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理を灯す少年 〜祈り万能世界で、AIを宿す俺だけが“理論魔法”を使えた件〜  作者: いい加減工房


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第31話 『勝っていない』と、線を決める席

 ギルドの会議室は、いつもより少しだけ狭く感じた。

 机の木目も、椅子のきしみも、見慣れているはずなのに、腹の奥の冷えが抜けきらないせいで、全部が硬く見える。

 横長の会議机をぐるりと囲むように、椅子が並んでいる。

 一番奥の上座には、ガランさん。

 その右側に、《リュミエルの灯》の三人とリアン――ひとつだけ、空いた椅子がある。

 アヤの席だ。

 左側には、《鎚灯り》の三人。

 そして、その真正面の下座――いちばん逃げ場のない席に、俺。

 『心拍、さっきから少し速めです。……痛みのせい、だけではなさそうですね』

(自覚はある)

 リラの声に、心の中で返す。

 アヤの右足首は、教会の治療室でいったん固定された。

 骨まではいっていないけど、しばらくまともには歩けない、とリアンが言っていた。

 あいつは今、廊下の向こうのベッドにいる。

 この場にいない人間の話を、これからする。

 それは、前の世界でも何度かやった種類の会議だった。


「――じゃあ、始めるか」

 ガランさんが、手元の紙を軽く叩いた。

 低い声が、板張りの壁に染み込むみたいに広がる。

「まず、今回の依頼内容の確認だ。お前らも耳にタコだろうが、ログに残す以上、省略はしない」

 淡々とした口調で、条件が読み上げられていく。

「《森班》は、セイと《鎚灯り》。森中心の祠周辺までのライン引き、一日」

「《川班》は、《灯》の四人。村北部から川沿いの斜面までのライン引き、一日」

「撤退ラインは三つ。Aライン――足慣らしと観察。Bライン――全員の顔色を確認する地点。Cライン――予備調査班が踏み込んではいけない限界。ここから先は本隊案件」

 バルドが、小さくうなずいた。

 テオとサラも、背筋を伸ばす。

「……はい。出発前の説明どおりです」

「うむ」

 ガランさんは一度うなずき、視線をこちらに向ける。

「で、森側。《鎚灯り》とセイのほうから先に聞く。セイ、概要を」

「了解」

 息をひとつ吐いて、言葉を並べていく。

「森班はゼロラインからAラインまでは予定どおり。足場と獣道の確認をしながら、危険度は1から2の間」

『ログ上も一致しています』

「Bラインまでは、影ウルフ十一体と交戦。斜面と倒木を使って、分断しながら撃退。危険度は5から、戦闘終了時点で2.5まで低下」

 テオが、こくりと頷いた。

「森側のほうは、セイさんの指示どおりでした。……本当に」

 バルドも続ける。

「Aラインの時点で『今日はここまで』って言える道もあったんだがな。あそこでウルフの群れを“迎えに行かない”判断をしてくれたおかげで、こっちの被害はほぼゼロだ」

 ガランさんの視線がバルドに向き、わずかに目元が緩んだ。

「《鎚灯り》は、撤退ラインの運用については百点満点だ。……それは先に言っておく」

 三人の肩が、少しだけほぐれるのが見えた。


「問題は、そのあとだ」

 木が鳴るような、乾いた音がした。

 ガランさんが指で机を軽く叩いた音だ。

「セイ。お前は森班をBラインで切り上げ、《鎚灯り》に村への報告を任せた。そこまでは、事前の取り決めの範囲内」

「はい」

「だが、そのあと。お前は単独で北側――川沿いの斜面へ向かったな」

「……向かいました」

 言い訳はしない。

 ガランさんの目は、責めるというより「確認している」目だ。

「理由を言え」

「ヒトリの映像で、《灯》の危険度スコアが急上昇しているのを見ました。ジャッカル四体に、崩れかけた斜面。アヤの足首損傷。リアンの足場崩落リスク。そして、川上流から濁り成分の増加」

 リラの数字が、頭の中で蘇る。5.2、5.3、6.2――。

「《鎚灯り》がゼロラインまで戻るのに必要な時間と、濁り獣の群れが斜面に到達する時間を比較しました。村経由の増援では、間に合わないと判断しました」

「だから、例外枠を使ったと」

「はい。……あの場は、俺一人が“命が落ちる瞬間だけ前に出る”例外を使って、《塔》に撤退の時間を稼ぐしかないと」

 会議室の空気が、少しだけ重くなる。

『例外使用回数、1カウント。……と、ログに記録済みです』

(こっそり言うな)

 心の中で突っ込みを入れると、リラの声がわずかに和らいだ。


「川側の状況は、俺からも補足します」

 コルトが、口を開いた。

 弓使いらしい、少し乾いた声。

「Aラインまでは本当に“足慣らし”でした。斜面の角度も、足場も、セイさんが“危険度1〜2”って言ってた条件の範囲内で……。問題は、そこから先です」

 ミナが、膝の上で握った手をきゅっと縮める。

「黒い筋が、川の水に混じり始めたのは、たぶんBラインの少し手前でした。……あたしが、もう少し早く『ここ、嫌だ』って言えてたら」

「ミナ」

 リアンが小さく首を振る。

「私も、祈りの光が揺れているのを見ていました。でも……“まだ大丈夫”って、自分に言い聞かせてしまったんです」

 祈りの輪を繋いでいた、あの震える手。

 目を閉じると、斜面の上で、崩れかけた足場にしがみついていた彼女の姿が、まぶたの裏に浮かぶ。


「――そこだ」

 ガランさんの声が、少しだけ低くなった。

「今回、一番まずかったのは“判断の遅れ”そのものだ。祈り手も前衛も、『嫌だ』『危険だ』と言うタイミングを逃した」

 彼は立ち上がり、壁際の板に貼られた簡易地図に指を這わせる。

「ここがゼロライン。ここが今日のAライン。ここが、Bラインにするはずだった斜面の下部」

 地図の上で、指が川をなぞる。

 斜面の中ほど――あの、ジャッカル四体が駆け上がってきた地点で止まった。

「《灯》は、ここを実質Cラインまで踏み込んでいた。本人たちの自覚なく、な」

 コルトが歯を食いしばる気配がした。ミナは俯いたまま、肩を震わせている。


「それを、セイが『危険だ』と言葉にした。遅ればせながら、だがな」

 ガランさんは俺のほうを見る。

「お前は斜面の途中で撤退戦への切り替えを宣言し、ジャッカル四体を“殺さずにどかす”やり方を選んだ。アヤたちを斜面上部へ戻し、その間に川側で濁り獣の群れを“受け持つ”最終ラインを作った」

「……はい」

『ログ上も、アヤさんたちの危険度は6.0から4.0台まで下がりました』

(結果だけ見れば、な)


「《鎚灯り》」

 ガランさんの視線が、バルドたちに移る。

「お前たちは、あの時点でセイの指示に従い、森側からの撤退に専念した。途中で振り返らなかったこと、そのまま報告に走ったこと……あれは“逃げた”んじゃない。“役目を果たした”んだ」

 バルドの喉が、ごくりと鳴る。

 さっきまで硬かった顔が、少しだけほどけた。

「セイが無茶をした分、お前たちは教科書どおりの撤退をやってのけた。……だから言っておく。今回の森班の評価は、全員Aだ。胸を張れ」

「……了解しました」

 サラが、静かに頭を下げる。テオも、それに続いた。


「じゃあ、そのうえで――川側の評価に移る」

 ガランさんは、深く息を吐いた。

「まず、全員、生きて戻った。これは事実だ」

 そこまで言ってから、一拍置き、言葉を切る。

「だが、《灯》は“勝っていない”」

 会議室の空気が、さらに冷えた気がした。

 どこかで、一度聞いた言葉だ。

 変異ゴブリンキングのとき、死体の重さを抱えて戻ったあの日。ガランさんは同じように言った。

「今回もそうだ。線を動かした覚えはないのに、怖さのほうが動いてきた。斜面も川も、向こうから“Cライン側”に踏み込んできた」

 ガランさんは、拳を軽く握る。

「それを、“勝った”と勘違いしたら、次は全員墓場行きだ」

 誰も、何も言わなかった。

 木のきしみと、外のざわめきだけが聞こえる。


『セイ』

(分かってる)

 リラが何かを言いかけた気配を、心の中で制した。

 ここで口を挟むのは、俺じゃない。


「処分の話をする前に、《灯》側のログ確認をしておく」

 ガランさんは紙束をめくり、さらりと目を走らせる。

「アヤは右足首負傷。コルトは矢の残数ぎりぎり。ミナの爆薬は予定の半分以上消費。リアンは祈りの出力限界付近。――この状態で、さらに前へ踏み込もうとしていた痕跡が、ログと証言から出ている」

 ミナが、小さな声で「……すみません」と呟いた。

「謝る相手は俺じゃない。まずは自分と仲間にだ」

 きつい言い方だけど、声は荒れていない。

「アヤ本人には、別の場で話をする。ランクの扱いも含めて、王都本部と協議済みだ。ここでは詳細は言わん。ただ――今後しばらく、《リュミエルの灯》の現場リーダー役からは外す」

 リアンが、目を閉じて小さく頷いた。

 それが、彼女なりの覚悟の仕方なんだろう。


「その代わりと言ってはなんだが」

 ガランさんの視線が、もう一度こちらに戻ってくる。

「セイ。お前の役目は、今日ではっきりした」

 喉の奥が、少しだけ乾いた。

「正式に、お前を『撤退を判断する役』として扱う」

 ……前にも聞いた言葉だ。だが、今回は告知の重さが違う。

「危険度を線で見て、『ここから先は危険が大きすぎる』と判断したら、アヤの意向よりも、俺の意向よりも先に――お前が“撤退”を宣言していい。いや、宣言しろ」

 机の下で、無意識に手を握りしめていた。

『心拍、やや上昇。でも……悪い方向ではないと思います』

(分析は後ででいい)

「それは――」

 リアンが、おずおずと手を上げた。

「それは、その……次からの上流の調査でも、ですか?」

「ああ」

 ガランさんは即答する。

「上流祈律帯の濁幕帯調査だろうが、本隊が来るまでの予備調査だろうが、考え方は同じだ。セイが『危険だ』と言ったら、そこで“今日はここまで”にする。それが、この村とギルドの方針になる」

 ガランさんは続ける。

「祈りで濁りを薄くできても、源流からの流れが止まらん限り、祈りだけじゃどうにもならん。だからこそ、『ここまでだ』と言う役が要る」

 そこで、俺のほうを見た。

「セイが『危険だ』と言ったら、そこで“今日はここまで”にする。まずはギルドの方針としてそう決める。学院と教会には、その前提で話をつけておく」

「というわけだ」

 ガランさんは、椅子の背にもたれた。

「セイ。お前は前に出るなとは言わん。だが、前に出るのは“例外”だ。今日みたいな場面を、日常にしてはいけない」

「……分かってます」

 腹の底の冷えと、一緒に握り込んだ何かを、ゆっくりとほどいていく。

「俺は、“負けない”ほうは得意ですけど、“勝ちすぎない”ほうは正直まだ慣れてないんで」

「ほう?」

 ガランさんの口元が、わずかに笑った。

「いい言い方だ。だったらなおさらだな。お前には、“勝ち筋”じゃなく、“帰り道”の設計に頭を使ってもらう」

『いいですね、それ。新しい職種です。“撤退設計エンジニア”』

(そんな肩書き、履歴書に書けないだろ)


 笑いそうになる口元を、なんとか真面目な顔で押さえ込む。

 会議室の空気が、ほんの少しだけ緩んだ気がした。


「以上が、今回の正式ログと方針だ」

 ガランさんは紙をまとめ、机の上に置いた。

「アヤには、このあと俺から話をする。お前らは今日はもう休め。怪我があるやつは教会か宿で手当てを続けろ。……それと」

 そこで、一人ひとりを見渡す。

「勝ったつもりで飲むなよ。今回の依頼は、“勝っていない”依頼だ」

 誰も笑わなかった。

 けれど、その言葉が一番重く響いたのは、きっと俺だ。


 会議室を出ると、廊下の突き当たりで白い影がこちらを向いた。

 包帯で巻かれた右足。壁にもたれかかるように立つアヤ。

 目が合った瞬間、気まずさと、どうしようもない安堵が一緒に胸の中で暴れる。

「……思ったより、元気そうだな」

 そう言うと、アヤは鼻で笑った。

「そっちこそ。あたしの前であんな格好つけといて、ちゃんと歩けてんじゃない」

「まあ、多少は筋肉痛コースだけどな」

『実際の筋肉損傷レベル、軽度です。……本気を三割くらいに抑えた結果ですね』

(黙っとけ)


 アヤはしばらく黙ったまま、こちらを見ていた。

 いつもの、斜面の一番前に立つときの目とは違う。少し、弱い目。

「さっき、ガランさんに聞いた」

 先に口を開いたのは、アヤのほうだった。

「“撤退を判断する役”ってやつ。あんたに、正式に降りてきたんだって」

「ああ」

「……ムカつくくらい、あんたに似合ってる役目だと思う」

 それは、褒め言葉なのか、毒なのか。

 たぶん、その両方なんだろう。

「でも、今回はさ」

 アヤは肩をすくめて、視線を少しだけ落とした。

「あたしが、あんたにそれを言わせる前に、線を越えた。足も、祈りも、心も」

「……」

「だから、あたしはしばらく前に立たない。ガランさんにもそう言われたし、自分でもそう思う」

 それは、彼女にとって何よりの屈辱であり、同時に救いでもあるはずだ。

『自己申告による“線引き”ですね』

(そうだな)


「セイ」

 アヤが、まっすぐにこちらを見る。

「あんたが『危険だ』って言うときはさ。……遠慮しないで言って」

 喉の奥が、少しだけ熱くなった。

「もう分かってると思うけど、あたし、自分のことになるとブレーキがバカになるから」

「知ってるよ」

 前の世界でも、似たタイプのやつを何人か見た。

 自分以外には冷静で、自分のことになると一番無茶をする人間。

「あんたはさ、“戻る線”を見る。あたしたちは、“倒せるかどうか”の線ばっかり見てた。……それで今日、死にかけた」

 アヤは悔しそうに笑った。

「だから、次からはさ。“危険だ”って言われたら、ちゃんと止まる。止まる練習をする」

「うん」

 それは、すごくシンプルで、すごく難しい約束だ。

「その代わり」

 今度は、俺のほうから言葉を重ねる。

「アヤも『危険だ』って言ってくれ。祈りが揺れたときでも、足場が嫌なときでも。……俺が見落としてる線も、絶対にあるから」

 アヤが、少しだけ目を見開いた。

「あたしが、あんたのブレーキになる?」

「お互い様だろ」

 そう言うと、アヤはふっと笑った。

「……ズルい言い方するようになったじゃない」

「大人の特権だ」

『精神年齢だけ、ですが』

(うるさい)


 沈黙が、少しだけ柔らかくなる。

 廊下の窓から差し込む夕方の光が、包帯と髪を淡く照らしていた。

「じゃあ」

 アヤが、小さく拳を握る。

「今度こそ、“勝ってないのに勝ったつもりになる”のだけはやめる。……それで、どう?」

「それなら、俺も付き合える」

 軽く拳を合わせる。

 斜面の上で《鎚灯り》と交わした合図と同じリズムを、もう一度なぞる。

 戻るための合図。

 ここまで、戻るための線。


『……セイ』

(なんだ)

『今日のログタイトル案ですが――』

(嫌な予感しかしない)

『「ここまでにする」と「まだやれる」のバランス調整会議、などいかがでしょう』

(却下。長すぎる)

 心の中でため息をつきながらも、口元には、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいた。


 ――まだ、祠の影までは届いていない。

 けれど、「ここまでにする」と言える線は、今日、もう一本はっきり引かれた。

 その線を、次は誰も踏み越えないように。

 俺の役目は、そのために口を開くことだ。


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