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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房
第4章 北外縁の森、撃てない手を道具で埋める

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第54話 村の地図と、「撃てない手」の線

 細いペン先を板に近づけた瞬間、目の前の板の表面が、ふっと淡く明るくなった。

「……おお」

 思わず声が漏れる。

 ギルド会議室の正面に据え付けられた写記(しゃき)水晶板(すいしょうばん)《ウツシ》――昨日、本部から木箱ごと届いたばかりの新型だ。

 ギルドネットから地形や文字を映し出して、その上から専用の魔導ペンで線を書き込み、紙や布に丸ごと写し取れる板だと説明された。

 説明だけ聞けば、前の世界で見慣れていた会議室の電子ボードと大差ない。

 けれど、この世界のインフラと魔石事情を知っていると、話はまったく別だ。

(……これ、村支部に置いていい値段じゃないよな。魔石いくつ食うんだ? 上流の灯り、何本分こっちに突っ込んでるんだろ)

 黒川時代、情報システム部長として「壁一面ディスプレイの監視室一式」の見積もりを見たことがある。桁を数え直したくなるような数字だった。

 今、目の前にあるのは、それにギルドネットとマナ加工と転写機能を全部盛りしたような代物だ。

(うっかりペン落として傷でも付けたら、ガランさんじゃなくて王都の偉い人が泣くやつだな、これ)

 そんな想像をしたせいで、ペンを握る指先に余計な汗がにじむ。

「説明受けたの、セイさんが一番早かったんですからね。エルディア支部で、最初の一本はセイさんにお願いしまーす」

 隣でリーナがにこにこしながら、予備のペンを束ねたホルダーを抱えている。

 おそるおそるペン先を板に触れさせると、青白い光の筋が、すうっと地図の上に生まれた。

「……マジで付いた。これ、俺が最初でいいの?」

「いいんですよ。どうせ一番線を増やすの、セイさんですし。慣れてもらわないと困ります」

 リーナが、どこか自慢げにウツシの枠をポン、と叩いた。

「これ、“UTSボード”っていう最新式らしくて。本部の技術班いわく、正式名称はユニバーサル・トランスクライブ・スレート。なんでも、地形でも文字でも、ギルドネットのデータならなんでも映して、そのまま写し取れる万能板だそうです」

「名前からしてもう強そうなんだよな……」

 俺がペンを握ったまま引きつった笑いを浮かべる。

 黒川時代の感覚でざっくり見積もっても、これ一枚で村の家が何軒建つか分からないレベルの設備だ。田舎支部の会議室に、平然と掛けていい代物じゃない。

「動力、うちのランプと同じ魔石枠ですよ。王都と教会と学院とギルドで、共同負担の“お高いやつ”だそうでーす」

「やめろ、その一言でさらに手が震える」

 自分の声が半分以上本気なのが、少し情けない。

 後ろの席からミナが身を乗り出してきた。

「ねえリーナ、それ、将来的にはさ、うちらのギルド章のマナ水晶と繋いで、“誰が今どこにいるか”を、このウツシの地図に小さい光の点で出せるようにする計画もあるって、説明書に書いてなかった?」

「あ、よく読んでますねミナさん。はい、“将来的な拡張予定”って欄に、そういうことがさらっと……」

 ミナが「うわー」と妙な声を出す。

「それ、便利だけどさ……寄り道してるのも丸見えになるやつじゃない?」

「やめろ。その未来は本気でやめろ。俺、トイレ行くたびに位置ログ取られるのはごめんだ」

 思わず本音が出る。

 黒川時代の社内システムで、位置情報管理の提案書をきれいに葬った記憶が、妙なところで蘇る。

 ガランが低い声で笑った。

「まあ安心しろ。今の時点でリアルタイム追跡なんてできたら、王都の連中が先に悲鳴を上げてる。あくまで“いつかできたらいいな”レベルの夢物語だ」

「夢物語の時点で、ちょっと背筋にくるんですけどね……」

 俺はペン先を持ち直す。

(高いからって線を引かないわけにはいかない、か。ここでケチるほうが、よっぽど高くつく)

 ギルド会議室の正面で、ウツシの板面には、王都から送られてきた北外縁周辺の地形図がうっすらと映し出されていた。その上に、俺が引いたばかりの線が一本、光の筋として重なっている。

「……はい、セイさん。エルディア支部、記念すべき“ウツシ一筆目”ですよ」

 リーナが、どこか楽しそうに言う。

 たかが一本線を引くだけなのに、やたらと背中がむずがゆい。

「そんな大層な記念いらないんだけどな……」

 小さくぼやきながらも、俺はもう一度ペン先をウツシに当てた。

 本部直送の最新式だろうが、名前がやたら長かろうが、魔石何十個分の塊だろうが、結局ここに描くのは――俺たちが、どこからどこまで“戻れる線”と決めるか、その一本だ。

 青白い線が、村から北へ伸びる道に沿って静かに増えていく。

「……線が増えたな」

 背後から低い声がして、俺はペンを浮かせたまま頷いた。

 ガランが腕を組んで、ウツシの板面を見上げている。

「北外縁四泊五日分。あとは、まだ粗いですけど」

「粗くていい。まずは“ここまで見えた”線を全部出せ」

 太い指が、ウツシの枠をとんとんと叩く。

 会議の前に用意しておいた「北外縁調査ログ一覧」を、俺は全員の手元に配ってある。

 日付と場所、危険度、足場の状態と簡単なメモを一枚に詰めた紙だ。

 それを片手に、《鎚灯り》のバルド、テオ、サラ、《リュミエルの灯》のコルト、ミナ、リアンが、それぞれ自分用のメモを取っていた。

 狭い会議室が、人と紙と光る線の熱気で、少しだけ息苦しい。

「じゃあ、北のまとめから。ウツシ、ちょっと拡大しますね」 リーナが足元の操作石を軽く指で叩くと、ウツシに映っていた地形図がきゅっと拡大される。

 北側の尾根と川筋が、板一面に広がった。

「ここが仮拠点候補一番」

 俺はペン先で、北側の窪地に丸印を付ける。光がそこだけ少し強く滲んだ。

「灯籠から二本目の尾根を越えた、半分窪地みたいな場所。濁りは三日かけて間引いたから、今の危険度は二点台。土を少し積めば、雨でも崩れない」

「宿営想定人数は?」

 テオがすかさず問う。

「本隊想定だと……そうだな、四十から五十。馬までは入れない。荷車は手前の平地まで。ここ自体は“寝床と祈り場”に絞ったほうがいい」

「馬が入れないなら、補給線は別に考える必要があるな」

 ガランが頷き、メモにさらさらと何かを書き込んだ。

「その手前、このあたり」

 俺は今度は、村から北へ伸びる道の途中に、三つほど印を追加した。

 光の丸が、ウツシの上にぽんぽんと増えていく。

「ここは“戻る線”の目印候補です。地形的に、避難のときにも集まりやすい場所。段差が少なくて、荷車も人も詰まりにくい」

「段差が少ない分、魔物も来やすいだろうがな」

 バルドが腕を組み直す。ごつい腕の筋肉が、革鎧の下で軋むように動いた。

「だから、こっちは《鎚灯り》にお願いしたいんです」

「お、うちの出番か」

 バルドが腰を乗り出し、顎でウツシの地図をしゃくる。

「どんな仕事だ?」

「足場の“いいところ”を、もっと“よくする”のと、“悪いところ”をはっきり“悪くする”こと」

 サラがきょとんと目を瞬かせる。

 全員の視線が、少しだけ不思議そうに集まる。

「テオ、北外縁三日目の“斜面の足場ログ”、番号分かります?」

「分かります。はい、これ。斜面下の通り道と重なってるやつ」

「リーナさん、そのログ、ウツシに重ねてもらっても?」

「了解でーす。足場ログ、下層に重ねます」

 リーナが操作石をもう一度弾くと、ウツシに映っていた地形図の一部が切り替わり、斜面に沿って色の帯が浮かび上がった。

 リラが整理してくれた足場の評価が、そのまま濃淡になって地図に重なっている。

「例えば、ここ」

 ウツシに映された斜面をペン先でなぞりながら、俺はログの内容を言葉に直していく。

「今は“そこそこ良い足場”だけど、雨が増えたら悪くなる。あえて少し削って“ここから急に悪い”って段差を作る。逆に、この帯は土を足して、滑らない道にする」

「……本当に、“わざと悪くする”んですか?」

 サラが困惑まじりにたずねる。祈り手の目線で、“守る場所”をわざと崩す発想が飲み込めていないのが分かる。

「はい。全部を良くすると、全部が同じに見える。逃げるときに、“良いほう”に自然と足が向かうように、差をつけたい」

 バルドが、ふっと笑った。

「逃げ道にも“タンク”を立てる、ってやつか」

「そんな感じです。前はバルドさんたちが体で線を引いてくれるから、逃げ道は“地形”にタンクになってもらう」

 テオが顎に手を当てた。

「土壁と足場の補強は、うちの魔術でも手伝えますね。崩れない階段と、崩れる崖際。ログ見ながら優先順位を決めれば」

「《リュミエルの灯》は?」

 ガランの視線が、《リュミエルの灯》の三人に移る。

「灯籠の増設と、祈り場の確認をお願いします。線の端に、“ここで止まる”印を増やしたい」

 リアンが静かに頷いた。

「祈りの届く範囲を、もう一度測り直します。外縁寄りの仮祈り場も、正式に整えたほうがいいかもしれません」

 ミナが手を挙げる。

「灯籠用の魔石、足りそう? ヒューゴさんのところの在庫、そんなに余裕なかったよね」

「セイが北外縁の調査で討伐した魔物から抜いて持ち帰った分を回せる。濁り核じゃない魔石は、灯籠用に優先して使う」

 ガランが短く答え、視線を俺に戻した。

「線と印は、そんなところか」

「ひとまずは。もちろん、実際に足を運んでもらってから、微調整してもらう必要はありますが」

「ふむ」

 支部長の視線が、ウツシの板面全体をゆっくりと舐める。

 村から外縁へ伸びる光の線。

 その途中に増えた丸印と三角印。

 灯籠。

 祈り場。

 仮拠点候補。

 線はもう、最初に俺がこの村の地図を見たときとは別物になっていた。

「セイ」

「はい」

「ここから、“線を守るためのボウガンの話”に移りたい」

 ガランがそう言って、椅子に腰を下ろした。

 その目は、さっきまでの地図を見る目と、少しだけ違っている。

「ボウガン……ですか」

 ミナが首をかしげる。

 リアンの指が、胸の前で小さく揺れた。祈りのための癖だ。

「前に出るほうじゃない。後ろで支える手段の話だ」

 ガランが、机の上の紙束を軽く叩いた。

「お前が報告書に書いていた“撃てない人のための一手”。あれを、そろそろ本気で形にしたい」

 部屋の空気が、少しだけ変わった。

 テオが目を細め、ミナとコルトが互いに短く視線を交わす。

「……あれを、このタイミングで?」

「北外縁を回ってきたばかりだからこそだろう」

 ガランは静かに言う。

「前に出られるやつは限られている。だが、村を守る線はこれからもっと伸びる。全部を剣と盾で埋めるのは不可能だ」

 ウツシに映った線の数を見れば、誰にでも分かる理屈だった。

「《鎚灯り》や《灯》みたいに、前に出て“殴れる”連中だけじゃなく、“撃てないやつ”“前に出られないやつ”にも、一発だけ守りの手段を持たせたい。お前の書いた、あの言葉どおりにな」

 机の端に置かれた紙の一枚が、俺のほうへ滑ってくる。

 見覚えのある、自分の字がそこにあった。

『人殺しを楽にするためではなく、「生きて帰る選択肢」を増やすための武器』

 外縁から戻って、リラとまとめたメモの一文。

 それをガランがわざわざ抜き出して、紙に写している。

「……読んでましたか」

「当たり前だ。支部長の仕事は、現場の“嫌なメモ”ほど拾うことだ」

 ガランの口元が、少しだけ笑った。

「気づいているだろうが、あの北の線は、これから何度も本隊やら教会やらが通る道になる。そこで“ここで止めたい”“ここで撃ってほしい”って場面は、必ず出る」

「剣と祈りだけで押し返せる場面ばかりならいいんですけどね」

 俺は、手の中のペンを指先で転がす。

「でも、現実には“前に出られない人”のほうが多い」

 コルトが、短く言葉を継いだ。

「弓を一から覚える余裕がない人。腕力が足りない人。足場の悪い場所で、槍を振るえない人」

「でも、その人たちに“簡単に撃てる殺し道具”を渡したくはない」

 リアンの声にはっきりと棘が混じる。

「戦場で、弓より早く撃てて、誰でも引き金を引けばいい――なんてものが広まったら、それこそ……」

「線の意味が変わるな」

 ガランが短く区切った。

「“戻る線”じゃなく、“撃ち続ける線”になる」

 部屋の空気が少し重くなる。

 リラが、俺の耳元だけに声を落とした。

『セイ。ここ、ちゃんと言葉にしよ』

「分かってる」

 俺は紙から目を離し、全員を一度見渡した。

「だから、“楽に人を殺せる道具”にはしません。最初からそこは外します」

 ミナが、ほっとしたように息を吐く。

「具体的に?」

「候補は三つ。軽いボウガン、重い弩、遠くを撃つ弩」

 視線が一斉に集まる。

 実のところ、名前を口に出すのはこれが初めてだ。

「軽いボウガンは、ミナさんやリアンでも扱えるくらいの張力。威力は控えめで、“止め”じゃなく“足を止める”専用。間違って人に当てたらアウトなので、そもそも人に向けては使わない前提です」

「足を止める?」

 リアンが小首をかしげる。

「例えば、突進してくる猪の肩に刺して、重心を崩す、とか。盾持ちの前衛が止めを担当できる時間を稼ぐための一発です」

 バルドが、ゆっくり頷いた。

「“止め”じゃなくて“時間を買う”矢か」

「はい。だから、貫通力より“狙った場所に届く”ことを重視するつもりです」

「重い弩は?」

 コルトの目が、ほんの少しだけ輝く。

「コルトさん向け。対空と対装甲。三脚前提で、装填に時間はかかるけど、一発当たればオーガ級でも無視できない傷になるようなやつです」

「……いいですね」

 寡黙な弓使いが、珍しく感情を隠さなかった。

「遠くを撃つ弩は?」

「それは、俺のわがままです」

 少しだけ肩をすくめる。

「外縁の外、ヒトリでしか踏み込めないところで、一番危ないやつだけ先に折るための一発。たぶん、村に置いておくより、俺のソロ用になる」

「お前のソロ用は後回しだな」

 ガランが即答した。

「まずは村の線を守るための二種類。軽いボウガンと重いボウガンから考えろ」

「了解です」

 予想していた返答に、俺は素直に頷く。

『セイ、今のもログ取っておくね。“優先順位:村→自分”』

「よろしく」

 ミナが手をひらひらと振った。

「でもさ、それって結局“弓が下手でも撃てる武器”でしょ? それこそ、誰にでも渡せちゃわない?」


 そこが、いちばん引っかかっている部分だ。

「渡さないようにする仕組みも、一緒に組みます」

 俺は、机の上の紙を一枚引き寄せた。

 その余白に、太い線を一本引く。

「まず、“線を引ける人”にしか渡さない。これは運用ルールです」

「線?」

 サラが首をかしげる。

「“撃てるけど撃たない線”“撃たなきゃいけない線”“撃たなくて済ませたい線”、その三本を、自分で言葉にできる人だけ」

 ミナが小さく復唱する。

「撃てるけど撃たない線……撃たなきゃいけない線……撃たなくて済ませたい線……」

 リアンが、胸の前で指を組んだ。

「それを、祈りと一緒に確認する、ということですか?」

「そうできたら理想ですね。今日みたいな会議じゃなくて、もっと小さい単位で」

 テオが指を一本立てた。

「運用ルールは分かりました。技術側は?」

「そこは、ドランさんにも手伝ってもらうつもりです」

 と俺が答えるより早く、ガランが視線だけで一人のギルド職員を呼んだ。

「了解です」

 職員が静かに立ち上がり、会議室の隣にある控室へと向かう。

 そこは本来、書類や備品を置く小部屋だが、今日は「呼び出し待機」のために空けられていた。

 ガランは前もって言っていたのだ。

 ――今日、ボウガンの話をする。手が空くなら、試し削りの一本くらい持って来てくれ、と。

 ほどなくして、木の擦れる音が近づいてくる。

「おう。呼ばれたな」

 控室の扉が開き、煤けた前掛け姿のドランが、肩に長い木材を担いで入ってきた。

 目つきだけで、場の空気を一度なぞる。職人の癖だ。

「おう、セイ。お前のボックスから出た魔物素材の山、ようやく片付いたとこだ。暇なときでいいから、工房にも顔出してくれ」

「了解です。落ち着いたら、ちゃんと伺います」

「で、“楽に人殺しできない道具”の相談だって?」

 バツの悪そうな表情でミナが咳払いする。

「そこ、ちゃんと“できない”って言ってくれるあたりが好きですよ、ドランさん」

「当たり前だ。俺は“生きて帰るための刃”しか作らん」 

 鍛冶屋の親父は、机の脇に担いでいた木材を立てかけた。

 一見ただの板に見えたが、よく見ると、中央に浅い溝や、握りの位置に当たりそうな出っ張りが削り出されている。

「それは?」

「試し削りだ。弓じゃなくて“固定した弦を引く棒”って発想なら、こういう形になるだろうってな。まだ弦も付けてねえ、ただの木の棒だが」

 ドランは板の中央を軽く叩く。

「まずはこれで、“構える”練習だけやりゃいい。撃つのはずっと後だ。撃つ真似だけ、何度でもやらせる」

「……最初から同じこと考えてたんですね」

 俺は思わず笑ってしまう。

「“撃つとき”より“撃つかどうか迷うとき”のほうが、線を覚えるには大事ですし」

「だろ?」

 ドランの口元にも、薄い笑いが浮かんだ。

「それでいいなら、まずはこの木の棒を十本くらい。軽いのと重いの、握り位置だけ変えたやつを用意してやる。弦なんか張らなくていい。構えて、“撃つ/撃たない”を言葉にする訓練用だ」

「お願いします」

 ガランが、深く頷いた。

「今日を“一周目”とする。東西南北それぞれの外縁から戻るたびに、一日は村の防衛とボウガンの日だ。線と手段を揃える日」

 机の上に、太い線が一本、また引かれる。

「四方向終わるまでに、村の“撃てない手”に、一発分の手段を持たせる。それが、この先しばらくの支部の方針だ」

 ミナが、視線をウツシの地図に向けた。

「撃てない手に、手段……」

「手段を渡すんじゃない。手段を“預ける線”を決めるんだ」

 コルトの言い方は、相変わらず淡々としている。

「“今日は持つ”“今日は持たない”“今日は持っても撃たない”。それを、自分で言えるようにする」

「……それなら、私も賛成です」

 リアンの声は小さいが、はっきりしていた。

「祈りで守れる範囲にも限りがあります。どうしても届かない場所で、一発だけ届くものがあるなら、その人が“撃たない”選択をできるようにしたい」

 ミナが、ため息混じりに笑った。

「ほんと、うちの村、線と選択肢の話ばっかりだよね」

「選択肢がないと、人は一番悪いほうを引きやすいからな」

 ガランが肩をすくめる。

「さて。議論はだいたい出揃った。あとは――」

 支部長の視線が、俺に向けられる。

「お前の“線引き”だ、セイ。ボウガンをどこまで許すか。どこから禁止か。暫定でいい。今日のうちに一度、言葉にしておけ」

 逃げ場を塞ぐような振り方だ。

 でも、それが支部長のやり方でもある。

「……分かりました」

 俺は深く息を吸い、机の端に置かれていた紙を一枚引き寄せた。

 リラが、静かに“新規ログ”の板を開く。

「暫定案」

 ペンを握り直し、俺は紙の上に線を引く。

「一つ。ボウガンは“外縁とその手前”の線を守るための武器とする。村の中では、基本的に持ち歩かない」

「うん」

 誰かの相槌が聞こえる。

「二つ。ボウガンを持つのは、“危険だから戻る”と言えた実績がある人だけ。“危険でも前に出るしか知らない人”には渡さない」

「“怖い”じゃなくて“危険”って言いなさい、って自分で言ってた人ね?」

 ミナが小声でツッコむ。

「……危険って言えた人だけ、ですね」

「よろしい」

 控えめな笑いが起きる。

「三つ。ボウガンの設計図はギルドとドラン工房で管理。王都や貴族から何を言われても、“完成品を貸す”以上のことはしない」

「……ずいぶんと先回りするな」

 ガランの目が細くなる。

「今の時点で、そこまで決めておく理由は?」

 俺は、さっきまで見上げていたウツシの地図面に目を向けた。

 アルヴァナ王国。

 その周りに広がる、濁りと他国の線。

 これまで積み上げてきたログが、頭の奥で静かに重なった。

「今のうちに線を引かないと、そのうち“線を引く側”が勝手に決めに来る気がするからです」

 ガランが、短く息を吐いた。

「……そうだな」

 その一言に、妙な重さがあった。

「その線は、支部長権限でギルドにも共有しておこう。王都から何か言ってきたときに、“うちの支部はこうだ”と返せるようにな」

「お願いします」

 机の上の紙に書かれた三本のルール。

 それはまだ薄い線に過ぎない。

 でも、何も書いていない紙よりは、ずっとましだ。

『セイ、もう一つ』

「ん?」

『今の三つ、“誰のための線か”も書いておこうよ』

 リラの提案に、少しだけ考えてから、俺は最後の一行を足した。

「――この線は、“撃てない手”が、“撃たない”と言えるための線とする」

 静かな沈黙が、会議室に落ちた。

 バルドが、ゆっくりと椅子の背にもたれる。

 テオが目を伏せ、何か計算しているような顔になる。

 ミナは腕を組んで天井を見上げ、リアンはそっと祈りの印を結んだ。

 ガランが、最後に短く頷く。

「よし。今日のところは、ここまでだ」

 椅子が引かれる音が重なり、会議は散会となった。


 俺は紙束とペン、それからウツシ用の転写布を数枚まとめて受け取り、会議室を出る。

 外に出ると、昼の光が眩しかった。

 ウツシの中で光っていた線とは違う、本物の光だ。

 ギルド前の広場には、いつものように行き交う人の線があった。

 荷物を運ぶ村人。

 依頼書を眺める冒険者。

 教会の方向へ急ぐ祈り手。

『セイ』

「なんだ」

『さっきの地図、見せて』

 視界の端に、ウツシから転写した簡易地図がもう一度開く。

 村を囲む線と、北へ伸びる道。

 その西側。

 俺が先日、地下水脈の枝を曲げたあたりに、赤い印が一つだけ浮かび上がった。

『危険度ログ、更新。北西外縁の“枝”は、今は落ち着いてる。でも――』

「“でも”、だな」

 細い赤い印は、小さな点にしか見えない。

 けれど、その向こう側には、まだ地図に描ききれていない何かがある。

(ボウガンが間に合えば、守れる線も増える)

(間に合わなければ――)

 その先を、わざと考えないようにして、俺は地図を閉じた。

 足元の石畳の線が、一瞬だけ、北西の森へ吸い寄せられるように見えた気がする。

 首を振って、その感覚を追い払う。今は、手段のほうが先だ。

「まずは一発分の手だな」

 そう呟いて、ギルドから教会のほうへ続く道を歩き出す。

 いまの寝床へ戻る道だ。

 いつか、この村のウツシの地図面が、もっと線だらけになったとき。

 今日引いた薄い線の意味が、どこまで持つのか。

 それはまだ分からない。

 ただ、板の上でも、足元でも。

 引いておかなかった線は、絶対に守れない。

 そう思いながら、俺は昼の村を抜けていく。

 その少し西側。

 ウツシの端に置かれた小さな赤い印が、まだ誰も知らない十五の影を、静かに連れてこようとしていることに――このときの俺たちは、まだ気づいていなかった。


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