第22話 水晶の灯りと、村の危険度1
朝の光が、石造りの小さな部屋の窓から差し込んでくる。
教会の客間のベッドの上で、俺は掌の中の薄い板をひっくり返した。
金属の地に、親指の先ほどの小さな水晶が埋め込まれているギルド証。
その水晶が、ほんのわずかに、青白く脈打っていた。
『新しい“名札”、どうですか?』
頭の中で、くすっと笑うリラの声がする。
「名札っていうより、社員証+監視タグだよな、これ」
軽くため息をつきながら、板の縁を指でなぞる。
表面には、ギルドの紋章と俺の名前。
水晶のまわりには、ごく細いマナの線がいくつも絡みついていて──それが、村全体のマナ水晶ネットに繋がっているのが、俺の目にははっきり見えていた。
『位置情報、ランク情報、依頼履歴。今まで紙と人力でやってた部分を、水晶でまとめて扱うためのタグですね』
「要するに、“この人いまどこで何してるか一覧”だろ。……便利だけどさ」
便利だけど、こっちにも事情がある。
「なあリラ。これ、俺がちょっと変な動きをしたら、全部ログに残るんだよな?」
『変な、とは?』
「昨日ガランさんに言われた“撤退判断役として、他のパーティにも口出す”ってやつはいいんだ。問題は、いずれ……その、ちょっと普通じゃない仕事をするとき」
言いながら、自分で苦笑する。
ギリギリの線で前に出る瞬間。
あるいは将来、この村の外縁をまとめて掃除するとき。
どう考えても、普通のD〜Cランク冒険者の移動パターンとは噛み合わない。
『水晶の信号自体はいじれますよ。送る“位置”を、少しだけずらすとか』
「やっぱり出来るのか、そういうの」
『ただし、本気でごまかそうとすると、それはそれで“怪しい波形”になります。ここは、“普段は正直、特別なときだけノイズ多め”くらいの運用が安全ですね』
「普段は真面目に出社、たまにさぼるサラリーマンかよ」
自分で言って、自分で笑う。
向こうの世界で見てきた勤怠システムを思い出して、なんとも言えない気持ちになる。
『昨日の話、覚えてます?』
「どれだ」
『“権利と責任のバランス”ってやつです』
――撤退を判断する役。
あの小さな会議室で、ガランさんに言われた言葉が、頭の中に蘇る。
『Bランクという“権利”をもらった代わりに、セイは「逃げるって言う責任」も、ひとつ上の段に上がりました』
「……だな」
ギルド証の水晶は、権利の印であると同時に、責任のタグでもある。
どこで何をしていたか。
どこで危険度が跳ね上がったか。
あとで誰かが追えるようにしておくための。
「じゃあ、とりあえず今は真面目運用で。変な仕事をするときだけ、ノイズ多め……だな」
『了解です。水晶の出力、通常モードに固定しておきます』
視界の隅に、小さな文字列が浮かぶ。
――ギルドタグ:稼働中。
――危険度スコア:1(村の日常帯)。
昨日、ガランさんと一緒に定義した「危険度1〜10」の目盛り。
その一番下に、今の自分の位置がぽつんと表示されている。
(危険度1、か)
戦場じゃない。
けれど、線を引く練習は、ここから始める。
「よし。行くか」
ベッドから立ち上がり、腰のウエストポーチを軽く叩く。
その奥に繋いであるマジックボックスの一覧を呼び出す。
新しいギルド証は、胸元の革紐に通して首から下げた。
肌に触れるあたりが、ほんのり温かい。
ギルドに入ると、いつもよりざわついていた。
受付前のホール。
掲示板の前で、何人かの冒険者がひそひそ話をしている。
「……あいつ?」
「らしいぞ。昨日の“変異ゴブリンの件”でだとよ」
「Bランク、なあ……まだガキじゃねえか」
視線が、一瞬だけこっちに集まる。
それから、居心地悪そうにそれぞれ散っていった。
(まあ、そりゃそういう反応にもなるか)
少年の見た目でBランク。
俺だって逆の立場なら、眉をひそめる。
『視線の線、ちょっと刺さってますね』
「刺さるくらいならまだいいよ。殴りかかってくる線じゃないし」
掲示板の横で、受付嬢のリーナが手を振った。
「セイくん。おはよう」
「おはようございます」
カウンターに近づくと、リーナがちらりと俺の胸元を見た。
「似合ってるじゃない、Bランクタグ」
「まだ、物理的な重さしか実感がないですけどね」
「そのうち、精神的なほうも重くなるわよ」
さらっと怖いことを言う。
「昨日のうちに、本部からの通達が届いたから。危険度のラベル付けも、少し変わるわ」
リーナが、カウンターの下から紙束を取り出した。
依頼票の端に、小さな数字が追加されている。
「この数字が、セイくん基準の“危険度スコア”。一から十まで」
指先で、とん、と一つの依頼票を叩く。
「たとえばこれ。畑の柵の補修と、野犬の追い払い。危険度1」
「村の日常帯、ですね」
「そう。見習いとEランク中心の練習用。……なんだけど」
リーナは、にこりと笑う。
「今日は特例で、Bランクさんにもお願いしたいわ。“危険度1のお手本”として」
「お手本、ですか」
「セイくんの“撤退ラインの引き方”を、下の子たちに見せるの。ほら、あそこで待ってる二人」
視線の先には、まだ装備も揃っていない若い冒険者が二人。
胸元のタグは、FランクとEランク。
俺を見ると、慌てて直立した。
「き、昨日の……」
「セイさんですよね。お世話になります!」
緊張で声が裏返っている。
肩に走るマナの線も、びくびくと震えていた。
(この震えを、“場数不足の危険”として扱うのが、危険度1〜2なんだよな)
「了解しました。危険度1の線、実地でやりましょう」
俺が答えると、リーナが満足げに頷いた。
「じゃあ、この依頼票ね。畑の場所は村の北側、いつもの麦畑の少し奥。野犬が柵を破って入り込むようになってるらしいから、様子を見てきて」
「分かりました」
依頼票を受け取り、二人の方へ向き直る。
「じゃあ、自己紹介から」
「Fランクのトムです! 弓、まだまだ練習中です!」
「Eランクのナナです。回復は、まだ簡単なやつしか……」
二人のマナの流れが、名前と一緒に頭の中に入ってくる。
細くて折れやすそうだが、ちゃんとした芯はある。
「俺はセイ。ギルドの公式な役目は“撤退を判断する役”。
今日の目標は、野犬を倒すことじゃなくて、“危険度1を体で覚えること”だ」
「危険度1……」
「怪我しないで帰るための、一番下の線。だけど、ここを雑に扱うと、上の数字が全部ズレる」
俺は、掲示板の端に貼られた小さな紙を指さした。
昨日の会議で決めた「危険度スコアの説明」が簡単に書いてある。
「危険度3や4の仕事に行くとき、“1や2の感覚”が基準になる。だから、今日は“日常の危険”をちゃんと見る練習をしよう」
二人は真剣な顔で頷いた。
『いいですね。下からちゃんと積み上げるのは、大事です』
(上だけ見てると、足元すくわれるからな)
「じゃあ、出発しよう。歩きながら説明する」
村の北側の道は、いつもどおりのんびりしていた。
畑の間の土の道。
麦の穂が、風に揺れてざわざわと音を立てている。
「まずは、一歩目」
俺はわざと足元を見下ろした。
「危険度1の仕事でも、転んだら骨折、は普通にあり得る。だから、“どこに足を置くか”をちゃんと選ぶ」
左足を半歩だけ前に出し、固く踏み固められた土を踏む。
右足は、その少し後ろ。
重心は、前に倒れすぎないように、腰のあたりで止める。
「こうやって、“すぐ戻せる一歩”を基本にしておく。前に出るのはいつでもできるから」
トムとナナも真似をしながら歩き始める。
「えっと……こう、ですか?」
「右に力入りすぎてる。もう少し真ん中に」
視界の中で、二人のマナの線と足の運びを重ね合わせていく。
少しずつ、ぶれが収まってきた。
『危険度1でも、膝を壊したら即戦線離脱ですしね』
(そうそう。日常の怪我ほど、バカにならない)
畑の端まで来ると、問題の柵が見えてきた。
木の杭が数本、斜めに倒れかけている。
その根元には、泥のついた足跡。
人間のものより一回り大きく、指がはっきりと分かれている。
「野犬、ですね」
ナナが息を呑んだ。
「怖……」
「“怖い”じゃなくて、“危険”なポイントを探そう」
俺は、あえて言葉を遮る。
「野犬そのものは、危険度1〜2だ。
でも、状況によっては3にも4にも跳ね上がる」
「状況……?」
「たとえば、足場がぬかるんでいる場所。退路が細い場所。すぐ後ろに崖や用水路がある場所」
柵の向こうの地面を見る。
ぬかるみ、傾斜、隠れた穴。
線の濃さで、それぞれの危険度が見える。
「今日は、“危険度1の中の一番危ないところ”だけ、印をつける」
腰から短い棒を取り出し、土に×印を描いていく。
「ここに立ったら危ない。ここはまだ大丈夫。……って、ひとつずつ確認する」
トムとナナも、それぞれ棒を持って真似をする。
「犬が来たとき、この×の上には絶対に立たない。それだけで危険度はひとつ下がる」
「は、はい!」
『セイ、右奥。草むらの中、線が動きました』
(了解)
俺は視線だけで右奥を示した。
「トム、あの草むら。弓、つがえておいて」
「えっ、もうですか?」
「“危険度1だからのんびり構える”んじゃなくて、“危険度1だから、準備に余裕があるうちに構える”だ」
トムは慌てて矢をつがえ、弓を半分だけ引いた状態で構える。
指の震えがマナの線に伝わっている。
「ナナは、一歩下がって。
俺の後ろ、柵と平行になる位置」
「はい」
配置が整った瞬間、草むらの中から気配が飛び出した。
茶色い影。
牙の白い線。
前足の筋肉が、地面を蹴るライン。
(速さは……これなら)
俺は半歩だけ前に出た。
右足を、固い地面の上にすべらせるように送る。
左足は、すぐ後ろに“戻るための場所”を残して。
犬の突進の線が、俺の腰のあたりを狙ってまっすぐ伸びてくる。
その線の少し外側に、自分の体を沿わせるイメージで、上体だけを左にひねる。
すれ違いざま、掌で犬の肩を押す。
力をぶつけるんじゃなくて、線をずらすように。
犬の体は、俺の真横を通り過ぎて、柵の内側のふかふかした土へ滑り込んだ。
ドサッ。
砂埃が舞う。
「ひっ……!」
「大丈夫。ここで止まるようにしてあるから」
俺は、自分の足の位置をトムとナナに見せた。
「今の一歩が、“危険度1の線”。俺が前に出たのは、犬を止めるためじゃなくて、“野犬が村人に突っ込む線”を曲げるためだ」
犬は、体勢を立て直しながら、低く唸った。
牙を剥き、こちらを威嚇している。
でも、その後ろには用水路も崖もない。
逃げる場所も、ぐるっと回り込むルートもある。
危険度スコアが、視界の隅で「1→2→1」と揺れた。
『野犬個体の興奮値、少し上がりましたけど、致命的な線には届いてません』
(よし)
「トム。今の犬の“逃げ道”見えるか?」
「えっと……右に逃げて、畑の外に出られそうです」
「そう。だから、矢は“殺すためじゃなくて、その逃げ道を広げるため”に撃つ」
「広げるため……?」
「犬の前に、地面に土を跳ね上げるように。“こっちは嫌だな”って思わせる線を作る」
トムは真剣な顔で頷き、弓を引いた。
矢が放たれ、犬の少し前の地面に突き刺さる。
土が跳ね、犬がびくっと後ずさる。
次の瞬間、犬は逃げ道のほうへ向き直り、尻尾を巻いて走り去った。
危険度スコアが、完全に「1」に戻る。
「……やった、んですか?」
ナナが、おそるおそる尋ねた。
「“勝った”んじゃなくて、“帰ってもらった”だな。でも、危険度1の仕事なら、それで十分だ」
俺は肩の力を抜き、二人のほうを向いた。
「今のが、危険度1〜2のラインの使い方。“倒す線”じゃなくて、“戻る線を崩さないための一歩”」
トムは、自分の足元を見て、小さく笑った。
「さっきまで、ただの畑だと思ってました。でも、ちゃんと見たら……危ないところ、いっぱいあるんですね」
「それが分かれば、危険度3でも4でも、少しはマシになる」
俺は、倒れかけた柵を見上げた。
「じゃあ、あとは補修だ。危険度スコアは“0.5”くらいまで下げて帰ろう」
「0.5なんてあるんですか?」
「俺の中ではある」
冗談めかして言うと、二人が笑った。
◇
柵の補修を終え、壊れた板や石をマジックボックスにしまう。
麦束を数抱え分だけ預かって、村へ戻る。
ギルドでの報告は、いつもどおり簡潔だった。
「野犬一頭。負傷なし。柵の補修完了。危険度は“1→2→1→0.5”くらいの推移です」
「0.5はセイくんの勝手な目盛りね?」
リーナが笑いながら、報告書にさらさらとペンを走らせる。
「でもまあ、概ね“村の日常”の範囲内ってことで、支部長には通しておくわ」
隣で待っていたトムとナナが、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「またご一緒できたら、お願いします!」
「今度は危険度2くらいの仕事で会おう」
そう返すと、二人は目を丸くしてから、嬉しそうに笑った。
ホールを離れようとしたとき、掲示板の一角が目に入った。
新しい依頼票。
その端には、まだ見慣れない数字。
――危険度6(予定)。
――対象:上流祈律帯・黒膜調査。
――参加条件:Cランク以上推奨、一部Bランク帯の支援者。
(……来たか)
紙の端には、ガランさんの字で小さくメモがある。
――詳細は後日説明。
――“危険になったら帰る”を最初から合意すること。
『上流祈律帯の予備調査ですね』
(ああ)
胸元の水晶タグが、微かに熱を帯びる。
たぶん気のせいだ。
けれど、そう感じるくらいには、これからの線は重い。
『さっきの危険度1の仕事、どうでした?』
「地味だけど、必要な線だよ」
俺は、掲示板から目を離さずに答える。
「危険度1を雑に扱うやつに、6や7の場所を歩かせたくない。だからこそ、今日みたいな日常で、ちゃんと足元を見る癖をつける」
『セイ自身も、ですね』
「もちろん」
足元を見る癖をやめた瞬間。
線は、あっという間に10まで跳ね上がる。
村の麦畑。
教会の白い壁。
ギルドの木の扉。
全部が、“危険度1の世界”の中にある。
そこを守れないやつに、上流の黒い膜に触る資格はない。
「さあ、リラ」
『はい』
「危険度1のログ、まとめておこうか。──ここから先、基準になるやつだから」
視界の隅で、水晶タグの光がひときわ強く瞬いた。




