第58話 撃てない手と、弩の設計
鍛冶場の扉を押し開けた瞬間、熱気と鉄の匂いが顔をなでた。
炉の火はまだ弱く、赤い炎が静かに揺れているだけだ。
「おう、来たか」
金槌を置いたドランさんが、煤で黒くなった腕を軽く振った。 作業台の周りには、すでに顔ぶれがそろっていた。
《鎚灯り》からはバルド、テオ、サラ、《リュミエルの灯》からはコルト、ミナ、リアンが揃って座っていた。
その向こうに、腕を組んだガランが立っている。
『メンバー、予定どおり。あとは、セイの口から“撃てない手”の定義を出すだけ』
頭の中で、リラが淡々と確認してくる。
「じゃあ、始めようか」
ガランが場を見渡し、視線を俺に投げた。
「ボウガンの件だ。セイ、お前の“撃てない手”の話から頼む」
「分かりました。……」
俺は近くの丸椅子を引き寄せて腰を下ろし、作業台の端を軽く叩いた。
みんなの視線が、そこに集まる。
言葉を選びながら、指で机の木目をなぞる。
「刃物を生き物に向け命を取ることに抵抗のある人。
そういう“線の手前で止まる”人たちの話だ。」
ミナが、小さく肩をすくめた。
リアンも、膝の上で組んだ指をぎゅっと握る。
サラは、胸の前で重ねた手にそっと力を込め、静かに目を伏せた。
「……それって、臆病とかじゃなくて?」とミナ。
「臆病とは違うな」
俺は首を振る。
「俺らみたいに、ゴブリンだろうが猪だろうが“仕事相手”として割り切れる手もある。でも、誰もがそうなれる必要はない。祈り手とか、村の連中とか、“命を守る側”の価値観で生きてる人は――むしろ、簡単に刃を向けられない方が正常だ」
横でサラが、そっと息を吸ったのが分かった。
「……分かります。祈りの修行をしていても、最初の一人に『傷をつけるかもしれない』って思うと、足が重くなりましたから」
サラは、胸の前で手を組みながら、苦笑気味に続ける。
「それでも必要なら、祈りで押さえたり、結界を張ったりはできます。でも、自分の手で“刺す”一歩目は、今でも軽くはならないですね」
そのやりとりに、口元だけで小さく笑ってから、俺は皆に向き直った。
「だから、ミナやリアン、サラさんみたいな“守るための手”には、殺しに行く道具は背負わせたくないんです。 持たせるなら、生きて帰るための一手だけにしたい」
リアンが、少しほっとしたように目を伏せた。
「だから、今回のボウガンのコンセプトは一つだけです」
俺は指を一本立てる。
「『撃てない人にも、“生きて帰るための一手”を増やす』。人殺しを楽にする武器にはしない。乱射して遊べるオモチャにも、戦争用の大量殺傷兵器にも、絶対にしない」
「そこは、鍛冶屋としても同じだな」
ドランさんがうなずいた。
「生きて帰るための武器なら作る。人殺しを楽にする道具は作らん。……で、その前提で形の話に入っていいか?」
「お願いします」
作業台の上に、木と鉄の試作品が三つ並べられた。
一つは、弓に似た軽い弩。
一つは、三脚付きのごつい鉄塊。
もう一つは、まだ骨組みだけの細長い枠だ。
「まずは軽い方からだな」
ドランさんが、木製の弩を持ち上げる。
ミナの方へ向けて、顎でしゃくった。
「ミナ、お前が構えてみろ」
「え、あ、うん……」
ミナが立ち上がり、恐る恐る肩に当ててみる。
弦を引く動作で、肩口が少し震えたが、なんとか溝まで引き込んだ。
「……重いけど、弓よりはマシ、かな」
「反動は弱め。威力は弓よりちょい上。足止めとか、仲間を助ける一発を想定してる」
俺が説明を足すと、ミナがこくこくと頷いた。
「爆瓶と合わせるなら、ここだな」
テオが、横から口を挟む。
「瓶を先に投げて視界を潰す。そのあとで、逃げられないラインに一発。“攻めるため”じゃなくて、“離れるための一撃”。」
「そういう使い方だな」
俺も頷く。
「ミナが前に出ないまま、距離を取って撃てるようにする。“撃たなきゃ死ぬ”じゃなくて、“撃てたから戻れる”一歩」
今度はリアンの方を見る。
「リアンも、構えてみてくれないか?」
「……分かりました」
リアンが、少し緊張した顔で弩を受け取る。
祈り用の杖と違い、木の感触に戸惑っているのが分かる。
「弦を引くのは大変だったら、誰かに手伝ってもらってもいい。
大事なのは、“構えた状態で祈れるかどうか”だ」
「祈りながら……」
リアンはこくりと頷き、小さく息を整えた。
弩を胸の前で抱えるようにし、目を閉じる。
「アクアエリアよ、この者の足元を守ってください――」
祈りの言葉と共に、うっすらとマナの揺れが弩の周りを包む。
それを見て、サラが目を細めた。
「……矢に“守り”を乗せる形ですね。悪くないと思います」
「攻撃じゃなくて、『ここから先に来させない一矢』って感じだな」
バルドが、腕を組んで笑う。
「リアンが撃つときは、俺らが前で壁やる。その一発で、後ろの退路を開ける、ってことか」
「はい。それが理想です」
リアンが小さく微笑む。
さっきまでの強張りが、少しだけ解けていた。
(よし、“ライト弩=ミナとリアンの逃げ道”って線は固まったな)
『うん。二人とも、“守るためなら撃てる”って顔してたよ』
「次。重い方だ」
ガランが、ごつい鉄製の弩を三脚ごと持ち上げ、コルトの前に置いた。
「……でかいな」
コルトが苦笑する。
けれど、弓を持つときと同じ目になっていた。
「弓と違って、これは連射向きじゃない。時間をかけて一発を通す、“決めに行く弩”だ」
俺は、弦とレールの構造を指でなぞりながら説明する。
「対大型、対装甲、対空。前でバルドたちが足を止めて、テオが風と足場で整えて――最後にコルトが“これ一本で折る”武器」
「……いいね。責任重大だけど、嫌いじゃない」
コルトが三脚を少し開き、構えてみる。
肩に載せるというより、体全体を預けるような姿勢になる。
「これ、撃った反動で前に転びません?」
ミナが心配そうに言うと、ドランさんが鼻で笑った。
「そこは俺の仕事だ。暴発しても撃った本人とすぐ近くまでで収まるように作ってある。遠くの味方を巻き込む構造にはしない」
『“暴発しても遠くは巻き込まない”っていう設計は、想定どおりだね』
(そこは譲れないところだ)
「最後が、まだ骨みたいなやつだな」
ガランが、細長い枠を軽く叩く。
「遠間弩。セイ、お前のソロ用だ」
「名前だけは物騒だな」
俺は苦笑しながら、その枠を持ち上げた。
軽くはないが、伏せて撃つ前提なら許容範囲だ。
「これは、ヒトリと組み合わせて、二百~三百メートル先から一発だけ通す用。……まあ、実戦投入はだいぶ先だ。今は“設計だけ”でいい」
『遠間弩は、ソロ運用と王都本隊の背中を守るためのやつだからね。今は“名前と枠組み”だけ共有しておけばいいよ』
(ああ。ここで細かいところまで全部話したら、みんな消化しきれない)
「で――形はだいたい見えた。問題は、この武器を“誰でも撃てる道具”にしないことだ」
俺は三つの弩を見渡しながら、話題を切り替える。
「技術が広まれば、“人殺しを楽にしたい連中”が必ず出てくる。王都でも、他国でも、盗賊団でも」
テオが小さく眉をひそめた。
「……それは、正直、想像できますね」
「だから、セイの理術を噛ませる」
ガランが、俺の方を顎で示す。
「詳細は……お前が説明しろ」
「分かりました」
俺は、木炭を手に取り、作業台の隅に簡単な図を描いた。
弩の持ち手の部分に、小さな印をいくつか刻んでいく。
「トリガーの中に、細かい理術刻印を仕込む。握った人の“マナの揺れ方”を読む仕組みだ」
『署名。指紋じゃなくて、“マナの癖”を読む』
「事前に登録した人のパターンと合わなかったら、トリガーがロックされる。引き金は固いまま、びくともしない」
ミナが目を丸くした。
「じゃあ、奪われても?」
「ただの重い棒。登録外の人がどれだけ握っても、撃てない」
リアンが、胸に手を当ててほっと息をつく。
「……それなら、村の子たちの近くにあっても、少し安心できますね」
「そういうこと」
俺は頷く。
「登録するのは、俺、アヤ、コルト、ミナ、リアン、ガラン……あと、必要になった人だけ。“線を引ける人”にしか渡さない」
「サラは?」
バルドが、横目でサラを見る。
サラは少し考えてから、ゆっくり首を振った。
「私は……今のところは、いいかなって思います。私が前に出て撃つ場面より、倒れた人を引っ張って戻す場面の方が多いはずですし」
「祈りの手が全員、撃てる必要はないってことだな」
俺も同意する。
「リアンみたいに“守るための一矢”を持つ祈り手もいるし、サラさんみたいに“最後まで見届ける祈り”に専念する手もある。どっちも必要だ」
サラが、少し照れたように笑った。
「……そう言ってもらえるなら、今は支える側でいさせてください」
「ロックシステムについては、もう一つ」
俺は、図の横にもう一つ印を描き足す。
「もし盗まれたとして――一定時間、“登録外のマナ”が触り続けると、内部の刻印が自動で解除される。 そのかわり、弦と内側のパーツが、わざと“ずれた位置”で固まる」
「……ガラクタになる、ってことか」
コルトが確認する。
「そう。見た目は弩のままだけど、ちゃんと撃てる状態には二度と戻らない。ギルド経由で俺が回収できれば、調整で直せるけど――盗んだ奴には、まず無理だ」
「いいな、それ」
ドランさんが、歯を見せて笑った。
「“セイの祝福武具”ってことでギルドに登録しておけば、勝手に持ってる奴は、ただの違法武具持ちだ」
「そこまで含めて、“線を引く武器”にする」
俺は木炭を置き、みんなの顔を順番に見た。
「まとめると――」
指を三本立てる。
「一つ。生きて帰るための一手を増やすための武器であって、人殺しを楽にする道具にはしない。二つ。誰でも乱射できない。腕力が要るし、装填にも時間がかかる。三つ。セイと登録された仲間以外には、ほぼ使えない構造にする。奪われればガラクタ。」
ガランが、ゆっくりとうなずいた。
「それでいい。“撃てない手”に、撃てと言うんじゃない。“撃てなくていい手”のまま、生きて帰れる道具だ」
その言葉に、ミナとリアン、そしてサラが小さく肩を揺らした。
「じゃあ、今日決めたのは――」
会議の終わりに、俺は指折り確認していく。
「ライト弩はミナとリアン向け。“足止めと守る一矢”。重弩はコルト向け。“対大型の決め打ち”。遠間弩は、将来の俺のソロ用。“王都本隊の背中を刺しそうな牙”を折るため」
「構造とロックの案は、お前とドランで詰める」
ガランが続ける。
「ギルドとしては、“誰に貸すか”“どの線まで持ち出せるか”の規約を作る。教会と学院にも、“これは戦争の道具じゃない”って釘を刺しておく」
「了解。技術をよこせって言われたときの言い訳も、考えときますよ」
『“セイ固有の祝福+リラの理術がないと意味がない”ってやつだね』
(うん、それ。大人の世界は建前が大事だからな)
鍛冶場を出る頃には、外の空は夕方に傾きかけていた。
炉の赤と、外の橙色の光が、扉の隙間で混じり合う。
「……これで、少しは“撃てない手”の居場所が増えるか」
ぽつりとつぶやくと、横でガランが鼻を鳴らした。
「増やすんじゃない。“あったはずの居場所を、形にした”だけだ」
そう言って背を向けるギルドマスターの肩越しに、
ギルドの地図板が視界に入る。
村の周りを囲む灯籠列。
北には、すでに“戻る線”の赤い印がびっしり並んでいる。
西と南には、まだ薄い線が引かれているだけだ。
『セイ。次はどっちを見る?』
「……南の線だな。灯籠の足元までは“今の村で戻れる”って、ちゃんと確かめに行く」
そう答えながらも、視線だけは一瞬、西の方に滑った。
地図の端。
まだ誰も印をつけていない、濃い森のあたりで――
ほんのわずかに、嫌な“線の揺れ”を感じる。
(……気のせいだといいが)
胸の奥に小さなひっかかりを抱えたまま、俺はギルドの扉を押し開けた。
外の空気は、昼より少しだけ、冷たくなっていた。




