第12話 暮らしを運ぶ線
村の灯籠の光がすっかり弱まった頃、俺たちの話し合いは一区切りついた。
ギルドの小さな会議室を出て、冷たい夜気を胸いっぱいに吸い込む。
『お疲れさまでした、セイ』
(……胃がキリキリするタイプの疲れだったな)
冗談半分、本音半分で返しながら、教会への坂道を歩く。
肩の上で、小さな光の鳥――ヒトリが、ちょん、と一度だけ頭を下げてから、ふわりと胸の奥へ戻っていった。
運搬の加護。
小さな鳥。
そして、撤退を判断する役。
自分の周りに新しく結ばれた線が、まだ肌に馴染みきらないまま、夜は静かに更けていった。
翌朝。
教会の小さな鐘が鳴るより少し早く、目が覚めた。
窓の外は、まだ青みの強い朝の色だ。
『早起きですね』
「……今日は、“運搬の祝福付きDランク”としての初仕事だからな」
自分で口にしてみて、むず痒くなる肩書きだ。
ベッドの上で上体を起こしながら、胸のあたりの重さを確かめる。
昨日までは、「撤退を判断する役」の重さだけだった。
今日はそこに、「荷物と暮らしを運ぶ役目」という線が一本足されている。
『筋肉疲労、理層側の負荷ともに、問題ありません。本日の推奨行動範囲、ギルド周辺〜村外縁の畑まで』
「つまり、“あんまり遠出はするな”ってことだな」
『はい。初日の実地運用としては妥当です』
リラの落ち着いた声に、俺も小さく頷く。
《清浄》で寝汗を落とし、服を整え、木札を首から提げる。
札の向こう、理層に浮かぶデータの線が、昨日とは少し違って見えた。
Dランク、それから特記事項の欄に光る、新しい記述。
――《運搬の祝福:荷物のみ》。
「……よし」
ひとつ息を吐いて、俺は部屋を出た。
ギルドの扉を押し開けると、朝特有のざわめきが迎えてくれた。
依頼票の前で言い合う若い冒険者たち。
カウンターで帳簿をめくる受付の人。
奥からは、解体場の方へ向かうヒューゴたちの足音も聞こえる。
「おはようございます」
「おはよう、セイ君」
受付の女性が、いつもの仕事用の笑顔で顔を上げる。
昨日と違うのは、その視線が俺の木札に一瞬だけ落ちる時間が、少し長くなったことだ。
「ちょうどよかったわ。ガランさんから、君への“おすすめ依頼”が来てるの」
「おすすめ……?」
受付台の端に置かれた紙束から、一枚が抜き出される。
淡い茶色の紙に、くっきりとした文字。
【畑の柵補修と野猪対策】
依頼主:村外縁・西側畑の農家数名
推奨ランク:E〜D(1〜2名)
備考:収穫物・資材の運搬歓迎/濁りの兆候なし(教会確認済み)
『リスク低めの実戦運搬テスト案件、ですね』
(そんな便利な分類名が頭の中で出てくるのお前だけだよ)
心の中でツッコみながら、紙を読み進める。
「最近、野猪が柵を壊して畑に入ることが増えててね。魔物ってほどじゃないけど、力も速さもあるから、村人だけで対処するにはちょっと危ないの」
受付の女性が、説明を添えてくれる。
「セイ君の“運搬の祝福”があれば、折れた柵材や石なんかもまとめて持って帰れるし……なにより、畑の人たちの避難線を見てもらえると助かる、って」
「避難線」
その言葉に、胸の奥がかすかに反応する。
撤退を判断する役。
それは、本来《リュミエルの灯》と一緒に外縁へ出るときの役目だ。
でも――。
『線の引き方自体は、日常依頼にも応用できます』
(……そうだな)
命の線は、森の奥だけにあるわけじゃない。
村の畑にも、家の中にも、ちゃんと引いておく必要がある。
「受けます」
俺は依頼票に手を伸ばし、名前を書く。
受付の女性が、少しだけ安堵したように微笑んだ。
「じゃあ、これが依頼主の場所の地図ね。西側の畑だから、村の灯籠の円からはあまり離れないはずよ」
「はい」
『灯籠の光の届く範囲なら、濁りの危険度も低いですね』
(油断はしないけどな)
木札を軽く握りしめて、俺はギルドを後にした。
◇
西側の畑へ向かう道は、南側灯籠へ続く道よりも、さらに穏やかだった。
低い丘と畑の間を抜ける土の道。
朝の光を受けて、麦の若い芽が一面に淡い緑の線を引いている。
『マナの流れ、確認します』
リラの声に合わせて、視界の端に半透明の地図が重なる。
村を囲む灯籠の円から伸びる光の筋。
西側の畑のあたりは、淡い光が素直に広がっているだけだ。
『濁りの反応、周辺に異常なし。野生動物由来の微細なマナ乱れのみ』
「つまり、“普通のイノシシ”ってことか」
『はい。……ただし、“普通”でも質量はありますので』
「分かってるって」
笑いながら答えたところで、道の先に数人の姿が見えてきた。
太い腕の農夫と、その家族らしい若い男女。
皆、腰に簡単な棒や作業用の鎌を提げている。
「ギルドさんかい?」
「はい。エルディア村ギルド所属、セイです。今日は、お世話になります」
頭を下げると、農夫が「おお」と目を丸くした。
「まだ子どもじゃないかと思ったら……Dランク様だと?」
「“様”はやめてください」
思わず、ミナと同じようなツッコみ方が口から出る。
農夫が豪快に笑った。
「悪い悪い。ガランの奴が、“線を見て危ない場所を教えてくれる子だ”って自慢しててな」
(……ガランさん)
『人気者ですね』
(だから、そのまとめ方やめろって)
内側にツッコみを返しつつ、俺は畑の方を見回した。
土の上の足跡。
柵の一部が内側へ倒れている場所。
地面には、土をえぐったような筋が幾つも走っていた。
『このあたりの線は、動物の通り道に近いですね』
(だよな)
俺は一歩だけ前に出て、倒れた柵と足跡の位置関係を確認する。
右足を半歩前に出し、重心をそこに乗せる。
視線を低くして、地面の線を追う。
畑の外側から斜めに入ってきて、柵を押し倒し、そのまま畑の中を突っ切る線。
太くて荒い一筋が、はっきりと見えた。
「ここを、ひとつ“境目”にしたいです」
「境目?」
「はい。ここから畑側は、野猪が暴れても“下がるだけ”のラインにしましょう。
こっち――畑の外側は、逃げるための道を確保しておく」
俺は後ろへ半歩下がり、畑と道の間のスペースを指さす。
「もし野猪が来たら、全員ここまで下がる。俺が前で“いなす”ので、その間にもっと後ろへ下がってください」
「……野猪を斬ったりは?」
「状況次第です。でも、基本は“追い払うだけ”で行きたいです。
ここは村の中ですし、血の匂いを残しすぎるのも良くないので」
農夫たちが顔を見合わせる。
少ししてから、一番年長らしい男が頷いた。
「分かった。じゃあ、素人は勝手に前に出ないで、あんたの“撤退判断”に従う」
「ありがとうございます」
胸の奥で、何かが小さく音を立てて噛み合う。
森の外縁だけじゃない。
村の畑にも、“戻るライン”は必要だ。
『撤退ライン、西側畑・第一線、記録しました』
(頼む)
リラとのやり取りを終えて、俺たちは柵の補修に取りかかった。
壊れた柵板を外し、支柱を立て直す。
農夫たちが汗を拭いながら、重い木材を運ぼうとしたところで、俺は軽く手を上げた。
「それ、まとめて預かります」
「ん?」
「ええと、ちょっと変な光景になるかもしれませんが……」
腰のポーチに手を添え、意識を少しだけ向ける。
(柵板、五枚。支柱、三本。固定具いくつか。お願い)
『了解。輸送枠、開きます』
視界の端で、細い光の線がポーチに集まる。
次の瞬間、農夫の足元に置かれていた木材が、すっと消えた。
「……おお?」
全員の視線が、ポーチと空になった地面の間を行き来する。
俺は、あらかじめ決めておいた説明どおりに言葉を重ねた。
「“運搬の祝福”で、一時的に預かりました。
帰りにギルド近くの資材置き場まで運んでから、お返しします」
「そんな便利な……」
農夫のひとりが、呆れ半分、感心半分の声を漏らす。
その隣で、若い男がぽつりと呟いた。
「これなら、折れた柵材もまとめて売りに出せるな……」
『依頼主の生活線に、少し余裕が生まれますね』
(そういう言い方は、ちょっと好きだ)
肩の力が、ほんの少しだけ抜ける。
柵の補修そのものは地味な作業だ。
でも、壊れた板を外すとき、立て直した支柱に縄を巻くとき、俺の視界には、村の暮らしを形にする線がいくつも重なって見えていた。
畑から家への線。
家からギルドへの線。
そこに、俺の運搬と撤退の線が、細く繋がっていく。
それは、午前の作業が終わる少し前だった。
「セイ!」
畑の端で補修用の縄をまとめていた若い男が、短く叫ぶ。
振り向くと、遠くの林の影から、土煙がひとつ上がっていた。
『接近物体。質量大。速度、上昇中』
(来たか)
俺は左足を一歩後ろに引き、重心を落とす。
視界の端に、黒くはないけれど、太い“動きの線”が走った。
畑の外側から、まっすぐこちらへ向かってくる一筋。
野猪だ。
「全員、さっき決めたラインまで下がってください!」
声が、思ったよりよく通った。
農夫たちは反射的に道側へと後退する。
俺は、倒れかけのまま残しておいた支柱の一本へ向かって、一歩前に出た。
右足を半歩前に。
その少し外側に、野猪の進路が見える位置を取る。
(正面から止めるな。流す)
頭の中で、動きの順番を組み立てる。
――一歩、斜め前へ。
――肩でぶつからず、手のひらで“線”だけをずらす。
――勢いを、用水路の方へ逃がす。
『野猪、突進モーション入りました』
(了解)
土煙の向こうから、灰色の体毛と白い牙が飛び出してくる。
太い前脚が地面を蹴るたび、土がはね、線が一点に収束してくる。
俺は右足を斜め前に一歩。
重心をその足に乗せる。
左足は、逃げ道を確保するために一歩分後ろへ。
野猪の体が目の前に迫った瞬間、俺は上体を少しだけ左へ傾けた。
右手を前に出し、額と背中の中間あたり――“線”が最も素直に流れそうな場所へ手のひらを添える。
「っ――」
骨に響くような重さ。
でも、十代の体とリラの調整が、その衝撃をうまく流してくれる。
右足から左足へ、重心を滑らせる。
野猪の体を、真正面ではなく、用水路の方向へ押し流すイメージで足を運ぶ。
ドボン、と鈍い音がして、野猪の体が浅い用水路へ転がり込んだ。
水しぶきが上がり、畑の土が少しだけ濡れる。
『速度、急減速。骨折等の反応なし。軽い打撲レベルです』
(よし)
用水路から顔だけ出した野猪が、びっくりしたように鼻を鳴らす。
しばらく足掻いたあと、反対側の土手をよじ登り、そのまま林の方へ逃げていった。
背中に汗がにじむ。
さっきまでの重心の移動と、衝撃の流れ方を、頭の中でもう一度なぞる。
――あそこで右足をもう半歩前に出していたら、多分、野猪の首を折っていた。
――逆に、一歩少なければ、畑側へ突っ込んでいたかもしれない。
そのどちらでもない、“いなすためだけの一歩”。
「す、すげえな……」
いつの間にか、農夫たちが戻ってきていた。
さっきまで俺が立っていた場所と、用水路の位置を見比べて、ぽかんと口を開けている。
「今の、なんていう技だ?」
「……“逃がすための一歩”、ですかね」
自分で言っておいて、少しだけ照れくさい。
でも、間違ってはいない。
「野猪は、また来るかもしれません。でも、少なくとも今日は、“こっちのほうが怖い”って思ってくれたはずです」
「なるほどなあ……」
年長の農夫が、しみじみと畑を見回した。
「斬られたわけじゃないのに、“ここまで”って線を引かれた感じがするな」
『評価:成功です』
(お前の評価は後で聞く)
内側で苦笑しながら、俺は深呼吸を一つした。
午後には柵の補修も終わり、壊れた板や石、ついでに市場に出す予定の麦束をいくつか、“運搬の祝福”で預かった。
農夫たちと連れ立って村まで戻る道の途中で、ヒトリを一度だけ肩に呼び出す。
小さな光の鳥が、畑から村へ伸びる線の上を、くるりと一周した。
その軌道が、俺には、暮らしと暮らしを結ぶ細い通り道のように見える。
『これで、荷物の心配は少し減りましたね』
(ああ。その分、“生きて帰る線”に、もっと集中できる)
昨日、リラが言った言葉が、今度は実感を伴って胸に落ちてきた。
ギルドに荷物を預け、報告を済ませる。
報酬の小袋を受け取ったとき、受付の女性がふっと笑った。
「どう? “運搬の祝福付きDランク”としての初日」
「……思ってたより、ちゃんと“冒険者の仕事”でした」
俺がそう答えると、彼女は満足そうに頷いた。
「村の日常を守る依頼も、立派な仕事よ。
その線があるから、森の外縁で戦う人たちも、安心して前に出られるんだから」
その言葉に、胸の奥でまた何かが「かちり」と音を立てる。
灯籠の線。
森の線。
畑の線。
そして――暮らしを運ぶ線。
俺は木札を軽く握りしめ、ギルドの扉を押し開けた。
夕方の光が差し込む外の世界へ、一歩を踏み出す。
その一歩が、“前に出るため”だけじゃなく、“誰かの暮らしを守るため”の線にも繋がっていると、少しだけ誇らしく思いながら。




