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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房


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第35話 川沿いの道と、「命綱チェックポイント」

 陽が昇ってすぐ、教会の鐘が一度だけ鳴った。

 鐘の音で、目が覚める。

『入眠まで二十七分。以降は中程度の深度睡眠が三サイクル。悪くないコンディションですよ』

(朝からログ解説はいい)

『本日の予定をリマインドしますか?』

(……頼む)

『上流祈律帯・前座調査。本日はAライン〜Cライン――本隊の命綱となる命綱チェックポイントの現地設定初日です』

 リラの声と一緒に、視界の隅に薄い線の地図が浮かぶ。

 村から川上へ伸びる一本の道。その途中に、三つの輪っかのようなマーカー。

 Aライン。

 Bライン。

 Cライン。

(足慣らしのA、顔色と装備を見直すB、本隊に預けるC……全部まとめて、本隊の命綱チェックポイント、だな)

『定義の復唱、良いですね。忘れていたら私のほうから補足を』

(いや、自力で覚える)

 ベッドから身を起こすと、身体は軽いのに、胸のあたりだけが少し重かった。

 上流祈律帯。

 川面に張りつく黒い膜。

 崩落の音。

 二度行って、二度とも「片づける」ことはできなかった場所。

 今日行くのは、その手前まで。

 行けるところではなく、戻れるところを決めに行く日。

 本隊の命をつなぐチェックポイントを、ひとつずつ地面に打っていく日。

(遠足って言うには、場所が悪すぎるな)

『遠足:目的地での楽しみを伴う行事。今回の目的:危険帯の観測と撤退ルートの刻印。定義的には遠足ではありませんね』

(そういうところだけ真面目に訂正してくるの、どうなんだ)

『緊張緩和のためのツッコミです』

 苦笑しながら、装備に手を伸ばす。

 簡素な革鎧に、肩と膝の当て。

 胸には、ギルド印の小さな木札。

 木札から伸びる細い光の筋が、窓の外の灯籠の線とゆるく繋がっている。

 ここが出発点。

 ここから先は、村の灯りの「安全圏」から、少しずつ外れていく。


 ギルドの前には、すでに人だかりができていた。

 前列には、がっしりした鎧組。

 Cランクパーティー《鎚灯り(つちあかり)》。

 大盾と片手剣を担いだ前衛タンクのバルド。

 その一歩後ろで長い杖を抱えた後衛魔法のテオ。

 胸に祈りの紋章を下げた回復祈り担当のサラ。

 その隣には、《リュミエルの灯》。

 弓を背負ったコルト。

 腰に薬袋を山ほどぶら下げたミナ。

 胸元で祈りの形をなぞっているリアン。

 その後ろに、予備調査班の面子が数人。

 ギルドの中堅組と、村の顔なじみの冒険者たちが混じっている。

 教会からは本部付きの祈り手・セラ。

 学院は、今日は現場には出ず、リラが中継役だ。

 その全員の前に腕を組んで立っているのが、いつものギルド支部長、ガランさん。

 ――そして、いつもならその近くにいるはずの細身の剣士の姿は、今日もない。

 アヤの立ち位置だけが、ぽっかり空席みたいに残っている。

 ミナも、そこを一度見てから、わざと違う方向を見た。

「セイ」

 名前を呼ばれて顔を上げると、ガランさんが顎で前列をしゃくった。

「来たな。装備チェックは済んでるか?」

「一応。落としたら困るものは、胸と腰の近くに固めてる」

「よろしい」

 短く頷き、今度は全員に向き直る。

「じゃあ、全員そろったな」

 地面に広げた簡易地図を足で押さえ、ガランさんは低い声を張った。

「今日の目的を、もう一度確認する」

 指が、地図の北側――川に沿って描かれた線をなぞる。

「行くのは、上流祈律帯の“手前”までだ。黒い膜が張っている帯そのものには、今日は入らない」

 言葉に合わせて、俺の視界にも濁幕帯の位置が薄く浮かぶ。

『濁り密度の推定値:前回ログから、手前二刻分までは危険度4〜5。Cライン手前は6〜7想定です』

(今日は、その少し手前で止まる。Cライン手前まで、か)

「それと――」

 ガランさんの指が、地図の途中で止まる。

「ここが、Aライン。最初の命綱チェックポイントだ」

 川沿いの道が狭くなり始めるあたりに、小さな丸印が描かれている。

「足慣らしと観察の場所。ここまで歩いてみて息が上がっているなら、その時点で『今日はここまで』を選べる線だ」

 別の印に指が移る。

「ここがBライン。二つ目の命綱チェックポイント。全員の顔色と装備を見直す地点だ。セイが危険度6に近いと判断したら、原則ここから引き返す」

 さらに奥、細い印。

「ここがCライン。三つ目の命綱チェックポイント」

 声の調子が、少しだけ硬くなる。

「予備調査班が踏み込んではいけない限界だ。ここから先は本隊案件。“今日はここまで”を俺たちが決めて、本隊に預けて帰る線でもある」

 ざわめきが、ほんの少しだけ大きくなった。

「繰り返すが、今日の仕事は――」

「“どこまで行ったらヤバいか”と、“どこまで戻ったらまだ死なないか”を決めて帰ること、だよね」

 気づけば口が先に動いていて、ガランさんが笑う。

「そうだ」

 三つの丸印を、とん、とん、と指で叩く。

「この三カ所が、本隊の命綱チェックポイントになる。行けるところじゃなく、戻るべきところに印をつけて帰ってくる。それが前座の役目だ」

 バルドが、杭打ち用の小型ハンマーをぽんと叩いた。

「命綱、ね。いい言い方だ」

「本隊の命綱って言われると、ちょっと手が震れるんですけど」

 ミナが苦笑しながら肩をすくめる。

「震えるくらいでちょうどいい。ここで雑に決めたら、本隊ごと落ちる線だからな」

 ガランさんは、今度は俺のほうを顎で示した。

「で、その命綱チェックポイントで“危険だ”を言う役目はセイだ」

 空気が、すっと張りつめる。

「前にも言ったが、セイが『危険だ』『今日はここまで』と言ったら、俺も含めて全員従う。現場では撤退宣言が最優先だ。異論は後でギルドで聞く」

 リアンが小さく息を呑み、ミナは薬袋をぎゅっと握る。

 コルトは一瞬だけ目を閉じてから、「了解」と短く言った。

 バルドが前に出て、俺だけに聞こえるくらいの声で言う。

「セイ。お前の『危険だ』を、俺たちは信じる。だから、お前も自分の線を信じろ」

「……重いな」

「そりゃそうだ。今日は、本隊の命綱の下見だ」

 西側の講習で、俺が若手に言った言葉が頭に返ってくる。

 自分たちで抱えきれないものを、抱えきれる誰かに任せるための線。

 今日はその線を、命綱チェックポイントとして地面に刻みに行く。

『心拍数、やや上昇。ですが範囲内です』

(黙って見てろ)

『了解しました。黙ってモニタリングします』

 肩の力を抜いてから、全員を見渡した。

「……最後に一つだけ」

 少し声を落として続ける。

「俺が『危険だ』『戻ろう』って言うのは、多分、みんなの怖さより先に、足場とか退路とか濁りの流れの数字を見ての話になると思う」

 予備調査班の一人が、興味深そうにうなずいた。

「そのとき、『まだ行ける』って思う人もいるかもしれないけど――今日のルールは一個だけ。とりあえず、命綱チェックポイントまでは全員で戻る。文句がある人は、帰ってからガランさんのところで整理券取ってください」

 どっと、小さな笑いが起きる。

「現場では、一回全部下がる。それだけ、お願いします」

 リアンが、祈りの形を結んだまま微笑んだ。

「“危険だ”って言ってくれたとき、『ありがとう』ってちゃんと言えるように祈っておきます」

 その一言で、胸の重さがほんの少しだけ軽くなった。

「――出発する」


 村を抜け、畑の端を過ぎる。

 薬草採りで散々歩いた道も、今日の人数と装備だと少し違って見えた。

 先頭には、《鎚灯り》の三人。

 バルドが道を切り、テオが杖を持って後ろからマナの流れを見ている。

 サラは祈りの準備をしながら、ときどき後ろを振り返る。

 その後ろに、《灯》の三人と俺。

 さらに後ろに教会と予備調査班。

 一番最後に、最低限の荷物を積んだ手押し車。

 村の灯籠の光が、背中のほうでだんだん小さくなる。

(ここまでは危険度1)

『はい。以前のログと変化はほぼありません。風向き、鳥の鳴き声、地面の固さも許容範囲です』

 草地が増え、雑木林が近づく。

 遠くから、川の音がかすかに聞こえ始めた。

「ここから先が、村の“外縁”?」

 ミナが小声で尋ねる。

「厳密にはもう少し先だけど、感覚としてはそんな感じだな」

 俺は足を止めて、周囲をぐるりと見渡した。

 鳥の声の数。

 風の通り道。

 地面の傾き。

 リラのHUDに、危険度のバーが薄く伸びる。

『推定危険度:1.5〜2。まだ“命綱チェックポイント”より手前ですね』

「じゃあ、この辺はまだ“村の延長”。戻りたくなったら全員で普通に帰れるゾーン、ってことで」

 歩き出すと、コルトが隣に並んできた。

「セイ」

「ん?」

「……アヤの分まで、ちゃんと見てくれ」

 短い言葉。

 でも、その一言に、いろんな感情が詰まっているのが分かる。

「お前、たまにずるいよな」

「ずるい?」

「そういうこと言われたら、適当にはできないだろ」

「それが狙いだ」

 コルトは、ほんの少しだけ口元を緩めた。

(アヤは王都で療養中。こっちの線は、今は俺たちが持っておく)


 川の音がはっきりしてきた頃、地面の感触が変わった。

 踏み固められた土の道から、ところどころ石が顔を出す細い道へ。

 右側には、ゆるやかな斜面と木々。

 左側には、川へ向かって落ち込む土の斜面。

 足を滑らせたら、そのまま水際まで転がりそうな角度だ。

(……ここだな)

 俺は手を挙げて、列を止めた。

「一旦ストップ。ここを、Aライン――第一命綱チェックポイントの候補にする」

 先頭のバルドが振り返り、少し後ろからガランさんが俺のところまで歩いてくる。

 テオとサラ、それからセラも自然と近くに寄ってきた。

「理由を聞こうか」

「ここから先、退路がほぼ一本に絞られます」

 俺は右の斜面と左の崖を順番に指さす。

「右の斜面は木が多くて走りづらい。左は川側に落ちる。だから、“全員で走って戻るときの通り道”を、ここで一度決めたい」

 ガランさんが地面を見下ろし、うなずく。

「確かにな。ここから先で転んだら、川まで滑り落ちるやつが出る」

『退路シミュレーションを開始します。全員が七〜八秒以内に“安全側”へ戻れる想定地点です』

(ギリ、“まだ死なない”側ってことか)

 そこで、セラがそっと口を開いた。

「教会側から一つ、よろしいですか」

「どうぞ」

「祈りの届き方だけを見るなら、もう少し村寄りに祈り場を置く案もあります。

 ここは川の流れの音が強くて、祈りの声が少し散りやすいので。ただ、“走って戻る基準”としては、確かに分かりやすい場所です」

 言われてみれば、たしかに川の音はさっきよりかなり大きい。

「教会としては、『祈り場としては手前案もあり』ということだけ、ログに残しておきたいです。今日はセイ君のAラインに合わせて祈りを置きます」

 今度はテオが杖の石突きを軽く地面に押し当てる。

「学院側からも一つ。

 訓練効率だけで言えば、もう少し川上――魔物遭遇率が上がり始める地点をAラインにしたほうが“鍛えられる”のは確かです」

 テオは、俺とガランさんを見比べた。

「ただし、それは“訓練のためのライン”の話。今日は、本隊の命綱チェックポイントを決めに来ている。

 学院としては、『訓練用Aライン候補は別途検討、今日の現場運用Aラインはセイ案』という形で、案をログに残しておきたいですね」

(祈りだけの都合ならもっと手前。訓練だけならもっと先。

 その中間くらいで、“走って戻れるかどうか”を基準にしたのが、俺のAラインか)

『今のやり取り、“教会案A(手前祈り場)”と“学院案A+(訓練用)”としてマークしておきます。評価は村に戻ってからの会議で、ですね』

(そう。ここでは結論出さない)

 ガランさんがふっと笑って、二人と俺を見回した。

「よし。案は出そろったな」

 つま先で、地面に小さな丸印を描く。

「教会:祈り場はもう少し手前もあり。学院:訓練用ならもう少し先もあり。ギルド:退路基準を優先するなら、ここで一度線を打つ価値あり。――全部、ログに残す」

 そして、俺の肩を軽く叩いた。

「さっきも言ったとおり、現場での決定はセイだ。命綱チェックポイントの杭は、お前が『ここ』と言った場所に打つ。今出た案の良し悪しは、村に戻ってから、ギルドと教会と学院でまとめて会議だ」

「……了解」

「だから、お前は今は、“ちゃんと理由のある線”を引け。あとは大人たちが数字と祈りで検証する」

 言い方は少し乱暴だけど、ありがたい乱暴だ。


「じゃあ、線を刻むぞ」

 マジックボックスから、ギルドで用意してもらった木杭と赤い布を取り出す。

 道の真ん中と、その少し手前の両脇に、三本の杭を打ち込んだ。

 バルドとテオが杭を打ち、サラが赤い布を結んでいく。

 布が風に揺れ、道の幅と位置を分かりやすく示した。

「ここが、“第一命綱チェックポイント”だ」

 全員に聞こえるよう、少し声を張る。

「この布が見える位置までは、今のところ危険度3以下。もしこの先で何かあったら、とりあえず全員、この布の内側まで下がる」

 リアンが、杭の前で膝をつき、そっと目を閉じた。

「ここまで戻ってくる人たちが、ちゃんと戻ってこられますように」

 短い祈り。

 光が、杭の周りに薄くまとわりつく。セラがその光の揺れ方をじっと観察している。

「祈りで“帰る場所”を印にする……命綱チェックポイント、ですね」

「線に名前と祈りがついたほうが、戻りやすいですから」

 俺は杭から一歩下がり、足場を確かめる。

 つま先で地面の固さと傾き。

 かかとに土の噛み具合。

 重心を前に乗せたときに、滑らないかどうか。

 一歩前。

 半歩下がる。

 そこから振り向いて走り出したときに、誰と誰がぶつかりそうか――頭の中で、みんなの線を組み替えていく。

『退路シミュレーション、三パターン完了。最悪ケースでも、全員が八秒以内に布の内側へ収束可能です。※“Aライン運用案・暫定”として保存しました。評価:村での会議待ち』

(うん、それでいい)


「簡単に、“戻る”練習もしとこうか」

 俺は少し先の石を指さした。

「あの石の手前まで進んで、俺の『危険だ』の合図で、この布の内側まで全員で戻る。三回やります」

「三回も?」

 ミナが情けない声を出す。

「本番一回でうまくいくと思う?」

「……思わないです」

「じゃあ、今のうちに失敗しとこう」

 ガランさんが口元だけで笑った。

「いいな。やれ。どう走ったかも、ちゃんとログに残しておく」


 簡易撤退訓練は、結局三回やった。

 一回目はミナが尻もちをつき、コルトが危うく踏みそうになる。

 二回目はぶつかりはしないが、真ん中で一瞬立ち止まりかけたやつがいた。

 三回目でようやく、全員がぶつからずに布の内側へ収まる。

「はぁ……走るだけなのに、緊張する……」

「本当に危険なときは、もっと怖い」

 正直に言うと、ミナは「やめてよ」と文句を言いながら笑った。

「だから、怖くないうちに何回か空撃ちしておく。今日は“命綱チェックポイントまで戻る”練習付きの前座だ」

 リアンが静かに頷き、手を胸の前で握る。

「“危険だ”って言われたとき、迷わず戻れるように……覚えておきます」

 セラがその様子を見て、静かに記録用の板に何かを書き込んだ。

 祈りの言葉と、顔色。

 戻る動きの速さ。

 ギルドと教会と学院――三つの目が、それぞれのやり方でAラインを「あとで議論するための素材」として刻んでいく。


 第一命綱チェックポイントの赤い布が、背中側で揺れる。

 川の音は、さっきより少しだけ大きい。

(行けるところじゃなく、戻れるところに印をつける――一つ目、完了)

(この線が“良かったかどうか”は、村に戻ってからの会議でぶん殴られて決まる。今は、ちゃんと理由を持って引いたってことだけでいい)

『心拍数、少し上昇。でも範囲内です』

(だから黙って見てろって)

『了解しました。黙ってモニタリングします』

 軽く肩を回し、俺は再び前を向いた。

 ここから先は、危険度が少しずつ上がっていく。

 Bライン。

 Cライン。

 そして、その先にある濁幕帯の影。

 第一命綱チェックポイントの赤い布を背中に感じながら、俺たちはBラインへ向けて、川沿いの道をもう一度歩き出した。



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