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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房


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第41話 畑の線と、《鎚灯り》

 読み合わせ会が終わって、解散の鐘が鳴ったころには、陽はもうだいぶ高くなっていた。

 トムとナナに「怖かったですって書きます」と言われて、俺の胸の中の重しもだいぶ軽くなったところだ。

(……よし。今日はもう“心情ログ公開処刑”は増えないはず)

『安心ログを新規作成しておきますか?』

(いらない。そういうのは静かに作っとけ)

 ギルドの階段を降りきる手前で、一度息を吐く。

 “怖くなって帰ったやつを褒める線”は、とりあえず村の中に一本引けた。

 あとは、この線を持ったまま、どこまで外に出していくか――。

 そんなことを考えながら、一段降りたそのときだった。

「支部長! 支部長いますか!」

 慌てた声が、ギルドの扉の向こうから飛び込んできた。

 農具がぶつかる音と、ひとり分の荒い息遣い。

 扉が乱暴に開いて、土埃まみれの青年が転がり込んでくる。

 腰には鎌、肩には泥のついた布袋。畑仕事の恰好だ。

「東側の段々畑の……エルドんとこの次男か」

『名簿照合。エルド家の次男、ファルドさんですね』

(毎回フルネーム出さなくていいから)

 階段を降りきったところで立ち止まっていた俺に、青年――ファルドがはっとしたように頭を下げた。

「セイさんも……! すみません、支部長は……」

「ここだ」

 低い声が背後から落ちてくる。

 振り向けば、さっきまで演台に立っていた本人――ガランさんが、肩をぐるりと回しながら扉のほうへ歩いてきていた。

「どうした。昼前からそんな顔して」

「畑の柵の向こうに……でかいのが、来てて……」

 ファルドは息を荒げたまま、言葉を区切る。

「野猪か?」

「……最初はそうだと思ったんですけど。足跡の周りが、なんか、黒くて。柵はまだ壊れてませんけど、あのまま夜になったら、やばい気がして……」

(黒い、足跡)

『キーワード一致。上流の“濁りログ”との類似点』

 ガランさんの目つきが、すっと変わる。

「場所は」

「東側の段々畑の、一番外れです。灯籠の列の、手前の斜面で……」

「……よし」

 短く息を吐いてから、ガランさんは俺のほうを見る。

「セイ。まだ動けるな」

「さっきの会で、だいぶ胃は軽くなりましたし」

「なら、もう一仕事付き合え。『野猪かもしれないし、そうじゃないかもしれないもの』の確認だ」

 そう言ってから、大広間のほうへ声を張った。

「《リュミエルの灯》と《鎚灯り》、今出られるやつは前へ」


 呼ばれて前に出ると、すでに《鎚灯り》の三人が揃っていた。

 広い肩幅、厚い胸板。

 上流のゼロラインでも、川沿いの撤退戦でも、真正面に立ってくれていた背中――バルド。

 その隣には、細身のローブ姿、視線が地形と人数を一度に数えているテオ。

 さらにその横に、柔らかい色の髪をひとつにまとめた女性――サラ。

 祈りでラインを支え続けてくれた、若い女性の祈り手だ。

 俺と、《リュミエルの灯》の三人――コルト、ミナ、リアンもその列に加わる。

「さっきぶりだな、セイ」

 バルドが、片手を軽く上げた。

「Cランクパーティー《鎚灯り》のリーダー、バルドだ。前衛タンク兼剣士。……まあ、ここにいる連中には、改めて言うまでもねえか」

「現場でいつも盾になってくれてる人、ってことで」

 俺も苦笑しながら返す。

「同じく《鎚灯り》のテオです。後衛魔法担当。危険度とログ担当も、勝手にやってます」

 テオが軽く会釈する。

「サラです。回復と補助祈り、任せてくださいね」

 サラが、両手を胸の前で合わせた。

 やわらかい声だけど、その目は皆の立ち位置まできっちり見ている。

「セイだ。撤退判断役、兼、運び屋。《灯》からはコルトとミナ、それから祈り手のリアンさん」

 それぞれ軽く頭を下げる。

「で、本題だ」

 ガランさんが、簡略地図を机に置いた。

 村と、東側の段々畑が描かれている。

「東の段々畑、灯籠の列のすぐ外側。そこで“いつもどおり”野猪が出た――はずだった」

 地図の端を、とん、と指で叩く。

「今朝の見回りで追加報告があった。畝の一部が沈みかけてる。土が黒い。足跡が、ちとでかい」

「……濁り混じりの可能性、ですね」

 テオの声が少し低くなる。

「危険度スコア、今朝の推定は?」

 ガランさんが俺を見る。

 リラがすかさず、視界の端に数字を浮かべた。

『畑一帯、現時点で危険度4.2。土壌マナ偏り、じわじわ増加中。上流濁りとの関連、要注意』

(言い方もうちょい柔らかくならない?)

「4くらい。野猪案件としては上のほう。ほっとくと5に届くかもしれない」

 ガランさんは頷く。

「だから今日の午後、一度締めに行く。編成は、《鎚灯り》三人が前に立つ。《灯》からコルトとミナ。祈りはリアン。撤退判断役でセイ」

 名前を確認するように一人ずつ見る。

「目標は二つ。 一つ、畑の“線”を引き直す。野猪が来ても、畝が多少荒れても、村には届かねえ線だ。 もう一つ。もし野猪じゃねえなら、“どこで帰るか”を全員で確認して帰ってくること」

 最後の一言だけ、少し声が重たくなる。

「危険度5を超えたら撤退一択。さっきの会で決めた村の方針は、畑でも変わらん」

 バルドが短く頷いた。

「了解。前に立つのは俺たちだが、線はセイの言葉を優先する。……それでいいな?」

「助かります。俺は“怖かったログ係”なんで」

「言い方」

 ミナが小さく笑い、コルトが肩をすくめる。

「じゃあ、各自準備して昼過ぎにギルド前集合。畑のオヤジも呼んである。現地で話を聞け」

 ガランさんは立ち上がり、いつものように最後だけ少し柔らかい声になる。

「――全員、生きて帰る。その上で畑もできるだけ守る。“どっちか”じゃねえぞ」


 装備を整えて再集合し、ギルドを出るころには、日差しは真上より少し傾き始めていた。

 前列はバルドとコルト。

 少し下がった位置にミナとテオ。

 さらに後ろに俺とリアンとサラが並ぶ。

「さっきの危険度4.2って、ログ側のスコアですか?」

 歩きながら、テオが小声で聞いてきた。

「ああ。俺の体感と、リラ……こういうのが見える“相棒”の計算を混ぜたやつ」

「なるほど。5を超えたら撤退ライン、ってのは分かりやすくていいですね」

 テオは前を向いたまま、こめかみを指でちょん、と叩く。

「俺のメモだと、上流祈律帯のCライン近辺が7前後。畑で5なんて、本来なら笑えない数字ですよ」

「だから今日のうちに、ですね」

 リアンが頷く。

「畑も、村の祈りと同じ“日常の線”ですから。あそこが崩れたら、毎日のパンが焼けなくなります」

「パンの線って言うと、急に深刻」

 サラがくすりと笑う。

「でも、分かりやすいですね。“あそこで引き返さなかったら、パンが焼けなくなる”って思えばいいんですよね?」

「そういう覚え方、いいかも」

 ミナが振り返る。

「危険度5で命の線、4くらいでパンの線。……どっちも守りたいなあ」

「パンの線は守れ。命の線は絶対守れ」

 バルドが、前を向いたまま短く言った。

「――どっちかじゃねえ。両方だ」

 その背中の重さに、撤退戦の場数がにじんでいるのが分かる。

(この人、ほんと“退きながら守る”が板についてるよな)

『足の運び方からして、“いつでも半歩下がれる前衛”ですね』

 バルドの足は、わずかに踵側に重心を残しながら前へ出ている。

 いつでも半歩、後ろの線に重心を乗せ直せる一歩だ。


 やがて、東の段々畑が見えてきた。

 谷を這うように斜面に刻まれた畑。

 上の段から、小麦、豆、菜っ葉。

 ところどころに白い灯籠が立っていて、昼でもうっすらと光っている。

 畑の手前には、腰に手を当てた農夫のオヤジと、さっきのファルドが立っていた。

「ギルドのみなさん、すまねえな」

 オヤジが帽子を脱いで頭を下げる。

「昨日までは、ようある野猪の足跡だったんだがな。今朝見たら、畝の端が沈みかけててよ。土がぬめっとしてやがる」

「ぬめっと?」

 ミナが眉をひそめる。

「足跡の真ん中が、じわっと濡れててな。臭いも変なんだ。草と土だけじゃねえ。……川の底の泥、腐った草、そういうのを混ぜたみてえな……」

 言葉を探すオヤジの顔を見ているだけで、鼻の奥がむずむずする気がした。

『環境マナ濃度、畑下層で上昇中。濁り成分、微量ですが検出』

(やっぱり、川の黒い膜と同じ系列か)

「案内する。こっちだ」

 ファルドが先に立って、畦道を下りていく。

 問題の場所は、二段目と三段目のあいだだった。

 畝の端が、ぐにゃりと沈みかけている。

 土の色が周りより一段暗い。

 足を乗せると、じわり、と靴底が沈み込みそうな感触が伝わってくる。

(泥っていうより、“線”が下に引っ張られてる感じだな)

『マナの流れが畑の内部に落ちていますね。上流から漏れた濁りが、地下水で回り込んできた可能性』

 足元の土には、四つの蹄跡が残っていた。

 普通の野猪より一回り大きい。

 踏み込んだ真ん中が、黒く濡れて光っている。

「……これは、ただの野猪じゃないな」

 コルトがしゃがみ込む。

「“濁りボア候補”、ってところか」

 テオが静かに言った。

「危険度は、四の上、五の手前と見ておくべきですね」

『危険度スコア、4.6。テオさんの推定とほぼ一致します』

 リラの声が、視界の端に浮かんだ数字と一緒に響いた。

(俺の肌感も、そのへんだな)

「なら、ここで線を引き直す」

 バルドが立ち上がり、畦道の上に落ちていた枝を拾った。

「セイ。どこを“戻り線”にする?」

「一段目の畦道、灯籠の列が見えるラインですね。あそこまで下がれば、村側からの祈りも届くし、撤退も一直線です」

 畑の上の段を指さす。そこには小さな祈り石が置かれていた。

「じゃあ、あそこをAライン。二段目と三段目のあいだ――今いるここを、“Bライン”にする」

 バルドは畦道の上に、棒で一本の線を引いた。

「ここで一回、全員止まる。足の疲れ、息の乱れ、顔色、それから……怖さ。何か一つでも“きつい”って奴がいたら、そこで終わりだ」

「“怖い”って、言ったら?」

 ファルドが、おそるおそる尋ねる。

「畑の持ち主だろうが冒険者だろうが関係ねえ。そこで帰る」

 バルドの言葉に、誰も逆らわなかった。

(さっきの会場で決めたことを、そのまま畑の土の上で復唱してるわけだ)

『紙の線が、実地の線になっていく瞬間ですね』

「サラさん、リアンさんはBラインに“祈り場”お願いします。あの白い布のところ。全員が一回通る場所に印を」

「分かりました」

 サラとリアンが、小さな白布と祈りの印を持ってBライン上にしゃがみ込む。

 布が、風にひらひら揺れた。

「テオは?」

「俺は……」

 テオは周囲の地形を一度見回した。

「三段目の端に、土の“杭”をいくつか立てておきます。押し返すときの足場にもなるし、撤退時にも滑りにくくなりますから」

「頼んだ」

 バルドは、自分の立ち位置を決めるように一歩前へ出た。

 右足を、沈みかけた畝と、まだ固い畦道の境目に置く。

 つま先は畝側、重心はわずかに畦道側。

 左足を半歩後ろに引き、踵側に逃げ道を残す。

 盾を構えた瞬間、その足運びだけで「ここが壁だ」と畑に宣言しているみたいだった。

『敵の突進を半歩受けてから、畦道側にずらせる立ち方ですね。崩れた畝側には落ちにくい重心です』

(“退きながら守る”タンクのお手本だな)

「セイ。お前はどこに立つ?」

「俺は――」

 少し考えてから、一段上の畦道を指さした。

「バルドさんの斜め後ろ、半段高いところ。前も見えるし、後ろに下がる線も見える。俺が転んでも、誰かの足を巻き込まずに済みます」

「謙虚なんだか卑怯なんだか」

 ミナが肩をすくめる。

「撤退判断役は、倒れたら意味ないからね」

 コルトが淡々と続ける。

「前に出るのは、“命が落ちる瞬間だけ”でしたよね?」

 リアンが、祈り布を結びながら微笑んだ。

「はい。今日は、その瞬間が来ないように祈ってください」

 そんなやり取りをしているうちに、空気の匂いが変わった。

 風向きが、谷の奥からこちらへ向き直る。

 乾いた土と草の匂いに、どろりとした何かが混ざった。

 重たい鼻息が、斜面の向こうから聞こえてくる。

 地面が、かすかに震えた。

『危険度スコア、4.8……4.9……』

 リラの声が少し低くなる。

 斜面の縁。

 そこから、黒ずんだ土を蹴り上げながら、一対の蹄が姿を見せた。

 土の中から湧き上がるような、濁った気配。

 ごう、と。

 喉の奥で何かが擦れ合うような咆哮が、段々畑全体に響き渡った。

(――来たな)

 Bライン上の白い布と、バルドの背中と、自分の足元の畦道を一度に見て、息を吸い込む。

 次の一歩をどこに置くかを決める前に、心の中でひとつだけ線を引き直す。

 ――危険度5を超えたら、帰る。

 全員で。

 その決まりをもう一度胸の真ん中に置いたところで、畝の上の影が、ずるりと全身を現し始めた。


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