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6.


 校舎の屋上で寝転びながら、空を眺める。ここは授業をサボるためのお気に入りの場所だ。いつしかこの共用スペースは、俺と一部の人間以外誰も立ち入らなくなっていた。札付きの不良が(たむろ)している場所だと、生徒たちは恐れているのだろう。都合が良い。


 青空の下、うとうとと微睡(まどろ)むのが心地よかった。爽やかなそよ風が俺の顔を撫でる。その時、階段を誰かが上がってくる音に気づいた。


「名瀬ー、また屋上でサボり中?」

 伊藤の声。寝転んだまま、視線だけを声の方向へ向ける。伊藤は俺が反応したのを確認すると、横に胡坐(あぐら)をかいて座った。


「お前から白石に伝えとけ。俺に話しかけんなって。あいつ鬱陶しいんだよ」

「ははは……ごめん、言っとくよ。ったく、リナのバカ」

 白石と伊藤は付き合っていないが、普通の友人関係でもない。いわゆるセックスフレンドという関係らしい。俺は、伊藤に抱かれながらも他人へ色目を向け続ける白石を激しく嫌悪していた。


 俺の母親も股が緩かった。小学校にも入学していない俺の前で、毎日のように男に抱かれていた。ひらがなを覚えるより先に、箸が持てるようになるより先に、俺は男女の性交を知った。日が変われば男も変わり、母親から受ける折檻の方法も変わる。俺の体も、俺の心も、痛々しいキズにまみれていた。それは、今も癒えることのないキズ。もう一生、癒えない。


「名瀬、本題に入るんだけどさ。いいカモを見つけた」

 その言葉とともに、伊藤の口元が(いや)らしく歪む。この学校の不良連中――伊藤たち――が俺のもとへ訪れる時は、ほとんどこれが理由だ。俺は彼らにとって都合の良い暴力装置。ただ、それは俺にとっても都合が良い。人に暴力を振るえるのだから。利用されていると理解していても、俺は構わなかった。


「誰?」

「三年の柳先輩。あの人も特殊詐欺の受け子してるみたいで相当稼いでる」

 柳――聞いたことがあるような、ないような名前。多分どこかで会ったことはある。興味がなさ過ぎて、きっと記憶から消えている。くだらないヤツの顔や名前なんて、覚えるだけ無駄だ。だから俺は人の名前も顔も覚えられない。くだらない人間関係しか、俺は持っていないから。


「いいよ、詰めよう。明日この前の場所に呼び出せ」

「えっ……あっ、うん」

 即答した俺に、伊藤は想定外といった表情を浮かべる。その反応で、俺はすべてを察した。

「どうした」

「いや、あはは、あっさり了承するから……さすがだなぁって」

 伊藤は、わざとらしく笑っていた。


「……じゃあ明日な、伊藤」

「うん。よろしく、名瀬」

 伊藤は立ち上がると、俺に一瞥(いちべつ)して軽く頭を下げる。そして、そそくさと小走りで屋上を去っていく。俺は伊藤の背中が消えるのを確認してから、大あくびをして目を閉じた。


 生ぬるい太陽光が全身を包んでいる。数秒に一度、ひんやりとした風が通り過ぎる。交互に訪れる寒暖の波が心地いい。この時間が永遠に続けばいいのに――そう思う。

 ふと考える。俺はなぜ律儀に学校へ通っているのだろうか。授業をサボり、屋上で(なま)ける。こんな時間を繰り返して、何の意味があるのか。


 高校を辞めて働いたほうが有意義だ。だが嫌だ、面倒くさい。ムカつく上司がいたら殴り倒してしまうだろう。そうなれば速攻で家庭裁判所送り――就職は、少年院行きの片道切符を受け取るに等しい。

 それに今は、制服に身を包んでいるおかげで五体満足にヌクヌクと生活できている。高校生という身分は、チンピラ連中の報復から俺を守る最高のバリアだ。退学すれば身を守るものは何もない。終わりのない拷問を受けたって不思議じゃない。この制服は防弾チョッキよりも命を守るのに適している。


 高校を卒業するまでは、好き放題やってやる。そのあとは死んでも――。



「ねえ、男の子でキミだけ、名瀬くんだけだよ。私に興味無いの」

 ――足音も、気配も、何も感じなかった。風に溶けほどける透明感、それでいて鈴なりを震わせたような声が、屋上に響く。


 仰向けで目を閉じたまま、俺の視界は漆黒に染まっている。だが、その声の主を俺は一瞬で理解した。


「逆に、なんで興味を持つんだよ」

「男の子は私を(いや)らしい目で見てる。女の子は私を(いとわ)わしい目で見てる。私は好意と敵意を同時に受けてる。すごく、最高の気分」

「……あ?」

「愛されるのも嫌われるのも……等しく、その人間の心を私という存在で満たしているの。僅かな時間で、あのクラスの主役は私になった。男の子の心も、女の子の心も、私がぜーんぶ奪っちゃった」

「お前の自意識過剰だ、気持ち悪い」

「ふふん、どうかなあ。みんな、私の一挙手一投足、目を離せないんだよ。私って、まるでお姫様でしょ? でもさ、ねえ、名瀬くん……キミだけは違うの」


 冗長な言葉ばかりだ。転校生は何をしに屋上へ、俺のもとへ訪れたのか。心の底から自分がこの世界の中心に立つ、物語の主役だと確信めいた話し方。それが、心底鼻についた。


天海(あまみ)のことなんて数週間すれば、みんな飽き――」

 俺は目を開き、答えようとした。天海を睨みつけ、最大限に威嚇し、屋上に足を踏み入れたことを後悔させてやる、そう思っていた。だが、目に映った光景に言葉を失った。


「名瀬くん……私、キミが気になっちゃった」

 余裕に満ちた表情と口調、この底辺高校には場違いなほどの美貌。俺は仁王立ちの彼女を屋上の地べたから見上げる。そよ風が首筋をかすめ、彼女の黒い髪が揺れ動く。太陽を背にしたその素肌は、照らされる真水のように輝いていた。


「食い入るように私の恥ずかしい場所を見つめちゃって。キミ、えっちだねえ」


 ――天海のスカートの中、太ももの付け根から鼠径部(そけいぶ)にかけて、純白の素肌に浮かぶ、赤、青、緑。毒々しく痛ましい無数のキズ(あと)

 可愛らしいショーツが、そのおぞましさを一層と際立たせていた。


「制服も下着も、ぜーんぶ脱いであげよっか? そうしたら名瀬くんの心――」

 彼女の余裕に満ち溢れた表情と口調は、さらに強調される。


「――ぜんぶ、私で満たせるかな?」


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