第48話 山の見張り役と、次の線の話
炭焼き小屋から村へ戻るころには、日が山の端に沈みかけていた。
空の端がまだ白いのに、山のほうだけ早めに暮れていく。
村の門を抜けるとき、炭焼きの親父さんが何度も頭を下げてきた。
スモークラインのことは、ひとまず「山の様子を見張ってくれる魔獣」とだけ伝えてある。
(敵じゃない、とはまだ言い切れない。でも、少なくとも“今は”こっちと視線が揃ってる)
ギルドの扉をくぐると、いつもの木と油の匂いが迎えてくれた。
昼の依頼受付は終わり、酒場スペースのほうは少しずつ賑やかになり始めている。
「戻りましたー」
ミナが手を振ると、受付のリーナが顔を上げた。
「おかえり。《灯》に《鎚灯り》、セイも。怪我してる人はいない?」
「大丈夫です。かすり傷程度」
コルトが答える。
「炭焼き小屋のほうも、しばらくなら仕事ができる状態まで戻りました」
続けてバルドが言うと、リーナはほっと肩を落とした。
「そりゃ何よりだわ。
……で、ガランさんが“全員まとめて会議室”だって。
ご飯の前に、先に報告書だってさ」
『ですよねー』
(ですよねー)
リラとハモりそうになるのを、喉の奥で飲み込む。
「行くか」
ガランがいつの間にかカウンターの奥から出てきて、顎で奥の扉を示した。
会議室の長机の上には、白い報告用紙が何枚も並べられていた。
端にはインク壺と羽ペン。
「座れ。今日は“その場で”正式な報告書を作る」
ガランの言葉に、《リュミエルの灯》と《鎚灯り》が左右に分かれて腰を下ろす。
セイは、いつも通り真ん中あたり。
「書き役は……ミナ、できるか?」
「はいっ。でも、途中で手が疲れたら誰か代わってくださいね」
ミナが一枚目を手繰り寄せ、「依頼名」と書かれた欄にペン先を置く。
「えっと……『炭焼き小屋周辺調査および、煙状魔獣との接触について』?」
「固いけど、間違ってはいないな」
ガランが小さく頷く。
「じゃあ、その名前でいこう。参加者は、《リュミエルの灯》《鎚灯り》、セイ、それと俺だ」
名前を書き込んでから、ミナが顔を上げた。
「じゃあ、順番に行きましょうか。
“いつ”“誰が”“何を見たか”。
私、時系列を間違えたくないので」
「了解」
まずは《リュミエルの灯》側からだ。
コルトが炭焼き小屋に着いたときの様子を、淡々と説明していく。
小屋の位置、炭焼きたちの顔色、山側斜面の地形。
その横で、リアンが補足するように祈律帯の状態を説明した。
祈りを入れたときの手応え、「ここから先は別の仕事」という感覚。
ミナのペンが、紙の上を速く、しかし丁寧に走る。
「次、《鎚灯り》側」
「山の匂いが変わってたな」
バルドが腕を組んで言う。
「昨日は“胃の底がざわつく匂い”。今日は“小屋の裏から胸の奥が重くなる匂い”に変わってた」
「言い方が独特……」
ミナが苦笑しながら書きつつ、顔を上げる。
「でも、その違いは大事ですね。“昨日”と“今日”の比較として残しておきます」
「それと、風の流れ」
テオが続ける。
「煙が、本来抜けない方向へ引っ張られてた筋があった。あれは下に“何か”ある匂い。地下の水の流れか、濁りの本体か」
「“風向き異常あり。地下水の流れを疑う”っと」
ミナが書き込み、サラが横から覗き込んで「祈りの記録にも同じように残しておきます」と呟く。
「ここまでは“現場の状況”だな」
ガランが指で机を叩く。
「次が本題だ。スモークハウンド――スモークラインについて、どう書くか」
部屋に、少しだけ緊張が走った。
「とりあえず、今のところは“襲ってきていない魔獣”だよね?」
ミナが言う。
「目は怖いけど、実際に飛びかかってきたことは一度もないし」
「そうだな」
バルドも頷く。
「むしろこっちの様子を測ってた。“どこまで山側に踏み込むつもりか”って感じだ」
「祈りの感覚でも、“敵意”より“警戒”が強かったです」
リアンが杖の先を軽く握り直す。
「炭焼き小屋に祈り場を置かせてもらえたのも、“ここは山と村が一緒に守る場所”だって線が、ちゃんと通ったからだと思います」
「……よし」
ガランが立ち上がり、空いている紙を一枚引き寄せた。
「ここから先は、“言い回し”の仕事だ。セイ」
「はい」
「現場で、あいつらと一番近い距離で線を見てたのはお前だ。まず、お前の言葉で説明してみろ」
皆の視線が、自然とこちらに集まる。
(ここで“主”だのなんだのは、もちろんナシ。あくまで、山の見張り役としての話だけだ)
胸の奥の糸が、ひとつ小さく震える。
山のほうで耳を傾けている気配が、薄く伝わってくる。
「……さっき現場でも話しましたけど、改めてまとめると――」
セイは一度言葉を切り、皆の顔を見渡した。
「スモークラインは、山の“見張り”として動いています。
濁りの流れに敏感で、山の中で濁りが“牙になりそう”なとき、いち早く気づける」
言いながら、自分の中でも整理していく。
「異常があれば、あいつらは煙の形で合図を出す。
俺たちはそれを“警報”として受け取って、先に濁りを狩る側です」
ミナが、それをほぼそのままの形で紙に写していく。
「……なので、記録上の扱いとしてはこうしてほしいんです。山の“見張り役”としては有用だけど、牙を剥いた瞬間に、ただの魔獣として討伐対象に戻す。そういう意味での“当面は敵対保留”って扱いにしてもらえませんか?」
部屋の空気が、少しだけ変わった。
バルドが腕を組み直し、テオが顎に手を当てる。
リアンとサラは、顔を見合わせてから同時に頷いた。
「“敵対保留”ね」
ミナがその言葉をゆっくりと繰り返し、紙に書き込んでいく。
「“山の見張り役として有用だが、牙を剥いた瞬間に、ただの魔獣として討伐対象に戻す”……っと」
「それ、教会の記録にもそのまま使わせて」
リアンが言う。
「守護獣扱いにするには早いけど、完全に魔獣として切り捨てるのも違うし。“敵対保留”って言葉、ちょうど中間でいいと思う」
「学院側への報せにも、そのままの文言で回しておこう」
コルトも頷く。
「“濁りへの反応に優れた山の見張り役。ただし、管理不能と判断した瞬間に切り捨て対象”」
「お前ら、妙なところで言葉のセンスが揃うな」
ガランが苦笑した。
「いいだろう。“敵対保留”で正式に記録する。そのかわり、さっきセイが言った通りだ。
・山の見張り役として有用
・濁りの警報として利用する
・牙を剥いた瞬間に、通常の魔獣として討伐
この三つをまとめて書いておけ」
「了解です」
ミナがペンを走らせる。
今度はサラが横から紙を引き寄せ、別の用紙を取り出した。
「こっちは、教会用の“祈りの記録”として同じ内容を書いておきますね。さっきの炭焼き小屋の祈り場のことも、ちゃんと残しておきたいので」
「学院向けの写しは、あとで俺がまとめておく」
コルトも自分用のメモ帳を開く。
書き役がミナからサラ、コルトへと自然にリレーされていく。
誰か一人が黙々と書くのではなく、
「この言い方で伝わるか?」「別の言葉のほうがいいか?」と、その場で確認しながら。
(……こういうのは、前の世界でもやってたな)
会議室で、ああでもないこうでもないと仕様書の文言を詰めた時間。
あれと同じ空気が、今ここにある。
「よし。全体としてはこんなもんか」
最後にガランが目を通し、支部長としての署名を書き込んだ。
「この報告書をギルドの正式記録にする。写しを教会と学院にも回す。……ここまでで、何か足りないところはあるか?」
皆が顔を見合わせる。
誰もすぐには口を開かなかった。
その沈黙が、「今のところは、これでいい」という答えでもある。
「じゃあ、解散だ。飯を食って、今日は休め。セイ」
「はい」
「お前はあとで少し、別件の話だ」
ガランがそう言い足し、報告書の束を手に会議室を出ていった。
皆と一緒に廊下へ出ると、ミナがほっと大きく息を吐いた。
「ふー……緊張したぁ。“敵対保留”なんて言葉、人生で初めて書いたよ」
「でも、なんかしっくりきたね」
テオが笑う。
「“守り手候補”でも“ただの魔獣”でもなく、その中間。今のスモークラインにはちょうどいい」
「教会の人たち、どういう顔するかなぁ……」
リアンが少し不安そうに言うと、サラが微笑んだ。
「大丈夫。“祈りの記録”には、ちゃんと今日の皆の言葉も添えておくから」
そう言って、彼女は紙束を抱えて教会のほうへと歩き出した。
コルトは学院への写しを作るためにギルド受付へ。
《鎚灯り》の三人は、ようやく落ち着いて夕食にありつくため酒場スペースへ向かう。
廊下に残ったのは、俺一人になった。
『……さて、セイ。“別件の話”だって』
「だな」
ガランの執務室の扉をノックすると、「入れ」と低い声が返ってきた。
執務室には、さっきの報告書の控えが机の端に重ねられていた。
ガランはそれとは別の封筒を一つ指で叩く。
「炭焼き小屋の件は、ひとまずこれで一区切りだ。山の見張り役も手に入った。……で、だ」
封筒をこちらに滑らせてくる。
「……前にお前が相談してきた“外縁の線を一度見ておきたい”って話、覚えてるか」
ガランが、机の上の封筒を指先でとん、と叩いた。
「それにちょうど噂が重なった。正式な依頼って形にしておいた」
封を切ると、中から一枚の依頼書と簡単な地図が出てきた。
「外縁部・北側森林地帯。“最近、魔獣の目の色が濁ってきた”って噂が出始めてる場所だ」
地図には、村から少し離れた森の一角に小さく印がついている。
村から見れば「外縁部の少し手前」――実際には、その少し先に、本当の外側が続いているのを俺は知っている。
「危険度はまだ3〜4ってところだが、早めに線を見ておきたい。
普通のパーティを送る前に、“まず撤退ラインを見てこい”って依頼だな」
「ソロ前提ですか?」
「基本は一人だ。外縁までは、教会住まいの剣士セイとして正面から行ってくれ。危ないと判断したら、すぐ引け。討伐は二の次だ」
「外縁“まで”の線を、ですね」
「ああ。依頼としてはあくまで“外縁部の内側”の話だ。その範囲で見たもの、感じた危険は全部書いてもらう。倒した魔獣の死体があれば、例の収納の祝福で持ち帰ってくれればいい。ギルドで買い上げる」
「了解です」
口ではそう答えながら、心の中では別の地図を広げる。
(ギルドに出すのは、外縁の“内側”までの報告。でも、こっちはその先――外側も見ておきたい)
濁りの流れ。魔獣の生息密度。地形の状況確認。
撤退ルートが残るかどうか。
(外縁の外は、人がほとんど入らない。入ったとしても、戻ってこられなかったから、情報だけがずっと空白のままなんだ)
だからこそ、俺とリラの“目”と“記憶”で、一度は線を引いておきたい。
外縁まではセイとして正面から。
その先は――顔を変えた“もう一人の自分”で、変装モードの単独行動だ。
封筒を受け取りながら、胸の奥で糸がひとつ震える。
──聞く。
──見る。
(今度は、山じゃなくて外縁だ。お前たちの鼻には届かない場所かもしれないけど……こっちはこっちで線を見てくるよ)
返事は短い。
──分かった。
それだけ。
でも、それで十分だった。
自室に戻ると、窓の外はすっかり暗くなっていた。
村の灯りがぽつぽつとともり、遠く山のほうには細く煙が揺れている。
机の上に依頼書と地図を広げ、椅子に腰を下ろす。
『外縁の線かぁ。今回も“撤退ライン優先”だね』
「そうだな。……ただ、今回は距離がある」
地図の上に指を滑らせる。
村から森の入口まで。
そこから外縁と呼ばれる境目まで。
「外縁まで往復するだけで、一日がほぼ潰れる。そこで線を引こうと思ったら……どう考えても、日帰りじゃ薄くなるな」
依頼書の端に、ざっとメモを書き込んでいく。
・村からの距離
・人の行き来
・地形(足場/見通し)
・撤退ルートの候補
・必要な日数の目安
いつもの「線引きチェックリスト」に、今回は一行だけ項目が増えた。
『何日くらい欲しい?』
「実働で三日。余裕を見るなら、四泊は欲しい」
『だよねぇ。昼と夜、天気が違う日の様子も見ようとしたら、そのくらいはいるよ』
窓の外で、風が山のほうから吹いてくる。
煙の線が、細く揺れた。
(依頼としては“外縁まで”。でも、その手前だけ見て“安全です”って言うのは、正直気持ち悪い)
外縁の向こう――地図の白い余白。
人がほとんど足を踏み入れず、入ったとしても戻ってこられなかった場所。
そこに伸びているはずの線の感触が、頭の奥でうずく。
(まずは、ちゃんと外縁までの線を引く。そのうえで……どこまで話せばガランさんが日数を出してくれるか、だな)
机の端に置いてある布袋に、何とはなしに視線がいく。
中には、色の違うフードと、簡易の仮面。
まだ誰も知らない、“もう一つの顔”。
(あれを使うかどうかも含めて……明日、もう一回ガランさんと話を詰めよう)
『じゃ、明日は“外縁会議”だね、セイ』
「そうだな。まずは、ちゃんと根回しからだ」
軽く笑いながら、俺は依頼書をたたみ、明日の「相談事項リスト」を書き始めた。
・必要日数の説明
・撤退ラインの条件
・連絡方法
・討伐の優先順位
――そうやって、一つずつ線を決めていく。
胸の奥で、リラが小さく笑った。
『山の次は外縁。忙しいね、相棒』
「仕事があるのはいいことだよ」
そうつぶやきながら、俺はペンを置いた。
窓の外の闇は、相変わらず静かだったが――その向こうに、まだ誰も引いていない線が確かに待っている気がした。




