表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/38

第32話 いない席と、「危険でない」線

 朝の教会は、やけに静かだった。

 祈りの声も、子どもの笑い声もない。

 石の床を流れる祈りの線だけが、薄く揺れている。

『心拍、平常時より一割ほど高めです』

(そりゃあな)

『アヤさんの病室へ向かっている状況と、前夜の会議内容を踏まえた観測です』

(分かってるよ)

 回廊の角を曲がると、見慣れた扉が見えた。

 昨日まで、足首に包帯を巻いた前衛が寝ていた部屋。

 扉の前まで来たところで、足が止まる。

 中にいる気配が――薄い。

 ノックをしてから、そっと扉を開けた。

「……あ」

 ベッドはきれいに整えられ、毛布はきちんと畳まれていた。

 薬草の匂いも、包帯の気配もない。

 窓からの光だけが、白いシーツを照らしている。

 その光の中で、シーツを抱えていたリアンが振り向いた。

「セイ君。おはようございます」

「……おはよう。アヤは?」

 聞きながらも、答えはほとんど分かっていた。

 ベッドに残っている線は、もう“今いる人”のものじゃない。

 ほんの少しだけ残った体温の跡と、「ここにいた」という痕跡だけだ。

「夜明け前に、王都から使いの方が来ました」

 リアンは、畳んだシーツを胸の前に抱え直す。

「アヤさん、一度王都に戻ることになりました。足首のことと……ここしばらくの無理を、まとめて診てもらうために」

「やっぱり、そうなったか」

『記録と一致します。“王都への一時帰還”ですね』

(ああ)

「そんなに、状態は悪いのか?」

「傷だけなら、祈りでだいぶ落ち着いてます」

 リアンは、言葉を選ぶみたいに少し間を置いた。

「でも、“前に立たない”って自分で決めたでしょう? その気持ちと体をちゃんと揃えるには、ここより王都のほうがいいって。……そう、言われたそうです」

「……なるほどな」

 前に出る癖を止めるには、いったん前線から離す。

 理屈としては、よく分かる。

 頭では分かるけど、胸のあたりが少しだけ空っぽになった。

「行く前に、何か言ってなかったか?」

 俺がそう聞くと、リアンは少しだけ困ったように笑った。

「『しばらく任せる』って。『ちゃんと戻る場所、残しといて』って」

「ズルいな、あいつ」

 口から出たのは、ため息まじりの笑いだった。

 危ないところまで踏み込みかけて、怒られて。

 そこまでの流れを全部置いていって、最後だけ「任せた」だ。

『大人のやり口ですね』

(否定はしない)

 それでも、その言葉をもらった以上――

「ガランさんから何か預かってるか?」

「はい。ギルドに来るようにって。『昨日の続きだ』って言ってました」

「了解。……シーツ、手伝おうか」

「大丈夫です。これは私の仕事ですから」

 リアンはそう言って、もう一度ベッドに向き直った。

 祈るときとは少し違う、でも似たような手つきで、いない人の形を整えていく。


 教会を出ると、村はもうすっかり朝になっていた。

 パンを焼く匂い。

 井戸の水を汲む音。

 マナ灯籠の光が、家々の合間を細い回路みたいに走っている。

 その中に、一人分、足音が抜けた場所がある。


 ギルドの扉を押すと、受付のリーナが顔を上げた。

「セイ君、おはよう。ちょうどよかったわ。支部長が呼んでるの。小さいほうの会議室よ」

「やっぱりか。ありがとう」

 軽く会釈して廊下に回る。

 小会議室の扉の前まで来ると、中から人の気配がした。

 深呼吸をひとつしてから、ノックして扉を開ける。


 長机を挟んで、見慣れた顔が並んでいた。

 一番奥にガランさん。

 その右側に、《リュミエルの灯》の三人――コルト、ミナ、リアン。

 左側には、《鎚灯り》の三人――バルド、テオ、サラ。

 アヤの椅子だけが、今日はここにもない。

「来たか、セイ」

「おはようございます」

 いちばん手前の席に腰を下ろすと、木の硬さが妙に現実的だった。

 ガランさんは、机の上の紙を指先でこん、と叩いた。

「まず、アヤの件だ」

 コルトの肩が、わずかに強張る。

 ミナは指を組んだまま、視線を落とした。

 リアンは、胸の前で祈る形を作っている。

「今朝、王都から正式な通達が届いた」

 低い声が、板張りの壁に染み込むみたいに広がる。

「アヤは、一時的にエルディアを離れる。理由は、負傷の療養と、ここしばらくの疲労の精査だとある」

「療養、ですか……」

 リアンの声は、思ったより落ち着いていた。

「ああ。足首だけじゃなく、積み重なった無理も含めてだろう」

 ガランさんは、空いている椅子を一度だけ見てから、視線を戻した。

「この村の依頼からは、当面完全に外れる。現場復帰の時期は未定だ。……今、出せるのはここまでだ」

「戻ってきますよね」

 コルトが、膝の上で握った拳を見つめながら言う。

「戻ってくる前提で話をする」

 即答だった。

「戻る場所を残せ、と本人も言っていったそうだな」

 リアンが小さく頷く。

「だからこそ、こっちもやることを整える」

 ガランさんは、別の紙を取り出して机に広げた。

 村の周囲をぐるりと囲む線と、北の川、森、そして上流の小さな祠が描かれた地図だ。

「次に、撤退ラインと運用の話だ」

 空気が、別の意味で締まる。

「昨日の会議で、A・B・Cの線はもう一度整理したな。Aは足慣らしと観察。Bは全員の顔色を確認する地点。Cは、予備調査班が踏み込んではいけない限界――本隊に任せるべき場所だ」

 そう言ってから、ガランさんは俺のほうを見る。

「そのうえで、だ」

「はい」

「お前たちが次に現場に出るとき――目指すべきなのは、“ぎりぎりどうにかなる場所”じゃない。“今のメンバーでも危険度を落として戻れる線”だ」

 コルトが、はっとしたように顔を上げた。

「……昨日のあれは、“どうにかなっただけ”ってことですよね」

「ああ」

 ガランさんは、あっさり肯定する。

「アヤたちは危ないところに入り込んでいた。セイが自分の線を越えて走ったから、今日は全員この場にいる。ああいう生還を、今後の基準にはしない」

 ミナが、ぎゅっと指を組んだ。

「すみません。……分かってたはずなのに、戻ってくる途中で少しだけ浮かれてました」

「それは、昨日全部言った。繰り返さないぶんには構わん」

 そこで一度、空気を切り替えるみたいに、ガランさんは地図の南側を指でなぞった。

「大事なのは、これからだ」

「これから……」

「危険度の線をどう扱うか、実務で決める」

 指先が、村の外縁のあたりをこん、と叩く。

「今後の依頼で、俺たちが目指すのは、“危険を消す”ことじゃない。“危険度を落として、危険ではない帯まで戻る”ことだ」

「危険ではない帯、ですか」

 思わず、口の中で繰り返す。

「濁り帯に足を突っ込んでいる時点で、絶対安全なんて場所はない。だが、“一人くらいなら倒れても仕方ない”場所と、“全員そろって帰れる可能性が高い”場所は違う」

 ガランさんの指が、地図の上で二度、軽く叩かれた。

「今後の依頼では、常に後者を目指す。危険度を落として、“危険ではないほうの線”まで戻る。それができなかったときは、たとえ魔物を片付けても、それは良い仕事とは言えん」

『目的関数の再設定ですね』

(表現が固い)

「セイ」

 名前を呼ばれて、背筋が自然と伸びる。

「はい」

「お前の役目は、“撤退を判断する役”だ」

 その言葉は、もう何度も聞いているはずなのに、今日の響きは少し違った。

「お前が“危険だ”と言ったとき、それは『このままだと危険でない帯まで戻れない』という意味だ。逆に、“今なら危険度を落として戻れる”と判断した地点が――お前たちの、その日の終着点になる」

 喉の奥に、言葉がひとつ落ちた。

「……そんなに重く見ていいんですか」

「そう決めた」

 ガランさんは、きっぱりと言い切る。

「昨日の件を、本当に次の線に変えたいならな」

 昨日、アヤのベッドのそばで交わした拳が、頭の中でよみがえる。

「線を越えた」と認めた顔。

「ブレーキになって」と言った声。

 その全部を、次の線に変えるための役目。

「もちろん、判断を一人で抱え込む必要はない」

 ガランさんは、机の上を軽く指さす。

「迷ったら、いくらでも周りを巻き込め。俺でも、《鎚灯り》でも、《灯》でもいい。祈りの線が揺れていると思ったら、リアンでも構わん。黙って突っ込むのだけは禁止だ」

「はい」

 答える声は、思ったより普通に出た。

「“危険だ”と思ったら、ちゃんと口を開きます。迷ったら、ちゃんと相談します」

『宣言、ログに保存しました』

(お前、本当に何でも記録するな)


「それでだ」

 ガランさんは、地図の端にもう一枚紙を重ねた。

「A・B・Cって記号だけじゃ、低ランクの連中には頭に残りにくい。数字や記号じゃなく、“誰を基準にした線か”で覚えさせたい」

「誰を……」

「セイ。お前のほうで、覚えやすい呼び名を考えろ。三つともだ。親しみやすくて、理由を聞いたら『ああ、なるほどな』と思えるやつ」

「いきなりハードル上げるんですね」

『ネーミングセンスの見せ所です』

(うるさい)

 地図の上で、A・B・Cを見比べる。

 Aは、一番手前。

 まだ村の空気に近くて、自分の足の調子を確かめられる場所。

 Bは、その先。

 ここまで来れば、その日のメンバーの顔色も呼吸もはっきり分かる。

 Cは、さらに先。

 村の調査隊の足だけで踏み込むべきじゃない帯。

(……基準ごとに分けるか)

『いいですね。“誰のための線か”で切ると、分かりやすいです』

「Aは、“自分の線”」

 自然と、口が動いていた。

 全員の視線が、こちらに向く。

「最初に足を踏み出すのは、自分の足だから。

 Aまで歩いて、『今日は体が重い』『怖さがいつもより強い』って感じたら、その時点で引き返せる。ここは、自分の足と怖さを測る線。だから“自分線”」

 ミナが、ペン先をとん、と紙に当てた。

「自分線……。うん、悪くないです」

「Bは、“仲間の線”」

 地図のBに指を置く。

「ここまで来たら、一度立ち止まって全員の顔を見る。

 足取りも、息の上がり方も、祈りの揺れ具合も。

 ここで誰か一人でも『きつい』『怖い』って言ったら、そこがその日の終点。だからBは、“仲間線”」

 コルトが、ゆっくり頷いた。

「……ここまで来たら、一回ちゃんと『もうやめとこう』って相談する線、ってことですね」

「そう。怖いって言う練習をする場所」

『“怖がる練習ライン”、略して仲間線です』

(略になってない)

「で、Cは?」

 バルドが、腕を組んだまま問いかける。

「Cは、“預ける線”」

 Cの印に指を移す。

「ここから先は、自分たちじゃなくて、本隊や王都側に預ける。

 村の調査隊だけで踏み込まないって、最初から決めておく線です」

「預ける線、か」

 ガランさんが、腕を組み直して目を細める。

「自分線、仲間線、預け線」

 ミナが、紙に三つの言葉を書きながら、口の中で繰り返した。

「基準が“自分”“パーティ”“本隊”で揃ってるの、いいですね。順番に遠くなっていく感じも覚えやすいです」

「数字だけよりは、まだ頭に残るだろう」

 コルトが、肩の力を少し抜いた。

「A・B・Cって聞いても正直ぼんやりしてましたけど……“自分線越えたら一回止まる”“仲間線を越える前に帰る”“預け線から先は預ける”って言われたら、なんか、しっくりきます」

『しっくり評価、いただきました』

(いちいち実況するな)

 ガランさんは、しばらく考えるように顎に手を当てていたが、やがて頷いた。

「よし。正式な記録では今までどおりA・B・Cラインを使う。だが実地講習では、“自分線”“仲間線”“預け線”で通そう」

 その言葉に、胸の奥が少しだけ軽くなる。

「セイ」

「はい」

「三日後、村の西側で安全ラインの講習会をやる。低ランク――DとEの連中を集める予定だ。お前はそこで、今の三つを地形に合わせて説明しろ」

「……やっぱり俺が講師なんですね」

「線を見ているのはお前だろう。

 “どこまでなら危険ではないか”“どこから先は預けるか”を、言葉にできるのもお前だ」

 それは、まあ、否定しづらい。

「分かりました。自分線、仲間線、預け線で、ちゃんと説明してみます」

『講習用のメモ、あとで一緒に整理しましょう』

(頼んだ)


「《鎚灯り》は、その講習の実地担当だ」

 ガランさんは、左側の三人へ視線を向けた。

「村の西側で、安全ラインの確保を実際にやってみせる。リーダーはバルド」

「了解しました」

 バルドが短く答える。

「《リュミエルの灯》は副リーダーと補助。コルト、段取りは任せる」

「はい」

 コルトが背筋を伸ばした。

「セイと低ランクたちは、その後ろから見学だ。お前はついて行って、『今ならまだ自分線』『ここが今日の仲間線』『この先は預け線』ってのを、その場で言葉にする」

「言う練習ってことですね」

「そうだ。お前が“危険だ”って言う側の練習と、言われた側がちゃんと止まる練習だ」

 ガランさんは、最後に地図の北を指さした。

「上流祈律帯の件は、そのあとだ。本隊からの返事が来次第、全体会議を開く」

 祠の印と、その先に描かれた灰色の帯が目に入る。

「焦ってもどうにもならん。まずは村の周りで、“危険ではない線”を身体に入れろ」

「……了解です」


「以上だ」

 ガランさんが手を叩いて、会議を締めた。

 椅子がきしみ、背もたれが鳴る。

 小さい会議室の空気が、少しだけ軽くなる。


 廊下に出ると、《鎚灯り》の三人はそのまま受付のほうへ向かっていった。

 こっちはいつもの四人――アヤ抜きの《灯》+俺。

「……本当に、王都か」

 コルトがぽつりと呟く。

「ちゃんと帰ってきます」

 ミナが、わざと明るい声を出した。

「あの人、そういう約束だけは守るから」

「そうですね」

 リアンは、胸の前で小さな祈りの形をつくる。

「祈りも、ちゃんと届いてます。……今は、“危険ではないほう”で少し休んでもらうのが、いちばんだと思います」

「危険ではないほう、ね」

 口の中でその言葉を転がす。

 昨日までは、「どこまで踏み込めるか」を考えていた。

 これからは、「どこまで戻れるか」を先に決める。

「セイさん」

 コルトが、廊下の途中で足を止めた。

「さっきの、自分線とか仲間線とかの話」

「うん」

「俺、自分の線より先に踏み込みそうになったら、ちゃんと『怖い』って言います。だから、セイさんも遠慮なく“ここまで”って言ってください」

 その目は真面目で、少しだけ悔しそうだった。

「あの斜面みたいには、もうならないように」

「分かった」

 自然と笑いがこぼれる。

「じゃあ、三日後の講習で練習しよう。怖いって言うほうも、“危険ではない線”を見るほうも」

「はい」


 ギルドの出入口から外に出ると、昼前の光が村全体を照らしていた。

 マナ灯籠の淡い光と、太陽の光が重なって、道の上に薄い線を描いている。

 家々の屋根。

 畑の畦道。

 教会へ続く小道。

 そのどれにも、しばらくアヤの足跡は残らない。

 いない席。

 いない前衛。

 けれどその代わりに――今日、新しく決めた三本の線がある。

 自分の線。

 仲間の線。

 預ける線。

 全部、「危険ではないほう」に戻るための目印だ。

『セイ』

(なんだ)

『今日のログタイトル案ですが』

(嫌な予感しかしない)

『「いない席と、『危険でない』線」、などいかがでしょう』

「……悪くないな」

 思わず、口に出していた。

「え、何が?」

「いや、こっちの話」

 俺の役目は、危険そのものを消すことじゃない。

 危険度を落として、危険ではない帯まで戻るために、「危険だ」と言葉にすることだ。

 アヤが戻ってくる席を、“危険ではないほう”に残しておけるように。

 そのための練習を、村の南側から始める。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ