第20話 怖いの意味と、報告の席
ギルドの扉をくぐった瞬間、汗と血と、乾いた土の匂いが一気に現実に戻ってくる。
受付の前をそのまま通り過ぎて、奥の扉へ。
アヤ、コルト、ミナも、無言であとをついてきていた。
腰のマジックボックスは、外から見ればただの小さな鞄だ。
けれど中には——さっきまで森の窪地に転がっていた、変異ゴブリンたちの死体が詰まっている。
(……重さは変わらないのにな)
指先で鞄の縁をなぞる。
重く感じるのは、重力じゃなくて中身のほうだ。
「入れ」
いつもの低い声が、扉の向こうから聞こえた。
小さな会議室。
机の上には村周辺の地図と、数枚の書類。
俺たち四人は並んで座り、ガランさんだけが立ったまま、机に片手を置いていた。
「まずは事実の確認からだ」
視線が、順番に俺たちをなぞる。
「今日の依頼内容は何だった?」
「……村の東側の森周辺に出る、通常魔物の討伐と、濁りの有無の確認です」
答えたのはアヤだった。声はいつもより少し低い。
「『森の外縁から、灯籠の光がぎりぎり届くあたりまで。濁りが濃い場所には入らない』」
ガランさんは書類を一枚持ち上げ、そこに書かれた文言を読み上げる。
「この条件で、間違いないな」
「……はい」
「じゃあ、“実際に行った場所”は?」
部屋の空気が、そこで少し重くなる。
アヤが口を開きかけて——止まった。
「アヤ」
コルトが、小さく名前を呼ぶ。
「言う。……言うから」
アヤは息を吸い込み、まっすぐ前を向いた。
「森の外縁で、魔物の群れをいくつか倒しました。
本来なら、その時点で一度戻るべきだったと思います」
言葉を選ぶように、短い間が空く。
「でも、前回の調査で何も成果を持ち帰れなかったことが、どうしても引っかかっていて。
『自分なら、もう一歩先まで見に行けるはずだ』って、そう思って……」
ミナが、膝の上で指をぎゅっと握る。
コルトは視線を落としたままだ。
「二人は、『危ないなら引き返そう』って言ってくれました。
でも私は、“大丈夫、行ける”と決めてしまいました。
森の奥、濁りの濃い場所まで」
「その結果が、さっきの窮地、か」
ガランさんの声は、怒鳴り声ではない。
淡々とした確認の声。そのぶん、胸に刺さる。
「はい。
変異したゴブリンキングと、変異ホブゴブリンに挟まれて……
セイが来なければ、全滅していたと思います」
そこまで言ってから、アヤは深く頭を下げた。
「私の判断が原因です。
撤退ラインを踏み越えたまま、仲間を危険な場所に連れていってしまいました」
短い沈黙。
紙が擦れる音だけが、やけに大きく聞こえる。
「ミナ」
ガランさんが、視線を向ける。
「今の説明で違うところはあるか」
「……ないです。
止めきれなかったのは、私の弱さです」
「コルトは」
「同じだ。
“引き返したほうがいい”って言葉を、最後まで口にしなかった」
コルトは拳を握りながら、短く言う。
「でも、“最後に決めた”のはアヤだ」
「そうか」
ガランさんは、一度だけうなずくと、今度は俺を見る。
「セイ。お前のほうからも、簡単に状況を説明してくれ」
「はい」
俺は、なるべく順番だけを追って話す。
川沿い調査の途中で見つけたゴブリン集落。
単独での討伐。
濁りの混ざった水の採取。
それから——ヒトリで見つけた、森の中の三人の姿。
「アヤさんたちの周りには、変異ゴブリンキング一体と、変異ホブゴブリン三体。
足場は袋小路。アヤさんは足を負傷していて……」
崖の形と高さ、敵の位置、アヤたちの消耗。
「そのまま“自力で撤退に切り替える時間”は、もう残っていないと判断しました。
だから、自分が前に出て、変異キングとホブ三体を優先して倒しました」
「……よし」
ガランさんは、そこでようやく椅子に腰を下ろした。
「少なくとも一つ、はっきりしているのは——
今日の《リュミエルの灯》は、自分たちだけでは“勝っていない”ってことだ」
アヤが、びくりと肩を震わせる。
「生きて戻ってきたのは、セイが線を飛び越えてくれたからだ。
それを“ぎりぎり勝てた”みたいに勘違いしたら、次は本当に全員墓場行きだぞ」
「……はい」
アヤの声は、小さくてもはっきりしていた。
「まず、この結果については、お前の上にも報告する」
「上」という言葉に、アヤの背筋がわずかに強張る。
「アヤ。お前の立場は分かってる。
ここでの行動は、ただの一パーティのミスじゃ済まない。
だからこそ、『自分の判断でした』ってきちんと書類に残す」
「……逃げません」
アヤは顔を上げた。
目の縁は赤いが、その瞳はまっすぐだ。
「今回、森の奥に入ろうと言い出したのは私です。
前回の調査で撤退したことが悔しくて、
“自分なら結果を出せる”と思って——仲間を危険な場所に入れてしまいました。
セイが来なければ全滅していただろうと、反省しています」
「よし」
ガランさんは、小さく息を吐いた。
「勘違いすんなよ。
“前に出たい”気持ちそのものは悪くない。
リーダーが臆病すぎても、それはそれでパーティは死ぬ」
「……」
「でもな。
“自分なら行ける”を、そのまま“みんなも行ける”にすり替えたら、それはただの独りよがりだ。
お前が前に立つ役なら、“自分の足”だけじゃなく、“後ろの足”も見てやれ」
アヤは、ぎゅっと拳を握る。
「……はい」
「今日のところは、それでいい。
この続きは、また改めて《灯》の中でも話し合え」
そこまで言ってから、ガランさんは手を打った。
「よし、《リュミエルの灯》の三人はひとまず解散だ。
報告書は今日中にまとめて出しとけ。詳細確認は後でやる」
「「「はい!」」」
三人は立ち上がり、順番に頭を下げてから部屋を出ていく。
扉が閉まる音を聞いてから、ガランさんはようやく深く息を吐いた。
「……セイ。お前は残れ」
「はい」
二人きりになった会議室は、さっきまでより少しだけ空気が柔らかい。
「まずはこっちも礼を言っとくか」
ガランさんは口の端を上げた。
「助かった。
あそこでお前が動かなきゃ、あいつらの線は切れてた」
「……俺も、自分の線をだいぶ超えましたけどね」
「それでも戻ってきた。それが今は一番大事だ」
そう言ってから、彼は机の横の布袋を顎でしゃくる。
「で、その鞄の中身だが」
「ああ、はい」
俺はマジックボックスにそっと手を置く。
(リラ。ギルドの裏庭に移す扱いで、搬出モード)
『了解。運搬リスト、表示します』
視界の端に、討伐したオークやゴブリンたちの一覧が流れる。
「さっきの変異キング一体と変異ホブ三体。
それから、川沿いで倒したゴブリンとホブ、キングの死体も、まとめて入れてあります。
濁りの研究用に使えそうだと、教会と話をしてきました」
「ふむ。全部で……かなりの数だな」
ガランさんは眉を上げる。
「裏庭に荷車を用意してある。
ここで一回、全部布で包んで積む。匂いで村人を驚かせたくねえ」
「了解です」
◇
裏庭には、大きめの荷車が一台、待っていた。
荷台の上には、厚手の麻布が何重にも敷かれている。
(ここでボックスから出して、荷車に載せ替え、っと)
俺はマジックボックスを開き、死体を一体ずつ布の上に移していく。
ギルドの職員が、慣れた手つきで布をかけ、縄でしっかりと縛っていく。
「村の中を運ぶのはこの荷車。
ボックスの中身は“教会で授かった加護の荷物”ってことにしてあるからな。
あんまり派手に見せびらかすなよ」
「分かってます」
『運搬ルート:ギルド倉庫→教会地下保管庫→王都研究班。仮ルート設定完了』
(ログは任せた)
『はい』
すべて積み終えたところで、荷車が軋みながら動き出す。
布の下の重さが、ゆっくりと遠ざかっていく。
会議室に戻ると、机の上の地図は北側に向きが変えられていた。
「さっきの報告で出てきた“祠みたいなもの”の話を、詳しく聞かせろ」
「はい」
俺は指で、川上のほうをなぞる。
「危険地点Aから少し上流側。
森のほうへ分かれていく細い支流の近くに、小さな建物の影が見えました。
形は祠に似てますけど——」
『周囲の祈律帯パターンと合致しません。
“祈りで守っている場所”というより、“何かを閉じ込めている塊”に近い波形です』
胸の奥でリラが続ける。
「リラも『祈りの流れが変だ』と言っていて。
このまま放っておくと、森側の獣や魔物がどんどんおかしくなっていく気がします」
「……ふむ」
ガランさんは顎をさすり、しばらく地図を睨むように見つめた。
「上流祈律帯の予備調査を、前倒しでやるかもしれんな」
「予備調査、ですか」
「教会、学院、それに《灯》をまとめて動かすには準備がいる。
いきなり本隊を出すわけにもいかねえ。
だから……そうだな」
川筋に沿って、指でいくつか印を打つ。
「川上に向かって、Aライン、Bライン、Cラインくらい引いておいて、
“このラインを越えて危険だと感じたら、迷わず戻る”って、最初から決めて出発する」
(……俺がいつもやってるやつの、大人数版か)
『提案案、採用です。やりましたね、セイ』
(いや、まだ決まってないから)
「日程とメンツはこっちで詰める。
そのときは、お前には“撤退を判断する役”として同行してもらうことになるだろう」
「……はい」
上流。
黒い膜が川面を覆うという祈律帯の、さらに奥。
想像しただけで、足首を冷たい水に掴まれたみたいな感覚が走る。
それでも——放っておけば、今日みたいな変異体が“珍しくない”世界になる。
『心拍数、微増。危険度スコア、仮設定6』
(ログだけ残しといてくれ)
『了解』
「それと、セイ」
ガランさんの声が、少しだけ真面目な色を増す。
「今日の件で、ひとつ方針を変える」
「方針……?」
「これまで、“原則戦闘禁止。命が落ちる瞬間だけ例外”って線でやってきたな」
「はい」
「あれはあれで間違っちゃいないが……今日みたいに、
“お前が前に出なきゃ全員が危険ラインを越える”場面が出てきた」
机の上で、彼の指が二度、軽く鳴る。
「今後は、そこを正式に例外扱いにする。
撤退役であることは変わらんが——
“お前の判断で前に出たほうが、結果的に全員の生存率が上がる”瞬間だけは、
倒すための一撃も許可する」
「……それは、その……ありがとうございます」
胸のどこかで重かったものが、少し形を変える。
完全禁止ではなく、「守るための例外」が線として引き直された。
「その代わり、その線を越えたときは必ず報告しろ。
“勝手にやる英雄行為”にはさせねえ」
「了解です」
「それと、ランクの話だが」
ガランさんは、少しだけ苦笑する。
「このまま“教会預かりの少年Dランク”にしとくには、お前の仕事が目立ちすぎる。
撤退判断で他のDランクに口を出す場面も増えてきたろう。
中には、気に入らねえ顔をするやつもいる」
(まあ、いるよな……)
「だから、王都本部に報告を上げておく。
今日の濁り討伐と合わせて、“権利と責任のバランスを整えるためのランクアップ”ってことでな。
すぐにBランクとまではいかんかもしれんが、その方向で検討させる」
つまり、撤退の線を引く権限を、きちんと肩書きでも支えるってことだ。
『これで、セイの判断に逆らうDランクがいても、“ランク差”で押し切りやすくなりますね』
(押し切るって言い方やめろ)
「今日はひとまず解散だ。
《灯》の連中も、明日は全休にする。
お前も、教会で大人しく寝てろ」
「了解です」
ギルドを出ると、外はすっかり薄暗くなっていた。
石畳の上に、オレンジ色の灯りが細く伸びている。
その先、壁にもたれている影がひとつ。
「……待ってたんですか」
アヤだった。
鎧は外しているが、右足にはまだ包帯が巻かれている。
軽く引きずりながら、こっちに歩み寄ってきた。
「さっきの部屋じゃ、ちゃんと話せなかったから」
いつもの勝ち気な笑みは、今日は影を潜めている。
俺は一度息を吸ってから、口を開いた。
「アヤ。先に、俺からひとつ聞いてもいいですか」
「……なに?」
「怖いとは何だと想いますか」
アヤが瞬きをした。
少しだけ目を伏せてから、ゆっくりと言葉を探す。
「……私はね、“自分が止まってしまうこと”だと思ってた。
立場もあるし、前に進まなきゃいけないのに、足がすくんで動けなくなること。
だから、怖くても一歩前に出るのが正しいって、ずっと思ってた」
「なるほど」
それはそれで、アヤらしい。
だからこそ、ここからが本題だ。
「俺はね。仲間がいなくなることが、一番怖い」
アヤが、顔を上げる。
「自分を攻撃してくるものに対しては、自分の判断で逃げることが可能だと想います。
逃げるかどうかは、自分一人で決められる。
でも仲間が一緒にいると、それが出来ないんです」
言葉を区切りながら、ゆっくりと続ける。
「誰かを置いて、自分だけ安全な場所に戻る線は、どうしても選べない。
だから俺は、“怖い”って感情を、押しつぶすものじゃなくて、
『ここから先は本当に危険だ』って知らせてくれる合図として扱いたいんです」
アヤは黙って聞いていた。
悔しそうでもあり、どこかほっとしているようでもある顔だ。
「アヤは、それを勘違いしているのだと思いますよ」
「……勘違い?」
「“怖くても前に出るのが正しいリーダーだ”って思いすぎている。
自分の欲求を満足させる事を優先する限り、人の上に立つリーダには向いていないと、俺は思います」
言いながら、自分でも少しきつい言い方だとは思う。
それでも、ここはぼかさないほうがいい。
「もちろん、“結果を出したい”“自分ならやれる”って気持ち自体は悪くない。
でもリーダーがまず考えるのは——
その場にいる仲間がどう感じているかを察知して、何が必要かを汲み取ることです。
誰がどこまで動けるのか。
どこまで行ったら、本当に命に関わる危険になるのか。
何を削って、何を残せば“全員で戻れる線”を守れるのか」
アヤは、拳をぎゅっと握ったまま、しばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「……耳が、すごく痛い」
「俺もガランさんに似たようなこと言われてるので、おあいこです」
そう言うと、アヤがほんの少しだけ笑った。
ほんの欠片みたいな笑いだけど、さっきまでよりずっとマシな表情だ。
「今日の私は、“怖さ”をうまく合図として使えてなかった。
危ないって感じたのに、“ここで結果を出せば全部チャラになる”って思っちゃった」
「それが、一番危ないやつです」
「……うん」
短く頷いてから、アヤは深く頭を下げた。
「助けてくれて、ありがとう。
それから、ごめんなさい。
私の“やれるはず”に、みんなを巻き込んだ」
「謝るのは一回でいいですよ」
俺も軽く頭を下げる。
「その代わり、次に同じ線を見たときにどう引き直すか、一緒に考えましょう。
“怖いから止まる”じゃなくて、“危険だから戻る”って言えるように」
アヤは、今度は真っすぐな目で俺を見て、うなずいた。
「……はい」
村の灯りへ伸びる道と、俺たちの足が向かう線が、
さっきより少しまっすぐになった気がした。
教会に戻り、自分の部屋の扉を閉める。
ベッドに腰を下ろした瞬間、胸の奥でふわりとウィンドウが開いた。
『本日のログ、まとめますか?』
(頼む)
『危険イベント一覧:
・東の森外縁→森内部への進入(《リュミエルの灯》)
・変異ゴブリンキング+変異ホブゴブリン三体との遭遇
・アヤの足の負傷による撤退困難化
・セイによる前線突入と討伐
・上流祈律帯近くの祠らしき構造物の発見』
「……盛りだくさんだな」
『はい。
それから、“怖いと感じた瞬間”、いえ、“危険だと判断した瞬間”のログも多めです』
(そこ、まとめておいてくれ。今後の撤退ライン引き直すときの参考にしたい)
『了解』
少し間を置いて、リラが続ける。
『それと、魔法関連の研究リストを更新したいのですが』
(ああ、その話も今日しようと思ってた)
俺は窓の外の暗がりを眺めながら、言葉を続ける。
(今日みたいな場面で、俺が前衛まで出なくて済むようにしたい。
だから——後方からの攻撃魔法と援護魔法、それから召喚系。
あの辺を、少しずつ使えるようにしたい)
『後方支援の火力と防御の底上げ、ですね』
(そう。
俺が刃を振るわなくても済む線を増やしたい。
それでもダメなときだけ、今日みたいに前に出る)
『了解。ギルドのマナ水晶ネットワークから【祈り】【魔法】【錬金】【召喚】【濁り】の基礎データを集めておきます。明日以降、単独討伐の合間にテストを挟みましょう』
(しばらくは、村周辺の単独調査と討伐だな)
村の近場での小さな依頼をこなしながら、
少しずつ、支援と召喚の「線」を増やしていく。
『その間に、ガランさんは王都本部への報告と、セイのランクアップ申請をまとめるでしょう。
“撤退判断役としての権限”も、少しずつ整っていくはずです』
(立場が変わっても、やることは一つだよ)
今日の森の光景が、もう一度頭に浮かぶ。
崖の上から見た三人の背中。
飛んだ首。
黒い血。
そして、村の灯り。
(仲間を置いて逃げない。そのために線を引く)
胸の奥で、ゆっくりとその言葉を繰り返す。
『はい。明日も、“戻れる線”から確認していきましょう』
(頼んだよ、相棒)
小さく笑ってから、俺はベッドに体を横たえた。
明日からまた、村と川と森の線を、一本ずつ確かめていくために。




