第23話 上流予備調査と、「危険だ」と言う役目
翌朝、ギルドに顔を出したときだった。
掲示板の前を通りかけたところで、背中から名前を呼ばれる。
「セイ」
低い声。
振り向くと、ホールの入口にガランさんが立っていた。
いつもと同じ皮鎧だが、眉間の皺は少し深い。
「ちょっと時間いいか」
「はい」
「アヤたちにも声をかけてある。二階の執務室に上がってこい」
それだけ言うと、ガランさんは先に階段を上がっていった。
カウンターのリーナと目が合う。
「呼び出しね」
「ですね」
「危険度5の説教じゃないはずだから、いつもくらいの気合いで行ってらっしゃい」
「“いつもくらいの気合い”って、なかなかひどい表現ですね」
苦笑で返して、胸元の水晶タグを指先で触れる。
固い感触の奥で、マナの線がかすかに揺れた気がした。
二階の執務室をノックして入ると、《リュミエルの灯》の四人はすでに揃っていた。
アヤ、コルト、ミナ、リアン。
それに、壁際には教会の神父様と、見慣れないローブ姿の青年が一人。
青年の肩には、学院の紋章が縫い込まれている。
「来たな」
奥の机の前で腕を組んでいたガランさんが、顎で空いた椅子を示した。
「そこに座れ。……今日は全員、顔をそろえておきたかった」
俺はアヤたちの向かい側に腰を下ろす。
机の上には、エルディア周辺から上流域までを描いた地図。
川の線に沿って、赤と青の印がいくつも打たれていた。
「じゃあ、始めようか」
ガランさんが、指先で川の線をゆっくりなぞる。
「掲示板を見たやつもいるだろうが……」
ちらりとこちらを見る。
「“危険度6(予定) 上流祈律帯・黒膜調査”の依頼だ」
アヤが小さく息をのんだ。
「やっぱり、本決まり……なんですね」
「ああ」
ガランさんは短く頷く。
「王都本部と教会、それに学院からの正式な通達だ。
上流祈律帯で、川面を覆う黒い膜が確認された。規模はまだ不明だが、放っておけば、この辺一帯の外縁がごっそり崩れる可能性がある」
「本隊じゃなくて、“予備調査”なんですよね」
リアンが慎重に言葉を選ぶ。
「そうだ。いきなり大部隊を送り込んで足場を崩したら、それこそ取り返しがつかなくなる」
地図の中ほどを、とん、と指で叩く。
「そこで、お前たちに頼みたいのは“どこから先が本当に危険か”を測ることだ。祈律帯の手前まで行って、線を引いて帰ってくる。そのための予備調査だ」
「戦うのが目的じゃない、ってことか」
コルトが低く確認する。
「基本はな」
そこで一度、言葉を切る。
「ただし、危険度6予定だ。道中で何も出ないとは俺も思っていない。だからこそ、条件を最初に決めておく」
机の端に置かれていた紙束から、一枚をめくる。
「これは本部に出した案の写しだ。“危険になったら帰る”を、最初から合意して出発すること。川上に向かってAライン、Bライン、Cラインを事前に設定し、それぞれの地点で撤退を検討すること」
その文言は、掲示板の端に書かれていたメモと同じ内容だった。
(やっぱり、あの会議で話したことがそのまま採用されたんだな)
あの小さな会議室で、全員でテーブルを囲んでいた夜。
「どこまで行って、どこで迷って、どこで戻るか」を先に決めておくやり方を、全員で叩き合った。
「“危険になったら帰る”って、どこからが危険なんでしょう」
ミナが、おそるおそる手を挙げた。
「森も外縁も、もともと全部危ないじゃないですか」
「いい質問だ」
ガランさんが少し笑う。
「だからこそ、今回の予備調査には、こいつが同行する」
そう言って、俺のほうを見る。
「セイ。お前の肩書きは何だった?」
「……“撤退を判断する役”です」
「そうだ。言いづらいなら、“撤退判断役”って短く呼んでもいい」
机の上の自分のギルド証を、とん、と指で叩く。
「今回の依頼書には、《リュミエルの灯》+教会+学院、それに“撤退ライン決定・判断権持ちBランク”としてセイの名前を載せる」
ガランさんが地図を広げながら言った。
「本隊じゃない調査班の中で、危険度の線を引く役目を公式に持たせた」
「……Bランクの理由、半分それですか」
思わず口をついて出た問いに、ガランさんは即答した。
「全部だ。権利と責任のバランスだと言ったろう」
「Bランクという権利を付けた代わりに、“お前が危険だと言ったら全員引き返す”という権限を、書類上も明文化したかった」
部屋に一瞬の静けさが落ちたあと、アヤが小さく眉をひそめ、声を漏らした。
「……セイが“危険だ”って言ったら、私たちも……本当に、引き返さなきゃいけないの?」
疑問というより、自分に言い聞かせるような声音だった。
セイはわずかに視線を動かし、アヤの横顔を見た。
その表情からは、言葉にできない複雑な感情が読み取れる。
ガランの目が静かに細められ、空気が一変する。
低く、しかし冷静な声が放たれた。
「アヤ。お前、自分が“Cランク預かり”になっていることは理解しているな?」
アヤの肩がびくりと動く。言葉に詰まり、視線を落とす。
「……はい」
ガランはそのまま言葉を重ねた。
「お前は元々、正式なCランクだった。だがあのとき、判断を誤った」
「今は“預かり”として様子を見られている状態だ。次のミスがあれば、Cランクの資格は剥奪される――それを忘れるな」
その一言が、アヤの胸を鋭く貫いた。
かつて、自分の判断が招いたミスで、仲間に危険を負わせた記憶。
今もなお、脳裏に焼き付いている。
あれ以来、正式な評価は一度白紙に戻された。
今の自分の立場は、形だけ――仮のもの。
認められたのではない。ただ、猶予を与えられているだけ。
アヤは唇を強く噛みしめた。
たとえ年下でも、今の自分はセイの判断に従わなければならない。
それが“預かり”であるということ。
口答えする余地など、今の自分にはない。
その沈黙が、何よりも彼女の答えを物語っていた。
セイは言葉を発さなかったが、少しだけ背筋が伸びた。
彼自身、その判断の重みをあらためて自覚する。
「“帰らないといけない”というより、“帰ると決めてから行く”だな」
ガランさんは、広げた地図に三本の線を描き込む。
「Aラインまでは足慣らしと観察。Bラインで一度全員の顔色を見る。セイが“ここから先は危険度6に近い”と判断したら、基本的にそこで引き返す。Cラインは、“ここから先は本隊じゃないと無理”という限界線。予備調査班が足を踏み入れちゃいけない帯だ」
沈黙を破るように、ローブ姿の青年が控えめに口を開いた。
「学院のレオンです。……一つ、確認してもよろしいでしょうか」
「聞こう」
「撤退判断は、あくまでセイさんが最終、という理解で合っていますか?」
「――ああ」
ガランさんは地図から顔を上げ、はっきりと頷いた。
「現場の責任者は俺だが、線を見るのはこいつの役目だ」
セイは息を吸い込む。胸元の水晶タグが、微かに熱を帯びていた。
「……“危険だ”って言うのは、けっこう勇気がいりそうですね」
その言葉には、誰よりも自分自身への問いが込められていた。
リアンがぽつりと呟いた。
「依頼票には“危険になったら”って書いてありますけど、私たちが危険だと感じた時点で、それはもう危険なんですよね」
部屋の空気が、少しだけ引き締まる。
「そうだ」
ガランさんは深く頷く。
「“危険だと感じる”のは弱さじゃない。
線の手前で足が止まる感覚だ。それを無視して突っ込むやつほど、仲間を殺す」
視線が、まっすぐこちらに向いた。
「セイ。お前はその“危険だという感覚”を言葉にする役だ。自分の分だけじゃなく、こいつらの分も含めてな」
「……はい」
喉が少し乾く。
けれど、その重さは嫌なものじゃなかった。
「具体的な編成に移る」
ガランさんが紙束をめくる。
「ギルド側からは、《リュミエルの灯》四名とセイ。それに道案内兼護衛として、Cランク二人を付ける予定だ」
「誰です?」
アヤが身を乗り出す。
「バルドとサラだ。森担当の中堅組だし、お前たちとの相性も悪くない」
「あの大盾のおじさん……!」
ミナの顔がぱっと明るくなった。
「心強いですね」
「教会側はリアンに加えて、本部から祈り手を一人。名前はセラ。上流祈律帯周辺の祈律パターンを研究している」
「セラさんが来てくださるんですね」
リアンが驚いたように瞬きをする。
「学院側は今ここにいるレオンと、もう一人。そっちは合流してから説明だ」
紙の最後の一枚を、机の中央に置く。
「出発は三日後。それまでの間は、村の日常依頼をこなしながら、撤退ラインと装備の確認をしておけ。……特にセイ」
「はい」
「お前の“線の見え方”と、“足がどこまで動くか”を、自分で言葉にしておけ。ぶっつけ本番で説明されても、他のやつはついてこられん」
「了解です」
会議は、一旦そこで区切られた。
細かい持ち物リストと日程調整は各自で詰めることになり、俺たちは席を立つ。
階段を下りる途中、アヤがふと足を止め、くるりと振り返った。
どこか言いづらそうに、口を開く。
「……あのさ、ちょっと、変なこと言ってもいい?」
セイが振り向きながら首をかしげる。
「ん? なに?」
アヤは視線を一瞬だけ逸らしてから、ぽつりとつぶやいた。
「セイがBランクで、“撤退判断”も任されてて……その、みんなの“危険”を預かる役って、なんか……変な感じがする、っていうか」
「……変な、ってどういう?」
セイが問い返すと、アヤはすぐに手を振った。
「いや、悪い意味じゃないの。ただ、うまく言えないけど……すごいな、って思うのと、ちょっと不思議なのが混ざってるだけ」
一歩後ろから、ミナが笑って肩をすくめた。
「分かるよ。前で動くのは私たちなのに、一番大事なブレーキはセイが持ってるんだもん。責任重すぎ」
「ブレーキ役か」
コルトがぽつりとつぶやく。
「……加速は誰でもできる。止まるのは、一番難しい」
「それ、今すごくカッコよかった」
ミナが親指を立てる。
セイは、少し照れくさそうに息を吐いた。
「ブレーキ踏み遅れたら、全員クラッシュだもんな。ちゃんと止めるよ」
アヤは、その言葉にほっとしたようにうなずいた。
彼女の表情には、ほんの少しの迷いと、それ以上の信頼が滲んでいた。
「……私、いま預かりで、判断役とか偉そうなこと言えないけど」
「でも、セイがそうやって言ってくれるなら、ちゃんと信じてついていくから」
リアンが静かにセイを見つめ、まっすぐに言った。
「無理だと思ったら、“無理”って言って。セイが止まってくれないと、私たちも止まれないから」
セイは真剣なまなざしを受け止め、静かにうなずいた。
「分かってる」
胸元の水晶タグを指先でつまむ。
その中を流れるマナの線が、仲間たちの言葉と一緒に、静かに揺れた。
夜。
教会の客間に戻り、軽く体を拭いてからベッドに腰を下ろす。
『お疲れさまでした』
リラの声が、いつものように頭の中に響いた。
「会議って、なんであんなに疲れるんだろうな」
『情報量と、責任タグの増加ですね』
「身も蓋もない分析、ありがとう」
『上流予備調査用に、装備リストをひとまとめにして確認しておきましょうか』
意識を集中すると、視界に半透明のウィンドウが次々と現れる。
自分の“マジックボックス”に保存してある地図、メモ帳、予備のマナ灯、ロープ、小分けの保存食。
自分が保存しているもののリストの確認をする。
「それもだけどさ」
ふと、別の案が頭に浮かぶ。
「そろそろ、“俺のほう”の一覧も作ったほうがよくないか?」
『“セイのほう”の一覧?』
「そう。ゲームっぽく言うと──スキル欄」
一拍置いてから、リラがくすりと笑う。
『ついに言いましたね、その単語』
「言いたくもなるだろ。ほら、Bランクタグまで付いちゃったし」
視界の端に、新しい枠がぽん、と生まれる。
そこに、文字が次々と並んでいく。
――《線観察:マナ流・境界・祈りの向き》。
――《危険度評価:0〜10(主観+ログ補正)》。
――《自己流体術:足運び・重心制御》。
――《短剣操作:いなす/軸ずらし優先》。
――《理術:簡易補助(清浄・小規模加速)》。
『大きく分けて、このくらいですね』
「こうやって並べると、案外できること多いな」
『多いですよ。ただし、それぞれに“やってはいけない線”も付けておきましょう』
スキル名の横に、別の欄が現れる。
――《線観察:人前で“見えている”と言いすぎない》。
――《危険度評価:数値を甘くして安心させない》。
――《自己流体術:人前で限界出力を見せない》。
――《短剣操作:殺すためだけの一撃を選ばない》。
――《理術:祈りや魔法の常識から外れすぎない》。
「こっちが、“やっちゃいけない無茶”の一覧か」
『はい。スキル欄というより、“封印ルール一覧”ですね』
「まあ、俺とリラの関係なんて、元々そういうもんだろ」
苦笑しながら、表示を眺める。
どこまでやれるか。どこから先は自分で制限しておくか。
それはそのまま、Aライン、Bライン、Cラインの内訳にもつながっていく。
『セイ』
「ん?」
『今日、ガランさんが言っていた“危険だと感じることは弱さじゃない”って言葉。どう感じました?』
「……ありがたいな、と思った」
ベッドの背にもたれて、天井を見上げる。
「“危険だ”って言う役目を渡されるとさ。
つい、危険に鈍感でいないといけない、みたいに勘違いしそうになる。
でも、あの人は“危険だと感じるために、お前を前に出す”って言ってくれた」
『それは、セイがずっとやってきたことでもあります』
「俺個人の話だけじゃなくて、この村ごと、上流ごと、“どこが危ないか”をちゃんとログに残す役目ってやつだな」
胸元の水晶タグに指を添える。
冷たい金属の感触と、その奥で脈打つ微かな温もり。
「だから俺は、“危険だ”って思ったら、ちゃんと言うよ」
『その言葉を聞くために、一緒に来る人たちがいるわけですね』
「そういうこと」
視界の端で、スキル欄の一番下に、新しい項目が浮かび上がった。
――《役目:撤退判断役。危険だと感じた線を言葉にする人》。
それを確認してから、俺はウィンドウを閉じる。
「さて」
『はい』
「明日は危険度2くらいの仕事を選ぼう。森のほうで」
『上流への足慣らし兼、撤退ラインの練習ですね』
「うん。危険度1の日常を忘れないようにしながら、その先に伸びる線も、少しずつ見ておく」
頭の中の地図で、上流祈律帯へ続く川筋が、細い光の線になって滲む。
Aライン。Bライン。Cライン。
どこまで行けるのか。
どこで、誰のために「ここから先は危険だから帰ろう」と言うのか。
胸元の水晶タグが、静かに光を灯した。




