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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房
第4章 北外縁の森、撃てない手を道具で埋める

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第53話 北の端と、戻る線の報告

今回は王国の状況説明多めの回です

 土の寝床の冷たさで、ふっと意識が浮かんだ。

 どれくらい眠っていたのかは分からない。

 ただ、寝たときよりも焚き火の赤がずっと小さくなっていて、出入口の隙間から流れ込む空気が、さっきより一段冷たい。

『起こしちゃった?』

「……まあ、起きたってことは、そうなんだろうな」

 頭の中でリラの声がして、俺は仰向けのまま片腕で目元をこする。

 体の芯にはちゃんと休んだ感覚がある。

 短いけれど、眠りは深かったらしい。

「どうした。何か危険が上がったか?」

『危険度は問題なし。拠点周辺の魔物も、さっきまでと同じ。……ただ、今ならセイが見ても大丈夫かなって思ったから』

「“今なら”ねえ」

 土の天井を見上げたまま、片方だけ口角を上げる。

 昨夜、王国内の村がいくつも“飲まれてきた”報告をまとめて読んだばかりだ。

 その直後に見せられても折れるだけだろうけど、少し眠って、頭の中で感情の泥が沈んだ今なら――確かに、もう少しだけ遠くを見る余裕はあるのかもしれない。

「王国の続きか?」

『ううん。王国の“外”。アルヴァナ王国を囲んでいる他の国と、その周辺の濁り状況のまとめだよ』

 視界の端に、淡く一枚の地図が開く。

 さっき見たアルヴァナ王国の地図を、もう一段引いた大陸図。

 中心にアルヴァナ。その北、南、東、西に、いくつかの名前が添えられている。

『ざっくりのおさらいからいくね』

「頼む。寝起きに細かい字を読むのはきつい」

 俺がそう言うと、細かかった文字が少し大きくなり、要点だけが拾われていく。

『中央、ここが今いるアルヴァナ王国。祈りと理術が両方ある“標準”の国』

『北側、ヴァルグレイ帝国。理術寄りの軍事大国。魔石鉱山と理術兵器の開発で、濁りの扱いもかなり危うい』

『南側、サルディナ商業連合。港町と商人の連合体。魔石と魔道具の流通の中心で、表では濁り核の取引は禁止、でも裏では闇市場が動いてる可能性大』

『東側、セラフィア聖教国。祈り特化の神権国家。理術は異端扱い。濁りは祈りで封じる方向、でも現場はかなり手一杯』

『西側、オルドール連邦。小国と部族が集まった連邦で、濁り汚染の最前線。旧文明の遺構も多くて、冒険者的には“稼げるけど死ぬ場所”』

「予想してた以上に、全方向で忙しそうだな」

 寝転がったまま、視界の中の大陸を目で追う。

 アルヴァナ王国の外縁から伸びていた黒い帯が、画面を引いて見ると、他の国の近くでも同じように揺らいでいるのが分かる。

『アルヴァナ国内の濁りは、さっき見た通り。村がいくつも飲み込まれて、外縁ラインがぎりぎりで持ちこたえているライン』

『他の国は、もっと極端』

 リラの説明に合わせて、それぞれの国名の横に簡単なメモが浮かぶ。

『ヴァルグレイ帝国:北の国境沿いで、軍事演習名目の“濁り実験”をやっている形跡あり。線の伸び方が自然じゃない場所が複数』

『サルディナ商業連合:濁りそのものはアルヴァナより薄いけど、濁り核や違法理術具の流通ログが多い。“危険を運ぶ線”が発生しやすい地域』

『セラフィア聖教国:濃い濁りは多くないけど、祈りで封じた“蓋付きの濁り”が多い。蓋が割れたときの危険は高い』

『オルドール連邦:濁り発生地点と理流異常が集中。“実験場”っぽい線が多く、アルヴァナに向かって伸びてきている帯もある』

「……王国の中だけ見てても、全体は分からないってわけか」

 焚き火の小さな赤い光と、視界に浮かぶ大陸図。

 俺のいる場所は、そのど真ん中。

 北の外縁で、村一つ分の危険をなんとか削っている俺の足元から、もっと大きな線が四方八方に伸びているのが、いやでも見えてしまう。

『アルヴァナの北端に外縁を引いても、その先にヴァルグレイがいる』

『西側の濁り枝を折っても、その向こうにオルドールがある』

『“ここまで守れば終わり”って線は、この大陸には存在しないよ』

「言い方がえぐいな」

 思わず苦笑してから、息を一つゆっくり吐いた。

「でも、そうなんだろうな」

 スモークラインたちの姿が頭の中に浮かぶ。

 山の上で煙を上げていた、灰色の山犬たち。

 あいつらは、さっき見せてもらったような村のログなんて知らない。

 それでも、北西の濁り枝を見て、迷わず俺に警告を飛ばしてきた。

「“今やらないと、後で村一つ分の危険になる”。あいつら、多分、それを理解してたんだろうな」

 言葉じゃなくて、足跡と煙の出し方で。

 何度も山の上から、濁りが進んで村が消えるのを見てきたから。

『そう思う』

 リラの声が、少しだけ柔らかくなる。

『スモークラインたちにとっては、“濁りが伸びる”っていうのは、山と谷の形そのものが変わるくらいの出来事だから』

『あの子たちなりの線の引き方があって、その線が折られる前に、セイに“ここが危ない”って知らせてきた』

「ん。で、俺は、やれる範囲で、それを折った」

 今日一日でむりやり沈めた二十五体分のBランクと、地下水脈の枝。

 王国全体からすれば、本当に小さな一か所だ。

 それでも、あの枝を放置していたら、数年後にはどこかの村がログから消えていたかもしれない。

「全部は守れない。けど、今、手が届くところで“後悔しそうな線”を見つけたら、可能な限り折っておく」

『それが、今のセイの仕事』

「そういうことだな」

 大陸図がゆっくりと縮み、視界には再び北外縁の濁りと村の位置だけが残る。

 エルディアの名前が、小さく光っていた。

「……よし。じゃあ、残り一泊と二日分。今度は“戻る線”の方を整える番だな」

『うん。北のライン全体を、“王都本隊がそのまま使える線”に整える』

「明日の道すがら、もう一回整理しよう。今の話は、一度寝直さないと頭に残らない」

 そう告げて、俺はゆっくりと目を閉じた。

 土の匂いと、遠くのフクロウの声を聞きながら、もう一度、意識を落とす。

 次に目が覚めたときには、入口の隙間から差し込む光が、少しだけ斜めになっていた。

 冷たい空気に混じって、土の寝床に残っていた体温が、じわじわと奪われていく。

「……おはよう」

『おはよう、セイ』

 上体を起こして軽く伸びをすると、あちこちの筋肉が心地よく伸びる。

 三日連続で動きっぱなしのはずなのに、体の芯にはまだ余裕がある。

 ただ、「よく動いたな」という張りだけが、うっすら残っていた。

「その前に、一つだけ」

『洗浄?』

「洗浄」

 俺は手のひらを軽くかざし、理で水と風の線を少しだけ撫でる。

 ひやりとした薄い膜が肌の表面をなぞり、汗と土埃だけがふっと浮いて消えた。

 土の床が濡れるほどの水は出さない。汚れだけを削って落とす、いつもの簡易清浄だ。

『……今日で、洗浄魔法、二十回目だよ』

「マジで?」

『戦闘ログより回数多いって、どういうことかな』

「清潔は大事だろ」

 とぼけてみせると、リラが小さくため息をつく。

『“マナの節約”という概念を思い出してあげてください』

「はいはい。今日は控えめにするよ」

 そんなやり取りをしながら、装備を整える。

 フード付きの外套を被り直し、刀の位置を確かめた。

『今日の方針を確認するね』

「おう」

 視界の端に、簡易な行動計画が開く。

『四日目。今いる北西拠点から、北本体側に沿って“最初の宿泊地”まで戻る』

『その間に、北側のライン周辺で設定した撤退ポイントと危険帯を再確認』

『道中の魔物は、“王都本隊の通り道にかぶるもの”を優先して討伐』

『夕方までに初日の仮拠点に戻って、そこでライン情報の整理と報告書の骨組み作り』

「了解。じゃあ、出るか」

 土の寝床から立ち上がり、出入口に軽く手をかざす。

 天井と壁の線を少しだけ動かして、外から見てもただの窪地にしか見えないように整えた。

 ここはまた使うかもしれないし、誰かが迷い込んでも足を取らないように、床だけは平らにしておく。

 外に出ると、北西の森の空気は、少しだけ澄んでいた。

 昨日までまとわりついていた濁りの匂いが、わずかで薄くなっている。

『北西の濁り枝は、危険度ログ上も“消失扱い”になってる』

「実感あるな」

 深く息を吸い込んで、俺は北東方向へと足を向ける。

 スモークラインたちが見張っていた尾根の姿が、朝の光の中で灰色に浮かんでいた。

 北の尾根沿いの道は、初日に通ったときよりも、自分の足に馴染んでいた。

 危険な窪地、踏ん張りの利く土、滑りやすい岩肌。

 全部、一度通って線を引いてある。

『少し右寄り。“沈む帯”を避けて通って』

「了解」

 リラの指示に合わせて、半歩左に寄る。

 足裏に伝わる土の感触が、少しだけ固くなる。

 しばらくは、ただ黙って北の尾根を進むだけだった。

 鳥の声と、風に揺れる枝の音だけが、外套のフード越しに耳に届く。

 最初の異変は、斜面を回り込んだ先で現れた。

『前方右斜面、オーク小隊。八体。危険度は三点台だけど、このままだと王都本隊のルートにかぶる』

 視界の端に、赤いアイコンが八つ並ぶ。

 上り斜面を鈍重な足取りで移動するオークたち。

 濁りの気配は薄いが、筋肉と牙は十分な脅威だ。

「ここは、削っておこう」

 俺は少しだけ息を吐き、足元の線を確認した。

 斜面の下には、柔らかい土の帯。

 ここにオークが転がり落ちたら、しばらくは這い上がれない。

(まずは、先頭を“転ばせる”)

 一歩踏み出し、斜面の途中で右足を止める。

 その位置で、視界に見える足場の線が一瞬だけ濃くなった。

 先頭のオークが突進してくる。

 その肩口に合わせて、俺は半歩引き、刀の柄に手を添える。

 斜面側の足をすっと引いて、重心を僅かに内側へ。

 オークの踏み出す足が沈む帯に足を載せた瞬間を狙って、俺は地面の理をいじり、地面が重さを受け止めるというルールを書き換えた。

 ズボ、と鈍い音。

 オークの片足が土に沈み込み、その勢いのまま前のめりに倒れ込む。

 体勢を崩した首筋を、俺の刀が浅くなぞった。

 一撃で首を落とすのではなく、“力が抜ける場所”だけを狙う。

 オークの体は、そのまま斜面を滑り落ちて、下の柔らかい土の帯にずぶずぶと突き刺さった。

『一体、戦線離脱』

「残り七」

 残りのオークたちは、一瞬だけ足を止めた。

 何が起きたか理解できず、しかし前に進もうとする勢いだけは止まらない。

(次は、横の線を切る)

 俺は斜面を斜めに駆け上がり、二体目と三体目の間に自分の線をねじ込んだ。

 利き足側のオークの膝裏を、足の甲で軽く払う。

 ちょうど“重心が外に出かけている瞬間”を狙って。

 膝が折れたオークが横倒しになり、その体が後続のオークの足をまとめて絡め取る。

 巨体が連鎖的に倒れ、斜面にごろごろと転がっていく。

『危険度、急降下』

「今のうち」

 転がり落ちていくオークたちの腕と脚に、刃を滑らせる。

 腱を切って動きを奪い、要所だけを抑えていく。

 斜面の下にたどり着いた頃には、八体のオークは全員、まともに立てなくなっていた。

『とどめをどうする?』

「ここではとどめだけ。細かい処理は、村に帰ってからだ」

  動けなくなったオークたちの喉元に、一体ずつ刃を当てて必要最低限の力で息の根を止めていく。

 全員が完全に動かなくなったのを確認してから、足元にマジックボックスの“口”を開いた。

 巨体をまとめて転がし込み、斜面をきれいに空けると、俺は土についた血だけを軽く拭って歩き出した。

『“素材丸ごと持ち帰り”ログ、また増えたよ』

「ギルマスが見たら、また頭抱えるだろうな」

『ガラン支部長のストレスログも、一緒に保存しておく?』

「やめろ。数字で見せられると、さすがに反省する」

 そんな馬鹿話をしながら、俺たちは再び北のライン沿いを進んでいった。

 日が頭の上から、少し西に傾き始めた頃。

 見覚えのある岩と木の並びが、視界の中に浮かんだ。

「……戻ってきたな」

 初日に作った仮拠点。

 北側の斜面から少し下がった位置にある、土壁と簡易屋根付きの寝床だ。

『危険度、周辺一帯で二点台。初日より、かなり下がってる』

「そりゃ、三日かけて間引いたからな」

 外の様子を一通り確認してから、拠点の中に入る。

 土のベンチに腰を下ろすと、脚はまだ軽いのに、頭の中だけが報告書にまとめる線とこれからの心配ごとで少しだけ重くなった。

「さて、と。ここからは、“戦い”じゃなくて“紙との戦い”だな」

『報告書モード、起動』

 視界に、新しい板が一枚浮かぶ。

 タイトルは『北外縁四泊五日調査 一次報告案』。

『項目は、いつものテンプレから始めるね』

『一、調査目的』

『二、実施期間と行程』

『三、宿泊拠点候補』

『四、確認された濁り帯と危険度』

『五、王都本隊への推奨ルート』

『六、追加対応が必要な案件』

「六が多そうだなあ」

 ぼやきながらも、頭の中で順番に整理していく。

「一、調査目的。これは“王都本隊が安全に動ける線を引くこと”と、“エルディアを中継拠点にするための準備”」

『二、実施期間と行程。出発日から順番に、北→東→北西→北戻り、だね』

「三、宿泊拠点候補。初日のここと、北西の臨時拠点の二つ。どっちも一泊テスト済み」

『四、濁り帯。北本体の縁、東側の川沿い、北西の地下水脈枝。危険度スコア付きで一覧にする』

 リラが、俺の言葉に合わせて項目を埋めていく。

 数値や座標は、全部リラが持っている。

 俺はそれを、“人間の目”で読める言葉に置き換えていくだけだ。

「“五、王都本隊への推奨ルート”。これは、東の尾根道と、今日通ってきた北側のラインを軸にする。Bランク以上の魔物は、ほぼ削ったって書いていい」

『“ただし、完全な掃討ではなく、四割程度の余力を残している”って注記しておくね』

「うん。あんまり完璧に片付けると、本隊の人たちの“稼ぎ場”がなくなるしな」

 そんな冗談を挟みながら、夕方までひたすら報告書の骨組みを積み上げた。

 日が沈む頃には、一次案として出せるだけの形にはなっている。

『“六、追加対応が必要な案件”だけ、少し保留にしてある』

「それは、明日の道すがら、もう一回整理しよう。村への帰り道で、頭が落ち着いたところで考えたい」

 そう言って、俺は一度大きく伸びをした。

 土の寝床を軽く整え、焚き火に火を入れる。

 四日目の夜が、静かに落ちてきた。

 翌朝。

 四泊五日最後の日の空は、雲一つない青だった。

「最終日だな」

『うん。今日の目標はシンプル。“無事に村まで戻る”』

「それが一番大事」

 簡単に体をほぐし、軽く洗浄を一回だけ挟んでから出発する。

『洗浄カウント、二十一』

「今日の分で打ち止めにするから」

『ほんとかなあ』

 半分あきれたようなリラの声を聞きながら、俺は村の方角へと足を向けた。

 北の尾根を下り、徐々に森の密度が薄くなっていく。

 道中で遭遇した魔物は、もう危険度三以下の小さな群ればかりだった。

 王都本隊が通るだろう東側の尾根筋にかぶるものだけを、動きを止める程度に処理していく。ギルドにお持ち帰りだ。

 そんな帰り道の途中で、リラがふいに声の調子を変えた。

『セイ、少し時間いい?』

「今のところ、前方に危険はない。何だ」

 足を止めずに答えると、視界の端に、別のログが立ち上がる。

『二日目、北ライン沿いで討伐した濁り寄りの魔物たち』

『あのとき、マジックボックスに“ゴアごと”まとめて入れておいたでしょ』

「うん。解体場でまとめて処理してもらうつもりだったやつ」

『その中の一部を、メモリア側で解析してたんだけど……また出てきた』

 表示されたのは、黒く濁った肉塊の断面図。

 その中に、違和感のある形が一つ埋まっていた。

 肉と骨の曲線の中で、そこだけが、妙に“直線”だ。

「……人工物、か」

 前にも見たことのある感触だった。

 濁り獣の体内から出てきた、黒い金属ともガラスともつかない欠片。

 表面に、今の世界では見かけない細かい模様が刻まれていたやつ。

『形状と材質のパターンを照合した結果、前に見つけた欠片と“同系統”って判定されたよ』

『自然に出来た鉱物や骨では説明できない構造』

「数は」

『今回解析できた分で三つ。全部、“北本体寄りの濁りに近いエリア”で討伐した魔物の中から』

「前の分と合わせると?」

『五つ』

 五つ。

 まだ少ない、と言うべきか。

 それとも、十分すぎる、と言うべきか。

「自然に濁りが発生して、そこに魔物が集まって……ってだけなら、こんなに分かりやすい“直線”は混ざらない」

 俺は足元の土を見つめながら、言葉を選んだ。

 線を読む目で見れば見るほど、この欠片は“誰かの手”を感じさせる。

『可能性は、大きく分けて二つ』

『一つは、昔の文明の遺物。地下の遺跡から流れてきたものが、たまたま濁りと魔物に絡まっているパターン』

『もう一つは――』

「“今もどこかで、誰かが濁りをいじっている”って可能性、だな」

 言い切った瞬間、胸の奥で何かが冷たくなる。

 五つ。

 王国全体から見れば、ほんのわずかな数だ。

 それでも、“ゼロじゃない”って事実は重い。

『確証はない』

『でも、自然発生だけじゃ説明しづらい線が、少しずつ増えている』

「……五つあれば、俺の中では“偶然”の領域からは外れるな」

 誰かが、濁りを材料に何かを試している。

 それが、この王国の中なのか、外なのか。

 北のヴァルグレイか、西のオルドールか、それとも――。

 そこまで考えたところで、俺は一度、思考を切った。

「けど、それを今ここで追いかけるのは、俺の仕事じゃない」

 自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を続ける。

「俺の役目は、“線を引くこと”だ。危険が上がっている場所を見つけて、戻れるルートを示す」

「“誰がやっているか”の調査は、王都の仕事。本隊が来たときに、この情報をちゃんと渡せるようにしておくのが、今の俺の役目だ」

『うん』

 リラの返事は、いつもより少しだけ短かった。

 それでも、その短さの中に、しっかりとした同意が込められているのが分かる。

『報告書の“六、追加対応が必要な案件”に、項目を一つ追加しておく』

『“北外縁濁り帯付近で討伐した魔物の体内から、人工物と推定される欠片が複数検出された”』

『“現時点では詳細不明だが、今後の調査対象として王都側での確認を要請”』

「表現はそれくらいが限界だな」

 俺は苦笑しながらも、胸の奥では一つ“線”を引いていた。

(濁りの向こう側には、誰かがいる)

 まだ名前も、姿も分からない“何者か”。

 だけど、この世界に来る前の俺なら見慣れていた、“人が作ったものの線”が、濁りの中に混ざり始めている。

(いずれ、その線と直接向き合う日が来る)

 そのときまでに、どこまでこの国の“戻れる線”を整えられるか。

 それが、今この瞬間の俺に与えられた課題だ。

「よし。あとは、村まで無事に帰るだけだな」

『うん。ゴールまでもう少し』

 エルディア村の灯りが、まだ見えない位置で、小さくログ上に点っている。

 その一点を目指して、俺は歩幅を少しだけ広げた。

 夕方前。

 エルディア村の灯籠列が見えたとき、全身の力が一気に抜けそうになった。

「ただいま、だな」

『おかえり、セイ。ログ上も“外縁北側調査、四泊五日完了”』

 灯籠の光の下をくぐり抜け、村の中へ。

 真っ先に向かったのは、やっぱりギルドだった。

「おーい、戻ったぞ」

「セイさん!? もう帰ってきたんですか!」

 扉を開けると、受付カウンターの向こうでリーナが目を丸くした。

「予定通り、四泊して一旦戻り。まずは報告と精算」

「ガランさん呼んできますね!」

 リーナが慌てて奥へ走っていく。

「おう、セイ。無事に帰ってきたか」

「はい。外縁北側、一次調査完了です」

「……お前が外縁帰りでギルドの敷居をまたぐときは、嫌な予感しかしないな。だいたい買取額と解体班の悲鳴が跳ね上がる」

 ガランはこめかみを指で押さえ、過去の光景を思い出したみたいに深いため息をついた。

「とりあえず、会議室より先に解体場だ。匂いが残ると文句が出る」

 俺たちは解体場の方へ回り込んだ。

 そこには、筋骨隆々とした解体担当のヒューゴが、ちょうど作業を終えたところで立っていた。

「ん? おう、セイ坊じゃねえか。外縁から帰ってきたってことは――」

「“お土産”です」

 俺はマジックボックスに手をかざし、一気に口を開く。

 どさっ。

 ずしん。

 べちゃ。

 Bランクの魔物たちの死体と、大量のオークやその他中級魔物の肉と骨が、解体台の上と横のスペースに次々と吐き出されていく。

 全部で何体分か、途中で数えるのをやめたくなるレベルだ。

「……」

「……」

「…………お前なあ」

 沈黙を破ったのは、ガランの低い声だった。

「北の外縁に行って、帰り道に“ちょっと狩ってきました”って量じゃないぞ、これは」

「途中で邪魔だったので、まとめて沈めてきました。魔石にはまだほとんど手を付けてません。灯籠と中継用に回せる分は、ギルド側で見て決めてください」

「そういう問題じゃない」

 ガランがこめかみを押さえ、隣でヒューゴが乾いた笑いを漏らした。

「……はは。セイ坊、一人で行ったんだよな? 《リュミエルの灯》も《鎚灯り》も連れてってねえって、話だったが」

「はい。外側の調査は、今回みたいに“俺一人の仕事”の枠でやらせてもらってます」

「“一人の仕事”でどんだけ稼いでくるんだよ……」

 ヒューゴが大きく息を吐き、手早く解体台の上を整理し始める。

「まあいい。仕事があるのはありがてえ。魔石の査定は後でまとめてやるとして、肉と素材はこっちのギルド枠と民間枠で分けさせてもらうぞ」

「任せます」

「お前んとこの取り分は、ちゃんと勘定してやる。……ただし」

 ヒューゴがにやりと笑った。

「次からは、せめて“もう少しこまめに持ってこい”。一気に丸ごとは、こっちの心臓に悪い」

「検討します」

 素直には頷かず、苦笑いだけ返しておいた。

『“検討します”ログ、保存』

「それ保存しなくていい」

 そんなやり取りをしながら、とりあえず“丸ごと荷物”はギルド側に預けることができた。

 解体場から戻ると、そのまま会議室に通された。

 ガランと向かい合って座り、北外縁の拠点で手書きしておいた報告書の一次案を机の上に広げた。

「北外縁四泊五日調査、一次報告。目的と行程は……ふむ。王都本隊が使う前提で、撤退ラインを三段階に分けたのはいい判断だ」

「ありがとうございます」

 ガランは真剣な目つきで、紙の束をめくりながら読み進めていく。

「宿泊拠点候補二か所。危険帯の一覧。確認されたBランク以上の魔物と、その討伐状況」

「北西の地下水脈経由の濁り枝は、小核ごと沈めてあります。今のところ、村側への進出は止まっているはずです」

「……本隊の花を、少しは残したか?」

「魔物と濁り全体で見れば、四割削り、六割残し程度を目安にしました」

「上出来だ」

 ガランが小さく頷き、最後のページに目を通す。

 そこに、今日の帰り道で追加した一行があった。

「“六、追加対応が必要な案件”……ここか」

 ガランの指が、最後の項目をなぞる。

『北外縁濁り帯付近で討伐した魔物の体内から、人工物と推定される欠片が複数検出された』

『現時点では詳細不明だが、今後の調査対象として王都側での確認を要請』

 声に出して読んだあと、ガランは視線だけをこちらに向けた。

「人工物か」

「はい。自然物では説明しづらい構造です。前に上流側の調査でも似たものが出ていて、今回で五つ目です」

「……そうか」

 ガランはしばらく黙り込んだ。

 額に刻まれた皺が、いつもより深く見える。

「セイ。これは王都に上げる」

「お願いします」

「ただし、ここに書いてある通り、“詳細不明”のままな」

「ええ。俺も、“誰が何をしているか”までは、何も言えません」

 言えないし、言わない。

 それは、俺とリラの間で既に決めていたことだ。

「だが――」

 ガランは紙から目を離し、窓の外の灯籠の光を一瞬だけ見た。

「この国の北限に、俺たちの線を引くって話をしたの、覚えてるか」

「覚えてます」

「その線の向こう側で、何かがおかしな動きをしているかもしれない」

「はい」

 ガランの目と、俺の目が一瞬だけぶつかる。

「だからこそ、今は“こっち側”の線を守る。エルディアと、その周りの村を、王都本隊が来るまで持たせる」

「それが、俺たちの仕事です」

 そのやり取りだけで十分だった。

 ガランは深く頷き、報告書の束をまとめる。

「よし。この一次報告は、王都行きの便に乗せる準備をする。詳細の読み合わせは、また後日だ」

「了解です」

 会議室を出るとき、外はもう夜の気配を濃くしていた。

 ギルドの外に出て、村の広場から灯籠の列を見上げる。

 薄い光のつながり。

 その向こう側には、濁りの帯と、名前も顔も知らない“誰か”の線がある。

(自然に崩れた線だけじゃない)

 今日、北の外縁から村へ戻る道のりで、俺の中の“嫌な予感”は、はっきりとした“確信”に変わった。

(濁りの向こうには、意図を持って手を伸ばしている誰かがいる)

 それでも、今この瞬間、俺がやるべきことは変わらない。

 灯籠の光で照らされた村の道を歩きながら、俺は心の中で、もう一度だけ線を引き直した。

(王都本隊が来るまでに、この村の外側に“戻れる線”を全部引いておく)

 そしていつか、その先。

 大陸全体に伸びている黒い帯の、その奥にいる“何者か”の線と向き合う日が来たときに――。

(そのときは、その線ごと折りに行こう)

 そんな決意を胸の奥に灯しながら、俺はギルドから自分の家へと続く細い道を、静かに歩き出した。


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