第27話 緊急ミーティングと、八人で引く線
村が寝静まりかけた頃。
教会の一室で、俺は机の上に紙を広げていた。
『優先順位リスト、現在三案までまとまりました』
視界の端で、小さな光の鳥――ヒトリが、くるりと輪を描く。
眼前の簡易ウィンドウには、リラがまとめた文字列が浮かんでいた。
一つ目は、森中心の祠とその周辺。
二つ目は、村の北側から川沿いにかけての濁り帯。
三つ目は、その二つをつなぐ「逃げ道」と「避難の道」。
「……やっぱ、この三本だよな」
『はい。ヒトリ2号の残り稼働日数三十日を前提にすると、“村の危険度を三以下に保つためのライン調整”としては妥当だと思います』
(上流祈律帯の黒い膜に直行、ってのは?)
『それは“本隊案件”です。今は外縁のガタつきを整えるフェーズですよ』
(分かってるって。確認しただけだ)
冗談みたいに言いながら、紙に三本線を引く。
祠。
北の濁り。
その間をつなぐ細い道。
『その三本の線を、どこまで太くしておけるか』
(――三十日のうちに、だな)
呟いたところで、部屋の扉がノックされた。
「セイ君、起きてる?」
リアンの声だ。
「起きてるよ。どうした?」
「明日の朝、ギルドで“全員集合”だって。ガランさんから、さっき使いが来たの」
やっぱり、そう来たか。
ヒトリの残り日数も、上流の黒い膜も、森の濁りも。
全部ひっくるめて話すタイミングが、とうとう来たらしい。
「了解。」
(じゃあ、明日はちょっと早めに出るか)
『セイ、リストの清書はわたしのほうでやっておきます』
(頼む。ギルドで見せる用にな)
紙の上の三本の線が、心の中では、もっと太く重くなっていく。
それは、明日から俺達が踏みに行く線だ。
翌朝。
灯籠に火は残っておらず、けれど空気はまだ少しひんやりしている時間。
ギルドの二階、会議室の扉を開けると、すでに半分以上の席が埋まっていた。
「おはよう、セイ」
アヤが手を上げる。
隣には、コルト、ミナ、リアン。《リュミエルの灯》の四人が、いつもの並びで座っていた。
その向かい側には、見慣れない三人組。
一人は、分厚い盾を膝に立てかけた、大柄な男。
日に焼けた肌に、短く刈った黒髪。
全身の線が「前に出て受け止める」ことに慣れている、タンクの体つきだ。
その隣には、細身で眼鏡をかけた青年。
腰には杖。手元には、魔法陣が刻まれた小さな板。
もう一人は、柔らかそうな茶髪を三つ編みにまとめた女性。
首元には、小さな祈りの水晶。
僧侶系のマナの流れが、胸元から腕へと穏やかに巡っているのが見える。
「おう、噂の撤退判断役さんか」
盾の男が、ぐいっと身を乗り出してきた。
「Cランクパーティー《鎚灯り(つちあかり)》のリーダー、バルドだ。前衛タンク兼剣士やってる」
「同じパーティーのテオです。後衛魔法担当。よろしく」
「サラです。回復と補助祈り、任せてくださいね」
三人のマナの線が、互いにほどよい距離感で絡み合っている。
前衛が受けて、後衛が削り、僧侶が整える――教科書通りのCランク構成だ。
「セイだ。書類上はBランクになったけど、中身は撤退判断役のままだから」
『いえ、中身はとっくにBランク超えですけど』
(リラ、それを胸の中だけにしとけ)
そのとき、部屋の奥の扉が開いた。
「全員いるな」
ガランが地図板を抱えて入ってくる。
大きな板を卓上に立てると、表面には森と村と川、その北側に描いた印がいくつか並んでいた。
「これから話すのは、エルディア村の“今後三十日”の線だ」
ガランが開口一番、そう言った。
ヒトリの残り日数と、祈律帯の黒い膜と、森の濁り部。
昨日俺とリラが机の上で並べた三本の線が、そのまま地図の上にも並んでいる。
「まずはジャッカルの件からだが……それについては、セイの報告と記録で共有済みだな」
《灯》の四人も、《鎚灯り(つちあかり)》の三人も、真剣な顔で頷く。
「問題は、“ジャッカルが逃げてきた側”だ」
ガランの指が、地図の上流側をなぞる。
「上流祈律帯の外縁で、濁りとマナの流れがガタつき始めている。森の中にも、点々と濁り部が増えた。――これを、何もせず放置すればどうなるか」
黙っている全員の代わりに、俺が答える。
「村の危険度が、“いつもの一〜二”の状態から、じわじわと三、四に上がっていきます」
「そうなれば、見習いとEランクの仕事場が、そもそも仕事場じゃなくなる。――だから、この三十日のうちに、村の周りの“線”を引き直す」
ガランは、地図に三つの丸を描き込む。
「一つ目。森の中心にある祠と、その周辺一帯」
地図の森の真ん中に、小さな四角い印が付けられる。
「二つ目。村北部に点在する濁り部と、そこから川沿いにかけての帯」
北側の点々とした黒い印が、線でつながれる。
「三つ目。村からそこまでの道。逃げる道と、避難させる道だ」
「まずは、この三本を最初の一、二日間で“今の危険度”を測り直す」
ガランはそこで区切り、俺のほうを見る。
「編成は、セイを中心に八人。セイ、《リュミエルの灯》の四人、《鎚灯り(つちあかり)》の三人だ。撤退ラインの決定と判断権は、セイに一任する。異論はあるか?」
部屋の空気が、少しだけ揺れた。
「一任って……それ、本気?」
最初に口を開いたのはアヤだ。
驚きと、少しの戸惑いと、それから期待が混じった声。
「セイは“撤退判断役”として、この場にいる」
ガランが淡々と言う。
「今回の目的は、敵の殲滅じゃない。森中心の祠と北側の濁り帯について、“どこまでならうちの支部で責任が取れるか”の線を引き直すことだ」
「……分かってる」
アヤは一度目を伏せ、それから顔を上げた。
「でも、その上で言わせて。祠まで行けるなら、私は“祠の中”まで見ておきたい」
出たな、と内心で苦笑する。
アヤらしい、前に出る側の意見だ。
「アヤ」
「だって、わざわざ祠の手前で止まるなんて、もったいないじゃない」
アヤは身を乗り出す。
「前に森で失敗したときみたいに、無茶するつもりはない。ちゃんと足場も確認するし、みんなの状態も見る。それでも、最後の最後、祠の前まで行けそうなら――そこで線を引きたい」
祠まで。
俺も、行けるなら行きたい。
濁りの核がどこまで育っているかを、この目で確かめたい。
けれど。
「アヤ、一つ確認させてくれ」
「なに?」
「“アヤ一人”で祠まで行くのと、“八人で”祠まで行くのは、同じだと思うか?」
アヤが、きょとんとした顔をする。
横で、コルトが「あー」と小さく声を漏らした。
「……同じじゃない、か」
「全然違う」
俺は指を二本立てて見せる。
「一人で行くなら、全部自分で背負える。足を滑らせても、自分だけが落ちる。判断も行動も、自分の裁量で最後まで持っていける」
「それはそうだけど」
「でも、八人で行くときは違う。それぞれ動きも違うし、限界やスピードもバラバラだ。誰か一人が限界を超えた瞬間、全員の線が一気に跳ねる。――俺が見ている“危険度スコア”ってのは、そういう線だ。人数が増えるってことは、メリットだけじゃなく、リスクも増えるってことだ」
『セイ、例の救出戦のログを出しますか?』
(頼む)
視界の端に、森の奥での崩落と、巨大ゴブリン戦のログがよぎる。
あのとき、アヤたちは“行けるところまで行く”をやった。
結果として、誰か一人でも倒れていたら、そのまま全滅ルートだった。
「アヤが祠まで行きたい気持ちは、分かる」
俺は正直に言う。
「俺だって、本当は中まで覗きたい。でも、“八人で”行くなら、線はもっと手前になる」
「どうして?」
「俺一人で祠の手前まで行くのと、八人で行くのは違うからだ。アヤ一人で行くのとも違う。俺が一歩踏み込みすぎたせいで誰かが死んだら、それは“撤退判断役のミス”になる」
アヤが、ぎゅっと唇を噛んだ。
「でも、前に失敗したときみたいに、あと一歩足りなかったら……」
「足りなかった一歩の線は、“次に本隊が踏む線”だ」
言いながら、自分でもきれい事だと思う。
けれど、そう言わないと、この村はもたない。
「俺たちの仕事は、本隊が来るまでの道を整えることだ。“ここまでは安全に進める”“ここから先は本隊じゃないと無理”って線を引くこと」
『……Cライン、だね』
リアンが静かに口を挟む。
「うん。だから今回は、祠そのものは“Cラインの先”に置く。
俺たちが行くのは、その手前まで」
アヤはしばらく黙っていた。
コルトとミナが、ちらりと彼女の横顔を見る。
「前みたいに、誰かが倒れかけてるのに、気づけなかったのは――もうやりたくない」
ぽつりと、コルト。
「あの時、アヤに“戻ろう”って言えなかったの、まだ引きずってるからさ」
「私も」
ミナが小さく手を上げる。
「祈り薬の残量、ちゃんと見てなかった。爆薬で押し切れるって、どこかで思ってた。――だから、セイが“危険だ”って言う線を、一回ちゃんと守ってみたい」
アヤが、仲間たちを順に見た。
そして、ゆっくりと息を吐く。
「……分かった」
絞り出すような声だった。
「祠までじゃなくていい。セイの引くCラインまで、ね」
「助かる」
本音だ。
「その代わり」
アヤが指を突きつけてくる。
「いつかちゃんと祠の中に入るときは、私も一緒だからね」
「そのとき本隊に怒られない程度に、な」
思わず笑ってしまう。
そこへ、向かい側のバルドが手を挙げた。
「なあ、セイ」
「なんだ?」
「さっきの話、うちのパーティーにも当てはめていいか?」
バルドは、自分とテオ、サラを親指で指す。
「俺たちはCランクだし、それなりの依頼もこなしてきた。正直、“祠の手前までなら何とかなるだろ”って、さっきまで思ってた」
「……」
「でも、今の話聞いて、“自分たちで線を決めたい”って気持ちが、逆に危ないって分かった。撤退判断役がいるなら、その判断に従うべきだ。――今回の依頼に関しては、うちの三人もセイの線に従う。それでいいか?」
ガランが、満足そうに目を細めた。
「それを、この場で言ってほしかった」
俺は短く頷く。
「ありがとう。俺が“戻る”って言ったら、そのときはちゃんと戻ってくれ」
「もちろんだ」
バルドが笑う。
「命あってのCランクだしな」
「命あっての爆薬です」
「命あっての祈りです」
ミナとリアンが次々に続ける。
アヤも、肩の力を抜いて笑った。
「命あっての前衛、ね」
「そういうこと」
ガランが、地図を指さして話を締めにかかる。
「明日の昼前に、森中心の祠周辺と北側から川沿いにかけての二方面へ出発し、日が傾く前に一度戻る。どちらも“線引き優先、討伐はおまけ”だ」
最後に、俺のほうを向く。
「繰り返すが、撤退ラインの決定権はセイにある。セイが“危険だ”と言ったら、全員、その場で戻れ。それが今回の、合同パーティーの絶対条件だ」
「了解」
俺は胸に手を当てて頷いた。
――腹の底が冷える地点。
そこが、今回のCラインになる。
会議が終わり、全員が立ち上がる。
装備を確認し、荷物を整えるために一旦解散、ということになった。
会議が一段落し、椅子がきしむ音が部屋に散った。
ひとり、またひとりと立ち上がり、執務室を出ていく。
俺も腰を浮かせ、ドアノブに手をかけた、そのときだ。
「セイ」
背中から、アヤの声が飛んできた。
振り返ると、彼女はまだ席を立たず、拳を握りしめてこちらを見ていた。
ガランさんは書類を片づける手を止め、そのまま黙って様子をうかがっている。
「さっきは、ごめん。また突っ走るところだった」
言葉だけ聞けば素直な謝罪だ。
けれど、その奥に「これで終わりにしたい」という甘さが混じっているのが分かった。
「……謝るのは簡単だ」
自分の声が、思ったより低く出る。
「でも、その“ごめん”で全部流すつもりなら、最初から前には出るな」
アヤの目が、わずかに見開かれる。
「どういう意味?」
「前に森で失敗したとき、あの線をここまで押し上げたのは、お前の判断だって意味だ」
視線をそらさずに続ける。
「あの時、俺が間に合ったから、こうして全員で戻ってきてる。遅かったら、あそこで全滅だ」
肩越しに、ガランさんの気配がぴたりと止まる。
「……はい」
アヤは目を伏せずに答えた。
「全滅しかけたって事実は、ちゃんと自分のものにします。あの時危険度を押し上げた責任と、命令違反の責任は私にあります」
「なら、聞く」
言葉を挟む。
「次から、俺が“戻る”って言ったときに、必ず従えるか?」
短い沈黙。
それ自体が、答えの半分だった。
「……簡単には、はいとは言えません」
アヤは、拳を握ったまま首を振る。
「セイの線の意味は分かってる。あなたの“戻ろう”が正しいことも、頭では分かってる。でも――」
唇をきゅっと噛んだ。
「まだ戦えるのに、納得していないのに、“撤退です”って言われて、そのまま引けるほど、私は器用じゃないです」
「そこだ」
かぶせるように言ってしまう。
「俺の役目は、“全員が生きて帰れる線”を決めることだ。お前の役目は、その手前で最大限戦うことだろ」
「分かってます」
「分かってない」
言い切る。
「前に森で失敗したとき、『自分たちならまだ行ける、祠の手前まで届く』って考えて、俺の線を蹴った。その結果が、さっき自分で言った『全滅しかけた』だ。それを、『ごめん』でチャラにはできない」
アヤの表情が、ほんのわずかに揺れた。
「……じゃあ、どうしろって言うんですか」
「単純な話だ」 息を一つ吐いてから、落とす。
「俺の“撤退だ”に従えない前衛とは、同じ隊では行けない」
静かな部屋の空気が、一段冷えた。
「セイ」
ガランさんの声が、低く響く。
「それは、今ここで決める話か?」
「はい」
視線を向けないまま答える。
「このままうやむやにして上流には行けません。
“線を引く役”と“前に出る役”が、お互いの線を信用できないまま一緒にいたら、本当に死にます」
アヤが一歩、前へ出た。
床板が、軽く鳴る。
「私からも言わせてください」
真っ直ぐに、俺を見る。
「セイの線を信じてないわけじゃない。あなたがいなかったら、あの森での撤退も間に合ってなかった。それは本気でそう思ってます」
一拍置いて、続ける。
「でも、“セイがそう言うから”だけで撤退するつもりもありません。前衛として、自分の目と足で見て、納得していない撤退に、私は頷けない」
「じゃあ、俺とお前は噛み合わない」
「今は、そうかもしれません」
アヤの声は、震えていなかった。
「命令違反の責任も、処分も、受ける覚悟はあります。そのうえで、まだ前に立ちたいと思ってる。その私と組めないと思うなら――セイの言う通り、ここで決めたほうがいい」
俺とアヤの視線がぶつかる。
どちらも目をそらさない。
その間に、重い息をひとつ吐く音が割り込んだ。
「……よし、そこまでだ」
ガランさんが椅子から立ち上がる。
執務机越しに、俺たち二人を順に見た。
「セイ」
「はい」
「お前の言ってることは正しい。撤退線を引く役の判断に誰も従わない隊は、いずれ死ぬ。それは俺も嫌というほど見てきた」
次に、アヤのほうへ視線が動く。
「アヤ」
「はい」
「お前の言ってることも分かる。“戦う側が納得してない撤退”は、次の依頼で必ず歪みになる。それも何度も見てきた」
短く息を吐き、肩を回す。
「だからこそ、この二つを、そのまま同じ隊に放り込んで上流に送り出すのは、ギルドマスターとして俺はやれない」
机の上の地図を、指でとん、と叩く。
「いいか。上流祈律帯は、ここまでとは桁の違う場所だ。撤退判断役と前衛が噛み合ってない隊を出すつもりはない」
そこで、一度言葉を区切る。
「……明日の朝までに、俺が決める」
静かな声だった。
「誰をどこまで連れていくのか。セイとアヤを同じ班に置くのか、別にするのか。あるいは、どっちかを一度外すのか」
喉の奥が、少しだけ鳴る。
「お前らは今夜、自分で考えろ。“自分は何を守りたいのか”“どこまでなら引けるのか”。その答えを、明日の朝――ギルドの正面で聞かせてもらう」
そう言ってから、ガランさんは俺たちに背を向け、書類の束を手に取った。
「今日は解散だ。勝手な独断は、ここから先一歩も許さねえ。……いいな」
「「はい」」
俺とアヤの返事が、ほとんど同時に重なる。
「明日の集合は、夜明け後すぐ。全員、ギルドの正面玄関に揃え。そこで“昨日の会議の答え”を出す」
それが、最後の通告だった。
執務室を出ると、廊下の空気がやけに冷たく感じた。
隣を歩くアヤの足音は、きちんと揃っているのに、どこか遠い。
磨かれた板張りの廊下に、俺たちの足音が二本の線を描いていく。
その先で、同じ灯りを見ていられるのかどうか――
それは、まだ分からなかった。




