

 その背後には、炎の壁――西側一帯を焼くような赤。

『危険の線を、ここに引く』

 リラの声に合わせて、足元を見る。

 教会前から広場の中心にかけて、わずかに高くなっている場所。

 石畳の継ぎ目、土嚢の位置、建物との距離。

 そこを、“ここより内側には入れない線”と仮に認定する。

「バルド! 教会前の段差を背中にしろ! 押されても一段上で止まる!」

「任せろ!」

 バルドと前衛たちが、大盾を前に出して並ぶ。

 教会の階段の一段目が、彼らの踵に触れる位置だ。

「ミナ、リアン、サラ!」

 振り返る。

「俺が“ここより先に来たら危ない”って言った線に足をかけたオークから狙え! それまでは、撃たなくていい!」

「分かった!」

 第三線――弩と祈りの列が並ぶ位置で、俺はミナたちのすぐ後ろに立ち、肩越しに第一線を見下ろしていた。

 ミナが唾を飲み込み、ライト弩の頬当てに頬を押しつける。

 リアンとサラも、祈りと狙いを同時に合わせる。

 最初の一頭が柵を踏み砕き、土嚢に棍棒を叩きつけた。

 土嚢が裂け、土が飛び散る。

「今はまだ、“撃たなくていい線”!」

 叫びながら、第三線から一列だけ前へ出る。第一線と第二線のあいだ――盾列のすぐ後ろだ。

 オークの棍棒の軌道と、盾列の位置。

 その間にできる“抜け道”を潰していく。

 前衛の一人が足を滑らせかけた瞬間、その背中にそっと手を当てて重心を戻す。

 別の一人の盾の角度が甘くなれば、その前に半歩踏み込んで棍棒を自分の方へ誘導する。

 派手な一撃は要らない。

「倒す」のではなく、「倒されない線」を維持する動きだけを選んでいく。

『一頭、段差線を踏んだ!』

「ミナ!」

 言うより早く、ミナの指が引き金を引いた。

 弦が鳴り、小さな涙型のボルトが空を走る。

 ちょうど段差に足をかけたオークの肩口に突き刺さり、その勢いをわずかに殺した。

 そこへ、バルドの盾がぶつかる。

 押し込もうとする力と、押し返す力がぶつかり合い、教会前の段差ぎりぎりで均衡した。

「よくやった、ミナ!」

「ま、まだ……いける!」

 ミナの声は震えていたが、その目はしっかりと前を見ていた。

 広場の端では、別の男が震えながらライト弩を構えている。

 登録だけ済ませていた村人。

 その手は、どうしても引き金を引けずにいた。

(……“撃てないまま”になる線だな)

 背中に近づき、肩に手を置く。

「大丈夫。“撃たなくて済んだ”なら、それでいい。その代わり、“ここに立ってくれた”ってログは残る。それだけで十分だ」

「で、でも、俺……」

「“撃てる人”は他にもいる。けど、“ここで逃げなかった”って記録は、お前しか持ってない」

 男の肩の震えが、少しだけ弱くなる。

 その間にも、前では盾と棍棒がぶつかり、火の粉が飛び散っていた。

 一瞬だけ、バルドの足が滑る。

(このままだと、バルドの後ろの線まで押し込まれる)

『退き風ライン、簡易版』

 リラの声に合わせて、テオに叫ぶ。

「テオ! バルドたちの背中方向に、弱い追い風を出せ! 退くときに“押してくれる”くらいの強さで!」

「了解!」

 テオが風の術を組む。

 バルドたちの背中に、そっと風が当たった。

 前へ押し込むオークの力と、後ろへ退く力がぎりぎり拮抗する。

 その均衡を利用して、盾列が半歩ずつ段差の上へと下がっていく。

「半歩ずつ下がれ! “教会の階段まで”が限界だ!」

 時間の感覚が曖昧になる。

 火の匂いと、血の匂いと、汗の匂い。

 祈りの声と、悲鳴と、咆哮。

 何人かは、間に合わなかった。

 盾の影から担ぎ出される人影。

 動かない腕。

 俺はそこに長く目を留めないようにしながら、それでも一つずつ位置を記憶していく。

(この線まで来たら助けられたのに。この線になる前に気付けなかった)

 危険の線を、頭の中で何度も引き直す。

 どれくらい時間が経ったのか分からなくなった頃、咆哮の数が目に見えて減ってきた。

 オークの一頭が、バルドの盾に頭を打ち付けられて崩れる。

 別の一頭は、リアンの祈りに込められた光矢に目を射抜かれ、のたうちながら倒れた。

「残り、三!」

 誰かの声が上がる。

「二!」

 ライト弩の矢が一頭の耳の後ろに突き刺さり、そのまま地面に沈めた。

「最後!」

 最後の一頭が、炎の壁を背に吠える。

 全身に傷を負い、それでも迫ってくる。

 段差の手前で、バルドが一歩踏み出した。

 右足を段差の角に乗せ、左足を半歩後ろに引く。

 重心を落とし、盾を低く構える。

「ここが“下げない線”だ!」

 吠えるように叫び、突っ込んでくるオークの突進を真正面から受ける。

 衝撃で石畳が鳴り、盾の縁が軋んだ。

 その瞬間、教会の階段の上から、ミナのボルトが飛ぶ。

 オークの首筋に突き刺さり、その体勢を僅かに崩した。

 すかさず、テオの風が横から押し、バルドの盾が少しだけ回転する。

 オークの巨体が、段差の外側へ転がり落ちた。

 石畳を転がったオークの喉元に、バルドの剣が突き立つ。

 低い呻き声が、炎と煙の中に消えた。

 広場に、短い静寂が落ちる。

 まだ火の音は続いている。

 西の家々の屋根が、ぱきぱきと音を立てて崩れ始めていた。

 けれど、オークの咆哮はもう聞こえない。

 第三線――教会前と広場は、なんとか線の内側を守り通した。


 肩で息をしながら、俺は広場を見渡した。

 土嚢は裂け、木柵は半分以上が倒れている。

 盾は傷だらけで、前衛たちの鎧には血と煤が張り付いていた。

 教会の扉が、きしむ音を立てて少しだけ開く。

 中から、祈りの声が細く漏れてきた。

 バルドが、大きく息を吐き、盾を地面に突き立てる。

「……生きてる奴、手を挙げろ」

 冗談にしては、あまりにも真面目な声。

 それでも、ところどころから手が上がる。

 ミナが、弩を抱えたまま膝をついた。

 リアンとサラがすぐに駆け寄り、治癒の光を灯す。

 視線を西に向ける。

 畑は、半分以上が黒い土に変わっていた。

 牧場も、柵が焼け落ち、何頭かの家畜の影が動かないまま転がっている。

 それでも――

 教会と広場と、その周りの家々の一部は、まだ立っていた。

 人の声が残っている。

 立っている足が、ここにある。

(第一線、第二線、第三線。家は半分燃えたが、村は残った)

 頭の中で、淡々とログの文言が並ぶ。

 喉の奥に、熱いものがせり上がってきた。

 けれど、今はまだ飲み込む。

『セイ』

 リラの声が、少しだけ柔らかくなる。

『“残った線”は、ちゃんと数えようね』

「ああ」

 短く答えたところで、ガランの声が広場に響いた。

「――全員、今は火を止めるのが先だ! 生きてる奴は動け! 水と土を持ってこい!」

 誰も、歓声は上げなかった。

 けれど、立っている足が一斉に動き出す。

 西の空は、まだ赤い。

 燃え落ちていく家々の向こうで、夜の闇が少しずつ濃くなっていた。

 その境目に、かろうじて残った村の輪郭が、細い線になって浮かんでいる。

 俺は井戸と、水路の(ことわり)に視線を落とした。

 石畳の下を走る水の線が、(ことわり)層の上に、細い糸みたいに浮かび上がる。

「こっちの火は、俺が押さえる」

 誰にともなくそう言い、指先で水路の線を引き上げた。

 井戸の水が地面をあふれる代わりに、細い帯になって空中へ持ち上がる。

 燃え残った木片と倒れかけた梁の上にだけ、「落ちて広がる」線を重ねた。

 水の幕が選んだみたいに降り注ぎ、火花ごと押さえ込む。

 白い蒸気が立ち上がり、炎の色が一段だけ低くなった。

(……西エリアの外縁調査のとき、ウツシの端に点々と並んでた十五の光の塊)

 水の線をもう一本引き上げながら、ウツシの端に浮かんでいた印を思い出す。

 村の西側、外縁の外に並んでいた十五の反応。

『多分、あれが“これ”だよね』

 リラの声が、いつもより少し低く響いた。

「あの時点じゃ、まだ村に向けて線が曲がってなかった。だから“そのうち考える方”に回した」

『でも、向こうが先に線を引いてきた。――こっちに向けて』

「……西の十五と、今回の十五頭。その間に一本、線を引き直す必要がある」

 燃え残った木片の列に、もう一度水の幕を落とす。

 じゅっと音がして、火がさらに小さくなった。

(明日の朝、その線をもう一度見直す。そのとき、俺は――)

 そこまで考えて、首を振る。

 今はまだ、足元の火を抑える方が先だ。

 俺は水路の(ことわり)にもう一度指をかけ、次の炎の列へ向かって走り出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ