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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房
第4章 北外縁の森、撃てない手を道具で埋める

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第50話 北外縁の森と、戻れる線

 外縁会議から一晩あけて、約束していた出発の朝。

村の鐘が鳴るよりも、ずっと早い時間だった。

 吐いた息が、白く細くほどけていく。

 教会の扉を静かに閉めて、コートの肩口を少し持ち上げ直す。

 フード付きコートの内側の腰回りに、ウエストポーチと、いつものドラン刀。

 コートを着てしまえば、外から見える荷物は実質ゼロだ。

 テント代わりの布も、ロープも、軽い鍋も、食料も飲み水も、手に持つものは何もない。

 どう見ても、四泊五日の村周辺の調査討伐に出る格好じゃない。

 必要な装備はすべて、意識を向ければ呼び出せるマジックボックスに預けてある。

 四日分十二食の“すぐ食べられる食堂で買った定食ご飯”も、討伐用の道具も、いまはそこにブロック分けして整然と収納している。

 視界にはVRのリスト表示が重なっていて、区分けの状態確認も、取り出す物の選択もできる。

 意識を向けた場所に取り出し口を作って、そこから取り出す。

 大きい魔獣は、周囲に人目がないことを確認したうえで、真上に口を開けて放り込めば手早い。

 今後、討伐した魔獣や素材も、全部区分けしてボックス入りだ。

 出し入れと中身の確認は、基本は視界に映る表示で行う。

『……忘れ物、なし』

 頭の中で、リラが話しかけてきた。

「そりゃどうも。今さら“ご飯忘れた”とか言われたら、泣くからな」

『そこは確認するわ。飢えたセイは、判断が雑になるもの』

「否定は、できないな」

「……それで、甘い物は?」

『………………』

「……甘い物がない。おかしい。四泊五日だぞ。人の心が荒む」

『荒むのは勝手だけど、優先順位は守りなさい』

「せめて飴一個」

『……はいはい、却下。帰ったら用意してあげるから、今は線のほうを見て』

 冗談めかして返しながら、教会の前の石畳を北へと歩き出す。

 まだ空は群青で、東のほうがわずかに明るい。

 村の人影はほとんどない。

 パン屋の煙突から、早すぎる一筋の煙が上がっているだけだ。

 腕の輪が、コートの袖の中でひやりと当たる。

 撤退合図用の「祈りの腕輪」だ。

 今日は誰の腕輪も冷やす予定はない。

 俺の手首にあるこれは、ただの“いつもの持ち物”の顔をしている。

(……四泊五日)

 頭の中で、その日数をもう一度なぞる。

 危険度3〜4の森を歩きながら、「ここまでなら戻れる」を決める旅。

 淡々とした線引きの作業――のはずなのに、胸の奥が少しだけ騒がしい。


 先日の“別の顔”での一戦。

 あれが、指先に残っている。

 剣を抜いた瞬間の空気の切れ方。

 足が勝手に「次の半歩」を知っていた感覚。

 ……癖になる、というのはたぶんこういうことだ。


(濁り絡みじゃなければ、俺はもう少し自由に動ける)

 村の誰かに見られる場所じゃなければ。

 ギルドの目が届く距離じゃなければ。

 Bランク冒険者セイとして、ほどほどに暴れてもいい。

 あるいは――外縁の外、人目の少ない森で、“見覚えのない冒険者”として試すのも手だ。

 もちろん、村やギルドの中ではやらない。

 そこは絶対に線を越えない。

 本気を出せば「異常な強さ」として目立ちすぎる。

 異端児扱いされる恐れもある。何より――村やギルドに正体が結びついたままだと、濁り案件の奥が動きづらくなる。


『緊張、してる?』

 リラが、少しだけ探るように聞いてきた。

「してない。……むしろ逆。ちょっと楽しい」

『言い方』

「だってさ。危険度3〜4って、“線を守りながら広く踏める”ラインだろ」

『広く踏むなら、なおさら時間を溶かさないこと。あなたの仕事は“撤退ラインの確認”よ』

「分かってる。だから、ちまちまやらない」

「強いのは瞬殺。迷って時間を食われるほうが危険だ」

『……その全力は、線のための全力。いいわ。派手にしすぎないことだけ忘れないで』


 意識の端で、準備が整った感覚がある。

 残るのは、使い分けだけ。


「なあ、リラ。今回さ」

「召喚は“連れ歩く”んじゃなくて、役割で切り替えたい。必要な瞬間だけ」

『ええ。その判断でいいわ。線を優先して』

「了解」

 村の北側の門が見えてきたころ、夜勤明けらしい見張りが一人。

 焚き火の名残を足先で崩しながら、肩に槍を立てかけて、こちらを見た。

「おや、セイくん? こんな時間に出るのかい」

「おはようございます。北の線を、少し伸ばしに」

「……例の、四泊のやつか。危険だったら、ちゃんと帰ってこいよ」

「そのために行くんです」

 軽く笑って返すと、見張りがふっと息を吐いて門を開けてくれる。

 きしりと音を立てて開いた木の扉の向こうには、うっすら白む畑と、その先の暗い森。

 灯籠列の最後の灯りが、かすかに揺れていた。

『じゃ、今日の目標』

 門をくぐったところで、リラの声が、いつもの“作戦モード”に切り替わる。

『一つ目。村側から見える範囲は、全部“セイ本人”として確認。足裏と泥と灯籠の届き方で、「明るい時間の戻れる線」を仮で引く』

「はいよ」

『二つ目。外縁ちょっと手前に、野営拠点を決める。

 持参の布と土魔法で寝床の形を作って、足りない分は枯れ枝を組めば完成。

 あとは現場状況で対応』

「了解」

『三つ目。初日の夜、変装モードの試運転。危険度3〜4帯の外側ギリギリで、一回だけ“濁りグループ”とやり合う。戻れる線を優先する、って方針の確認』

「……夜にいきなり本番ですか、相棒」

『大丈夫。ちゃんとセイの足が残っている範囲で選ぶから』

 軽口の中に、きちんとした計画の骨がある。

 この声がいなかったら、俺はとっくにどこかで線を踏み越えていたのかもしれない。

(だからまあ――やれるところまで、やる)

 北へ向かって伸びる土の道に、最初の一歩を落とす。

 柔らかく凍った地面が、靴底の下で少しだけ軋んだ。

 畑の端を抜けると、うねりながら続く灯籠列と、昔決めたAラインの白布が見えてくる。

 白布はところどころ新しいものに替えられていて、最近も誰かがここまで来ていることが分かる。

 足を止めて、地面を一度だけ軽く踏んだ。

 乾いた土。昨夜は、雨が降らなかった。

 ひび割れた場所と、靴底が少し沈む場所。

 今日の線として、地図と現地に簡単な印を残す。

 状況が変われば、また引き直す前提だ。

(ここまでは、日帰り組の範囲)

 白布の列を一枚抜けるごとに、村からの距離だけじゃない何かが、少しずつ変わっていく。

 空気の重さ。

 音の届き方。

 風が枝を揺らす音の中に、たまに混じる、低い鳴き声。

『ヒトリ、出す?』

「そろそろ、頼む」

 足を止めて、周囲に人がいないことを確認する。

 意識を一点に絞って、前へすっと伸ばす。

 空気にかすかなきしみが走り、その中から、小さな白い鳥の形が抜け出した。

 それは一度だけ俺の頭上を回り、ふわりと高度を上げて、北側へと滑っていく。

『いつも通り、薄い帯優先。濃い塊は“印だけ”で、迂回ルートを見つけて』

 リラの指示が、ヒトリの意識を通して遠くに流れていく感覚がした。

「濁幕レベルのノイズを拾ったら、即撤退」

『了解。今回はそこまでは行かないはずだけど、ルールはルール』

 ヒトリの視界が、頭の奥に二重写しで流れ込んでくる。

 森の上を滑るように飛ぶ視点と、地面を踏んで進む俺の視点。

 二つの線を重ねながら、ヒトリが引いた“薄い筋”に、俺の足を合わせていく。


 外縁の“手前”を野営候補にすると決めていた場所は、地図の上ではただの丸だった。

 実際に立ってみると、それは小さな丘の肩にあたる緩い斜面で、北側にはやや深めの谷が口を開けている。

 谷の向こうの森は、ヒトリの視界で見ても、色がわずかに濃い。

『ここが、外縁の少し内側……って印象だね』

 リラがぼそりと言う。

 足元の土を一度掻き、踏み固める。

 斜面だけど、ほんの少し削って平らにするだけで寝床が取れそうだ。

 上側には茸のついた倒木。

 風上は村側で、北からの冷たい風は、谷を滑って向こうへ抜けていく。

(悪くない)

 刀の柄を一呼吸ぶん握って、手を離す。

 腰から少し離れた指先に、土の線を意識して流し込んだ。

「地面、少し借りるぞ」

 足元の土が、ゆっくりと盛り上がる。

 斜面に沿って三本、木の根を跨がないように低い土壁を作る。

 それを土魔法で固め、上に枝と布を渡せば、雨風はしのげる。

 寝床になる部分だけ、ほんの少し高く、中央をわずかに凹ませる。

 身体が勝手にずり落ちない、ぎりぎりの角度を足裏で探しながら調整した。

『……手慣れてきたね、こういうの』

「慣れたくて慣れたわけじゃないんだけどな」

 枝を何本か切って、土壁に立てかける。

 その上から布を掛けて、簡単な屋根を作る。

 谷側には少し高めの土手を置いて、雨のときに水がしみ込まないように筋を掘る。

 手を止めるたび、足を前後に送って、重心をずらしてみる。

 斜面で足場を作るときにいちばん危険なのは、「疲れているときに、一歩踏み出したらそのまま滑る」形だ。

 今の自分の癖のまま半歩を出して、それでも止まれるかどうか。

「よし。寝床は合格」

『洗浄魔法は?』

「それは、俺の楽しみだろ」

 汗ばんだ首筋を指で拭って笑う。

 軽く指を鳴らし、自分の身体に沿って薄い線を描くようにマナを流した。

 ぬるりとした感覚とともに、皮膚についた土と汗がふっと消える。

『……だから、戦いの前にマナを無駄遣いしないの』

「大きな戦いの前には自重します。これは、拠点作りの祝いだからセーフ」

 ぶつぶつ言いながらも、リラは何も止めてこない。

 こういうところは、相棒の優しさだと思うことにしている。


 拠点から外縁側へ向かう道筋を、午後はひたすら“セイ本人”で刻んでいった。

 ドラン刀を腰に下げ、マントの裾を押さえながら、緩い登りと下りを繰り返す。

 ヒトリが上から示してくる「魔獣の薄い帯」は、地面の感触にもちゃんと顔を出していた。

 根が浅く、軽く踏むだけで揺れる場所。

 逆に、岩が土の下で大きくつながっている場所。

 転んだとき、足をひねらずにすむのは後者だ。

 そういう「足を止めていい場所」と、「走り抜けるべき場所」を、地面に小さく印を付けながら進んでいく。

 木の幹に白い布切れを一枚縛る。

 膝の高さの石の上に、刃で浅く傷をつける。

 誰が見ても分かる印ではなくて、俺とリラが見れば分かる程度の控えめな印。

『ここから先、灯籠の光が、急に弱くなる』

 夕方が近づいてきたころ、リラがそう言った。

 少し前方に見える灯籠は、確かに他よりも暗い。

 魔石そのものの減りというより、周囲の空気に吸われているような、妙な沈み方だ。

(……濁りの線が、少し太くなってる)

 視界の端に、黒ずんだ筋が見える。

 あの山のときよりはずっと薄いけれど、普通の魔獣だけの帯とは違う“重さ”。

 そこで足を止めて、周囲をぐるりと見渡した。

 右は、緩い丘の斜面。

 左は、少しえぐれた窪地と、その先の茂み。

 前に進めば、濁りの筋のほうへ寄っていく。

 下がれば、さっきの拠点へ戻る緩い下り。

『どうする?』

「ここを、いったん“戻れる線”の仮の端にする」

 ドラン刀の鞘で、足元の土を横に一本、強めに払った。

 浅い溝が一本。

 意味なんて、俺とリラにしか分からないだろう。

 でも、この一筋が、帰り道で「あ、ここで戻るって決めたな」と思い出すための杭になる


『了解。ヒトリには、この先の筋を“外縁外側の候補”として見ておいてもらうね』

「頼む」

 濁りの線は、北の奥へ向かって、ゆらゆらと揺れながら細く伸びていた。

 気にならないと言えば嘘になる。

 “気になるから踏み込む”は、アヤの件でだいたい悪い結果になると、もう嫌というほど見てきた。

 だから俺は、同じ踏み込み方はしない。

(四泊ある。初日から、線を越えてどうする)

 小さく息を吐いて、俺は踵を返した。

 斜面を下りる一歩めは、いつもより気持ち重心を後ろに置く。

 普段なら「前へ半歩」のところを、「半歩分だけ遅らせる」感覚で足を送る。

 それだけで、斜面での転び方は変わる。

 戻ると決めた線からは、きちんと戻る。

 それを崩さないことが、この四泊のいちばんの目的だ。


 日が山の向こうに沈みきる前に、拠点へ戻った。

 急ごしらえの小さな屋根の下は、思っていたよりも風が弱い。

 谷のほうから、冷たい空気が音もなく流れていく。

 意識を向けると、視界の端にマジックボックスの在庫が重なった。

 〈食事〉の項目が開く。


【朝】

 ・黒パンと薄切り干し肉

 ・麦粥と乾燥野菜のスープ

 ・焼きパンと豆のポタージュ


【昼】

 ・丸パンと塩漬け肉

 ・豆と野菜の軽い煮込み

 ・干し魚入りのスープ


【夕】

 ・パンと野菜多めの煮込み

 ・豆と干し肉のシチュー

 ・香草入り鶏粥

 ・焼き魚の保存食


「今日は……これだな」


 マジックボックスから“夕飯”を一食ぶん取り出す。

 中は時間が止まっているから、入れた瞬間の温度のままだ。

 蓋を開けると、湯気がふわりと立った。


 村で準備してもらった、それなりに栄養があって、すぐ食べられるやつだ。

「……ありがたいよな、こういうの」

『うん。セイが一から作ったら、たぶん味が毎回ぶれる』

「ひどくない?」


 ぶつぶつ言いながらも、温かいスープを口に流し込むと、

 胸のあたりが落ち着く。

 腹が満ちると、さっきまでの細かい緊張が、

 少しずつ別の形に変わっていく。

 これから夜にやることが、はっきりしてくる。


 食器を片付け、簡易の洗浄魔法で手をきれいにする。

 夜は冷える。

 焚き火を起こし、水魔法で水を出す。


『カップ、いる?』

「頼む」

 土が盛り上がって形を成し、火が走る。

 少し待つだけで、実用十分な土製のカップができあがった。


 湯を温め、茶葉を落として一口。

 体の芯まで、ゆっくり戻ってくる。


 火を小さく落とし、明かりを抑えたところで、

 俺は次の確認に意識を切り替えた。

 半透明の一覧のいちばん下にある、いくつかの名前。

 〈影抜き装備プランA〉

 〈変装用フード(外縁仕様)〉

 〈簡易仮面〉

 それぞれに触れ、「取り出す」と念じる。

 土の上に、布に包まれた刃と、色の違うフードと仮面が、静かに重みを持って現れた。

『……さて。本日の、もう一つの顔タイム』

「やめろ、その言い方はなんか恥ずかしい」

 布包みを解くと、黒鉄に細い煙の筋が走る片手剣と短剣が現れる。

 山で一度だけ本番投入した、“変装モード専用”の二本。

 その横に、外縁仕様のフードと仮面をそっと並べた。

 フードは、教会のコートよりも少し色の濃い、光を吸うような布。

 仮面は、装飾を極力削った、滑らかな金属板だ。

 額から鼻筋あたりまでを覆い、口元は薄い布で隠せるようになっている。

『髪と目と声の印象、三割だけずらす。危険ゾーンでは“周囲の目を滑らせる”補助を少し強める。仕様は前と同じ』

「分かってる」

 フードをかぶる。

 仮面を顔に当て、耳の後ろで留め具を固定する。

 視界の端が、ほんの少しだけ暗くなった。

 同時に、頬に当たる空気の感触が変わる。

 自分の呼吸の音が、すぐ近くではなく、少し外側から聞こえるような、不思議な距離感になる。

 それに合わせるように、リラが静かにマナの流れを整えた。

『……はい、印象ずらし、完了』

 仮面の内側から見える手を、ひょいと目の前に出してみる。

 指先の太さも長さも変わっていないのに、どこか“他人の手”っぽく見える。

「教会の少年セイは、ここまで」

 腰のベルトに、片手剣と短剣を二本とも装備する。

 ドラン刀も、ウエストポーチも、すべてマジックボックスに預ける。

 外から見える持ち物は、何もない。

 見た目だけなら、ただの二刀使いの冒険者だ。

 そう見えるように、リラと一緒に調整した結果でもある。

『外縁の内側までの情報は、セイとして。外側は、こっちの顔で』

「四泊のあいだ、うまく使い分けないとな」

 仮面をつけた顔の内側で、小さく息を整える。

 さっきまで意識して後ろに置いていた重心を、ほんのわずか前へ。

 半歩ぶんだけ、“線に踏み込む側”の姿勢に切り替える。


 夜の森は、昼とは別の場所みたいだった。

 同じ木、同じ斜面でも、音の届き方と影の形が違う。

 けれど今夜は、その違いを味わう余裕はない。

 目的はひとつ――上流祈律帯へ入ってくる王都部隊の周辺を、先に“掃除”しておくことだ。


 拠点から北へ向かう。

 昼に引いた線をなぞりながら、点在する反応を一つずつ潰していく。

『右、二百。小さい塊』

「了解」

 濁りでも、通常でも区別しない。

 危険度が跳ね上がる前に数を減らす。

 逃げ道を潰し、詰め、断ち、回収。

 ヒトリが上から拾い、リラが順番を短く示す。

 俺はそれに従って刈っていく。

 作業みたいに淡々と、でも速い。

 倒れた躯は、討伐確認と同時にマジックボックスへ滑り込ませる。

 空間に小さな“口”が開き、骸を丸ごと呑み込んだ。解体は後。ここでは残さない。

 視界の端で、半透明の一覧が更新される。

 〈濁り個体 ×3 解体待ち〉

 〈通常魔獣 ×2 解体待ち〉

 〈魔石反応 確認〉

 〈付随情報:濁り圧縮ログ〉

 口が閉じるたび、この帯の危険度が一段落ちる。

 骸を残せば、血と残留と死に際の歪みが“呼び水”になる。

 それが次を寄せ、帯を太らせる。

 回収して初めて、ここは「通過済み」になる。

『……圧縮ログ、検出。形式は既知』

「今は触るな。帰ってからだ」

 違和感は、棚に上げる。

 今夜の目的は掃討だ。

 やがて、濁りの筋が外側に大きく膨らんでいる地点に出た。

 斜面と窪地が絡み合う、“横腹”。

『ここ。太い』

「ここだけは、まとめて潰す」

 逃げ道が多いなら、先に出口を消す。

 俺は一度だけ遠回りし、窪地の端に立つ。

 右足を置く位置。左足を送る角度。

 戻るためじゃない。切り返すための立ち位置だ。

 最初に姿を見せたのは、濁りオーガ。

 肩幅が異様に広く、両腕に絡みつく濁りが、筋肉の動きに遅れて揺れる。

 力任せに来るタイプ。

 踏み込む。

 真正面は取らない。半歩、内側。

 振り下ろされた腕の下を潜り、肘の内側から胸元へ刃を通す。

 核が切れる感触。

 オーガは一歩だけ前に出て、そのまま崩れ落ちた。

 背後の斜面が動く。

 土と石が歪に固まった濁りゴーレム。

 動きは遅いが、放置すれば地形ごと通路を塞ぐ。

 足を止めない。

 距離を詰め、脚部の継ぎ目へ一刀。

 続けて二刀目。上体を断ち、濁りの流れを分断する。

 重たい塊が、地面に音を立てて崩れた。

 躯を回収する。

 一覧が更新され、帯の密度がさらに落ちる。

 最後の反応が消えたとき、周囲の“粘り”がはっきり薄くなった。

 太い筋はまだ残っている。

 だが横腹は、十分に削れた。

『……いい。これなら、制圧に王都の部隊が入っても、横からの事故は減る』

「減らすだけで十分だ。ゼロにはならない。だから地図も残す」

 戻りながら、俺は地図に短い印を足していく。

 掃討済み。

 薄い残り。

 足を取られる窪地。

 稚樹内へ繋がる入口だけは、線と地形を丁寧に書き分ける――今後のために。

 調査は昼。

 掃討は夜。

 役割は混ぜない。

 空が白み始めたころ、拠点の屋根が見えた。

 焚き火の灰を均し、明かりが外に漏れないよう整える。

 仮面を外すと、呼吸の距離が元に戻った。

『初日で、この周辺をここまで薄くできたのは上出来ね』

「上出来じゃなくて必要分。残り三日、まだ削る。王都が来る前に、できるだけ軽くする」

 土の寝床に身体を沈める。

 眠る前に、もう一度だけ地図を見る。

 北の奥へ伸びる筋は、まだ太い。

 だが周囲は確実に掃除できた。

 ――背中を刺す牙は、減っている。

 その事実だけを確かめて、俺は目を閉じた。


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