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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房
第5章 西外縁の沈む土、神殿は降りない判断

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第65話 北西の枝と、濁りの核

 目が覚めた、というより。

 意識が、水面に浮かび上がってきた感覚だった。

 まず、足の裏。

 昨日と同じように、地面の感触を確かめる。

 ジオセンスを薄く広げる。

 土の中の線が、夜のあいだにどこまで動いたか。

 寝床の下、青エリア。

 そこから少し離れたところに、黄色く沈みやすい帯が一本。

 でも、それ以上は寄ってきていない。

「……よし。足元は、約束どおり」

『沈む帯の膨らみ、誤差レベル。寝床直下は青のまま』

 リラの声が、頭の奥に静かに落ちてくる。

 夜のあいだに何か仕掛けられていたら嫌だな、と少しだけ警戒しながら寝ていたが、その心配はなさそうだ。

 枝葉をかすかにきしませながら身を起こし、マントを肩から滑らせる。

 外気が肌に触れる前に、いつものスイッチ。

「洗浄」

 ひやり、とした膜が肌の表面をなぞり、汗と土埃と煙の匂いだけを剥がしていく。

 枝葉の寝床も、土の床も濡れない。

『外縁・三日目の朝。洗浄魔法、一回目』

「はいはい。今日もログ係、お疲れさま」

 指先で頬をこすってみる。

 ざらつきが消え、いつもの“外のモード”に切り替わる感覚。

 マジックボックスを開き、小さな水袋を一つ取り出す。

 喉が渇く前に、ほんの一口だけ。

 冷たい水が喉を通る。

 頭の中の霞が、一段階薄くなった。

「さて、と。今日は“枝”そのものに、手を伸ばす日」

『うん。昨日の“衛星”ログ、出すね』

 視界の端に、薄いパネルが重なる。

 ヒトリのログを、リラが整理した昨日の戦場データだ

 三つの濁り衛星。

 崩れた斜面、小さな谷、山裾の窪地。

 そこにいた十三体の濁りオーク、濁りワイバーン、小型の濁り獣たち。

 それぞれの核の位置。

 倒し方。

 濁りがどれくらい残り、自然浄化にどれくらいかかりそうか。

『……こうして並べると、顔ぶれ揃いすぎてない? 場所が違うのに、ほとんど同じパターンだよ』


「本来の魔物の動きなら、オークはオークの群れ単位、ワイバーンは単独かせいぜい少数だよな。それが三箇所とも“濁りオーク+濁りワイバーン+小さいの”って組み合わせで揃ってる。……偶然って言うには、ちょっと揃いすぎてる」

『濁りの“好み”で似たようなのが寄ってきたって言えば、それで説明はつくけど……』

「濁りそのものの好みか、濁りを使った誰かの仕掛けか、あるいはたまたま条件が揃っただけか――今の材料だと、どれも言い切れないな」

『うん。“自然にしては偏ってる”ってログだけ、先に残しておく』

「判断は保留。決めつけた瞬間に、見える線が歪むからな」

 俺は枝葉を払いのけて立ち上がり、北西の稜線の方角を見る。

 視界の向こう、山の陰。

 見えないはずの場所から、一本の黒い線がこちらへ伸びている。

 北から流れてきた濁りが、地下水脈とぶつかり、枝を作る。

 昨日掃除したのは、その枝にくっついていた衛星だけ。

 幹そのものは、まだ黒い。

「今日の目的は一個だけ。北西の枝の“根元”を見つけて、切る。そこまで」

『了解。じゃあ、ログの重ね合わせいくね』

 頭の中の地図が回転する。

 灯籠列。

 水脈ライン。

 昨日の三つの衛星地点。

 それぞれから、濁りの線がどの向きに伸びていたか。

 矢印として、細い黒が描かれていく。

『三箇所の衛星から見て、“源”の方向が全部北寄り。

 でも、角度がちょっとずつ違う。

 それを逆向きに延長すると……』

 リラの声に合わせて、黒線が地図の上を走る。

 三本の線が、北西山腹の一点近くで重なった。

『ここ。地下水脈と濁り枝がぶつかる推定交差点。濁りの枝本体の“小核”候補』

「……稜線の向こう、さっき見えた黒線の“節”ってところか」

 ジオセンスを地面の深いところまで沈める。

 寝床の下の青エリアを通り越し、その先の黄、さらにその先の赤へ。

 山の腹を走る地下水脈が、白い線で光る。

 その一本に、黒が絡みついていた。

 水の線を締め付けるように。

 まるで、水を通す管に、異物が巻き付いているみたいに。

『“節”の直上あたり、足場は?』

「今のままだと、黄エリアと赤エリアが混ざってる。沈む帯も多い。――でも、少し削れば、届く」

 俺は斜面を見下ろし、足元の土をそっと撫でた。

 小さな凸凹をジオセンスで読み、崩れやすい塊を指先でほぐす。

 今日も、“足場の線”からだ。


 簡単な朝食は、マジックボックスから出した硬いパンと乾燥肉。

 焚き火の残り火を少しだけ蘇らせて、パンの片面を炙る。

 口に入る前に、「洗浄」で手だけをもう一度流す。

 濁りに触れた覚えはなくても、ここは外縁。

 癖にしておいた方が、あとで迷わない。

 食べ終わったところで、稜線の向こうに細い煙が一本、ふっと伸びた。

 すぐに消える、“見せて消す”煙。

『来た。スモークライン』

「約束どおりだな、あいつら」

 寝床をきっちり崩し、焚き火の残りを土に埋めて痕跡を消す。

 マントのフードを深く被り、“もう一人の俺”の姿に切り替える。

 ヒトリを二体、先行させる。

 稜線の向こう側の視界が、頭の中に開いた。

 低い灌木のあいだ、灰色の毛並みをした山犬たちが数頭。

 その足元から、細い煙が地表を舐めるように立ち上っては消えていく。

 煙は風に流されず、行きたい方向だけを指し示して途切れた。

「相変わらず、分かりやすい道案内だ」

 稜線まで登り、風向きを確認する。

 スモークラインたちの視界に、ゆっくりと入っていく。

 一頭が短く吠えた。

 昨日見た中でも、少し大きな個体だ。

「久しぶり」

『匂いは同じ。昨日の“十三体をまとめて片付けた奴”って、皆もう覚えてる』

 リラの翻訳を挟みながら、俺は右手を軽く上げた。

 山犬たちは一定の距離を保ったまま、輪を広げるように位置を変える。

 リーダー格の足元から、煙が一本、北に向かって伸びた。

『“あの枝”、まだ黒い。けれど、昨日の“衛星”が消えたぶん、匂いは少しだけ薄くなったって』

「なら、今日の仕事は、その枝そのものだ。――教えてくれ。お前たちが嗅いでる“源”は、どこだ?」

 山犬が一歩、前に出る。

 稜線の向こう、山腹の一点に向けて、煙を細く伸ばした。

 ジオセンスと、ヒトリの視界のクロス。

 そこは、さっき地図上で黒線が交わっていた場所と、ほぼ同じだった。

『“水の匂い”と“濁りの匂い”がぶつかって、動かなくなってるところ。そこから村側へ、細い枝が何本も伸びてる』

「……やっぱり、そこか」

 俺は一度視線を落とし、足元の土を踏みしめる。

「今日の線引きだ。――ここから“枝の核”まで行って、戻る。戻るルートは、濁りが暴れたときの逃げ道。戻れないと判断したら、その場で枝を切り落として、あとはお前たちのテリトリーに任せる」

 自分で言いながら、内心で苦笑する。

 言葉の上では“戻る”って言ってるけれど、実際は半分以上“片道切符”みたいなものだ。

『“戻れなかったらどうするか”まで、ちゃんと決めておくのがセイらしいよね』

「線を引くのが仕事だからな」

 リーダー格の山犬が、低く喉を鳴らした。

『“あそこ”が消えれば、山の煙の流れも、きっと元に戻る。――だから、そこまで案内する。戻る道は、煙で印をつける』

「助かる。こっちも、足場の線は全部俺が持つ。お前らは、匂いと煙で“道の方”を見てくれ」

 短い吠え声。

 それで話はまとまった。


 稜線から北西山腹へ降りる道は、昨日の衛星地点へ向かったルートよりも、さらに悪かった。

 岩が崩れやすい斜面。

 踏めば滑る泥のエリア。

 その下に、じわりと水を含んだ沈む帯。

 ジオセンスを広げながら、一歩ごとに“踏んでいい線”だけを拾っていく。

 青エリアは少ない。

 でも、ゼロではない。

「右足、二歩先の青。左、半歩送って、そこから斜めに」

 頭の中で足運びを組み立て、その通りに身体を動かす。

 足裏の感触と、土の中の線を、ずらさずに重ねる。

 ヒトリから送られてくる視界が、頭の片隅で斜面の全体像を映している。

 その映像の上に、俺の足場線が薄く上書きされていく。

『崩れやすい岩の端、左から三歩分。そこは“踏める”。けど、その先は一気に落ちるタイプだから、二歩目で止まって』

「了解。落ちる前に止まる線、ね」

 足を止める位置と、止まったあとの退き線。

 そこまで含めて一本の線として見ておく。

 スモークラインたちは、少し離れた位置を並走していた。

 足元から立ち上る煙が、時々、赤寄りのエリアに向かって伸びる。

『“そこは駄目”って印。濁りの匂いが強いところは、土が崩れやすいか、空気が重いかのどっちか』

「助かる。ジオセンスだけだと、“匂い”は拾えないからな」

 人間の脚が踏めるギリギリのラインと、山犬たちの感覚。

 それを重ねながら、少しずつ“枝の核”へ近づいていく。


 やがて、斜面の傾きが緩くなった。

 岩と土の色が、少しだけ黒ずんでいく。

 ジオセンスを深く沈める。

 地下水脈の白が、目の前で太く折れ曲がっていた。

 そこに、黒。

 水の流れに巻き付き、絞り、捻じるように。

 線ではなく、塊に近い濃さ。

『“ここ”。濁り枝の小核、直上』

 リラの声と同時に、スモークラインのリーダーが足を止めた。

 その足元から立ち上る煙が、一歩も前に進まない。

『これ以上近づくと、煙が“重く”なる。息がしにくくなる』

「……ギリギリ手前ってわけか」

 足元の土を軽く蹴る。

 表面は乾いている。

 けれど、ほんの少し力をかけると、下からじわりと水気が上がってくる感触がした。

 ジオセンスで見る。

 足元直下は、まだ青に近い緑。

 少し先から黄色。

 その向こうは、赤黒い“沈みやすい帯”だ。

 『……ここの帯、マナの流れそのものに濁りが手を突っ込んでるタイプだね』

「ジオセンスのノイズ、さっきからちょっときついな。ヒトリは平気か?」

『今の“世代”ならね。前の試作のころにここまで近づけたら、多分、中身のマナパターンがぐしゃっと崩れて、そのまま戻ってこなかった』

「おいおい、そんな危ないところに平然と飛ばしてたのか」

『だから“試作”って言ったでしょ。あの頃は、濁りが強い所に入ると、ヒトリの感覚そのものが濁りに上書きされてきてたんだよ』

「……前にガランさんたちと調査隊出して、濁りの最深部まで行ったときの話か。

 “ここから先ヒトリ飛ばすと、俺の頭までノイズが逆流するかもしれない”って、お前が言ってた」

『うん。あのときの解析だと、ヒトリに乗った濁りのパターンが、そのまま感覚ラインを伝ってセイの中枢にキックバックする可能性が高かった。

 一回でもやったら、視界も感覚もぐちゃぐちゃに上書きされるかもしれないって出てたから、止めた』

「正直、あれは助かったな。あのとき無理して飛ばしてたら、今ここにいないかもしれない」

『だから今は、濁り層から拾ったマナ情報はいったん全部わたしのところでフィルタしてからセイに送ってる。ヒトリ本体も、濁りのど真ん中には長居させないで、ちょこちょこ高度と位置をずらしてるでしょ?』

「ああ、さっきから“覗き込んではすぐ引く”みたいな動きしてるのは、それか」

『うん。“高精度観測モード”って言ってるけど、半分は“セイとヒトリを壊さないための避難ルート”なんだよ』

「リラナイスアシスト。命の保証つき高精度観測ってやつだな」

『セイ、ここのコアのサイズは中〜大。このまま放っておくと、また衛星が増えるパターンだね』

「増やさせる前に、根元から落とす」 

 そう口にして、自分で一度飲み込む。

 ここで失敗したら、どうなるか。

 枝に乗った濁りが、別の方向に流れ出す。

 最悪、村側とは違う方角に、新しい枝を伸ばすかもしれない。

 “何もしない危険”と、“手を出す危険”。

 どこで線を引くか。

 ここまで来て、“手を出さない”という選択肢はもうない。

 昨日、衛星を全部片付けてしまった以上、ここを残す方が危険だ。

「リラ」

『うん』

「高位の浄化系理術を組む。

 ――条件は三つ。

 一つ。地下水そのものは殺さないこと。水脈の線は生かしたまま。

 二つ。枝の“外側”に逃げようとする濁りを、できるだけここに縫い止めること。

 三つ。俺のマナがゼロになる前に、処理が終わること」

『三つ目が一番難しくない?』

「そこは交渉だ。……自然から、少し借りる」

 冗談めかして言うと、リラが小さく息を呑んだ気配がした。

『了解。わたしの方から、周囲の自然マナを“集めてくる”。ただし、引き過ぎたら周りの森が痩せるから、その手前で止める』

「それでいい。“山ごと死ぬ”線は、絶対に越えない」

 俺はゆっくりと膝をつき、地面に手を置いた。

 指先から、ジオセンスとは別種の“理層”への線を伸ばす。

 地面の下、地下水の流れ。

 そこに絡み付いた濁りの塊。

 それを、“モデル”として理層にコピーする。

 白い線。黒い塊。

 その周りを、薄い緑色の“自然マナ”が流れているイメージ。

『理層コピー完了。実体との誤差、一割弱。許容範囲』

「じゃあ、始めるか」


 まず、“濾過の枠”を作る。

 水だけ通し、濁りだけ捕まえる枠。

 地下水脈を一本の管だと見なして、その周りに細い網目を張り巡らせる。

 穴の大きさ。

 流量。

 濁りの粒の大きさ。

 理層の中で、パラメータを一つずつ動かして、シミュレーションする。

 水だけが素直に流れ、黒い粒が網に引っかかる。

 引っかかった黒は、網に沿って一点に集まっていく。

『濾過ライン、安定。でも、濁り核が大きいぶん、“逆流圧”が強い。こっちから掴みにいく前に、押し返される可能性』

「だから、“外側”からじゃなく、“中”から掴む」

 黒い塊のど真ん中に、細い芯を一本通す。

 そこを起点に、枝全体を“線として”扱う。

 北から伸びてくる枝。

 そこから村側へ向かう細い枝。

 全部を一本の“糸”のように見なす。

 その糸に対して、“縮む”条件を設定する。

 一定以上の濁り密度が集まったら、枝全体が核側へ収縮する。

 枝に残っている濁りが、逆に核へ戻ってきて、自分から“まとめてくる”ような形。

『枝の線、捕捉完了。収縮条件セット。――でも、マナ消費、かなり多めだよ?』

「分かってる。だから、お前の出番だ」

 理層上のモデルの外側に、もう一つ“輪”を描く。

 周囲の森。

 石。

 空気。

 そこに漂う自然マナを、ほんの少しずつ削り取る輪。

『“削り”の強さ、三段階で設定する。今は第一段階。森が“少し静かになる”くらい』

「それでスタート。俺のマナ三、自然二。――五で押し切る」

『了解』

 リラの声と同時に、空気が少し重くなった。

 風の流れが緩む。

 鳥の鳴き声が、一瞬だけ遠のく。

 周囲の自然マナが、理層に描いた輪へ吸い寄せられてくる。

 それが、濾過枠と枝の収縮ラインへ流れ込む。

 現実の地下水脈が、微かに震えた。

 水の線が、白から薄い青へ変わっていく。

 濁りの黒が、じわりと剥がれ始めた。

『開始三秒。小枝からの濁り供給、減少。大枝側からの逆流圧、増加中』

「こっちの“引き”を強める」

 理層の中で、枝全体を包む“掴み手”を少しだけ締める。

 北側、本体の方角から押し返してくる圧力を、枝全体で受け止めるイメージ。

 その瞬間、頭の奥に鈍い痛みが走った。

 視界の端に、ノイズのような黒い粒がちらつく。

 脳が、そのまま枝の“張力”を受けている感覚。

『セイ、負荷ライン、青を越えて黄色に入った。このまま十秒以上続けると、たぶん“頭がひどく痛くなる”』

「十秒で終わらせる。――リラ、自然マナの削り、第二段階へ」

『了解』

 周囲の空気が、さらに重くなる。

 風がほとんど止まり、葉擦れの音が消える。

 山犬たちが、わずかに耳を伏せた。

『“空気が冷たくなった”って。でも、まだ耐えられるって』

「悪いな。少しだけ我慢してくれって、伝えてくれ」

 枝全体から、黒が抜けていく。

 収縮ラインに沿って、濁りが核へ戻り、そこに抱え込まれていく。

 地下水脈の白が、少しずつ、元の形に戻っていくのが見えた。

 代わりに、核の黒が濃くなる。

 塊は小さくなっているのに、色だけが黒を通り越して“光を食う”ような濃さになっていく。

『核密度、上昇。このままだと、今度はそこで“弾ける”』

「最後の一手だな」

 理層上の核の中心に、細い穴を一つ開ける。

 そこから上へ、“抜き線”を伸ばす。

 濁りだけを通す排気口。

 そこに“焼却”の条件を書き込む。

 高温でも低温でもなく、“構造そのものを解く”温度。

 今まで何度か使った、濁り核を壊すための理術の応用だ。

『抜き線、準備完了。でも、これをフルで流すと――』

「分かってる。俺のマナ、ここでほぼゼロになる」

 深く息を吸う。

 肺の奥の空気まで、ひどく重く感じた。

「――でも、ここでケチる線じゃない」

 抜き線に、自分のマナを一気に流し込む。

 頭の奥が一瞬、真っ白になった。

 腹の底から足先まで、何かが根こそぎ引き抜かれる感覚。

 同時に、地面の下で何かが爆ぜる音がした。


 時間が、少し伸びたように感じた。

 地下水脈の白い線が、一気に明るくなる。

 巻き付いていた黒が、抜き線へ吸い上げられ、理層の上で光の粒になって弾ける。

 実際の地面の下では、黒が“灰色”を経ずに、いきなり消えた。

 残滓のようなものも、ほとんど見えない。

 核だった場所には、わずかに濃い灰色の点が残っただけ。

 それも、地下水の流れに撫でられて、すぐに散っていく。

『濁り枝本体、消失。村側へ伸びていた細い枝も、全部、“元の水線”だけになった』

「……は、はは。やっぱり、やり過ぎは身体に悪い」

 笑ったつもりが、声にならなかった。

 視界の端で、スモークラインたちが一斉に頭を上げる。

 彼らの足元から立ち上る煙が、さっきまでよりも軽く、白っぽく見えた。

『“匂いが変わった”って。重い匂いが消えて、昔の山の匂いに近づいたって』

「そりゃ、よかっ……た」

 膝から力が抜ける。

 地面に手をつこうとして、うまく力が入らなかった。

 体の方は、まだ動く。

 筋肉の張りもない。

 でも、頭の中が、まるで一晩中数式と格闘したあとのみたいに、ずしりと重い。

『セイ、マナ残量、ぎりぎり“点灯”レベル。これ以上、何か大きいことをしたら“落ちる”』

「もう、十分だろ……」

 そう言ったときだった。

 視界の端に、山犬の顔が割り込んできた。

 リーダー格だ。

 金色の目が、まっすぐこちらを見ている。

『“終わった?”って』

「ああ。北西の枝は、もう村に来ない。あとはお前たちの山だ」

 山犬は、ゆっくりと頭を下げた。

 人間で言えば、深い礼に近い動き。

『“巣の外側から噛みに来ていた牙を、折ってくれた”。“借りが一つどころじゃない”って』

「借りとか恩とか、数え始めると面倒だぞ」

 軽口を叩くと、山犬の喉がかすかに鳴った。

 笑ったのか、呆れたのか、その中間みたいな響き。

『“だから、数えないようにする”。“お前を主にする”って』

「……今、なんて?」

『“巣の安全を守ってくれた者に、牙を向けない。巣より外側で、その者の線を守る”。それがあいつらの“主従”の形。“お前を主にするから、外側の線を守る時に呼べ”って』

 金色の目が、まっすぐこちらを見ている。

 腹を見せるでも、首輪を求めるでもなく。

 ただ、境界線の向こう側から、自分の位置を一歩こちらへ寄せるみたいな仕草。

「……言葉が、ちょっと重いな」

『セイの方からも“線だけ”決めとけばいいよ。

 山はあっちが守る。村と外側はセイが守る。

 必要な時だけ、お互いに手を貸す。わたしたちから見たら、それで十分“主従”』

「線を決めるのは、好きだけどな……」

 そこで、一度言葉が途切れた。

 さっきまで踏ん張っていた何かが、ふっと抜ける感覚。

 膝の力が抜ける。

 地面が、少し遠くなる。

『セイ?』

「条件の話は……続きは、朝でいいか」

 自分でも、声がかすれているのが分かった。

 頭の奥が、ずしりと重い。

 視界の端が、少しずつ暗くなっていく。

『……了解。契約の細かい中身は、“生きて起きてから”にする』

 リラの声が、少しだけ遠くなった。

 視界の端に、山犬の顔が割り込んでくる。

 リーダー格だ。

『“ここで寝ろ”。“巣まで運ぶ”って』

「……また、借りを……」

 言い切る前に、言葉がほどけた。

 体が、柔らかい何かに支えられる。

 煙に近い、ふわりとした毛の感触。

 焚き火の煙とは違う、山の石と草の匂い。

 山犬たちの足音と、枝を踏む音。

 どこかで、遠い水音。

 揺れる。

 運ばれている。

 北西から村へ伸びていた濁りの枝は、もうない。

 でも、山の奥には、まだ“本体”がある。

 そこへ繋がる煙の線が、静かに揺れているのを感じながら――

 俺の意識は、完全に暗転した。


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