30.
それから俺たちは、自分たちの町へ戻るために駅へ向かった。夜の電車はガラガラで、乗客はまばらだった。天海はボックスシートの窓際に座り、俺はその対面の通路側に座った。
電車が動き出す。窓の外に、夜の景色が流れていく。
天海は何も言わなかった。さっきまで公園で話していた時とは違い、完全に黙り込んでいる。ただ窓の外を見つめている。その横顔は街灯の光に照らされて柔らかく見えた。だが、その目は何かを考えているようで、どこか遠くを見ているようだった。
俺も窓の外を眺めた。夜の街並みが流れていく。住宅街の明かり。閉まった店のシャッター。誰もいない歩道。全てが静かで、遠くて、どこか現実感がなかった。
電車の揺れが心地よい。ガタンゴトンという音だけが、静かな車内に響いている。時々、誰かが乗り降りする音がする。だが、俺たちの周りには誰もいなかった。
天海は相変わらず何も言わない。ただ、じっと窓の外を見つめている。その表情は穏やかで、でもどこか寂しそうだった。さっき公園で言っていた言葉が、俺の頭の中で繰り返される。
――家に……帰りたくない。
――ずっと、ここにいたい。
天海の声が、まだ耳に残っている。小さくて、寂しそうで、でも誰かに聞いてほしいような声。あの声を聞いた時、俺は何も言えなかった。何を言えばいいのか、わからなかった。
今も、何を言えばいいのかわからない。ただ、前方に座っている天海を横目でちらりと見る。天海は窓の外を見つめたまま、微動だにしない。その目は、何かを探しているようで、でも何も見つけられていないような、そんな目だった。
俺はまた窓の外を眺めた。電車は駅を通過していく。ホームに立っている人影が一瞬見えて、すぐに消える。街灯が流れていく。看板の明かりが一瞬輝いて、闇に消える。全てが一瞬で過ぎ去っていく。
この時間が、ずっと続けばいいのにと思った。電車の中で、ただ座って、何も言わずに夜の景色を眺めている。それだけでいい。それだけで、何かが満たされる気がした。
天海が小さく息をついた。その音が、静かな車内で妙に大きく聞こえた。俺は天海の方を見た。天海は相変わらず窓の外を見つめている。その横顔は、どこか儚げだった。
次の駅が近づいてくる。車内アナウンスが流れて、電車が少しずつ速度を落としていく。ブレーキの音が静かに響く。天海の髪が、電車の揺れに合わせてわずかに揺れた。その動きが、妙に目に焼きついた。
駅のホームが見える。蛍光灯の白い光。誰もいないベンチ。自動販売機の赤と青の明かり。電車は静かに停車した。
ドアが開く音がする。誰も降りない。誰も乗ってこない。ただ、生温かい夜の空気が車内に流れ込んできた。天海が小さく身を縮める。寒いのか、いや寒いはずなんてないのに。……別の何かを感じているのか、俺にはわからなかった。
ドアが閉まり、電車がまた動き出す。窓の外の景色が再び流れ始める。闇の中に、ぽつりぽつりと光が浮かんでは消えていく。窓明かり。街灯。信号機の赤い光。全てが、まるで別の世界のもののように見えた。
天海の呼吸が聞こえる気がした。小さくて、規則的で、でもどこか不安定な呼吸。俺は自分の呼吸を意識した。それから、電車の音を意識した。ガタンゴトン、ガタンゴトン。その音が、まるで時間を刻むメトロノームのように聞こえた。
どれくらいの時間が経ったのだろう。あと何駅で、俺たちは降りなければならないのだろう。そう考えたとき、急に時間が惜しくなった。この電車が、終点のない路線だったらいいのにと思った。ずっとこのまま、夜の中を走り続ければいいのにと。
天海の手が、膝の上で軽く握られている。その手は小さくて、震えているようにも見えた。でも、俺は何もできなかった。手を伸ばすことも、声をかけることも、できなかった。ただ、そこに座って、天海と同じように窓の外を眺めることしか。
電車は走り続ける。夜の中を、俺たちを乗せて。行き先がわかっているのに、まるでどこにも辿り着かないような、そんな気持ちが俺たちを満たす。




